7−2 素直になりなよ、自分の気持ちに

 そんな訳で光がルーズリーフに書いた、


「デート挽回大作戦」


の内容は、ただ戸神さんと人気のカフェにパンケーキを食べに行くと言うのもだったが、光はだいぶテンションが上がっていた。かく言う私もこの前のデートに負い目があったし、自称恋愛マスターである光が協力してくれるんだったら、前回よりかは良いものになるんじゃないかと思った次第だった。光はそのルーズリーフを私に渡すと、「取り敢えずいろりんはこれ、一旦持ち帰って考えてきて」と言った。私はそれを了承した。


(今度こそは、楽しいデートを)


 そう願う気持ちに、どこも嘘はなかった。

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 あの日から戸神さんの様子がおかしいのかと言われれば、別にそう言うわけでもなかった。戸神さんはいたって普通で、いたっていつも通りで、やっぱり綺麗なままだった。一緒にご飯を食べる事と、少し雑談をする事。私たちの関係はそれぐらいだった。それ以上の進展などは、到底あるわけもなかった。ただ、私はあの日、戸神さんが言った


『ごめんね。僕の好きが、負担になって』


と言う言葉が、頭から離れていなかった。どうして戸神さんにあんな事を言わせてしまったのか、ずっと考えている。そんな事を言わせてしまった後悔もしている。ただ戸神さんの気持ちには答えられないから、とはっきり伝えてしまっている手前、戸神さんに深く聞くのは気が引ける。そのせいで聞けずにいるけれど、戸神さんは私に向けたあの『王子様スマイル』の真意が、気になってしまっていた。戸神さんが日々何を思い、私に何を感じて過ごしているのかを。私は、ただ知りたかった。こう言う時にいつも、相手の心が覗けたら良いと思う。そんな事が出来たら、間違った対応や言葉を言わなくて済むのに、相手を悲しませなくて済むのに、と。


 夕ご飯。静まり返ったリビング。母のいない食卓。自分で作った無駄に豪華な食事。食卓だけを灯す微かな電灯。その下に、座っている私。ずっと一人だった食卓に戸神さんが来て、食卓は一気に華やいだ。今日も黙々と食事をしている戸神さんに、私はなんとも言えない気持ちで口を開いた。


「戸神、さん」


 戸神さんはゆっくりと頭を上げて、私を見た。


「ん?何」


 その笑顔は、優しい笑顔だった。いつもの、学院では見せない、この家だけでしてくれる笑顔。『王子様』じゃない笑顔。私はその笑顔に、心のどこかで安堵していた。頬が緩むのも許して、私は言葉を続けた。


「部活は、大変ですか?」


 戸神さんの箸を持つ手が止まる。


「弓を持つのは、大変でしょう?頑張り、すぎてませんか?」


 そう尋ねる私に、戸神さんは少し考えた後、


「初心者だからね。大変じゃないとは言えないけれど、みんな優しく教えてくれるし、なんとかやってるよ。だから大丈夫」


 と、笑って答えてくれた。その笑顔が果たして本心からのものなのか、私には判別が出来なかった。私は顔が引き攣るのを感じながら、


「それは、良かったです。きっと、戸神さんのことですから、すぐに上達しますよ」


と、なんとも曖昧な言葉を返してしまった。戸神さんは「うん」と返して、また箸を動かし、食事を続けた。食べ物が戸神さんの口に入る。それを戸神さんは咀嚼する。表情はなんとも言えない感じだった。美味しいとも、不味いとも、どっちでもない感じ。私がじっと見ていたのに気づいたのか、戸神さんは顔を上げて私を見た。


「美味しいよ、ご飯」


「えっ」


 予想していなかった言葉に、私はうまく反応できず、驚きの声を上げてしまった。戸神さんは私の声を気にもせず、言葉を続けた。


「ご飯、美味しいよ。いつもの彩葉の味がする」


 私の味って、なんだろう。とか、思いながら、私はなんとか


「あ、それは良かった、です。なんか味付け、変わってないかなあ、とか思って……」


なんて無理に話を合わせた。


「毎日食べてると、ありがたみ、忘れちゃうから駄目だなぁ。好きな人の手料理食べられるなんて、ほんとに幸せな事だからさ」


そうはっきりと告げた言葉に、私は息が詰まった。あんな事があっても、私は未だ戸神さんの好きな人らしい。流石、十年も思い続けていると、揺るがないものなのかな、なんて考える。戸神さんの好きな人であり続けることは私の負担ではない。そう思うけれど、思うのに言葉に出来ない。言い難い。例え言えたとしても、今更そのことを引っ張り出すのは嫌だったので、私は食べ物を口に詰めた。

