5-10 映画の始まり

 その時、アミューズメント内に大きな音楽が鳴った。優しい曲風のオルゴールが、館内に響き渡る。それは一時を告げる音楽だった。そういえば、私は昔ここに来た時にこのオルゴールの音を聞いた事があったような気がした。それは私を懐かしい気持ちにさせた。私がまだ、母に手を引いてもらわないと歩けなかったくらい幼かった頃、聞いたような気がする。ああ、あの時は確か父も一緒だった気がする。まだ父も母も仲が良かった頃、長期休みにみんなでお出かけした時の話だった。……と、そんな事をふと思い出した時だった。


「彩葉?どうかした?」


 戸神さんがキョトンとした顔をして、私を見ていた。私は「ああ、」と安心させるように微笑んで、「大丈夫ですよ。それよりも……」と時計に目を向けた。


「戸神さん、一時になりました。そろそろ映画館に向かいましょう」


 と言って、私は戸神さんの手を引いた。戸神さんは納得したように、


「そうだね。そろそろ、あ、これ、一時のチャイムか……」


 と言って、アミューズメント内を見上げていた。


「戸神さん。行きましょう」


 私はそう言って戸神さんの手を引き、上の階へと上がった。未だ上を見上げていた戸神さんを見て、戸神さんももしかしたらここにきた事があるのかもしれないな、と思った。

 

 嘘のように人がいた映画館は、さっきほどは混んでいなかった。みんなお昼時ということで、今頃はご飯屋さんがある階が人で盛り上がっているだろう。私達は比較的ゆっくり、映画館を進んだ。そうしてとある物を見て、弾かれたように思い出した。


「あ、戸神さん。何か食べ物、買っていきますか?」


 それはフード・ドリンクの売り場だった。そういえば、映画といえばポップコーンジュースだ。私はてっきり、そんな事を忘れていた。ただそれは、戸神さんだけではなかったらしい。戸神さんも私の問いに、うーんと頭を傾げていた。


「そういえばなんだけど、僕、ポップコーンって食べた事ない。あれって美味しいの?」


「……えっ!?」


 戸神さんの言葉に、私は思わず驚きの声を上げてしまった。戸神さんは顔をキョトンとさせながら、メニューを見ていた。ポップコーンを食べた事がないって一体……。ただ、質問に答えないわけにはいかない。それに、せっかくの機会だ。食べた事がないなら、食べてほしい。私は、戸神さんの両手を掴んで持ち上げた。


「戸神さん、ポップコーンはふわふわしていてとても美味しいです!塩とキャラメルがあります、戸神さんは甘いのとしょっぱいのは、どっちがお好きですか?」


 私の勢いに戸神さんの顔は引き攣っていた。


「い、彩葉は、そんなにポップコーンが好きなの?えーっと、そうだなあ、甘い方が、好きかな」


 私は大きく頷いた。


「ならキャラメルにしましょう!甘くて美味しいですから!ほら、そうと決まれば、早速買いに行きましょう!」


 そう言って私は「ちょっと彩葉、待って」なんて言う戸神さんを引っ張って、売り場へと向かった。

___________________

 映画館で見る映画の予告は、スマホやテレビで見るものとはまた違って見える。大きなスクリーンの画面、こだわられた音響、特別感のある赤いシート、息を潜めているようなたくさんの人。環境がそう変わるだけで、見ている映画も一気に迫力というものが出てくる。またそこに、照明が暗くなっていけばさらに映画の雰囲気は楽しめるだろう。私はそれをよく実感していた。私達は無事にポップコーンを買い、シートへと着いていた。人気作ということもあってか、劇場内は人でごった返していた。やはり、恋愛映画なだけあってカップルも多い。が、隣の戸神さんはそんな事を全く気にしていないようだった。


「おお、世の中にはまだまだこんな美味しい食べ物があったとは……!」


 戸神さんは感嘆の声を上げながら、先ほど買ったポップコーンを口にしていた。こちらにもほんのりとキャラメルの香りがしている。


「美味しいですか?」


 私がそう尋ねると、戸神さんは大きくこくりと頷いた。どうやらポップコーンは戸神さんのお口に合ったようだった。私は安心して、胸を撫で下ろした。まさかポップコーンを食べた事がないのは驚いたけれど、むしろ今日の機会は丁度良かったかもしれない。確かに外出が許されなかったお家だ。映画館なんて滅多に行く事なんてなかっただろう。戸神さんがまたひとつ、美味しいと思えるものが増えたのは良い事だ。私は満足な気持ちになって、目の前のスクリーンを見た。既に予告は流れていて、今人気の話題作からシリーズものに洋画まで流れている内容は幅広かった。私はさっきの売り場でジュースを買っていたので、それを飲みながら予告を見ていた。戸神さんは相変わらずパクパクとポップコーンを食べているようだった。


 今日見る映画のタイトルは『虹★恋〜アイドルとの恋、始めました〜』というものだ。数年前、大人気だった少女漫画を実写映画でリメイク、というものだった。かくいう私もその漫画のファンの一人で、この漫画が映画化したのは単純に嬉しかった。あらすじは国民的超イケメンアイドルが、地味な女子高生と恋愛をするといった超王道モノで、今回抜擢されているキャストも申し分なかった。私はどんな映画になるんだろうか、と胸をワクワクさせながら、映画の上映を待った。


 劇場が一気に暗くなり、スクリーンが広くなる。みんなの視線が一気にスクリーンへと向いた。私も胸をときめかせながらスクリーンを見る。最初に映ったのは、学校の教室だった。騒がしく話している女子高生達のスマホの画面には、金髪でイケメンな男性アイドルの姿が映っている。女子高生達はどうやらそのアイドルについて話しているようだった。そうしてそのスマホの画面に吸い込まれるように、映像はコンサート会場へと変わった。けたたましく響く歓声の中に、そのアイドルは歌い踊り舞っていた。その笑顔はキラキラと輝いて見える。


『今、女子高生人気No. 1の王道系アイドル・神園類。そのスイートフェイスと圧倒的なカリスマ性で、女子高生を筆頭に多くの世代に人気がある。そんな私とは住む世界も違う人と、まさかあんな出会い方をするなんて……』


 と、ヒロイン兼主人公・三田菜々子ちゃんのナレーションが入る。そのナレーションは、原作の始まり方と全く一緒だったので、私は嬉しくなった。というか、よく神園類くんを実写化出来たな……と感心もした。そのまま、画面は菜々子ちゃんの帰宅シーンへと移る。私は一体どうなるのだろうと心をワクワクさせながら、その続きを待った。

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