9-3 彩葉の≪今≫の家族
祐介さんは背筋を伸ばして、彩葉にしっかりと真正面から向き合った。そうして「彩葉」と名前を呼ぶと、そのまま、深く頭を下げた。急な行動に彩葉は「お父さん!?」と困惑したような声を出した。それは僕も同じで、声が出そうになったのを何とか抑えたのが本心だった。祐介さんは頭を下げたまま、言った。
「彩葉、何も言わずに離婚してすまなかった。一人にして、すまなかった」
その言葉に僕が何も言える訳がなく、彩葉に目線を移すと、彩葉は小刻みに震えていた。動揺もしているし、どうしたらいいのかわからないのも、痛いほど伝わってきた。いつもなら、すぐに手を差し伸べるけれど。「大丈夫?」と肩を抱き寄せるけれど。でもそれは、今は、僕が絶対にしてはいけないことだった。これは彩葉と祐介さんの話だ。«部外者»の僕が首を突っ込んでいい話じゃない。だから、僕は聞くことしか、この会話を見守るしかできない。それが、僕の今のすべきことだ。彩葉を慰めることなら、あとでいくらでもできるから。
「そんなこと、ない……よ。私はそれより、お父さんの方が……」
「いいよ、いいんだ。もう、僕の心配はしなくていいんだ」
そう言うと、祐介さんは僕の方を向いた。
「今日は彩葉に話があって来たんだ。でも戸神さんにもここにいて、一緒に聞いてほしい。今の彩葉を支えているのは、きっと戸神さんだと思うからね」
祐介さんがどこまで僕たちの関係を見透かしているかはわからないけれど、それでも僕はその言葉にこくりと頷くしかなかった。僕の役目を、僕は果たすだけだ。
「彩葉、本題だ」
祐介さんは、また背筋を伸ばして彩葉に向き合った。
「彩葉、いいかい」
彩葉は俯いていた顔を上げて「うん」と小さく返事をした。
「彩葉、君は今17歳だね。お母さんから頼まれた、20歳までは彩葉に会わないでほしいそうだ」
瞬間、彩葉が椅子から立ち上がった。
「お父さんっ……!」
叫んだ彩葉の言葉を、祐介さんが食い気味に言葉でかき消す。
「20歳になったら、彩葉も大人だ。そこからは僕に会うかどうかは自由だ。でも彩葉が学生の間は会わないで、と、そう言われた。彩葉にも、新しい生活があるからと。だから……」
そう言って、祐介さんは彩葉の目を真っ直ぐに見た。
「彩葉が20歳になるまでは、会えない」
その時、机に置かれていた彩葉の手がぎゅう、と握られた。
「なんで!?どうしてそんな約束したの!?」
感情のままに叫ぶ彩葉に、祐介さんは落ち着いて口を開いた。
「彩葉はずっと僕の娘だし、僕はずっと彩葉のお父さんだ。でも、もう家族ではない。だから、お母さんが決めたことに僕は逆らえない」
ごめんね、。
そう言った祐介さんの言葉に、彩葉は言葉を失ったように声を無くした。祐介さんはその彩葉の姿を見ても動じず、ただただ真っ直ぐと彩葉を見ていた。そうして、また口を開いた。
「彩葉には、もう新しい家族がいる。お母さんを、よろしくね」
そう言うと、祐介さんはダイニングチェアから立ち上がった。そうして鞄を持って、すたすたと玄関へと向かった。
「ちょ、祐介さん!」
僕がそう名前を呼ぶが、祐介さんは止まらなかった。僕は立ったままうなだれている彩葉を視界に入れたが、彩葉は微動だにしない。僕は彩葉に「すぐ戻るから、座ってて」と言い残して、急いで祐介さんの後を追った。
「祐介さんっ!」
そう言って玄関に向かうと、ちょうど扉が閉じた。僕は裸足のままで玄関に降りて扉を開けた。扉の先から涼しい風が入り込んできた。明るい太陽の下、祐介さんは玄関前の庭に立っていた。
「祐介、さ、」
僕が名前を呼ぶ前に、祐介さんが口を開いた。
「この花、彩葉がずっとしてるの?」
僕と祐介さんの間に、涼しい風が吹く。僕は息を飲んで
「ずっと、彩葉が世話してます。昔、お母さんとしていたんだって。それが忘れられないんだって、言っていました」
と、答えた。祐介さんは花を優しい目で見つめると、懐かしそうに笑った。
「そうか。彩葉はまだ、抱えているんだな。まだ……」
そう呟くと、祐介さんは花から僕の方に目を向けた。真っ直ぐな祐介さんの目は、僕に彩葉を思い出させた。彩葉も、そういう目をする。僕に大切な話をするときに、こんな目をするのだ。僕はその目に、とらわれていた。祐介さんは、そのまま口を開いた。
「戸神さん、いや、侑李ちゃん。彩葉をどうか、よろしく」
僕は詰まりそうになった息を吐いて、言葉を出した。
「祐介さん、もう一度、考え直してください。いくら今は一緒に住んでないからって、家族じゃないだなんて、そんなことないと思います!」
僕が叫んだ声に、祐介さんは動じることすらなかった。そうしてまた真っ直ぐと僕を見た。
「侑李ちゃん、君が今の彩葉の家族なんだ。だから、彩葉をよろしくね」
祐介さんは最後にそう言い残すと、そのまま立ち去って行った。僕は裸足のせいで追いかけることも出来ず、ただただそこに立ち尽くして、祐介さんの背中を見送っていた。
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