6−8 君にいえなかった後悔は
神代先輩がいなくなった後も、私はしばらく泣いていた。本当に、誰もいなくてよかったと思う。渡り廊下で大号泣する姿は、きっと惨めで無様で、白草の女学生として見るに堪えないものだっただろうから。
もう先輩に会えない。
もうさよならを、告げてしまって。
残ったのは、言えなかった後悔だけ。
「最後ぐらい……、好きって言えよ。私」
自分にそんな文句を付けて見ても、どうしようもない。本当に。これから、どんな顔して部室に戻ろうか。部長の事、神代先輩の事、なんて説明すればいいんだろう。なんて考えて、また呆れた笑いが出てきた時だった。
「蜜枝さん!」
後ろから、誰かに声をかけられた。私はすぐに目元を袖で拭いて、笑顔を作って振り返った。
「はいっ!……って、あれ……」
そこには、心配そうな顔をした戸神さんが立っていた。
「戸神、さん。どうして……」
「ごめん、みんなが様子、見てきてほしいって言ったから来た。……大丈夫、じゃないよね。とりあえず、これで目、冷やして」
そう言って戸神さんは濡らされたハンカチを私に渡してきた。私は受け取る前に、思わず戸神さんの顔を見てしまった。
「泣いてるって、なんで……」
「……ごめん。神代先輩と話してるとこ、少し見ちゃったから……」
と言って、戸神さんは言いにくそうに話してくれた。
「あ、そっ……か。いや、戸神さんが謝ることじゃないからさ。ごめんね。気、使わせて」
私はそう言ってハンカチをありがたく受け取った。こういうの、サラッとできるところ、流石学院の王子様だなって思ってしまった。もし神代先輩だったら……
「あ、はは……」
「蜜枝さん?」
「あ、いや、ごめん」
私は思わず想像してしまったことに、自分で笑ってしまった。
「神代先輩だったらさあ、絶対こんなことしてくれないなって思って。ごめん、こんな話、したいわけじゃないんだけど……」
そう言ってハンカチで目を抑える。誰に優しくされても、結局神代先輩のことしか出てこない自分に、私は苦笑いしてしまった。それぐらい、好きだったんだ。先輩のこと。それが、痛いほど、心に染みる。
「神代先輩、色々、話してくれた?」
戸神にそう尋ねられ、私は笑って答えた。
「うん、でもごめん。少ししか話せなかったんだ。だから、みんなが納得する理由かどうかはわからない」
「そっか……」
私はハンカチから目を離した。
「ごめん、帰ろっか。みんな、心配して…「謝らなくていいよ」
私の言葉に、戸神さんが被せて言った。私は驚いてしまって、思わず戸神さんの顔を見る。戸神さんは、なんでか痛々しい顔をしていた。なんで、そんな顔してるの、なんて聞けなくて、私が止まっていると、戸神さんは私からハンカチを奪った。そうして、私の目に優しくハンカチを当てた。
「えっ……と、戸神さ……」
「話、ちょっとは聞いてたからさ。ごめん、なんとなくだけど」
戸神さんは私の顔を見て、真っ直ぐと言い放つ。
「好きだったんだよね、神代先輩の事」
その言葉に、頭が真っ白になる。だって、私は今まで誰にも、神代先輩が好きだって、言ったことはない。なのに、どうして、戸神さんにバレているんだろうか。
「あ、えっと……」
何かを言おうとすると、戸神さんは私の口を手で押さえた。
「何も言わなくて、いいよ。分かってるから。大丈夫。今さっき、僕が勝手に気づいただけだから。誰も知らないよ。……だから、無理しないでいいよ。今、ここには誰もいない」
そう言い切ると、戸神さんは私の口から手を離す。そうして、ニコリと優しく笑った。本当に、この人はいい人だ。そう思いながら、私も頑張って笑った。
「ありがと、戸神さん。ごめん、このことは秘密にしててくれる?みんなに知られちゃうと恥ずかしいから」
「うん、黙っておく。誰にも言わない。……だから蜜枝さん。泣いていいよ」
「……え?」
突拍子もない言葉に、私は唖然とする。泣いていいよって、なんだろう。だって私はもう、十分に泣いたのに。そのはずなのに……
「泣き足りないでしょ?いいよ、いくらでも胸貸すよ。だから、今、思いっきり泣いていい」
その言葉に、堰を切ったように涙が溢れてくる。せっかく冷やしたのに、これじゃあ意味がない。どれだけ泣いたって神代先輩は来ない。泣いても戸神さんに迷惑をかけるだけだ。だから、泣いても仕方がない。なのに、どうしてか、涙が止まらない。
戸神さんが私の頭を、自分の胸に引き寄せてくれた。そのおかげで、私は無様な泣き顔を戸神さんに見せずにすんだ。涙が、粒になって落ちていく。私はどうしようもなくて、戸神さんに話しかけていた。
「……戸神さん」
「うん」
「私、言えなかったよ」
「……うん」
「好きだって、言えなかった。あんなに近くにいたのに、一番近くで見ているつもりだったのに。私、何にも言えなかったよ」
「うん」
「私、さ……」
「うん」
「神代、先輩のこと……、大好きだった、なぁ……」
「……そうだね」
戸神さんが私の背中を撫でる。私は戸神さんの制服を強く掴んだ。
「なんで……、いえなかったの……わたしっ……!」
「みんな、そんな勇気ないよ」
「うん……、でも、最後くらい、……ちゃんと、伝えたかった……!……悔しい」
「うん」
「っ……、ひっく、……、くや、しい……っ、……悔しいよ……ぉ……っ!」
「でも、頑張ったよ」
私は、戸神さんの胸に強く頭を押し付けた。
「……とがみさ、ごめん、ちょっとだけ、胸貸して……」
「うん、大丈夫」
「……っ、うぅ、……、ひっく、……、うっ、うっ、わぁぁぁぁぁぁ!!」
私は、今日、喉が枯れるぐらいに泣いた。泣いて、泣いて、泣き喚いた。
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夏の風が頬を撫でる。その風の中に、神代先輩の面影はない。もう、そこにはいない。それでも、泣いて泣いて泣き喚いたおかげで、少しは胸の内が落ち着いた。私はようやく、戸神さんの胸の中から離れる事が出来た。
(もう泣かない。もう大丈夫)
心の中でそう決めて、目の端を思いっきり裾で擦る。もう涙が出ないように。しっかりと。
「……落ち着いた?」
戸神さんが優しい声でそう尋ねてくる。私は、こくりと頷いた。
「うん、本当ありがとう。助かった。……恥ずかしいところ見せてごめんね。柄にもなく、学院の王子様に救われたよ。本当に、ありがとう」
そう言うと、戸神さんは
「それぐらいの冗談が言えるなら、もう大丈夫だね」
と、安心したように笑った。
部室を抜け出して、一体どれくらいの時間が経ったんだろうか。みんなを、待たせているんだろうか。でも泣いた後の、すっきりとした心境の中だったら、神代先輩との事を上手く説明できそうだった。そうして、私に部長をやらせてください、と言えそうだった。大丈夫。その勇気は、神代先輩からちゃんともらったから。
「ごめん、遅くなった。部室に帰ろう。帰って、みんなに説明するよ。ちゃんと」
私がそう言うと、戸神さんは優しく
「うん、そうだね」
と言って、頷いてくれた。
私は戸神さんと共に、渡り廊下を去っていく。去っていった神代先輩の面影に、そこにいたはずの姿に、さよならを告げて。
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