7-9 君と街を歩く、僕は君の家族
時計はもう11時を指していた。私達はぐちゃぐちゃになってしまったデートの計画を改めて立て直して、家を出た。外はまだまだ暑く、太陽はじりじりと地面を照り付けていた。それでも涼しい風が吹いているので、不思議と汗はかかなかった。私達は手を繋いでしまいそうなぐらい距離で歩いていた。時々、手が触れるのがもどかしい。でも、私達は決して手を繋がなかった。少なくとも、私から手を差し伸べる勇気はなかった。だって、私はまだ、戸神さんのことを好きではないからだ。いや、もっと言うなら、私は自分が戸神さんのことを恋愛感情で好きなのが分からない。戸神さんとご飯を食べているときに湧き上がってくるあの嬉しさが、戸神さんが遠くなると少しだけ泣きたくなるあの寂しさが、戸神さんの笑顔を見ていると胸の奥から暖かくなるあの愛おしさが、それがまだ、恋愛感情だとは言い切れない。ただの家族愛かもしれない。戸神さんに好きだと言われて舞い上がっているだけかも。どの可能性も否定できない。まだ、これを恋だとは断定できない。だから私は、
「戸神さんとこうしてお出かけしていると、嬉しくなります」
と、戸神さんに言う。戸神さんは驚いて、期待しているかのように私のほうを振り向いた。
「戸神さんとお出かけすると、私にもこうして一緒に歩ける家族がいるって思えて、嬉しいんです。もう、ずっと、一人ぼっちだと思っていたから……」
そう言いながら。自分の影を踏む。太陽はまだ高く上がっていた。
「戸神さんといると、懐かしい気持ちになります。昔に、こうして一緒に歩いたことがあるみたい」
その瞬間に、戸神さんの長い髪が風に舞い上がった。いつも、戸神さんの髪には魅了される。私はきっと、戸神さんの髪が好きなんだと思う。そうして眺めていた、柔らかな髪は舞い上がって、ゆらりと舞い落ちた先で、戸神さんは笑っていた。いつもの、年相応な笑顔のはずなのに、私は目を離せなかった。だって戸神さんの顔は、あまりにも、それはあまりにも切なくて泣きだしそうな顔をしてたからだ。
「と、がみさん?」
思わず、声が出る。名前を呼んでしまう。私は何か戸神さんを傷つけるようなことを、言ってしまったのだろうかと不安になる。けれど戸神さんは、そのままの笑顔で言った。
「……よかった。彩葉にとって、僕は少しは安心できる場所になれたんだね。ほんの少しづつだけど、家族に近づいているんだね。……嬉しいな」
無理やり、喉の奥から絞り出したような声が、私の耳を掠る。今の戸神さんの感情が、私には全く分からなかった。でも人の気持ちなんて、そんな簡単に分かりっこない。いくら家族だったとしても、だ。それは、戸神さんだって同じことだと思っている。私が戸神さんのことを好きになるかどうかもわからないのに、戸神さんはもう私を10年も好きで、いまだに好きでいてくれている。私が戸神さんのことを好きになると、信じている。人の気持ちなんて、そう簡単にはわからない。だからこそ、私達はそうやって、相手の気持ちに期待したりするんだろう。それが、重いものになったとしても。
「私達、本物の家族になれるんでしょうか」
別に戸神さんに向けて言ったわけではなかったけれど、戸神さんは前を向いたまま
「ああ、僕たちはちゃんとした家族になれるよ」
と、断言してくれた。でもその言葉が、その断言が少しだけ胸に刺さる。
(じゃあ本物の家族でも、私達は恋をしていいんだろうか)
そんな疑問が、私の胸を掠めるから。
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その言葉に、傷つかなかったわけじゃない。心のどこか、触れたこともないような場所を抉り取られた気分だった。胸の痛みなんて、もういくらも乗り越えてきたのに、そんなのは序の口だよと言いたげに胸の痛みは僕を襲ってくる。息が、浅くなるような、そんな気がした。
