5−13 それでも君を好きでいる
「取り敢えず、もっと彩葉の話が聞きたい」
そう言った戸神さんの言葉に頷いて、立ち話もいけないのでそそくさと家に帰ることにした。やはり、私達は手を繋いだままだった。
玄関の扉を開けると、家は静まり返っていた。お母さんは帰ってきていないのか、眠っているのか。それは静まり返った家の中からはわからなかった。でも、そんな事は良かった。今は戸神さんとの話し合いだ。そう思って私は靴を脱ごうとして、止まった。私は、おずおずと戸神さんを見る。視線が絡み合って、その視線に戸神さんが気づいたようだった。
「ん?どうしたの?」
「あの、……手を、離してもらってもいいですか?」
「え、ああ、ごめん」
私がそういうと、戸神さんは私の手からすっと手を離した。
「すみません、ありがとうございます」
「いや、こっちこそごめんね」
あんな話をしてしまった以上、気まずい空気が流れるのは当然のことだった。私は先に家に上がって、すぐに手を洗った。そうしてリビングに入ったた。リビングはむわっとした暑さで蒸し返っている。私は早急にエアコンの電源をつけた。エアコンの生温い風が、空中に響く。私はそれを確認してから椅子に鞄を置いた。戸神さんはまだ玄関で靴を脱いでいるようだった。キッチンから洗っているコップを二つ出して、テーブルに置く。そうしてから冷蔵庫から冷やしてある麦茶を出した。その間に戸神さんがリビングに入ってきていた。
「戸神さん。麦茶、用意しましたので、是非飲んでください」
そう言って私が戸神さんのコップにお茶を注ぎ差し出すと、戸神さんは「ごめん、ありがとう」と言って、鞄を置き、椅子に座った。私も椅子に座り、やっと話し合いの場に落ち着く。クーラーも効いてきて、空調の風が澱んだ空気を冷やしてくれた。私は自分のコップにも麦緒を注いだ。冷えた麦茶は澄んだ麦茶色をしていた。私はそれを現実感のない目で見ながら、ボッーとしていた。戸神さんから話し出すと思って、私は口を開かないでいたのだ。戸神さんはコップの麦茶をこくり、と飲んだ。戸神さんが飲むと清々しいように見える。私はその姿を、ただ平然として見ていた。戸神さんはコップを置くと、ようやく落ち着いたのか、私の方を真っ直ぐと見た。戸神さんの目は何かの意思を感じられるほどに、真っ直ぐとした目だった。私は戸神さんの口が開くのを待った。ただ、戸神さんの口からどんな言葉が発せられるのかを、待っていた。それは果たして否定から入るのか、それとも肯定か、批判か、驚きか、ましてはそのどれでもないか。私は戸神さんが今、何を考えていて、何を言おうとしているのかを考えた。その時だった。
「彩葉、さっきの芸能人だったら僕は勇気が出ないって話、失言だ。ごめん。僕は、例え彩葉が芸能人だとしても、彩葉を口説く。好きにさせる、アプローチする。変わらず好きでいる。約束する」
戸神さんは真っ直ぐとした目で、私にそんなことを言った、いや、言ってのけたと言ってもいい。待って待って出てきた戸神さんの言葉は、私を安心させる言葉だった。こんなとことで確認するのもおかしな話だが、戸神さんは私の事を好きなのはやはり明白な事らしい。
「ただ、僕から言わせれば、彩葉が芸能人をやっていることを隠そうとしているのは、少し不思議だ。一般人の僕から言わせればだけど、誇って、いい事なんじゃないの、かな……」
そう言って戸神さんは少し俯いた。そうしてまたコップを手に取り、口に運んだ。それは落ち着けるためか、話し始める為かはわからなかった。私は戸神さんの言葉を、心の中で重複した。隠したいとは思っている。あまり、誇らしい事だとも思っていない。でも、それは私が芸能人だから、ではなく、私が芸能界に入る事になったきっかけが、嫌なのだ。だから、芸能活動をしていた自分も、嫌い。思い出されるのは、母の笑った顔だった、良い顔ではない。母は、何かを企んだような顔で、でもそれを隠すようにして、私の肩に手を置いていた。はるか昔のことだ。なんて言っていたかなんて、もう思い出せない。ただ、いい話ではなかったのは確かだった。私は、戸神さんにそれをどう話すか、考えた。
