5−14 その気持ちに自信を

私は、たぶん、きっと、驚いた顔をしていたんだと思う。それは、まさか戸神さんからそんな言葉が出るとは思ってなかった、と言う驚きだ。だって、どうして、急にそんなこと言うんだ。今度は私が頭を抱える番だった。私は戸神さんから視線を離して、少し俯いた。


(戸神さんの好きが、私の負担?)


 私は、戸神さんの言葉を心の中で復唱した。ただ、何回繰り返してみても、はっきりと意味が理解できなかった。私は、自分が今何を考えていて、どうしたくて、そもそも、今、何をしているのかもわからなくなっていた。どうしてこんなことになったのか。どうして戸神さんに、こんな事を言わせてしまう結果になったのか。私はゆっくりと、顔を上げた。戸神さんはにんまりと笑っている、それはそれは気味が悪いぐらいに。その笑顔の意味を、私は知っている。戸神さんが自分の気持ちを隠す時、そんな顔をするのだ。だって戸神さんの周りの人は、戸神さんが王子様のように笑えば、満足したのだから。きっと、みんなそうだった。だから、戸神さんは本心で笑うことをやめたのだ。みんなの『王子様』になった。求められたから。それでしか、自分の価値が分からなくなっていったのかもしれない。ただ、戸神さんは、私には違った。「家族になろう」と言った私の前で、戸神さんは本心で笑ってくれた。年相応の笑顔で、少女みたいな可愛らしい笑顔で、笑ってくれた。それは、私に心を見せてくれたと言っても過言ではいない。ありのままの戸神さんを見せてくれた。そうだったのに。


 今、目の前で笑う戸神さんは、戸神さんじゃない。戸神さんは、そんな笑い方をする戸神さんは、この家にはいなかったのに。私の前には、いなかったのに。どうして、今、私に戸神さんがその『王子様スマイル』を見せているのかが、私には全くわからなかった。でも、だったひとつ、そこから汲み取れた事はあった。そう笑う戸神さんが、確実に、無理をしているという事だ。

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「どうしてって、彩葉はもうわかってると思ってた。と、言うか、彩葉は本来怒っていいんだよ」


 完璧な笑顔のままで、戸神さんが話し始める。私の頭は、まだそこまで追いついていないのに。


「僕の好意に応えようとして、自分の隠したい過去を話す、なんて」


 一拍、空白が空く。戸神さんが息を吐いて、また吸う。


「好きな子に、そんな事をさせた自分が情けない」


 そう言い切ると、戸神さんはまた笑った。


「彩葉の過去のことは、当たり前だけど誰にも言わない。彩葉が大切にできない分、僕が大切に守るから。ただ、」


「た、だ……」


 私が戸神さんの言葉を復唱すると、戸神さんはうん、と頷いた。


「ただ、僕の好きが、彩葉を追い詰めていたよね」


 私は、その言葉に大きく首を横に振った。心の中が、そんなことない、で埋め尽くされる。ただ、混乱のせいもあってか、すぐに言葉に変えられなかった。


「彩葉にとっては、アプローチも、守る事も、嫌だった、のかな?ごめん、僕、察し悪いから、気が付かなくて……」


 私はまた首を横に振った。それでも戸神さんは続ける。


「そもそも彩葉からすれば、まだ出会って一ヶ月しか経ってないのに、そんな人から好きとか言われたら、アプローチされたら、困るよね」


 あはは、と、戸神さんが笑う。明らかに、冷めた笑いだ。


「彩葉にとっては、僕は、出会って間もない、しかも不倫相手の子供だし」


 その時、戸神さんは初めて眉を下げて笑った。


「あーあ、出会い方は最悪だったから、せめて彩葉の毎日ぐらいは、なんとかしたかったのにな……」



 上手くいかないもんだね。


 その言葉を聞いて、何かが背中を走った。伏されていた目が、はっきりと開く。私は気づいたら、立ち上がっていた。立ち上がって、泣いていた。


(嫌だ、戸神さんの前で泣くなんて、恥ずかしい)


 そう思うのに、涙は止まってはくれない。それでも、私は構わなかった。そんなことよりも、言わないといけないことが、私にはあった。


「出会い方が最悪だから?戸神さんが不倫相手の子だがら?まだ出会って一ヶ月しか経ってないから?……そんなの、私が戸神さんの気持ちを負担だと思う理由には、何一つなりません!」


