番外編 佳月と緋月


 夏休みに入った白草女学院の三年寮は静かだ。それもそのはず。白草女学院は特別な理由がない限りは、帰省は認めない。だからと言って携帯は自室以外では使えないし、食堂は食事時間外は締め切られている。それに三年生は夏から本格的に受験が始まるので、みんな自室で勉強に勤しんでいるのだろう。唯一賑わいのある談話室も、今日は数人しかいなかった。かく言う俺はすれ違う人と


「ごきげんよう」


「ごきげんよう」


 なんて挨拶を交わしながら、電話があるロビーへと向かっていた。何故そんなことになったのかは、二十分ほど前に遡る。勉強する前に一息しようかとゆっくりしようかと、体をベットに預けていた時だった。部屋にノックの音が響いた。


「神代様、よろしいでしょうか」


 俺は体を急いで持ち上げて、「はい、どうぞ」と答えた。ドアを開けて入ってきたのは、寮長さんだった。


「神代様、ご実家からお電話が来ています。出られますか?」


 夏休みだし、帰省の催促の電話かもしれない。流石にお母様の電話を無視する訳にも行かない。


「今すぐ行きます」


 そう言って、俺はせかせかと電話があるロビーに向かっていたのである。俺はロビーに着くと、三つある電話のうち真ん中を使った。そのまま実家の電話番号を打つ。そうして耳に受話器を当てた。一回目のコールが鳴る。出ない。二回目のコールが鳴る。出ない。三回目のコールが鳴る。ちなみに俺は三回コールして出なかったら電話を切るタイプだ。出ない。四回目のコールで俺が受話器を戻そうとした時だった。プツリ、という音が鳴って誰かが電話に出た。


「はい、もしもし。神代神社です」


 俺は戻しかけた受話器を、また耳に当てた。この澄んでいて、癖のない声は……


「お母様ですか?佳月です」


 そう言うと電話口の母は、声を上げた。


「あら、佳月ちゃん!お久しぶり。元気にしていましたか?」


 母の声は心無しか嬉しそうだった。


 「はい、何とかやっています。お母様の方こそ、お体を崩してはいませんか?」


「ええ、私は大丈夫ですよ」


 母はそう言って笑った。俺はそのまま本題に入った。


「それは良かったです。ところでお母様、今日はなんの連絡でしょうか?」


 そう尋ねるとお母様ははっ、と気づいたように声を上げた。


「今日は、緋月ちゃんが用事があるって言って。……少し待っててくださいね、今、呼んできますから」


 そう言って電話は保留になった。オルゴール調のメロディが音割れしながら、流れている。俺は受話器から少し耳を離して、緋月を待った。

 ステンドグラスから暑い夏の日差しが入ってきている。そういえば今日は部活は休みだっただろうか。すっぽかしたような気がする。一応部長として週三ぐらいで通っているが、時々すっぽかしては蜜枝に叱られる、をやっているのだ。流石に今日は大丈夫か……と思い急に不安になる。まあ、もうすぐ引退だし、ほとんどは二年生に任せなければならない。部長がいつまでも居続けては、少し過保護すぎるだろうし、部員たちもうざったいだろう。そんな事を考えていると、保留の音がプツリ、と鳴った。


「すみません、お待たせしました。ねえねえ様」


 電話に出たのは、緋月だった。


「用ってなんだ、なにか緊急か?」


 そう尋ねると緋月は


「いえ、そうではありません」


 と答えた。


「パーティーも終わられたのでしょう?先日の件、どうなったかと気になって」


 先日の件、と言うのはあの戸神の事だろうか。緋月も相談に乗っただけあって、心配だったのだろうか。そういえば、思い返すと緋月はいつもそうだった。依頼を受けた後も、その依頼者のアフターケアには全力を尽くしていた。まあ、一度祓ったからと言って大丈夫なんてことはないから、アフターケアは大事なんだろうけれど。俺は、戸神との件を思い出しながら、事の顛末を緋月に話した。


