6-1 白幸先輩との思い出

今日は清々しい晴れの日だった。水彩で描いたような青が伸びる空に、白い綿のような雲が漂っている。風は暑さを含んでいて、やはり今日も蒸し暑い。ただ、今日はそんな良い天気も素直に喜べないほど、私は少し寂しい気持ちだった。戸神さんといつもと同じように、食卓につき、朝ごはんを食べる。今日は部活なので、二人とも制服だった。戸神さんの髪は、いつもより艶やかに見える。戸神さんが、ご飯を食しながら私に問う。


「そういえば彩葉、今日って部活引退の日だよね」


 その言葉に私はこくりと頷いた。


「あー、神代先輩が引退かぁ……」


 そんなことを言って、戸神さんは少し考えに耽っていた。私も釣られて、箸を持つ手が止まる。


 そう、今日は、

 先輩達が部活を引退される日なのだ。

――――――――――――――――――――

 別に何も、急に伝えられた訳では無い。前々から知ってはいたのだ。ただ、その日がいざ来てしまうと、やはり悲しいというか寂しいだけで。


 私が生物部に入ったのは、紛れもなく、白幸先輩のおかげだった。白幸先輩との出会いは、私が高校一年生にまで遡る。当時、みんながどんどん部活を決めていく中で、私は見学にも体験にも足が進まないでいた。運動は下手だし、芸術センスもない。何かやりたいことがある訳でもないし、はっきり言うとどうでもよかった。このまま、何にも所属せずにやり過ごしたかった。


 そんなとある日、私は移動教室の帰りで、またまた薔薇の庭園の前を通りかかった。本当は通り過ぎるつもりだったのだが、私は周りに人がいないことを確認してから、薔薇の庭園に近づいた。


 その薔薇達は、とても綺麗にお手入れされていた。ただ、飾られて咲きっぱなしの薔薇ではなく、ちゃんとひようを与えられて、水を十分に吸った、みずみずしい薔薇達だった。私はその薔薇を見て、感心した。


(この薔薇をお手入れしている方は、きっと美しい方なんだろうな……)


 生き生きと咲く薔薇の姿に、私は微笑んだ。かくいう私も家の庭で花を育てていたので、植物の事は人よりは詳しい自信があった。だからこそ、ここの薔薇の素晴らしさが理解出来たのだと思う。私がその薔薇を手に取って、観察していた時だった。


「ねぇ、お花に興味があるの?」


 振り返った先にいたのは、白雪姫だった。美しく整った顔に、女の子らしい体つき、細い指先、林檎のような赤い唇、可憐な声、揃っている爪先。そして、風に揺れている、長いさらさらの白髪。この世には『白雪姫』が本当にいるんだと、言わざるおえない少女が、そこには立っていた。少女は私に近づくと、私の持っていた薔薇に細い指で触れた。


「ねぇ、よく育っている薔薇でしょう?私の自慢の後輩達が育てたのよ」


 そう言って、その少女は嬉しそうに頬を染めて笑った。私はその美しさに、ただ、見とれていた。


「貴方、一年生?部活はもう決めた?」


 唐突にそう言われ、私はとっさに答えた。


「あっ、えっと、一年の桜宮彩葉です!部活は、まだ決めてません……」


 そう答えると、少女は更に頬を林檎のように染めて、私の手を握った。


「お名前にも植物の文字が入っているのね!素敵だわ!ね、よかったら、是非、生物部に来ない?」


「生物部、ですか?」


「ええ、そうよ!」


 そう言って少女は、私から手を離し、くるりと一回転舞ってみせた。


「ここの薔薇のお世話も私達がしているのよ。もし気になったら別棟の一階の一番奥に来て」


 そういう少女は、制服のスカートの縁を持って、丁寧にお辞儀をした。


「私は三年の白幸円夏よ。では、待ってるわ。桜宮さんっ!」


 そう言って、その少女はルンルンとした足取りで帰って行った。そう、その少女こそが、現生物部部長であの『白幸化粧品』の娘様として誇り高い、白幸先輩だったのであった。そしてこれが、私と白幸先輩の出会いだった。


