8-10 まだ君の隣に並べない
さて、今回も退学は免れたと、掲示板の前で安堵していると、横に誰かが来た。
「彩葉の特技。特技って言うか、得意なこと。初めて見れた。いやー、写真に撮りたいなぁ」
そんな気の抜けた言葉に、私は思わず横を向いてしまった。ちなみに、この学院で私のことを「彩葉」なんて呼ぶ人はあの人しかいない。
「僕は誇らしいよ、ね、彩葉」
「……戸神、さん」
そう声をかけると、戸神さんは私を端正な微笑みで見た。
「彩葉、お疲れ様。と、一位おめでとう、かな?」
そう言って首を傾げる戸神さんに、私も首を傾げる。
「ありがとう、ございます?」
「うん」
戸神さんはそう言うと、また順位表を見た。
「結構難しかったよ、
そんなことを言って、戸神さんは順位表の10位の部分を指さした。
「彩葉まであと9コ、足りないね」
その指がすっと上に上がって言って、私の名前を指さした。私はその指を、目で追いかけていた。
「いやいや!転入最初のテストで10位なんて、もうそれだけで十分ですよ!」
私は本心でそうツッコむが、戸神さんは曖昧に笑うだけだった。
「うん、でも、足りないんだ。彩葉の見ている世界を見る為には、まだ足りない」
そう言って、戸神さんは指さすのをやめた。
「私の、見ている世界、ですか?」
私がその言葉の真意を尋ねると、戸神さんは私の方を見てふっと笑った。
「そう。僕は少しでも彩葉の近くにいたいから、だからその努力は、惜しまない」
少し大げさなようなその言葉は、それでも私の胸をつん、と突いた。少し考えて、戸神さんがそんなことを言う気持ちが、少しわかったような気がした。
(ああ、私が戸神さんを遠くに感じるように、きっと戸神さんも……)
「私が、遠いですか?」
ふと、口から出た言葉は、意味不明なようで、でも戸神さんには届くと信じて口に出した言葉だった。戸神さんは私の言葉を飲み込むようにして、少し考えるそぶりを見せて、それから「うん」と頷いた。
「不思議だよね。こんなにも近くにいるのに、遠く感じるなんて。でも、」
そう言って、戸神さんは私に近づいて私の手を握った。
「10年の月日はこんな短期間じゃ埋まらない。だから、焦らないよ」
そう言われて見上げた戸神さんの目は、薄緑の色がキラキラと光に反射していた。
「彩葉の傍に、もっと届くように」
私はそれに答えるように浅く息を吸ってから、声を出した。
「私も戸神さんの隣にいれるように、頑張ります。焦りません」
そう言うと、戸神さんはこくりと笑って頷いた。
「彩葉。一位、おめでとう」
その言葉に、今度は私が微笑む番だった。
誰もいなくなった教室の端っこ、最前列の窓側に私達は座っていた。優子ちゃんは今日返された数学の解答用紙を真剣に見ていた。私はその顔をノートの上からこっそり盗み見ていた。優子ちゃんは顔立ちも綺麗で、キリッっとしていて、私はその顔がずっと好きだった。しばらくその顔を見ていたら、いきなり優子ちゃんが正面に顔を上げた。
「ぁ、優子、ちゃ……」
「私の顔に何かついてる?」
「う、ううん。ごめんね、なんでもないの」
私がそう言ってノートに視線を戻すと、優子ちゃんはそこまで追求せずに何も言わなかった。
そのまま、無言の時間が続く。時計のカチカチという音が教室に響く。私はそれを鮮明に聞きながら、いつ話し出そうかタイミングを伺っていた。
(今、いや、でも……、あと2回、時計の針が回ったら…、ああ、でも、どうしよう)
何回も息を吐いては吸ってを繰り返す。吐かれるたびに、声として出なかった言葉は消えていく。私はそんな自分が情けなくて仕方がなかった。それを何十回も繰り返し、時計が20分も経ったことを示した時だった。
「惜しかったね」
ふと、優子ちゃんが呟いた。私はすぐに顔を上げて反応した。
「あ、うん、惜しかったって……」
「テストの順位」
私はすぐに納得して「うん」と返事をした。
「生徒会長だから、ね。なんでもある程度は出来なきゃいけないから。……でも、桜宮さんには敵わないよ。900点中で872点。私とでも50点は差がある」
優子ちゃんは私の話をうんうんと聞きながら、窓の外を眺めていた。そうして顔は背けたまま、私に告げた。
「でも、その順位を取ったのはすごいことでしょ。自分を褒めていいのよ。名野ちゃんは」
その言葉に私の心は、少し溶かされていく。優子ちゃんに肯定されると、私はなんでも許されたようなきもちになるのだ。
「私なんか得意な数学でミスばっかり。夏休み明けだからって、油断してたわ」
そう言って私に解答用紙を渡してくる。私がそれを受け取り見てみると、そこには美しい数式が羅列していた。優子ちゃんは字も綺麗だ。そんななんでも器用にこなす優子ちゃんを、私は尊敬しているのだ。
「私は目標の人にさえ届かなかった」
そう言って微笑む優子ちゃんは、どこか悲しげだった。
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