5−7 街は色とりどり
戸神さんの手を引いて、私達は玄関を出た。外は相変わらず、暑い夏の太陽が照りつけている。私達は蜃気楼が見えそうな道路に足を下ろし、歩を進めた。
「暑いですね、今日も真夏日です」
そう話しかけると、戸神さんはこくりと頷いた。
「うん。でも彩葉を見ているだけで、僕は涼しいけどね」
さらっと、とんでもない言葉を付け加えて。私はどう反応して良いかわからず、「あはは……」と言葉を濁した。かく言う戸神さんは満足そうに笑っている。やはり、格好が変わろうとも戸神さんはいつもの戸神さんなんだなあ、とぼんやり思った。
映画館があるのは、ここから二十分ほど歩いた先にあるアミューズメント施設の中だ。ここは繁華街の方なので、みんなが遊ぶといえばそのアミューズメント施設になる。施設自体も大きく、派手で広い場所だ。私自身、その施設に足を運ぶのは久しぶりだった。多分、小学生以来だと思う。と、ちょっと待てよと思った。戸神さんはこの街に来てまだ一か月と少しだ。もしかしてアミューズメント施設に行くのは始めてなのでは……?私は、恐る恐る戸神さんに尋ねた。
「戸神さん、は、もしかしてアミューズメント施設に行くのは初めてですか?」
そう尋ねると戸神さんは、うーんと考え込んだ。
「あー、確かに!僕まだあんまりこの街のこと知らないからなあ。今は彩葉についていってるけれど」
「確かに、馴染み過ぎて忘れていました!ごめんなさい、一度くらい案内したらよかったでしたね」
そう言うと戸神さんは私を見て、目を輝かせた。
「じゃあ今日、案内してほしいな!映画がてら、彩葉と街を歩きたいし」
戸神さんはワクワクした様子で私に問いかけた。私は確かに今日はいい機会かもしれないな、と思った。部活もあって休日もなかなか外に出ることはないしせっかくの機会だ。
「そうですね、私でよければ是非案内します!」
私はそう、戸神さんに答えた。そう言うと、戸神さんは嬉しそうに笑って見せた。その笑顔に私も微笑んでしまった。
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そんなこんな歩いているうちに、私達は繁華街に続く大きな道路に出ていた。流石に住宅街とも違って、人も交通量も増える。私達は肩を並べて、はぐれないようにしながら信号を待った。
「へえ、それにしても大きな街だね」
戸神さんは目の前に広がる繁華街を見て、驚いていた。私はそんな物珍しそうに見つめる戸神さんを不思議に思った。
「戸神さんが元々住んでいた場所は、静かなところだったんですか?」
私は何の気もなく、そう尋ねていた。戸神さんはうーんとまた考えていた。
「どうだったかな、そもそも僕、家の中からほとんど出れなかったんだよね」
戸神さんはとんでもないことを、軽く言ってのけた。私はその発言に目から鱗だった。
「え、それは、戸神さんが、自分の意思で出なかったんですか?」
戸神さんは軽く首を振った。
「いや、一人での外出が駄目だったんだ。誘拐?とか、なんか色々、ね。家も大きかったし、必要なものはお手伝いさんが買い揃えてくれていたし、何も不便な事はなかったよ」
信号が青になって、私達は歩き出した。私は戸神さんのとんでもない話に、耳を傾けることしかできなかった。戸神さんははにかんだように笑った。
「ごめん、僕の家の話は関係なかったね。僕が住んでいた街がどうだったかは、わからない。でもあんまり騒がしい所ではなかったよ」
「そう、なんですね」
言葉がしどろもどろになる私に、戸神さんは笑って見せた。
「活気に満ち溢れているんだね、ここは。僕、好きだなあ」
その言葉に私も街に目を向けた。確かに街は人と建物で溢れているが、活気に満ち溢れている。私は戸神さんに言われなければ気づかなかった街の様子に、頬が緩んだ。
「そう、ですねえ」