「戸神さんとこうしてお出かけしていると、嬉しくなります」
簡単で単純な僕は、その言葉に期待してしまう。彩葉が僕のことを好きになってくれた、なんて言う幻覚を見る。気持ちは二つに分かれる。一緒に暮らして、学院生活も共にして、彩葉が僕のことを、僕のほうを向いてくれたんじゃないかという、気持ち。それと、彩葉の中では、僕はまだ出会って一か月の、なんでもないただのクラスメイトで、同級生で、家族という存在の成り代わりなんじゃないかという気持ち。僕は今の彩葉の言葉に、前者のほうの意味があることを願った。どうか、僕と一緒にいることを、嬉しく思って欲しかった。
「戸神さんとお出かけすると、私にもこうして一緒に歩ける家族がいるって思えて、嬉しいんです。もう、ずっと、一人ぼっちだと思っていたから……」
その言葉に、僕の淡い期待は全て打ち砕かれる。そうだよね、うん、そうだよな
と自分を納得させる。彩葉にとって僕は≪家族≫なんだと、重く実感させられる。そうだ、僕は彩葉と出会った日に、彩葉に約束したじゃないか。僕は彩葉の≪家族≫になると。そうして彩葉と暖かい家庭を作るんだと。その約束を、僕が守らないでどうするんだ、という話だ。……何を、僕は期待しているんだと思う。彩葉は僕のことを≪家族≫だと認識してくれているのに。彩葉の苦労は底知れないのに。彩葉はあの家で、僕が来るまでずっと、寂しさと暴力とお母さんの面影に苦しめられてきたのだ。誰も助けてくれなくて、それでもあの学院に入学して、一生懸命勉強をして部活に励んで、優等生をこなしてきたのだ。僕は、その彩葉の努力を報いる為に、ここに来たのに。12年間、ずっと思い続けてきた。きっと彩葉は幸せに暮らしていて、僕のことなんか忘れていて、もしかしたら恋人だっているかもしれない。でも、それでも良かった。また僕と出会って、僕に恋をしてくれたらいい。だって僕は彩葉の≪王子様≫なんだから。あの日の誓いは、ずっと変わらないから。なのに、現実はどうだ。彩葉はちっとも幸せなんかじゃなくて、好きな人なんて作っている場合なんかじゃなくて、そうして誰も助けてくれていない状況だった。それを知って、なおさら、僕はここにいると思ったんだ。彩葉の救いになるんだ。僕はその為に生まれてきたのだ。だから、例え彩葉を支えるカタチが≪恋人≫でなくとも、僕はどんな形でも彩葉を支えると決めていたんだ。
「戸神さんといると、懐かしい気持ちになります。昔に、こうして一緒に歩いたことがあるみたい」
風に髪の毛が舞い上がる。良かった、今、自分がどんな顔をしているか、わからないから。髪の毛で、表情が隠れてくれるから。
彩葉にとって僕の存在は、死ぬほど、腐るほどに≪家族≫だ。
もう、それは変えられないような気がした。僕は彩葉にとって、≪家族≫だ。赤の他人から、家族になれただけ凄いことなのかもしれない。でも、欲張りな僕は願ってしまっていた。彩葉が僕のことを好きでいる可能性を。彩葉が僕のことを恋愛対象として見てくれているという可能性に。でも、それは叶わないのかもしれない。僕は、彩葉にとっての家族だ。それでいい。それで、いいじゃないか。
「……よかった。彩葉にとって、僕は少しは安心できる場所になれたんだね。ほんの少しづつだけど、家族に近づいているんだね。……嬉しいな」
ああ、本当に嬉しいさ。本当に、嬉しいんだ。嬉しくて、ただ、どうしようもなく、切ない。
「私達、本物の家族になれるんでしょうか」
ふと、彩葉が零した言葉に、僕は思いを込めて返答する。彩葉の期待を、思いを、僕との今の関係を、壊さないように。
「ああ、僕たちはちゃんとした家族になれるよ」
(本当の家族だからね、それでも、せめて恋することだけは、許されたい)
そんな願いが、胸を掠める。
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