「………って訳であの観葉植物はちゃんと渡したよ。多分自室に置いてる。様子も元に戻ってようだと、戸神から聞いたよ」


 そう言うと電話口の先で、緋月が息を吐く音が聞こえた。安堵の息だろう。


「良かったです。電話だけでご依頼を受けるのは初めてでしたから、ずっと心配でしたの。ねえねえ様も雑に扱ってないかと心配で……」


「あのなあ、今回は俺は被害者だ。厄介事を持ち込まれた側なんだぞ。わざわざお前に電話まで繋いで……」


「でも、しっかりやっていただけたんですね。流石、ねえねえ様ですわ。私も感謝しています」


「……一応、依頼だからな」


「ふふ、ねえねえ様ったら」


 そう言って緋月は笑った。癪に触ったがやはり世話になった手前、文句は言えない。今度は俺がため息を吐いて、緋月に尋ねた。


「それはそうとして、要件はそれだけじゃないだろ」


 そう言うと緋月はわざとらしく「まあ」なんて素っ頓狂な声を上げた。


「わかってるぞ、お前は毎年欠かさずやってるじゃないか」


 そう言うと緋月は「ふふ」と笑った。


「ご名答ですわ、流石ねえねえ様です。戸神さんの件もありましたが、今年も帰省の催促のお電話ですわ」


 俺はまたため息をついた。緋月は毎年夏になると、こうして俺に催促の電話をかけてくるのだ。年末年始は流石に神社は忙しいので手伝いに行くのだが、夏は大して忙しくない。それに白草女学院は安易に帰省は出来ない仕組みだ。


「あのなあ、緋月。毎年言ってるけど、簡単に帰省は出来ないんだ。今年は俺もお前も受験だろ。お前ももう一人前なんだから、一人で出来るさ」


「まあ、ねえねえ様。わかっていませんわね!」


 そう言われては、黙ってしまう。夏は神社は暇なのに、緋月がこうして俺に帰省を催促するのには訳があった。俺と緋月はいわゆる〈霊体質〉だ。だが、分野が違う。俺は霊やらオーラやらを〈視る〉力がある。緋月には霊やオーラを〈祓う・浄化する〉力がある。だから神社に来るお祓いの依頼は、どちらか一方では出来ない。俺が霊を〈視て〉、緋月が〈祓う〉。俺達にはそういう分担があるのだ。今年もまた、心霊写真やいわく付きの人形、開けては行けない箱、事故物件、悪霊退治等の依頼が来ているのだろう。今年は受験だから依頼は引き受けるなと言っておいたのになあ、と思いながら俺は電話口でため息を吐いた。


「依頼は、どれぐらい来てるんだ。10件ぐらいならうちは断って、他の神社に回してもらえ」


 そう言うと緋月は分かりやすく動揺した。


「あ、えっと、ねえねえ様。実はですね、もう依頼大小兼ねて30件は超えていて……」


「はあ!?まだ7月後半だぞ。去年はそんな件数じゃなかったじゃないか!一体何したんだ!?」


「私が何かしたんじゃないです!とりあえずねえねえ様、落ち着いて下さい」


 そう言われ、俺は渋々受話器を握る手を緩めた。


「ねえねえ様、実は今とある心霊スポットが流行りで。それでその心霊スポットやらが、本当に良く無いようなんです。お知り合いの方も、あそこは良くないと言うんです」


 俺はその話を、一応真剣に聞いていた。


「でも若い方は、みんな取り憑かれたように行くのです。うちの神社にももう何人もそこに行って、不調を訴えた方がいます。ねえねえ様の目がなければ、私だけでは厳しいです」


「…………」


 俺は頭の中でスケジュールを考えた。なるべく依頼に時間をかけたくはない。学院では受験勉強も始まるし、遅れたら新学期からの成績が心配だ。だから、依頼は早く済ませたい。


「緋月」


「あ、はい?なんでしょう?」


「一週間だ」


「へ?」


 戸惑う緋月に構わず、俺は言い放った。

 

「一週間で始末する。だから8月からの依頼は受けないと、表に張り出しておけ。7月いっぱいで終わらせるぞ」


 そう言うと緋月は電話口からもわかるぐらい、喜んでいた。


「ねえねえ様!ふふ、やっぱりねえねえ様は優しいですわね、私、安心いたしました」


「本当、お前受験に落ちるなよ」


 緋月は笑いを隠しきれない様子で言った。


「おまかせくださいまし、ねえねえ様を必ず安心させて見せますわ」


 それは懐かしい言葉だった。緋月は結構自信家な所がある。心配事があっても昔から「大丈夫」と言ってはやってのけるのだ。そうして俺は、緋月のそう言うところにとんでもなく救われてきたのだ。


