8-7 君の言葉が私を強くする

 戸神さんが、真夏の日の下で微笑んで見せた。


「無謀すぎたこと言ってるのは、わかってるんだけどさ」


 一歩、一歩と戸神さんが歩を進める。


「僕は、彩葉のライバルでもありたいと思うんだよね」


 額から汗が流れ落ちる。


「少しでも、彩葉の傍にいたい」


 そう言って戸神さんは私の方を振り返った。


「成績でも隣に並びたい」


 戸神さんは爽やかに微笑んで見せた。


「かっこ悪いでしょ、子供じみた独占欲」


 私はすぐに否定の言葉を上げようとして、やめた。そのかわりに一歩、大きく踏み出して戸神さんの隣に並び、別の言葉を口から放った。


「……私は嬉しい、です」


 自分の影を踏みながら、私はつ上手く伝わるように丁寧に続けた。


「あの時、何も苦労してなくていいねって言われたのが、実はすごく悔しくて。でも、テスト前だから集中しなくちゃって体に力が入った時、戸神さんが声をかけてくれて……」


 あの時の気持ちを思い返しながら、丁寧に自分の感情を言葉にして紡ぐ。


「どんな慰めの言葉よりもずっと、期待してるよって言葉の方が嬉しくて。……不思議でした。どうして戸神さんは私の欲しい言葉が分かるのかなぁって」


 そう、自傷気味に笑って尋ねた言葉に、戸神さんはまた笑った。その時、夏にしては涼しい風が吹き抜けた。戸神さんの長い髪を、風がかき上げる。


「そんなの、僕は誰よりも彩葉のことを好きでいる自信があるもの」


 真っ直ぐと放たれた言葉は、私の胸を光る矢のように一直線に貫いた。私はそうだった、と思い出した。


(10年も、私を思い続けていた人だ)


 戸神さんは血の繋がりとか、そんなの以前に、10年も私を好きでいた人なのだ。そうして戸神さんからすれば、ようやく出会えたのが今なのだ。例えその10年間、一度も会ってなかったとしても、私が戸神さんのことを知らなくても、戸神さんはずっと前から、私が自分を知るより先に、私を知っているのだ。きっと。

 私はそっと笑みを浮かべて、戸神さんの手を引いた。


「戸神さんは本当に、私のことが好きですね」


 なんて、いつもだったら絶対言わないような言葉を私は言い放って見せた。なのに戸神さんは、私が引いた手をギュっと握り返して、嬉しそうに笑って見せるのだ。


「ああ、世界で一番好きだよ。自負してる」


 その言葉が嬉しいのは、やっぱり戸神さんに惹かれている私がいるからだと思った。言われ過ぎて慣れてしまった感はあるけれど、それでも、何回言われても、嬉しいものは嬉しいもんだ。私もいつの間にか頬が緩んでいるのを感じていた。









 9月3日。テスト2日目。中間日。今日も変わらないテスト三昧の授業。私は焦ることもなく、静かにテストを受けていた。目の前に置かれた古典のテストは、正直簡単すぎて解くのに30分もかからなかった。全て授業でやっているところだ。コツコツと勉強していれば、特に問題はない。私は一旦最後まで解き終わったので、シャーペンを置いて顔を上げた。私の座っている席は真ん中の列の一番後ろなので、顔を上げれば教室の全体が見えるのだ。みんな背筋を伸ばして、真剣にテストに向かってペンを走らせている。私は教室のどこか遠くから聞こえるカリカリ、と言う音に無意識に耳を澄ませていた。


 昨日の言葉は、今でも効力を発揮している。戸神さんの言葉だ。昨日、私の手に肩を置いて言ってくれた「期待してるよ」の言葉も、帰りに言われた「世界で一番好きだよ、自負してる」と言う言葉も。未だにその言葉達は私の胸をつかんで離さないのだ。最初は混乱しか生まなかった戸神さんの好意の言葉が、今は私の自信となり糧となって私を支えてくれている。これを家族の力、と呼んでいいのかわからなかったけれど、それでも私は戸神さんに感謝していた。いつも戸神さんには貰ってばかりだ。私も何か返したいと思うのに、いつも返せないまま、また何かを貰っている。でも、何かを貰ってしまった、と思わせないほどにさらり、とやってみせるのが戸神さんの凄いところなのだと私は思う。その気を遣わせない気の使い方に、私は何度も助けられてきた。昨日も、今日も、今もこうして。


 ふと、視界の先で緑色が揺れた。見なくても分かった。戸神さんだ。私はなんだかんだ、戸神さんの髪が好きなのだ。あのサラサラといつも風に流れている、美しい絹のような、あの髪が。いつか触れてみたんだなんて思って、でもそれはわがままだと自重する。髪は女の命なんだから、簡単に触らせてはいけない。もし戸神さんが「いいよ」って言ったって、私はやっぱり触れない。戸神さんの髪に触れるのは、特別な人だけであってほしい。戸神さんにそれを許された、その人だけで。だから私は見てるだけでいいのだ。ただひたすらに、私の前に揺らめいていてほしい。そうして、その髪を見る度に「ああ、戸神さんだ」って思えたら、それだけで私は……。


「残り十分です」


 先生のその声で私の意識はテストに戻った。さて見直しをして、このテストを終えたら、今日の授業は終わりだ。私は最後に気合を入れて、テストに戻った。

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