5−9 浴衣の思い出
映画が始まるまでの間、私達はアミューズメント内を見て回る事にした。ここには洋服屋も食べ物屋さんも雑貨屋さんもなんでもある。時間を紛らわすには丁度良いだろう。戸神さんはテンションが上がっているようで、キラキラとした目で周りを見渡していた。
「それにしても本当に広いんだねえ!ねえ、彩葉は何から見たい?」
私は戸神さんに手を引かれるがまま、戸神さんの言葉に笑った。
「折角ですし、戸神さんが見たいものを見ましょうよ。今まで見れなかった分も」
そう言うと戸神さんは立ち止まって、うーんと考え始めた。
「今まで、見れなかった分かあ……。うーん、いざ言われると悩むなあ……」
とりあえず私と戸神さんはアミューズメントの案内を見た。この階にはどうやら映画館とゲームセンター、観覧車があるらしい。通りで若い子が多いような気がしていた。戸神さんは案内を見て、またうーんと悩んでいた。
「ゲームセンターはお金使っちゃいそうだし、観覧車は人は多いし。そうだなあ……、まずは洋服でも見ようか」
「そうですね。きっと沢山お店もありますし、何か良いのが見つかるかもしれませんし!」
そう言って私達は洋服のお店が揃っている、下の階に向かった。近かったのでエスカレーターで移動したけれど、相変わらず人がごった返していた。私達ははぐれないようにしてなるべく近づいていた。戸神さんは相変わらず周りをキョロキョロと見回していた。やはり、戸神さんにとっては珍しいものばかりだったのだろうか。アミューズメント内は夏ということで、サマーセールなるものを開催していた。所々でひまわりや海の絵、新作水着や浴衣の展覧会などが行われていた。季節はもう8月、夏はこれからだろう。そんな事を考えながら移動しているとあっという間に私達は洋服のお店が揃っている階に来ていた。私達はまたフロア案内を見ながら、何から見るかを相談した。
「色々あるね、どうしようかなあ。あ、水着に浴衣もあるんだ……、それ良いなあ」
私は、一生懸命考えている戸神さんに笑いながら声をかけた。
「じゃあ、折角だし浴衣見ましょうか。今、展覧会もやってるみたいですし!」
「そうだね、そうしよっか」
そうと決まれば話は早かった。私達は早速、浴衣の展覧会をしている場所へと向かった。その途中、戸神さんはこんな事を言っていた。
「彩葉は自分で浴衣、選んだことある?」
唐突にされた質問に、私は考え込んでしまった。浴衣を自分で……?確か、去年はお母さんが決めていたような気がする。
「んー、無いことはないですけれど。大体はお母さんが選びますね。私自身、あんまりこだわりもないですし……」
そう言うと戸神さんは笑って答えた。
「そうなんだ。でも彩葉の浴衣姿、見てみたい」
「え……」
戸神さんは唐突にどきり、とすることを言う。こう言う事を言われる度に、私は戸神さんと出会った日の、戸神さんの言っていた事を思い出すのだ。
『あ、でも僕の事⦅ただのお姉ちゃん⦆だなんて思わせないよ。意識させて、好きになってくれるようにアプローチはどんどんしていくから、覚悟しててね?彩葉』
その言葉は、私の胸を騒がせるのには十分だった。そうして戸神さんの言葉に胸が動かされる度に、私は「あ、これって口説かれてるのか」と思ってしまうのだ。もしかしたら戸神さんは口説いてるつもりなんてなのかもしれないけれど、恋愛に無縁な私にとっては、どうしても意識せざるおえないのだ。
「ん?彩葉、どうかした?」
考え込んでいた私を不審に思ったのか、戸神さんが私を気遣うように私の顔を伺った。
「あ、いえ!ちょっと色々思い出しちゃって……。あ、そうだ。戸神さんは浴衣、選んだ事ないんですか?」