____________________

「いろりん、ちゃんと考えてきた?」


 朝、学院に来て早々光からそんな事を尋ねられる。私は思わず「あ、」と声を漏らしてしまった。


「……考えて、なかった。ごめん」


「ええ、ちょっといろりん!大事なデートの計画なのに!」


 不貞腐れる光を宥めながら、私はしまったな、と思った。部長になったことで引き継ぎが忙しかったり、昨日は戸神さんのことを考えてたりして、デート挽回大作戦のことなんか全く考えていなかった。私は昨日もらったまま、一度も目を通していなかったルーズリーフをカバンから出して、目を通した。そこには


「ミッション:とがみんとのデート挽回」


と、書かれていた。次こそは楽しいデートを、と思った昨日の私を思い出す。今の状態で、そんな挽回などが可能なのだろうか。私は光にルーズリーフを手渡して返した。


「あ、返さなくていいよ。いろりんが持ってて」


「あ、いや、そうじゃなくて」


 私は光の目を見れず、俯いたまま呟いた。


「ごめん。やっぱり私、戸神さんと今更もう一回デートなんて出来ないよ。あんな楽しくないデート、戸神さんももう嫌だろうし……」


 そんな弱音を吐いた時だった。光は私の肩を掴んだ。


「ちょ、光……」


「いろりん!」


 光はいつになく真剣な目で私を見ていた。


「とがみんから、逃げちゃ駄目だよ」


 そう言って真っ直ぐな目で私を見つめる。


「べ、別に、逃げてなんか……」 


「いや、逃げてる!」


 光は私の言葉を遮って断言した。


「とがみんといろりんの間に何があるのか、私にはわからないけれど、いろりんは今、とがみんを避けようとしてるよ」


 光の言葉は、芯を突いている。私が暗に戸神さんから逃げたい気持ちを、光は言い当てていた。


「ちょっと一回目がうまくいかなかったから何さ。次に生かせばいいじゃん!デート、挽回するんでしょ?今度は楽しいデートにするんでしょ?」


 光の言葉が真っ直ぐ過ぎて、顔が合わせられずに思わず俯く。私は、今度は光から逃げようとしている。図星なことを言われて、それを避けようとしている。そんな自分に嫌気がさした。地面を見ても何も変わらない。それでも出てくるのは、意気地のない弱音だった。


「で、でも、戸神さんに、もう迷惑かけたくないよ。もう、戸神さんに、悲しい思いさせたくない……」


自分でそう呟いた声が、小さく心に落ちる。やっぱり、今更、という気持ちが募る。その時だった。光は私の頬を両手で挟むと、無理やりに顔を上げさせた。


「大丈夫!」


光は自信に満ち足りた顔で言う。


「とがみんは、絶対迷惑だなんて思わない」


強く、断言する。


「だって、とがみんはいろりんの事、大好きだもん!私が保証するよ」


その言葉に、私はハッとした。未だに好きでいてくれる、戸神さんのことを思い出した。私は自信が無いだけだ。戸神さんはもう、私なんか好きじゃないと、勝手に思い込んでいた。でも、もし、まだ戸神さんが私のことを好きなら、私は……。


「デート、絶対成功させよう!とがみんを楽しませようよ!」


光の言う事は、もっともだ。もし、戸神さんが私のことをまだ好きでいてくれるなら、私は少しでも、戸神さんを楽しませてあげたい。私にできることをしてあげたい。私は、自分の気持ちに、やっと素直に頷けた。


「ありがとう、光……」


そう言うと、光は


「何言ってんの!大切ないろりんの為だもん!」


と、眩しい笑顔で笑ってくれた。

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