9-6 紅紫色の血の繋がり
「どうして、こんなことしたの?なんで?お母さん……」
その問いに、お母さんは答えなかった。ただ、彩葉の顔をじっと見つめているだけで。その空白と沈黙の間に何があるのかは、僕にはわからなかった。彩葉とお母さんにしかわからない、何かが、きっとそこにはある。
しばらくすると、彩葉はお母さんの上から立ち上がった。そうして冷たい目で、お母さんを見下ろした。その目に、もう母親を思う気持ちなんてものはなかった。
「私は貴方を、好きになれない」
でも、と彩葉は言葉を続ける。
「私も戸神さんも、貴方みたいな人から生まれたことを消せない。それが、一番嫌だ」
そう言うと彩葉はお母さんの上からどいた。そうしてお父様に「お邪魔しました」と、一礼しそのまま部屋を出ていった。
「……彩葉っ!」
彩葉の後を追いかけようと、僕も出口に向かった時だった。
「侑李」
心臓に響くような低い声で、名前を呼ばれた。その声を聴くのは、久しぶりだった。僕は思わず立ち止り、ゆっくりと振り返った。
「……お父様」
お父様は椅子に深く腰を掛け、まるで何もなかったみたいな涼しい顔をして、僕を見ていた。
「今度帰ってくるときは、ちゃんと連絡してきなさい」
なんてことない、言葉だった。僕は色々言いたい言葉を飲んで、
「……はい」
とだけ言って、彩葉の後を追った。
彩葉の後を追うと、お手伝いさんが彩葉と話をしていた。
「あらあら、どうしたのですか?旦那様と何か……」
「あ、いえ……」
お手伝いさんに話しかけられて、どうしたらいいかわからずにいる彩葉の後ろに僕は立った。
「あ、お嬢様」
「濡れたタオルと、何か落ち着く作用があるハーブティーを。客間、借りますね。人払いをしておいてください」
僕がそう告げると、お手伝いさんは「はい、すぐに!」と言って、キッチンのほうへ走っていった。僕は彩葉の肩を掴んで
「取りあえず、ここから離れようか」
と、彩葉を1階の客間に連れて行った。
お手伝いさんが持ってきてくれたタオルで目を冷やさせて、僕は彩葉の背中をさすっていた。
「ハーブティーだよ。落ち着くと思うから、飲んで」
そう言うと、彩葉は言われたままにカップを手に取り、こくり、と飲んだ。俯いているせいで隠れている前髪の間から、彩葉の目が見えた。僕には、その感情を読み取ることが出来なかった。彩葉はハーブティーを飲み終わると、そのままはぁ、と息を吐いた。そうして、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「幻滅、したでしょう?」
苦しそうに笑う彩葉の姿に、僕はすぐには声が出なかった。きっとここでは、すぐに「そんなことないよ」って言うのが正解なのに。僕にはそれが出来なかった。僕はゆっくりと息を吐いて、声が震えないようにして、
「いいや」
と、それだけを絞り出した。彩葉は
「嫌いになってくれていいんですよ」
なんて言って、僕にもたれかかってきた。彩葉らしくない、行動だった。僕が戸惑っていると、彩葉はそのまま僕の体に顔を
「い、ろは……」
「ねぇ、戸神さん」
彩葉が声を出す。まるでご主人様に甘える猫のような、猫撫で声で。
「わたしたち、これからどうしましょうか」
「……え?」
「これから、どう生きていきましょうか」
全く意図が読めない質問に、僕は動揺しか出来なかった。
「どう、って……」
「そんなの、決まっているじゃないですか」
その時、彩葉の目が
『俺的に言うと⦅人を魅惑するオーラ⦆を持っているんだ、桜宮は』
『そのオーラが、桜宮に惹かれるように人を魅惑する』
いつか、そんな話をしたときに見た、あの目。彩葉は今、何をしようとしている?そんな僕に構わず、彩葉は話を続けた。
「はぁ、私、良かったです。戸神さんと、血が繋がってて」
彩葉はそう言って、下から僕の顔を覗き込んだ。
「だって、」
彩葉が笑顔で言う。冷や汗が伝う。それ以上は、聞きたくない、と頭が拒否する。
「こんな血を継いでいるのが私だけだったら、死んじゃってましたもん」
そう言う彩葉の楽しそうなことと言ったら、なかった。
僕はすぐにお手伝いさんに車を手配させて、彩葉と家に帰る準備をした。タクシーで帰れるほどのお金を、僕は持ってきていなかったのだ。僕はなるべく彩葉を見ないようにしながら、彩葉を車に乗せた。
「彩葉、もう帰ろう。今日はもうゆっくりしよう」
そう言った先で彩葉はこくり、と頷いた。
空は厚い雲で覆われ、外は雨が降ってきていた。昼前はあんなに晴れていたのに、と思う。そう、昼前はあんなに穏やかだったのに。いつも、人生は何があるかわからない。いつでも、穏やかさのすぐ近くには何かがあるのかもしれない。
車が出発し、郊外の町を走り出したところで、ぼそっと、彩葉が口を開いた。
「戸神さん」
僕は窓から彩葉の方に目を向けた。
「どうした?」
彩葉はまた苦しそうに笑って、言った。
「私、どうしたらいいか、わからないです」
窓に、雨がぽたぽたと当たる音がした。
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