4-10 ラスト・ハート・ダンス


 「ラストダンスの時間になりました。参加する生徒は会場の真ん中に集まってください」


 会場にラストダンスを知らせるアナウンスが流れた。会場の真ん中にゾロゾロと生徒たちが集まっていく。私は時計を見て、シャンパングラスを食器返却場に返した。そうして会場の出口に足を向けた。


 私にはラストダンスを見ることが出来ない。ラストダンスには、『ラストダンスを踊った二人は結ばれる』というジンクスがある。それがあるから、踊っている生徒たちがみんな、カップルに見えてしまうのだ。片思い中の私には、眩しすぎる。それにパーティーはこれで終わりなのだ。寮のシャワー室が混む前に早く帰って、みんながパーティーの余韻に浮かれている間に私は眠りについてしまいたい。私は疲れた体を一刻も早く癒す為、会場を出ようとした。その時だった。


「おい、もう帰るのか?」


 後ろからそんな声が聞こえてきた。ありえない声に私は思わず振り返ってしまった。


 そこには壁にもたれて立っている神代先輩がいた。


「神、代、先輩?」


 そう呟くと、神代先輩は面倒臭そうに顔を顰(いしか)めて私に視線を送った。


「これ、ラストダンスだぞ」


「そうですが……」


「踊らないのか?」


 そう言って神代先輩は私に問いかけた。私はそれに質問で返した。


「神代先輩だって……、どうしてここにいるんですか」


 そう言うと神代先輩は、


「お前の姿が見えたから、様子を見に来ただけだ」


 と言ってそっぽを向いた。私は神代先輩がいる手前、帰るわけにも行かず仕方なく会場に後戻りした。会場の真ん中では明らかに浮かれた生徒たちがまだかまだか、と音楽が流れるのを待っている。私はその雰囲気に押されながら、おずおずと神代先輩の隣に並んで立った。神代先輩はこちらを見る事もなく、ただ会場の真ん中を見ていた。私は神代先輩の考えがわからず、ただ呆然としてい流だけだった。そうして私が神代先輩をじっと見ていると、神代先輩はため息をついて私の方を向いた。


「お前、踊る人がいないのか。踊らないのか、どっちだ?」


 神代先輩はいつもみたいに機嫌が悪そうに尋ねてきた。私はその質問に素直に答えた。


「踊らない、だけです。ほら、私、あんまりこういうの好きじゃないから……」


 そう言うと神代先輩はまたため息をついた。そうして私の目の前に来た。


「神代、せんぱ……」


「いつものお礼だ、勘違いするなよ」


「ちょっ……!」


 そう言うと神代先輩は私の手を取って、会場の真ん中に私の手を引いた。


 そうして会場の真ん中の群に入り込み、すっかりラストダンスを踊る生徒たちの中に入り込んでしまった。私は神代先輩に手を引かれたまま、神代先輩に抗議した。


「あの、神代先輩……」


「ほら、肩に手、置いて」


 そう言って神代先輩は私の腰に手を当てた。私は抵抗する事もできないまま、ただ言われるがまま神代先輩の肩に手を置いた。



 優雅な最後のクラシックが流れる。神代先輩は音楽に合わせて、ゆっくりと踊り出した。私は神代先輩の動きに必死に合わせた。


 神代先輩とこんなに近いの距離なのは、初めてだ。綺麗な顔が、私の顔を見据えている。私はただその綺麗な顔に、憂いな表情に魅了されてしまう。遠くから見ていた神代先輩が、こんなにも近くにいる。私の目の前に。私の息は、詰まりそうだった。こんなに美しい人と、ワルツを踊っている。私は手を引かれている。神代先輩が生み出すリズムに、私は身を任せるしかなかった。


 周囲から、ヒソヒソ声が微かに聞こえてくる。


「見て、神代先輩だわ」


「あの方が神代先輩の想い人ですの?」


「まさか、神代先輩が付き合ってあげているだけですわ」


 私はそんな声に、ただ俯くことしか出来なかった。いくら神代先輩からのお誘いだとはいえ、やっぱり神代先輩の学院最後のラストダンスを、私なんかと踊るなんて……。私の胸には一気に申し訳なさが込み上げてきた。できることなら今すぐこの手を振り解いて、逃げてしまいたかった。その時だった。


「蜜枝、集中しろ」

 

 私ははっとして顔を上げた。神代先輩は私に向かって真剣に言った。その表情は、本当にあの囁き声たちを気にしていない様だった。私はその言葉にこくり、と頷いた。


 私たちはクラシックに身を任せて、体を揺らしてワルツを踊った。神代先輩は真剣に、私をリードして踊ってくれた。私も神代先輩の動きに必死についていった。手を持つ手が震える。神代先輩の手は意外と暖かいんだとか、そんな事を考えて私は気を紛らわした。そうでもしていないと、神代先輩の視線に、溶かされてしまいそうだったからだ。そんなに真剣な目で見ないで。そう願ってしまうほどに、神代先輩の目線は熱かった。いや、本当はと違うとわかっているのだ。