 その後、光から白幸先輩が大手化粧品会社の社長令嬢で、その美貌から『白雪姫』と名高い方らしかった。私はそんな人に話しかけられたのだと思うと、恐れ多かったが、行かない方が失礼な気がして、放課後、生物部へと向かった。


 生物部は部員も少なく、活動も少なく、やることと言ったら植物観察ぐらいだといって、白幸先輩は言う。それでも、学院の美しい花を守っているのは私達なの。それが私は誇らしいわ。と言って笑った白幸先輩は、生物部が大好きなんだと言うのが、それだけで伝わってきた。白幸先輩からの強い要望もあり、他に入りたい部活もなかったので、私は生物部に入ることを決めた。白幸先輩は、私を暖かく迎えてくれた。


 白幸先輩は『適材適所』という言葉を大事にしていた。二年生で副部長をしていた白幸先輩は、その人に得意な分野の活動をさせていた。本を読むのが好きだったり、書くこと話すことが好きな人は植物の研究と研究発表会係。生き物が好きな人には、熱帯魚のお世話係。性格がマメな人には、サボテンや観葉植物の管理係。そして植物を育てる事が好きな人には、庭園の花の管理係。私にはそれが任された。幸い、家で植物を育てていたこともあり、私はすぐに庭園の花の管理に慣れていった。季節ごとに咲く花を、より輝かせられるように咲かせる。肥料や土から水の事まで話し合って、お陰様で私は楽しい部活活動を送れた。白幸先輩はずっと私の指導をしてくれていた。私達は植物を通して、さらに親交が深まった。綺麗でなんでもできる白幸先輩は、すぐに私の憧れの先輩になった。白幸先輩も私を可愛がってくれて、私達は学年を超えて仲良くなった。


 白幸先輩は、本当に『白雪姫』のようだった。それは見た目だけではなく、中身の事も含めてだ。白幸先輩は、みんなから愛される人だった。白幸先輩の事を知っている人は、決して白幸先輩の悪口を言わなかったぐらいだ。そうして白幸先輩は、みんなに優しく、みんなに親切で、困っている時は誰であっても関係なく助けた。先生も、生徒も、先輩も、後輩も、白幸先輩の前では関係ない。みんな、同じ人間だと思わせてくれた。その性格のおかげで、白幸先輩はみんなから愛されていた。実際学院では、『白草の白雪姫』と呼ばれ、親しまれていたし。


 そうして私は二年に上がり、白幸先輩は三年生になった。白幸先輩は部活内での活動が認められたことや元々副部長だった事もあり、白幸先輩が部長になった。私は、白幸先輩の推薦があって副部長になった。そんなこんなしてやってきた白幸先輩も、今日で引退だ。誰よりも植物が好きで、優しくて、みんなに愛されていた白雪先輩。白幸先輩のいない生物部なんて、正直想像できなかった。でも、みんな、卒業はする。いつまでも居てとは言えない。だから、私たち後輩は先輩方に感謝することしかできないのだ。


 朝ごはんを食べ終えて、戸神さんと家を出る。相変わらず太陽はギラギラと照り付けて来るが、なぜか風はいつもより冷たかった。そういえば、と思い出す。ある冬の日、白幸先輩と薔薇のお手入れをしていた時があった。白幸先輩は、薔薇の棘に構わず、お手入れをしていた。刺を避けている私は不思議になって、白雪先輩に尋ねた。


「白幸先輩、棘が怖くないのですか?」


 そう尋ねると、白幸先輩は白い息を吐いて、笑った。


「棘も美しさに必要なものなの。だから怖くないわ。薔薇は棘さえも美しいのよ」


 そう言って笑う白幸先輩の白い指は、傷だらけだったのを、私はずっと忘れなかった。いつも絆創膏だらけの手を、私は忘れないだろう。白幸先輩は、そういう人だったのだ。植物にも人にも優しい人だったのだ。


 私は泣きたい気持ちを、グッと堪えた。


 泣かない、白幸先輩の前では。そう決めていたから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る