5−6 雰囲気は変わるものです


 さて、10時まで後1時間しかない。早く準備をしなければ。私は高鳴る胸を押さえながら、昨日選んだワンピースを手に取った。今更になってこれでいいか、なんて悩み始めてしまうが、そんな悩みを振り払って私は着替えた。


 

「うん、キツくないし……。大丈夫……!」


 私は鏡の前でワンピースを広げた。久しく着ていない服だったから、ちゃんと着れるか心配だった。が、大丈夫なようだ。私は取り敢えず一安心した。安心している暇はない。洋服の次はメイクだ。


 私はいつもは置いてあるだけの化粧ポーチを手に取った。学院は化粧禁止だし、私は家の中でも化粧はしない。なので化粧ポーチはいつも置かれているだけになっているのだ。私はほとんど使わないけれど、お母さんが女の子だからと買い揃えてくれたものだ。化粧品のメーカーもチョイスも全てお母さんである。それでも化粧は初歩的なものならできる。一応常識として、できるようにはしている。私は鏡の前にバラバラと化粧品を広げた。とは言っても、私は最低限のやり方しか知らないから、今時のメイクなんて出来ない。本当に、最低限だ。私は慣れない手つきで、どんどんメイクを進めていった。昔の記憶を引っ張り出して、なんとか上手いようにやっていく。そうして四苦八苦しながら無事に私はメイクを完成させることが出来た。私は鏡で顔がおかしくないことを確認した。


「うん、大丈夫……!」


 私は自分にそう言い聞かせて、鏡に頷いた。時計はすでに十時四十分を回っている。私は思いの外時間がかかってしまった、と思いながら化粧道具を片付けた。こんなに気合いを入れて、おしゃれをすることは初めてかもしれなかった。私はまだどきどきと高鳴っている胸を押さえた。


「緊張、しちゃ駄目よ……!今日は戸神さんとお出かけするだけ……そう、お出かけ……」


『だから、どう?僕と映画デート』


 そんな声が頭に響き渡る。これはデート、なのだ。それは間違いない。私はうう、とまた胸を抑えることになった。自分を好きな人と、デートって、そんなシュチュエーション初めてだから、どういればいいのかわからない。そう思い混乱しそうになるが、私は深呼吸をして気持ちを落ち着けた。戸神さんみたいな綺麗な人と歩くとか、初めてのデートとか、緊張だとか、失敗しないかとか色々考えてしまうけれど、そんなのは杞憂でしかないはずだ。私は今日をめいいっぱい楽しんで、楽しみながら戸神さんにも楽しんでもらうしかない。例え戸神さんが今までしてきたデートとは全然いいものにならなくても、だ。私は最後の仕上げに、お気に入りの香水を振った。これは私は気持ちを上げたい時にだけ使う、特別な香水なのだ。私はそれを全身に浴びた。


今日1日が素敵なものになりますように、


 そう、願いを込めて。

 時計は十時五十分を指していた。


「よし、じゃあ、行ってきます!」


 私はワンピースを翻して、思い切り部屋のドアを開けた。

___________________

 一階に降りると、戸神さんはまだいなかった。私は戸神さんとどんな顔をして会うか、決めていた筈なのに今更になって揺らいでしまっていた。とりあえず、笑顔?ああ、でも、笑っていたら変だよね。じゃあ普通に……、でも真顔って思われたらどうしよう……。なんて、一人で百面相を始めそうになった時だった。


「ごめんごめん、お待たせ」


 そう言って、戸神さんが二階から降りてきた。私は顔を作る暇もないまま、後ろを振り返った。そうして戸神さんの姿に呆気にとられてしまった。パンツスタイルに、トップス、軽く上着を着て、髪も一本に縛っている戸神さんはあまりにもいつもと違う印象だった。制服を着ている、お嬢様のように美しくて可憐な感じじゃなくてなんだかもっと、身近になった、と言う感じだ。お嬢様でも、王子様でもない、ただの、ありのままの戸神さん、のような感じ。私はなんだか親近感が湧いてしまった。いつもの戸神さんは少し浮世離れしているのかもしれない。戸神さんが、こんなに普通の女の子だったんて、私は知らなかった……。


「ん?どうしたの、彩葉」


 私は戸神さんを凝視してしまっていたようだ。私はすぐに、


「あ、いえ、なんかいつもと雰囲気が違っていいなあって……!」


 と、返答した。そう言うと、戸神さんはなぜか嬉しそうに笑った。


「僕、制服とかの方が似合うって言われること多い

から、嬉しいな。よかった、彩葉に気に入ってもらえて!」


「そう、なんですか?」


 そう尋ねたものの、その気持ちはわかるような気がした。戸神さんは元がいいから、みんなと同じ制服を着るとその元が目立つのだ。だから制服が似合うのだと思う。


「そうそう、私服は不評のことが多くてね、制服っくれって言われたこともあったかな……って、そんな話はどうでもいいんだ」


 戸神さんは私の体を頭から爪先まで、じっと眺めた。私はとたんに自分の格好が気になった。もしかして、戸神さんのお気に召さなかっただろうか?どうしようか、これでも私の一生懸命なのだが……。と、そんな事を考えていると、戸神さんが口を開いた。


「彩葉こそ、全然印象が違うよ」


 そう言って、戸神さんは私の正面にに立った。


「こんなに可愛いとは、思ってなかった」


 さらっと、戸神さんはそんな事を言ってのける。私は動揺しそうになるのを懸命に抑えた。


「可愛い、なんて、そんなお世辞は……」


「やだなあ、お世辞じゃないよ。彩葉が可愛いのは当たり前だけど、きょうはいつもよりずっとずっと可愛いな」


 そう言って戸神さんは私の首に顔を近づけた。


「ひゃっ!えっと、戸神さ……!」


「甘いね。僕好きだな、この香り」


 前言撤回、である。誰だ、王子様みたいじゃないなんて言った人は。戸神さんが服装が変わろうが、髪の毛が変わろうが、例え休日のデートの日だろうが、王子様だ。戸神さんの根底には、王子様が存在しているのだ。じゃなきゃ、こんな事、言うわけがない!私はしどろもどろになって、何も言うことが出来なかった。


「そんなに意識しないでいいよ、?彩葉」


 私は今、どんな顔をしているのだろうか。意識なんて、しているつもりはなかったのに。意識させてしまう戸神さんは、やっぱり王子様だ。


 でも、今日は戸神さんに王子様を忘れて欲しかった、戸神さんが楽しまなくちゃ、意味がないのだから。私は現状を打破するために、戸神さんの手を取った。


「ここで立ち話もなんですし、行きましょう!」


 そう言って私は戸神さんの手を引いた。戸神さんの顔はあえて見なかった。とにかく今日は、戸神さんにデートを楽しんでもらうのだ。私はその一心で、戸神さんの手を引いた。

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