「わた、し、は……」
ぽつり、と言葉を溢す。私は、。なんなのだろうか。私は、何を、どうして、何から話すべきだろうか。整理されていない頭のままで、私の口だけが動き出す。
「私が、芸能界に入ったのは、母の勧めでした。それは、お金目的でした。母は、私に稼がせて、私からお金を搾取しました。今となっては、ただ、それだけのことです。ただ、」
私は固唾を飲んで、言葉を続けた。
「ただ、その過去が恥ずかしいと思います、一度、顔や実名を芸能界に出した以上は、何があるかはわからない。なので、私はなるべく慎ましく生きてきました。そうしようと、決めていました。もし、何かあっても、週刊誌なんかに撮られることだけは、ないようにしながら」
戸神さんはそれを真っ直ぐに聞いてくれた。
「戸神さんの、私を好きだという気持ちに、私は報いたいんです。その為に、何が出来るか、と思って……。戸神さんと、本当の家族になる為には、私は何をするべきなのか。それが、過去を隠さないことだと思いました」
静かな部屋に、外で風鈴の音が鳴っていた。
「それで、戸神さんが芸能人がって話をして、タイミングが、今かな、と思って……。……戸神さんは、私に聞きたい事はありますか?」
私がそう問いかけると、戸神さんは少し考えるそぶりを見せた。そうしてから、顔を上げて、私をまた真っ直ぐと見た。
「例えば、なんだけど。彩葉は、今も芸能界活動をしているの?」
私は首を横に振る。
「いえ、今はもうしていません。していたのは、小学高学年から、中学の二年まででした。それからは、もう絶っています」
戸神さんがまた私を見た。
「その芸能活動というのは、彩葉にとってあまり好きな事ではない?例えば、体の露出が激しかったとか、嫌な事させられたとか」
私は答える。
「私がしていたのは、主に子供番組の出演でした。なのでいかがわしいことや嫌な事は、させられてません。そこは安心して下さい」
その言葉に、戸神さんはまた頷いた。
「お母さんに勧められた、と言っていたけれど、そのお金は、お母さんはどうしていたの?」
「……お金は半分は私の学費・養育費に。半分は母の娯楽費に。ホストに貢いでいたかも、しれません。詳しい内訳は、分かりません。すみません」
「いや……、いいんだ」
それだけ言うと、戸神さんは顔を手で覆った。その顔は、なんとも言えない感情で歪んでいた。おそらくは、負の感情。戸神さんはしばらくそうしていた。そうしていた後に、やっと私の方を見た。その目は、なんだかやつれているようにも思えた。
「……ごめん、あんまり、いい話ではないね。聞いて、申し訳ない。ただ、」
そう言って、戸神さんは私のようをまた、真っ直ぐに見た。
「彩葉が、僕の気持ちに応えようとしてくれて、その為に、まずは秘密を教えてくれた事、嬉しく思うよ。ありがとう。僕は嬉しい」
そう言って戸神さんは笑って見せた。その顔は、あの王子様スマイルだった。戸神さんに染み着いたその笑顔は、戸神さんを捕らえて離さない。私はしれが、とんでもなく悲しく思えてしまった。この笑顔は、戸神さんの世渡り術なのだろう。
「僕達は、家族を目指す。それでいいと思う、少なくとも、今は」
そう言うと、戸神さんは固い王子様フェイスで、また不自然な程笑った。
「ごめんね。僕の好きが、彩葉の負担になって」
咄嗟に出たのは。そんな事ない、と言う言葉のはずだった。そこにハテナがつく。ついてまわる。その前に、わたしは聞きたいことがあった。その問いは、私の思いとは関係なく言葉が出た。
「戸神さんの好きな気持ちが、私の負担になるって、どう言うことですか……?」
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