私はしみじみとした気持ちで、その言葉を返した。
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さらに歩いていくと、すぐにアミューズメント施設は姿を現した。久々に見ても、やはり大きかった。
「へえ、観覧車まであるなんて、もう遊園地みたいだね」
戸神さんは上を見上げてそう言った。そうだった、このアミューズメント施設には観覧車があったんだった。この街のシンボルとも言える色鮮やかな観覧車は、ぐるりぐるりとゆっくり回っている。やはり観覧車は人気なようで、人を沢山乗せているようだった。
「この街のシンボルなんですよ、カップルとかに人気で……」
「へえ、僕観覧車初めて見たかも……」
「えっ?」
私は戸神さんの言葉に、思わず聞き返してしまった。
「観覧車、初めてですか……?」
そう尋ねると戸神さんはこくりと頷いた。
「……彩葉は、遊園地言行った事ある?」
戸神さんは笑ってそう尋ねてきた。
「え、遊園地ですか?……うーんと、昔、小さい頃に行った事はあります。ほとんど覚えていないですけれど……」
そう言うと戸神さんは、「そうなんだ」と言って、話し出した。
「僕さ、遊園地とか行った事なくてね。本当にあるのかなあ、とか思ってたんだよね、」
戸神さんは観覧車を見上げる。
「本当に世の中の事は何も知らなかった。特に娯楽なんかはね。だから、あの家を出れて今は本当に安心してる」
私はその話をしんみりした気持ちで聞いていた。
戸神さんは小さい頃から、厳格な父親の元でずっとお嬢様として振る舞っていたんだろう。望まれたことを望まれたようにして。不必要な事は、教えてもらうこともなく。私はそれが、とても窮屈だと思った。それは白草女学院の生徒たちを見ていても、そう思う事だった。お金持ちの家に生まれたからには、期待に応えなきゃいけない。彼女達はお淑やかに笑いながら、その裏で両親からの大きな期待を背負っているのだ。私はその姿を、何度も何度も見てきた。だから、戸神さんの言っている事はよく理解できた。
「戸神さん、今までお疲れ様でした」
私の口からは、戸神さんに対してそんな労いの言葉が出てきていた。戸神さんは驚いたように私を見ていた。
「白草で、そういう人を沢山見たから、戸神さんもきっと辛かったんだろうなあって、思って。戸神さんも一生懸命、お父様の期待に応えてきたんでしょう?」
そう言うと、戸神さんはぶはっ、と吹き出した。
「え、え!?」
「ふっ、あはは、ごめんごめん!」
戸神さんは立ち止まって、お腹を抱えて笑い出した。私は何が何だかわからず、ただ戸神さんを見つめていた。戸神さんは楽しそうに笑っている。
「いや、ごめんごめん。彩葉に、そんなこと言われるなんて、思わなかったから……!はー、笑った」
戸神さんはそう言って、涙を拭った。
「父親の期待に応えていた事を、褒められた事なんてなかったんだ。だから、ちょっとびっくりした。でも、嬉しかった。ありがとう」
そう言う戸神さんは本当に嬉しそうだった。
「あーあ、でも、彩葉に労われるなんてカッコ悪いこと見せちゃったなあ……」
そうして肩を落とす戸神さん。私は、
「そんな、かっこ悪いだなんて……!」
と、一緒懸命戸神さんを励ました。戸神さんは、困ったようにあはは、と笑っていた。
「私は、戸神さんの家の事、知れてよかったです。これからも、戸神さんが良ければ是非教えてください。戸神さんのこと、もっと深く」
ふいに口から出ていた言葉に、戸神さんはまた目を丸くしていた。そうして私を見つめたあと、戸神さんはゆっくりと笑って、優しく微笑んだ。
「うん、ありがとう。彩葉」
その声は、どこまでも優しかった。
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