7-8 お出かけ行こうよ

「ごめんなさい。また、こんなところをお見せして、巻き込んでしまって……」


 倒れた体を起こすこともままならず、私は頭を俯けて戸神さんに謝った。お母さんのことで、戸神さんに助けて貰うのは一体何回目だろうかと思った。今までは一人で耐えていた暴力を、今は戸神さんが助けてくれるようになって。それで、こんなお母さんの姿を、私は戸神さんに何回見せてしまったんだろうか。


「私のことは、どうでもいいんです。けれど戸神さん、お母さんはね、あんなことしますけれど本当は……」


 こんなお母さんでも、戸神さんからしたら小さい頃から会えなかった、ずっと恋しかったお母さんなのだ。戸神さんの記憶の中で、お母さんが悪い人ってなってほしくなかった。せめて私と同じ思い出を、あげたい。優しくて、お花が好きで、いつもニコニコしていて、誰よりも綺麗だったお母さん。今はもうそこに戻れなくても、せめて戸神さんの記憶の中で、戸神さんが思い続けたような、優しいお母さんであってほしい。自分に暴力をふるうようなお母さんだなんて、それだけは、思ってほしくなかった。


「優しくて、綺麗で、いつも笑ってて、幸せそうで、」


 お願い、どうか、せめて、戸神さんには優しいお母さんであって。


「誰よりも私達のこと、考えてくれていて……」


 そう言った私の言葉を遮ったのは、私の話を黙って聞いていたはずの戸神さんだった。


「彩葉、厳しいことを言うね。お母さんはね、自分のことしか考えてないよ」


 その言葉は、私の柔らかいところをぐりっと刺したような気がした。


「そんな、こと……」


「そんなこと、ある」


 そう、戸神さんは断言した。そうして、戸神さんは優しく私を抱き寄せた。


「大切なお母さんだもんね。本当は優しい、お母さんだったんだよね」


 その言葉に、私ははっとしてしまった。そうだ、私が言いたかったのは、戸神さんに伝えたかったのは、そのことなんだ。お母さんは本当はあんなことしない。本当は優しくて、暖かくて、太陽みたいに眩しい人で、本当は、


「彩葉のこと、大好きだったんだよね」


 泣いてはいけないと思った。泣いたら、メイクが崩れちゃうから。だから、私はぐっと嗚咽を押し込んだ。震えた声で、何とか返事をする。


「はは、……なんで、わかるんですか?戸神さんって、なんでもわかるんですね」


 戸神さんが私を抱きしめている腕の力が強くなる。


「わかるよ。僕もあの人の、子供だから」


 静かな声が、優しい声が、私の耳を撫でる。


「あの人が、どれくらい彩葉のことが好きかなんて……痛いほどわかるよ」


 その言葉は、私には少し不思議だった。でも、なぜだか納得してしまう。


(ああ、戸神さんも、お母さんの子供なんだ。ちゃんと、血を引いているんだ。私と、同じ血が流れているんだ。どれだけ違う場所で、違う風に育てられても……)


 私と戸神さんは、紛れもなく姉妹だ。同じ血を分け合った、家族なのだ。だから、戸神さんが少し、ほんの少しだけ、あの時の優しかったお母さんに似ているのは、それはきっと……。


「やっぱり、私達、姉妹なんですね」


 今更だ、きっと。戸神さんにとってはこんな事実は、もう今更でしかないだろう。でも、私は戸神さんとの血の繋がりを、感じてしまっていた。同級生で、クラスメイトで、同居人で、私のことが好きな人で、戸神さんは、私のお姉ちゃんなのだ。


「うん、彩葉は実感わかないだろうけれど、でも僕たちは紛れもなく、血が繋がっているから」


 その言葉に、私も頷く。私達には、そういう繋がりがある。そう思うだけでなぜだか心強かった。


「だからさ、いや、あの……」


 急に戸神さんがしどろもどろになって話し出すので、私は首を傾げた。


「……どうしたんですか?」


「あ、いや、そのさ……」


 戸神さんは言いにくそうにしながらも、言葉を紡いだ。


「彩葉は、僕が彩葉のこと好きなこと、おかしいって、その、不快だなって思う……?」


 自信のない戸神さんの言葉は、私にとっては突拍子もない言葉で驚いてしまった。それは、私と戸神さんが姉妹だから、姉妹同士で恋愛感情を抱くのはおかしいということなのだろうか。私はそれについてよく考えてみてが、別段おかしいということは思わなかった。そもそも私達はいくら姉妹だとは言え、義父姉妹だし、育った環境も全然違う。高校生になって私達はようやく出会った訳なのだから、そりゃあ他人みたいにお互いに恋をしても、一応おかしくはないと思う。ずっと一緒にいた家族ならまだしも、私達はただの赤の他人から、家族になったのだから。だから、戸神さんの感情だっておかしいものではないと思う。


「私はそんな……!不快だなんて絶対に思いません!むしろ、どうして私なんかを好きになってくれるのかなとか思っていますし……。あ、でも、その別に近親相姦とかではないと……」


「うーん、一応僕達は近親者だけれど、そこはまぁ、目をつむってほしいかな……?彩葉のことは10年以上好きだって事に免じて」


 そういう戸神さんの口調はおどけていて、私も気が付かないうちに笑っていた。私達は確かに義理姉妹で近親者だけれど、それ以上に「好き」という気持ちがあればいいのかな、と思ったりした。きっと、その「好き」を誰にも邪魔することはできないはずだから。


 戸神さんは私からゆっくりと離れると、また頬を触った。


「ごめんね、痛いでしょ?」


 私は首を横に振った。


「痛いけれど、大丈夫です。だって、戸神さんが触ってくれていますもん。戸神さんの手が冷たいから、熱だって冷めてくれました」


 そう言って笑うと、戸神さんは優しく笑ってくれた。


「それはよかった。僕の体温の低さが彩葉の役に立てて。……彩葉の綺麗な顔にも触れてしまっているし、ちょっと嬉しいな」


 そう笑った戸神さんは、とても可愛らしく笑っていた。その笑顔が、やっぱり私は好きなのだ。王子様な戸神さんも好きだけれど、ただの女の子の戸神さんのほうが私は好きだ。遠かった戸神さんが、少しだけ近くに感じられるから。


「って、いつまでもここにいるわけにはいかないね。そもそも今日はデートの日だったんだし。彩葉、行こうか」


 そう言って差し出された戸神さんの手を、私は取った。


「はい!行きましょうか」


 そうだ、今日はデートの日だったんだから、デートに行かなくちゃ。


 私は気持ちを立て直して、戸神さんの手を借りて立ち上がった。

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