9-4 荒れ果てる君を僕は

 祐介さんを見送って家に戻ると、うなだれた彩葉が椅子に座り込んでいた。かける言葉が出てこず、とりあえず彩葉の傍に居ようと近付いた時だった。


「……!?……う、わっ、!ちょ、」


 彩葉は椅子からすごい勢いで立ち上がると僕の肩をぎゅ、っと掴んだ。


「い、彩葉……!」


 僕にもたれかかった彩葉の体をなんとか受け止める。「取りあえず落ち着いて」と僕が言う前に、彩葉はものすごい勢いで顔を上げた。


「戸神さんっ!」


 彩葉はすごい剣幕で、僕の名前を呼んだ。


「うん」


 僕がしどろもどろで返事をすると、彩葉は僕の肩を強く掴んだ。


「戸神さん、私を戸神さんの家に連れて行ってください!私、お母さんと話をしなきゃ!早く、連れて行ってくださいっ!」


「い、ろは……」


 彩葉の肩を押して、僕から引き離す。


「彩葉、落ち着いて。お母さんと話す前にまず……」


「駄目なんです!今じゃなきゃ、駄目なんです!」


「ぁ、うわっ、!……っ、彩葉……!」


 鈍い音がして二人、床に転がる。彩葉は僕に掴みかかると、そのまま自分ごと僕を床に押し倒した。僕が下敷きになったおかげで彩葉はどこも打ってはなさそうだったが、僕の背中はじんじんと痛んでいた。上から彩葉の全体重がかけられる。「彩葉」

と名前を呼んだ先で、彩葉は僕を寂しい目で見つめていた。


「……彩葉」


「お願いします、戸神さん」


 彩葉は僕を押し倒したまま、縋るように懇願した。


「今すぐに、私を戸神さんの家まで連れて行ってください。お願いしますから」


 今まで見たこともないような真剣な目に、僕は言葉を無くした。彩葉は懸命に僕に訴えてくる。


「今日話さなきゃ、今すぐ話さなきゃ。お母さん、帰ってこないから。ここには、帰ってこないから。絶対戸神さんのお父さんの所にいるんです。だから行かなきゃ!」


 僕は混乱したままただ僕に懇願する彩葉を、彩葉の下からしばらく眺めていた。彩葉の目にはもはや僕なんて映っていないような気がして、僕はそっと、彩葉の頬に手を添えた。その感触のせいか、一瞬、彩葉の動きが止まった。


「……言って。行って何するの、彩葉」


「私、お母さんと話さなきゃいけないんです。どうしても」


「連れて言ったら、話が出来たら、落ち着けるって約束できる?」


「はい、しますから。約束、出来ますから」


 はあはあ、と息の荒い彩葉に、僕は諦めて手を下ろした。


「……わかった。今から行こうか。タクシーを呼ぶよ」


 そう言うと、彩葉は僕を見開いた目で見つめていたけれど、僕がもう一度


「彩葉?」


 と、尋ねると彩葉はうわの空のままで「はい」と返事をした。




 その後の行動は早かった。僕は彩葉の下から起き上がった後、すぐに携帯でタクシーを呼んだ。10分で来ることを彩葉に伝えて、僕は自分の部屋からお金を取り出した。それから家に電話をかけた。すぐにお手伝いさんが出て、僕が連絡をしたことに喜んでいたのを遮って、今から帰ることを伝えた。下に降りて彩葉を見つけると、彩葉は茫然ぼうぜんとしたままソファーに座っていた。僕はそんな彩葉に「行こうか」と声をかけて、彩葉をタクシーまで連れ出した。



 タクシーの後部座席に二人で乗り込み、僕が行き先を告げる。市内郊外の場所であることに、運転手は驚いていたが「なるべく急ぎで」と伝えると、タクシーはそのまま急加速して道路を滑走し始めた。


 しばらくもしないうちに、タクシーは市内を抜けて僕の家へと近づいていた。僕は息を吐いて、窓の外を眺めた。ライトサックスブルーの空は、白い雲を引き連れて横に横にと流れていく。入道雲の消えない9月は、まだまだ夏が残っていて、それでいて秋の気配を連れてくる。脳裏に浮かんだのは、祐介さんの顔だった。祐介さんの言った言葉も残した言葉も、全てが今となっては胸を締め付けるばかりだった。木の葉がはらはらと舞い落ちて落ちるように、祐介さんの存在は、あの家から消えていく。それを彩葉は、穏やかに死んでいく家族の形を、ずっと見ていたのか。そう思うだけで、何も言えない自分に嫌気がさした時だった。


「私」


 そう、彩葉が口を開いた。僕は彩葉の方を振り向いて「うん?」と聞き直した。


「私」


 彩葉は僕の方も見ないで、遠くを見ていた。


「幻滅されると思います、戸神さんに」


 彩葉の声は、はっきりとしててうれいを含んだ声をしていた。僕は少し考えた後に、言葉を紡いだ。


「いや、しないよ。僕の彩葉への気持ちはこんなことでは消えたりしない」


 そのまま、僕は衝動的に彩葉の手を掴んだ。彩葉はふっ、と笑って、ようやくこちらを見た。






 僕の家に着くとタクシーをすぐに降りて、インターホンを押した。すぐにお手伝いさんが飛んできて、玄関の扉を開けた。


「ああ、お嬢様。おかえりなさいませ!」


「うん、ただ、いま」


 嬉しそうなお手伝いさんの顔に、申し訳ない気持ちが掻き立てられた。すると、後ろで彩葉が


「戸神さんのお父様のお部屋、連れてってください」


 と言ったので、僕はお手伝いさんに


「今日はお父様にお客様を連れてきたんです。話はあとで。急ぎなので」


 と告げて、そのまま彩葉の手を引いて家の中へと入った。「侑李お嬢様」「ああ、お嬢様」とお手伝いさんたちが言う声をかき分け、僕は彩葉を引き連れて、お父様の部屋の前まで行った。ゆっくりとドアノブをに手をかけると、扉はそのまま緩やかに開いた。

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