9-7 君の居場所
「私、どうしたらいいか、わからないです」
彩葉のその言葉に、僕はどうしようもなく「うん」とだけ返事を返した。彩葉はそんな僕を大して気にしていなかったようで、また窓の外を見た。
僕は本当にどうしようもなく、彩葉に対して申し訳ない気持ちだった。彩葉の家庭を壊した原因の一端、いや、大元の原因は僕のお父様にある。そのお父様は彩葉を前にしても、謝罪も何もしなかった。自分が不倫で家庭を壊したことの罪の重さを、お父様は何もわかっていない。何もわかっていないから、あんな平然とした顔をして彩葉の前に居られたのだ。僕はお父様のその図太さが嫌いだ。人を思いやれないその心が嫌いだ。僕はそんな感情をどこにもぶつけられなくて、ただこぶしを強く握った。
そんな無言が続いたまま、車はいつの間にか家の前に着いていた。
「ごめんなさい。急に運転してもらって……」
僕がそう言うと、お手伝いさんは微笑んで
「いいんですのよ。お嬢様の元気なお姿も見れましたし」
と、言ってくれた。僕もこくり、と頷いてそのまま車を降りようとすると
「お嬢様!」
と、声をかけられた。思わず驚いてそちらを見ると、お手伝いさんが笑ってこちらを見ていた。
「お嬢様、何か苦労はされていませんか?何かあったら、いつでも私達にお告げくださいね。旦那様には秘密にいたしますから。だから、たまにはこちらにもお帰り下さいませ」
寂しそうな笑顔を向けたお手伝いさんに、僕は「ああ」と思った。彩葉にも温かい家族があったように、僕にもあの家に居場所があったんだ。そんなことに今更気が付くなんて……。そう思いながら、僕は
「近いうちにまた帰るよ。今日は本当に、ありがとう」
と、告げた。お手伝いさんは「はいっ!」と嬉しそうに返事をして笑った。これは合図だった。僕がお手伝いさんにくずした言葉で話すときは、必ずその約束を守るという、昔からの合図。僕は車の扉を閉じて、そのまま車が行くのを見送った。
さて、ここからだ。まだ、戦いは終わっていない。今からでも僕に出来ることを。
家に入ると、リビングで彩葉が立ち尽くしていた。僕は少し動揺したが、すぐに彩葉に駆け寄った。
「彩葉」
そう、優しく名前を呼ぶと、彩葉は顔を上げた。
「戸神さん、今日は、本当にありがとうございました」
そう言って彩葉は深く頭を下げた。僕は笑って、
「顔を上げてよ、彩葉」
と、声をかけた。彩葉は素直に顔を上げてくれた。
「彩葉、今日は祐介さんに会わせてくれてありがとう。僕は今日の彩葉を見ても、幻滅なんかしないよ。彩葉の力になれることなら、なんでもする。それは変わらないから」
僕がそう言うと、彩葉は少し驚いた顔をした後、困ったように笑って見せた。
「ありがとう、ございます」
「うん」
ほんの少しだけれど、彩葉がいつもの様子に戻った気がして、僕は安心した。
「ごめんなさい、少し部屋で休みますね」
「うん、夜ご飯のことは心配しなくていいから。食べたいときに降りてきて」
僕がそう言うと、彩葉は「助かります」と笑って、上の階に上がっていった。僕はその背中を、見送った。
「さて、夜ご飯作るか!」
そうしてこの後、僕は後悔する。この時、もう少し彩葉を見ていたら、こんなことにはならなかったかもしれないのに、と。
夜7時、夜ご飯を作り終えた。彩葉は降りてこない。
夜8時、お風呂に入った。彩葉は降りてこない。
夜9時、彩葉の部屋の前にいる。僕はドアをこんこん、と2回ノックした。
「彩葉、僕だよ。具合、どうかな?」
返事はない。寝ているのだろうか。
「彩葉、お風呂だけでも入らない?」
返事はない。まぁ、別に明日も休みだし、もう少し遅い時間に入ってもいいんだけれど。もう部屋に籠ってから、3時間も経っている。流石に少し心配してしまう。そういう訳で部屋を訪れたのだけれど、返答はない。まぁ、寝ているのだろう。なら、無理に起こす必要もない、と、僕は部屋を離れた。……が、引き戻ってしまった。なんだか、様子がおかしい気がしたのだ。彩葉が僕の声にも気が付かずに熟睡するなんて、珍しいと思ったから。少し開けて、寝ているのを確認すればいい。そう思い、僕は静かに部屋の扉を開けた。
中は電気が付いておらず、真っ暗な状態だった。もう少し扉を開けて見てみると、壁際のベットが見える。中が暗くてよく見えないが、そこに彩葉が眠っているはず、だった。おかしいことに、すぐ気が付いた。ベットは平坦で人が中に入っている気配なんてなかったからだ。
「彩、葉?」
僕はそのまま、扉を開けてしまった。部屋の電気をつけると、そこには空っぽな部屋ががらん、としてあるだけだった。
「彩葉?」
声をかけても、返事がない。姿もない。ベットにも、勉強机にも、どこにも、いない。僕はすぐに1階に降りて、部屋中を探し回った。トイレ、お風呂、ベランダ、庭、和室、どこにもいない。結局リビングに戻ってきて、やはりいないことに気が付いた。持っていたスマホで電話を掛けるが、出ない。
ようやく、彩葉が家からいなくなったのだと気が付いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます