7−5 新しい初めての感情

「戸神さん……あの、そろそろ……」


「えっ?あ、!うん、ごめんね」


 しばらく私を抱きしめていた戸神さんに、私は声をかける。そうすると、戸神さんはすぐに腕を離してくれた。私から離れた戸神さんの顔はほんのり赤かった。戸神さんって、どんな事でもサラッと言ってのけるイメージがあったから、そんな頬を染めている戸神さんが私は意外だった。


(戸神さんも、もしかして私の為に頑張ってカッコつけてくれてるのかな……)


なんて考えると、少し微笑ましかった。私の為にそこまでしてくれる気持ちも、嬉しい。私は手で顔を隠している戸神さんの頭に手を伸ばした。緑色のサラサラとした髪に、手を乗せる。そうして優しくぽんぽんと撫でた。


「私の為に、ありがとうございます!」


そう言うと戸神さんは一瞬止まった後、さらに顔を赤くさせて、私から目を背けた。そうして小声で、


「いいんだ、僕が好きでやってる事だから……」


と言った。その顔を見ているとなんだかこっちまで気恥ずかしくなってきてくる。心臓がドキドキと鳴る。戸神さんの髪は、サラサラでふわふわで、とても優しかった。


「ごめん、もうこんな時間だ。朝ごはんにしよっか」


戸神さんはやっと顔から手を離すと、私にそう告げてきた。私は少し名残惜しい気持ちで戸神さんの頭から手を下ろした。


「はい。そうしましょうか!」


なんだか朝から刺激の多いことをしてしまったな、なんて思いながら、私はフライパンを握り直す戸神さんをぼうっと見ていた。





「はい、お待たせ。彩葉」


「「いただきます」」


しっかりと戸神さんが朝ご飯を作ってくれたことに感謝しつつ、私は手を合わせた。今日の朝ごはんは、白米に昨日のあまりの味噌汁、お漬物と鮭の焼き魚だった。まさに完璧な和食。小皿にほうれん草の和え物がある時点で、旅館感を否めない感じがある。流石はお料理を習っていただけのことはある、と私は感心した。


「パンケーキ食べるなら、朝ごはんは軽めがいいのかなぁって思ったんだけど……。スイーツは別腹、だよね?」


なんておちゃめな顔をして、戸神さんは私に尋ねてくる。私は大きく頷いた。


「勿論です!スイーツは別腹、ですからね!」


そう意気込んで言うと、戸神さんは「あはは、そうだね」と言って、爽やかに笑った。その笑顔で一体何人の女子の胸を打てるんだろう、なんて考える。きっと今の笑顔で、イチコロなんだろうな。だって私もときめいちゃうもん、なんて思いながら、私は鮭を口に入れた。ご飯を食べながら、戸神さんをこっそりと盗み見る。


(前々から思っていたけれど、戸神さんって食べ方綺麗だよなぁ……)


戸神さんは大きな口を開けて食べるのに、それでも上品な戸神さんの食べ方は、やはりお嬢様育ちを彷彿させる。鮭を解す箸使い、ちゃんと器に添えられた手、正しい箸の持ち方。当たり前のことだけれど、その当たり前のことを戸神さんは一番綺麗にやってみせるのだ。それは、ちゃんと教育がされている、戸神さんの努力の証拠なのだと思う。そんな事を思っているうちに、ご飯をあっという間に食べ終わっていた。私は戸神さんより先に席を立つと、お皿を片付けた。


「戸神さん、ごちそうさまでした!お皿、洗いますね!」


 そう声をかけると、戸神さんは


「ああ、ごめんね。ありがとう」


 と言って、お皿を運びやすいように重ねてくれた。


(あ、こう言うところも好きだな……)


 なんて自然に私は思ってしまった。すぐに、自分に「好きってなんだ!」と突っ込んだけれど、それでもやっぱり、戸神さんのそういう気遣いできる所が、戸神さんがモテる理由の一つでもあると思った。


 お皿洗いをパパッと終えて、すぐにリビングに帰ると、戸神さんは珈琲を飲んでいた。食後のカフェタイムだろうか。私は珈琲はあまり飲めないので、そう言う所、とてもかっこいいななんて少し憧れたりしてしまった。私の視線に気がついたのか、戸神さんはコップの珈琲を飲み干した後、私の方を見た。


「ん?なあに。彩葉」


 戸神さんにそう声をかけられて、自分が戸神さんを見ていたんだと自覚してしまった。私はすぐに


「いえ!なんでも無いです!」


 なんて、当たり障りない返答をしてしまった。戸神さんはそれを気にすることもなく、椅子から立ち上がった。そうして階段の近くにかけてある時計に視線を移した。


「もう9時だね。10時に出発でもいい?」


「あ、はい!大丈夫です!」


 私が即時に答えると、戸神さんは笑って「うん」と頷いてくれた。


「じゃあまた、10時にリビングで」


 そう言うと、戸神さんは長い髪を揺らしてキッチンに消えていった。私も準備をするべく、自室に帰ろうと階段に向かった。その時、ふと頭に疑問が浮かんで元来た道を引き返した。そうしてキッチンの戸神さんに声をかける。


「戸神さん!」


 そう、声を張って問いかけると、戸神さんが驚いたようにして私を見た。


「あれ、どうかした?」


 私は、ごくりと息を呑んで、言葉を発した。


「あの、可愛いのとセクシーなの、どっちが好きですか……?」


 一瞬だけ、時が止まる。マグカップを洗っていた、戸神さんの手が止まっていた。顔は、とても驚いている。びっくりしている。そこで私は自分の発言を思い返した。


(あれ、もしかして私、とっても恥ずかしい質問をしているんじゃ……!!)


 そう思ってすぐに撤回しようとした時だった。


「かっ、可愛いの!」


 戸神さんの焦った声が、キッチンに響いた。今度は私が驚いて、戸神さんを見る番だった。戸神さんは続けて言う。


「可愛い方が、好きだよ」


 何故かほんのり顔が赤い戸神さんを見ていると、私も顔が熱くなったような気がした。


「可愛いの、ですね!すみません、変な質問して……!では、あの、また10時に!」


 なんて、私は焦って会話を終わらすとそのまま階段を勢いよく駆け上がった。そうして自室に入り、閉めたドアにもたれかかった。


「はぁ、なんて質問しているんだ……私」


 何故か緊張した鼓動が、ドキドキと音を立てて鳴っていた。私は胸に手を当てて、そのまま

床にへたり込んだ。そうしてさっきの戸神さんの言葉を思い出す。



『可愛い方が、好きだよ』



(戸神さんは可愛い子がタイプなのかな。そう、例えば綾小路さんみたいな、あんな子が……。学院にも可愛い子は沢山いるし、もしかしたら戸神さんのタイプの子がもういるのかも

……。だけど、だけれど……!)

 

 そう思うと私は勢いよく立ち上がって、鏡の前に立った。そこには三つ編みで身長も小さくて綺麗でも可愛くもない冴えない私が立っていた。綾小路さんには、勝てないけれど。けれど

、私は。


(せめて、メイクも洋服も頑張って、可愛い私になりたい……!)


 鏡を見て、胸が締め付けられる。私は胸をぎゅうと抑えた。


(戸神さんに可愛いって言ってもらえる私に、なりたいんだ……!)


 それは、自分の中に今までは無い新しい感情だった。誰かの為に、可愛くなりたいと言う思い。可愛い私を、見せたいという思い。初めての感情が、胸から溢れて止まらない。私は気のせいではない顔の紅潮を、鏡で確認した。


(よし……!)


 気合を入れて、私が鏡の前から動いた時だった。


ピロリン


と、スマホの音がした。誰かからメッセージだろうか。そう思ってスマホを見ると、そこには「光」と言う文字が書いてあった。

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