6−10 失恋から始まる新しい恋

 泣いている後輩を置いていくのは心苦しかったが、その気持ちを押し殺し、なるべく颯爽にと蜜枝の元を去った。結局、最後の最後まで、唯一懐いてくれた後輩にさえ「いい加減泣き止めよ」なんていう、そっけない言葉しか言えなかった。やはり、こんな自分の性格を思えば、今日、部活に顔を出さなかったのは正解だったんだろう。引退を労われても、感謝されても、非難されても何を言われても、きっとそっけない言葉で返してしまっていたから。きっと、それは後輩を傷つける事にしかなならなかったと思う。そこに、どんな理由があったとしても。


 それでも、会いにきてくれた蜜枝には感謝しかなかった。だって、唯一、心残りだった。


(お前は、よく俺に懐いてくれていたからな)


 温情深い奴だったから、さよならも言えなかった、なんて言って泣き喚いているんじゃないかと思った。だから、最後に会えて良かった。話せて良かった。それでも、褒めてやることもしなかったけれど。そんな、薄情な自分に、やっぱり吐き気がした。


 そうして渡り廊下を歩き、中庭に入った。今頃どこも先輩を労っている頃だろう、なんて考えて気まずくなったので、早く寮に帰ろうと歩を進めた時だった。ぽつりと置かれたベンチに一人、俯く人影が見えた。なんだ、こんな時間に一人なんて不気味だな、なんて思い通り過ぎようとしたが、その顔を見てすぐに引き返した。


 白い髪がサラサラと揺れて、その綺麗な顔を隠している。でも、その姿だけで分かった。逆に、その髪が目立ちすぎなんだ、なんて悪態をついて。項垂れている本人の前に立って、見下ろしていると、その本人は俺の影に気づいたのかゆっくりと顔を上げた。


「……かみ、しろさん?」


 顔も声も酷いあり様だ。声は掠れて、目は赤く腫れている。あの『白雪姫』と呼ばれている、いつもの愛らしい姿はどこへいったんだろうか。俺は、ため息をついて答えた。


「そんなに後輩との別れが辛かったのか?それにしたって、こんなところで一人で泣くことないだろ……白幸」


 そう言うと、白幸円夏は「……そうよね」と不器用な笑いを浮かべて笑った。


「お前のとこの後輩は、お前を一人で泣かせるほど薄情じゃなかったと思うが……?」


 断りもなくベンチの隣に腰掛けて、そう尋ねると


「当たり前じゃない。みんな、優しい子よ。……私が勝手に泣いているだけ」


 と、またなんとも言えない回答をしてきたので、俺はその言葉に眉を顰めた。


「なんだ、後輩が恋しいんだろ。今日で最後なんだから、後輩に慰めて貰えばいいじゃないか」


 正直にそう言うと、今度は白幸が不味い顔をした。


「後輩が恋しいんじゃないのよ。……失恋したの」


「は、?失恋……?」


 予想もしなかった言葉に思わず聞き返す。白幸は力なくこくりと頷いて、語り出した。


「貴方も知っているでしょう、彩葉ちゃん。桜宮彩葉ちゃん。前からずっと好きだったのよ。……それで、今日、告白したの」


「……趣味が悪いな。よりにもよって桜宮を選ぶなんて」


「彩葉ちゃんと関わったことがないから言えるんだわ。……あんなに純粋で優しくていい子は、他にはいないの」


 俺は呆れて声も出なかった。白幸にいちいち、桜宮は人を惹きつけるオーラを持っている、なんて話をするのも気が引ける。それに失恋している奴に、それは本物の恋心じゃなくてオカルト的なやつのせいですよ、なんて言う勇気はさらさらなかった。


「……へぇ、そんな聖人君子も人を振るんだな」


「当たり前でしょ、人なのよ。……それに、彩葉ちゃんにはもう好きな人がいるのよ」


 絞り出されたような声に、俺はあの学院の王子様やらを思い出した。


(そうだった。あの王子様とやらは、桜宮にやけに執着していたな)


 そりゃあ、学院の王子様が目を付けているとなれば、誰も桜宮には寄り付けないだろうな、と思う。白幸だって同じ事だろう。むしろ、そんなことなら告白したことを自体を褒めてやりたいぐらいだ。