 私の声は思ったよりも、部屋に大きく響いた。


「僕の好きが、私を追い詰めていた!?馬鹿言わないで下さい、私を舐めないでください!」


 戸神さんはな泣きながら大絶叫する私に、オドオドとしていた。何をしていいのかわからないのか、手は宙を漂っていた。


「い、彩葉……」


「じゃあ、戸神さん。朝の登校で私を庇ってくれたのは、お母さんから庇ってくれたのは、綾小路さんと話したのは、ダンスパーティーで踊ってくれたのは、……あの日、私を好きだと言った気持ちは、全部嘘だったんですか!?」


 私の言葉は、止まるところを知らなかった。


「私で遊ぶための罠か何かでしたか!?」


 私は机にバンっ、と、手を置いた。


「答えてください!戸神さん!」


 空気は静まり返る。戸神さんは唖然とした顔で、私を見ていた。しばらく、そうしていた後、戸神さんはようやく私の方を見て、


「違う。嘘、でも、罠でもない」


 と、言った。


「至って、本気だ」


 その声は、静かに、私の心の真ん中に落ちた。


「それなら……」


 涙が、頬を伝って机に弾かれていた。でも、そんなのは、気にしていられない。


「それなら、堂々としていてくださいよ!どんなことがあっても、私の事を好きでいるぐらい、言ってくださいよ!負担だから、やめるなんて言うなら……」


 私はそこで、一番の大声を上げた。


「最初から、私のことなんか、好きだって言わないでください!!!戸神さんの意気地無し!!」


 そんな大声を上げたのは、もしかすると人生で初めてかもしれなかった。戸神さんは驚いたように私を見上げている。沈黙の時間が流れた。戸神さんは固まり、私は戸神さんの返事を待った。


 私が歯を食いしばって、キリキリとさせていると、戸神さんは、「ふはっ、」と言って、肩の力を落とし、息を漏らして笑った。その姿に、今度は私が驚いてしまった。そのまま、戸神さんはどんどん笑い出し、最終的には、大声を上げて笑い始めた。


「あはっ、あはは!あはははは、!」


 私はその姿に、涙も止まってしまった。


 (人が真剣に話しているにに、この人は……)


 と、呆れ始めたところで、やっと笑い終えたのか、涙を拭っていた。泣くほど笑ったのか、この人は。そう思い、今度は呆れ返っていると、戸神さんは勢いよく椅子から立ち上がった。そうして私の方に周り、キラキラした笑顔で私の手を引いた。今度はあの『王子様スマイル』ではなかった。


「彩葉、こっち向いて」


 手を引かれるがまま、私は素直に戸神さんの方を向いた。戸神さんはさっきとは打って変わって、ニコニコと笑っている。そうして私を正面に向かせると、戸神さんは私を思いっきり抱きしめた。


「ちょっ、戸神さっ……!」


 ぎゅう、と音が鳴りそうなぐらいに、戸神さんは私を強く抱きしめた。抱きしめたまま、話し始めた。


「ごめん、彩葉の事、もっとか弱くて僕が守らなくちゃって、勘違いしてた。僕が守らなくても、彩葉は強いんだね」


 ぎゅうぎゅうと戸神さんの肩に、顔が当てられる。戸神さんからは、うちの柔軟剤の匂いがした。


「全部、嘘じゃない。覚悟があって、やった事だよ。彩葉の事が本気で好きだから、やった事だ。だから、最初から彩葉の事、好きって言った」


 戸神さんは私を抱きしめたまま、続ける。


「僕、もっと強くなるよ。彩葉を、今度こそちゃんと守り抜いてみせるから。だから……彩葉のこと、好きでいてもいい?」


 私は笑った。今度は私が笑う番だった。笑って、笑い尽くして、やっと落ち着いてから、私は答えた。


「戸神さん、ごめんなさい。今はまだ、戸神さんの気持ちには、答えられません。でも、好きでいてくれるなら、好きでいてください。私のこと。勿論、家族としては大好きですけど!」


 そう言うと、戸神さんは優しく「うん」と呟いた。私もそれに頷く。


 こうして、私たちは、本当の意味で少しだけ近づけた気がした。


 外では、風鈴が風に乗ってリンリンと、音を立てて鳴っていた。

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