8-6 君の言葉が僕を燃やす

「い、ろ、は」


 そんな声と共に後ろからぽん、と肩を叩かれた。すぐに後ろを振り向くと、そこには少し含んだ笑みをした戸神さんが立っていた。


「あ、戸神さん」


 驚く私を余所目よそめに戸神さんは、私の顔に顔を寄せた。昨日抱きしめられた時と同じだった。戸神さんは私の耳に口を寄せて、そっと呟いた。


「数学は僕も得意科目なんだよ。白草女学院ここに来て初めてのテストだけど、彩葉には負けない自信があるな。だから、期待してる」


「戸神さん……」


 私がそう言って戸神さんと視線を交わすと、戸神さんはパチリ、とウインクをして見せた。


「彩葉の努力の成果、見せてね。彩葉がどれぐらい頑張っていたかは、僕が一番わかってるから」


だから、負けないで。


 私が何か言う前に、戸神さんはそう言い残して私の後ろから立ち去って行った。私はその背中を見て、ああ、なんて感嘆を漏らしてしまいそうだった。


(この人は、どうしてこんなに私のことをわかっているんだろうな)


 心無い言葉に、安っぽい慰めの言葉でもあからさまな大丈夫の言葉でもなく、「私に期待している」と言える戸神さんは、あまりにも私を知り過ぎていた。どんな言葉より、その一言が私の最大の慰めになり、最大の励ましになることを、どうして戸神さんは知っているんだろう、と思った。その疑問に答えるように、戸神さんの言葉が繰り返される。


『彩葉がどれぐらい頑張っていたかは、僕が一番わかってるから』


 実はずっと近くで、誰よりも傍で見ていてくれたことに、今更気が付くなんて。


 私はもう一度目をギュっ、と閉じた。


(絶対に負けない。誰にも、絶対負けない)


 戸神さんがくれた勇気を、無駄にはしない。





「数学のテストを始めますよ」


 テスト監督の先生が来て、皆が席に着く。私はそっと目を開けて、目の前の景色を見た。あの緊張感はもうどこにもなくて、体はリラックスしている。私は、戸神さんに触れられた手の感触を、いや、昨日抱きしめられたあの感触を思い出していた。戸神さんに抱きしめられるのは何回かあったが、その度に何故か落ち着くのは、もしかしたら私と戸神さんの血が、少なからずは繋がっているからなのかもしれないと思った。何故か懐かしい気がするのは、きっとお母さんの血が戸神さんにも流れているからだ、と思う。だから戸神さんも私に触れた時ぐらいは、どうか安らいでほしい。


(こんなところで血の繋がりに感謝するなんてな)


 私は顔に出そうな笑みを抑えて、配られたテスト用紙を受け取った。


(よし、頑張ろう)


 戸神さんの期待に応えられるように。戸神さんに堂々と胸を張れるように。


「では、テストを始めてください」


 その先生の声と同時に、私は伏せられていたテスト用紙を表にひっくり返した。









「いろりんが笑ってる……」


「そういう光だって!その様子だと光はまあまあいけたみたいなの?」


 テスト一日目が無事に終わったお昼時、ホームルームを終えた教室で私は光と話していた。光は疲れたようでグダグダと机にへこたれていた。私はそんな光に苦笑いを向けながら、帰りの準備をしていた。


「いろりんが笑ってるなんて何かいいことがあったのか、テストが上手くいったのか……」


「さて、どっちでしょう!」


「どう考えてもテストが上手くいったに決まっているでしょ……!」


「さぁ、どうかなぁ~」


 私はそうはぐらかしながら、あははと笑って見せた。光は不屈そうに私を睨んでいた。


「ああ、数学はいろりんの独壇場だもんねぇ」


「あ」


 私は文系だから~!と言う光の後ろから、人影が現れた。


「光、僕を忘れてない?白草女学院ここのニューフェイスだよ?」


「あえ、とがみん?」


「戸神さん!」


 戸神さんは颯爽と現れると、光の顔を覗き込んだ。光は戸神さんの言葉に興味深そうに、首を傾げた。


「ええ、もしかして戸神さんも数学得意なの??」


 参ったようにそう言う光に戸神さんは軽く笑って見せた。


「桜宮さんと対決したんだ、どっちがいい点とれるかって」


 戸神さんのその言葉に、光は大きく動揺した。


「ええ、戸神さん。いろりんは学年一位の絶対王者だよ!?」


「それをわかって挑戦状を叩きつけたわけさ」


「ええ、嘘。とがみんは勇猛果敢過ぎるでしょ……」


「今回の学年一位は僕がもらうつもりだからね。と、そう言う訳で」


 そう言うと、戸神さんは私の腕を引いた。


「また明日、光」


「ひ、光!じゃあ、!」


「はいはい、また明日ね~」


 ひらひらと手を振る光を見送って、私達は帰路へとついた。




 もう9月とはいえ、外はまだ暑い。昼間の高い太陽が、コンクリートの地面をじりじりと焼き付けていた。私は肌にじんわりと汗をかきながら、戸神さんと並んで家までの道を歩いた。今日は風もなくて蒸し暑い。戸神さんの髪もいつものようには揺れてはいなかった。


「あんな大口叩いてって思った?」


 ふと、戸神さんがそんなことを言った。私は一瞬、戸神さんが何を言いたいのかが分からずに、戸神さんの顔を凝視してしまった。戸神さんはその視線に気が付いたのかかすかに微笑んで、また口を開いた。

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