「そりゃ、あんな奴がいればな……」


「本当そうよ。……本当、私って運がないわ。……だって、あんな王子様がいるなんて、知らなかったんだもの」


 そう言うと白幸は、「あーあ」と言って、俯いていた体勢を変えて、ベンチの背もたれにもたれかかった。


「あんな、カッコよくて綺麗で完璧な王子様に、私が敵うはずないじゃないのよ。神様って本当、意地悪ね……」


 そう言って白幸は静かに泣いた。涙が、ぽつり、ぽつりと溢れていく。俺は、そんな姿を見ても、綺麗だな、と見当違いな事を思っていた。この白雪姫は、本当に何をしていても美しい。例え恋に敗れ、泣いていたとしても、だ。


「こんな事なら、もっと早く、奪い去っておけば良かったわ。恋愛って、早い者勝ちなのね。知らなかった」


 今更、そんなこと言ってもしょうがないけれど。なんて言って、白幸はまた涙を流す。俺は生憎失恋の経験がないので、その話は初耳だった。


「へえ、それは知らなかった。恋愛は早い者勝ちなのか」


「……そうよ。貴方も、好きな人がいるなら今すぐにでも告白することをお勧めするわ。誰かに取られちゃう前にね」


「……それはいい事を聞いたな」


 そう言い放つと、俺は白幸の手を自分の方に引っ張った。


「ちょっ、!?きゃっぁ!」


 体勢を崩した白幸が、俺の胸に飛び込んでくる。俺はその体勢を利用して、白幸の耳に口を寄せた。


「貴方、何するの!ちょっ……「白幸が言ったんだ。好きな人がいるなら、今すぐにでも告白したほうがいいって」


 その言葉に、白幸の抵抗が止まる。


「……へ、?」


「せっかく教えてもらったんだ。試さない手はない。俺は習ったことはすぐに実践するタイプなんだ」


「だっ、誰が!私にやりなさいって言ったかしら!?私は好きな人にやれって……」


「だから、やってるじゃないか」


 そう言うと、白幸は顔を赤くして黙ってしまった。どうやら動揺している様子だ。


「……貴方って、その、女性が好きだったの?」


「そういう白幸はどうなんだ」


「私は……。私は、彩葉ちゃんだから好きになっただけであって、別に同性愛者では……」


「俺だってそうだぜ?白幸だから好きになったんだ」


 ああ言えば、こう言う。でも、それぐらいしつこくなきゃ、口説き落とせない。


「……あっ、!こうして、私が失恋した弱みに漬け込んで、好きにさせようって?」


「どうかな。勝算はないけれど、恋愛は早い者勝ちって教えて貰ったから」


「……何よ、それぇ!」


「反論されてもどうしようもない。元来からそういう性格でな。性根は腐ってるんだ。……でも、好きな女には優しいぜ?俺」


「本当に何よそれ……、貴方、まさかこの場に及んで私の事が好きだなんて言うの?!」


そうヒステリックり叫ぶ白幸を、俺はさらに抱き寄せた。白い絹のような髪に、優しく手を通す。髪はさらさらと、手を滑り落ちてゆく。それはどこまでも美しい、髪の毛だった。


「好きだよ、白幸」


そう呟いた声は、自分でも驚く程に自然に口から零れた。その声はどこまでも甘ったるくて、

胸焼けしそうだ。俺ってこういう言葉、恥ずかしげもなく言えちゃうんだな、なんて自分に関心する。


「失恋の傷なら、俺で埋めれば?いくらでも利用していいぜ」


「なっ……っ、!!??……なんてこと、言うのよ……」


「俺じゃ駄目?悪くないと思うんだけど」


「…………っ、!駄目、とかじゃ、ないけれど、でも、その……」


動揺してくれている、ということは、少しは意識してくれているんだろうか。見込めなかった勝算が、少しだけ見えてくる。初めて触れた白幸の背中は、俺みたいな低体温とは違って暖かかった。その温もりが、愛おしい。


「で、どうする?白幸のしたいようにしてよ」


「………と、取り敢えず、少し、考えさせて!」


「ふーん、少しは、考えてくれてるんだな。ああ、物は言ってみなきゃわかんないもんだなぁ」


「分かった!分かったから、もう、離れて……!」


そう言うと、白幸は腕を伸ばして俺から離れた。そうして、勢いよくベンチから立ち上がる。制服のスカートが、ふわりと舞い上がった。さっきから思っていたが、顔が赤い。


「と、りあえず、この事は、保留で」


ぽつり、とそう言うと白幸は靴を翻して走って逃げていった。俺は、その後を追いかけることもせず、ただ背中を見送った。


「なんだ。意識、してるんじゃないか」


 そんな意地の悪い言葉は、白幸の耳には届かず。風に溶けて消えていった。

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