「じゃあ緋月。明後日にでも帰る。それまで任せるぞ」


「はい!お待ちしておりますわ」


 そう言ったのを確認して俺は電話を切った。時計を見たら、話し始めてから既に40分が経っていた。ゆっくりしようと思ってたのに、行く場所が増えてしまった。俺は受話器を置くと、そのまま長い廊下を戻り始めた。

____________________

 結局部屋に戻れたのは、夕方の16時頃だった。俺は背伸びをしながら、ベットに身を任せた。電気もつけていない部屋には、強い西日が入っている。ああ、夕食の19時までにシャワー浴びなきゃな、とか明日の予習しないとなとか、色々考えてはいるものの体が動かない。本当に朝はゆっくりとしてから、午後から部活に出ようと思っていたのに。そんな事はなく、忙しい一日となってしまった。ベットに体を落とすと、体は深く沈み込んだ。ああ、もっと動けなくなる。ああ、でも少しだけならいいか、なんて少しだけ自分に甘くなって、目を閉じた。


 白草の寮は三年生からは基本一人部屋だ。だから、ルームメイトがいないのは少しだけ寂しく感じる。でも、こうして怠けても誰も何も言わないのはいい事だ。俺はふと、電話の事を思い出した。


『ねえねえ様!ふふ、やっぱりねえねえ様は優しいですわね、私、安心いたしました』


(久しぶりに聞いたな、緋月の声)


 最後に緋月の声を聞いたのは、いつだっただろうか。確か三年生になった時に、挨拶の電話が来た以来かもしれない。緋月はそう言うところで礼儀正しいのだ。自分だって三年生じゃないか、と言い返したのを良く覚えている。


 俺はふと昔の事を思い出していた。

 緋月と良く遊んでいた事を思い出す。小さい頃の緋月は本当に泣き虫だった。どんな時にも後ろについて来ては「ねえねえ様」と言って服の裾を引っ張っていた。昔は緋月も嫌なオーラぐらいは感じれていたので、何か感じ取るだびに泣いて頼ってきた。それがいつの間にか、自分で霊を祓うようになるまで成長したのだ。同じ年だけれども、やっぱり俺には可愛い妹なのだ。どんな成長も嬉しい。今では俺が神社を離れている間も、視えないながら一生懸命頑張っている。誇らしい妹だ。


 緋月がカトリックになったのは中学生の時だった。重苦しい顔をしながら、俺に告白してきた。


『ねえねえ様、私、どうしても神道には納得できません』


 それは反抗期のなかった緋月の唯一の、両親への反抗だった。俺と緋月は神社の子供であったこともあって、小さい頃から神道を学ばされていたが、緋月は成長するにつれて疑問を抱くようになっていたらしい。そうして中学生の時に、我慢が出来なくなった。緋月を納得させたのは、カトリック。キリスト教だった。それから緋月と両親は激しく争った。うちはやっぱり大きな神社だったので、その娘がカトリックだなんて両親側からすればとんでもない話だっただろう。だが、緋月は負けなかった。最終的には、この家を出ていく、とまで言った。両親からすれば娘が家出なんて、たまったものじゃない。あとは俺がお父様を説得し、話し合いを続けてようやく、緋月のカトリック学校への進学を両親は許した。でも、ただ甘えるだけの緋月ではなかった。必ず信仰深くある事、神社のお手伝い・依頼もこなす事、学校では成績優秀である事を約束した。そうして今でも緋月はその約束を守っている。緋月は一度決めたことは、必ずやる奴だ。きっと卒業まで続けるだろう。我ながら本当に誇らしい妹である。俺は緋月がカトリックであろうとも、変わらない可愛い妹だと思った。緋月は頑張っている。それに俺は救われている。


「帰ったら、ちゃんと褒めないとな」


 そう言って、俺はベットから起き上がった。いつまでも感傷に浸っている場合ではない。荷造りをして、課題をして、部活の記録を書かなければならない。時計を見たら、もう17時だった。シャワーを浴びて、夕食を食べにいく準備をしなければいけない。俺はまた背伸びをして、窓の外を見た。


 また成長した緋月を見れるのが、楽しみだ。どんな淑女になってるのか。誇らしい、俺の妹。頑張ってくれている分、今度は俺が頑張らないといけない。俺は期待に胸を膨らませながら、暗い部屋の電気をつけた。


 番外編 佳月と緋月 

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