私は気を遣わせてはいけないと、話を変えた。それそこ、戸神さんはれっきなお嬢様なのだから、浴衣どころか洋服なんて選ぶ放題だったのでは、と思う。まあ、お父さんの束縛が厳しかったようではあったが。
「いや、それがさ。僕、浴衣選んだ事ないんだよね。正確には選べなかったって言うのかな。お父様が全部選んでた」
「お父さんが?」
そう尋ねると、戸神さんは「うん」と頷いた。
「浴衣だけじゃない。洋服は全部、お父様の好みに合わせなきゃいけなかったんだ。それが家の決まりって、やつだったのかな」
そう言って戸神さんはあはは、と笑って見せた。
「別に何か思っていた訳でもないんだけどさ、なんか、今は自由なんだって思ったら」
思い出しちゃった。
戸神さんがそう話しているうちに、私達は浴衣の展示会場についていた。戸神さんの言葉は、会場の騒がしさに消えて飲まれていった。私はその言葉を追いかけることが、出来ずにいたままだった。
「あ、ほら。この浴衣とか。……綺麗だね」
戸神さんはひとつの展示している浴衣に手を差し伸ばした。その浴衣は青を基調としたもので、白い花が模様として咲き乱れていた。青は夏の広々とした青空、と言うよりかは夜の濃紺の空に近かった。そこに咲き乱れた白い花の模様は、どこまでも美しかった。まあ、綺麗な人に似合うんだろうな、といった印象だった。戸神さんは、その浴衣の裾に手を伸ばしていた。
「本当ですね。綺麗です、とても戸神さんに似合いそうですよ!」
その言葉に嘘偽りはなかった。だけれど戸神さんは神妙な顔をして、その浴衣を見ていた。
「そうかな、青って、新鮮かも」
私は戸神さんに尋ねた。
「戸神さんって、と言ううか、戸神さんのお父様はどんな浴衣を選ばれたんですか?」
戸神さんは「うーん?」と言って、その浴衣から手を離した。そうして展示してある浴衣の前を、流れるように歩き出した。
「お父様が選ぶ浴衣は、毎年必ず赤だったよ。今考えたらなんでだったのかはわかんないけれど。……女の子らしかったからかなあ」
戸神さんはゆっくりと歩きながら、浴衣を見ていた。浴衣は青だけではなく、ピンクや水色や緑、もちろん赤も並んでいた。戸神さんはその浴衣をじっくりを物色していた。今、戸神さんはどんな気持ちなのかを、私が知る事は出来ないけれど、きっと赤しか着れなかった浴衣への切なさを思っているのかもしれない。私はその時、初めて決意した。前を歩く戸神さんの手を引っ張る。戸神さんは驚いたように、私の方を振り返った。
「彩葉?」
「戸神さん……」
私は大きく息を吸い込んだ。
「今年はぜったい夏祭り、行きましょう!戸神さんが好きな浴衣を着て!」
その言葉に、戸神さんは目を見開いた。
「赤だけが、浴衣じゃないですから。好きな浴衣を選んで、それを着て、お祭りに行くんです!」
私は人目も憚らず、大声で言っていた。戸神さんは相変わらず驚いた目で私を見ている。
「苦い思い出は、全部、塗り替えちゃいましょう。私も微力ですが、お手伝いしますし!」
そう言うと、戸神さんはふっと、吹き出した。
「あはは、いいねそれ。彩葉が手伝ってくれるならきっと、良い夏こと間違いなしだ」
そう言って戸神さんは私が掴んだ手を、握り返した。その力は、とても強かった。
「今年は、ご実家のことは忘れてください。忘れて、夏の思い出を作りましょう!」
戸神さんは年相応に笑って、こくりと頷いた。うん、戸神さんにはやっぱりそっちの笑顔の方が似合ってる。私は年相応に笑う戸神さんの笑顔を見ると、嬉しくなるのだ。学院でも、きっとご実家であんな偽りの笑顔しか許されなかった戸神さんに、せめて、本当の笑顔が許される場所でありたい。私はそんな事を思いながら、戸神さんの手を引いた。
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