 神代先輩が好きだから、


 だから、こんなにも意識してしまうのだ。だって誰が好きな人と、ラストダンスを踊れると思えただろうか。こんな奇跡が起きることなんて、誰が予想できただろうか。私にはあまりにも、余りすぎる奇跡だった。熱い目線も、触れている手も、支えられた腰から伝わる熱も、美しすぎるワルツのダンスも、全てが私を狂わせてしまいそうだった。ああ、好きな人のそばに居るって、こんな気持ちなんだ。私は泣きそうなほどの熱を、感じていた。そうして、私の口から言葉がこぼれてしまった。


「神代先輩、どうして、私とラストダンスを……」


 神代先輩は何も答えない。


「いいんですか、大切なラストダンスを……」


「いいよ」


 神代先輩ははっきりと答えた。


「後輩の為なら、別にいいさ」


 そう言って神代先輩は笑った。

 

「……っ!!」


 どうしてこの人は、私をこんなにも熱くさせるんだろうか。私の胸はどうしようもなく、燃えているのに。

____________________


「はい、ありがとな。蜜枝」


「え、ちょっ……」


 音楽が終わり、ラストダンスが終わると神代先輩は、人混みに紛れて颯爽と消えていってしまった。その姿を追う事も出来ず、私は呆然とそこに立ち尽くしてしまった。


「開校記念パーティーはこれにて終了致します。生徒の皆さんは帰寮してください。会場は22時に閉まります」


 そんなアナウンスが会場に流れ、蛍の光が流れる。生徒達が会場の出口に向かって歩く。みんな寮に帰るのだろう。私はその中で人混みをかき分け、神代先輩を探した。ラストダンスを踊ってくれたお礼を、私はまだしていない。神代先輩にどうしても伝えたかった。私と踊ってくれてありがとう、と。それを伝えなければ、今夜は眠っていられないのだ。私は人をかき分けて、神代先輩の姿を探した、あの白い着物姿は一向に見つからない。私は大きな信号で、迷子になってしまったような気持ちになった。


(どうして、神代先輩……)


 そう思い、誰か三年生の先輩の尋ねようかと思った時だった。


『ここは落ち着くんだ、だから好きだ』


 そんな言葉が思い出される。そうだ、パーティーで人疲れした神代先輩が、行くところ。そんな所は、一つしかない。私は足の向きを変えて、会場の出口に向かう。生徒たちが寮に帰る中、私は人混みを抜けて校舎に向かった。足に早く動け、動けと願う。私は自分がドレスを着ている事も忘れて、校舎へ入っていった。


 校舎は暗く、静まり返っている。が、私は弓道部へとたどり着いていた。


(お願い、どうか居て下さい)


 そう願いながら、私は弓道部の扉を思いっきり開けた。


 ガラッ!!!


「え……」


 扉はいとも簡単に開いてしまった。いつも最後に鍵をかけるのは、神代先輩だ。その鍵が開いていると言うことは、神代先輩はここに……。

 私は靴を脱いで、ゆっくりと射場に上がった。そうして射場を通り過ぎ、準備室の扉に手をかけた。神代先輩なら、もう私がいる事には気づいているのだろう。わかっていて、何も言わないでいてくれる。歓迎、されているってわけでもないだろうけれど。それでも、いい。私はノックをしてゆっくりと扉を開いた。



 そこには、いつもの椅子に座っていつものように紅茶を飲む神代先輩がいた。月明かりが神代先輩に当たっていて、着物姿も相まって綺麗だった。白い着物がよく光に映えている。私は言葉を失っていた。神代先輩は紅茶を飲むと、カップを静かに机に置いて私を見た。静かな時間が流れる。私は何かを言いたいのに、その空気に負けてしまって何も言い出せなかった。


「用があるんじゃないのか」


 神代先輩は、何も言わない私に痺れを切らして話しかけてくれた。私はその言葉で、我に返った。


「あっ、えっと……」


 私はゆっくりと頭を下げた。


「神代、先輩。ラストダンス、私と踊ってくれてありがとうございました」


 また静かな時間が続く。私は頭を上げるタイミングを失って、ずっと頭を下げていた。体は緊張で震えていた。今更になって私は自分の格好が、崩れているんじゃないかと心配になってしまった。でも、頭を上げる気にはなれなかった。


「……いいって言ったじゃないか」


 その声に、私はようやく頭を上げることができた。神代先輩は窓の外を見上げていた。


「その、感謝を伝えられなかったから……」


「なんだ、蜜枝にしては律儀だな」


 そう言って神代先輩は笑った。



「蜜枝も飲むか?」


 そう言って神代先輩は尋ねてくれた。ただ、私はここに長居する気はなかったので、


「いいえ、お気遣いなく」


 と、断った。神代先輩は、


「そうか」


 と言ってまた窓の外を見た。私はその横顔に話しかけた。


「神代、先輩」


「……ん?」


 神代先輩はこちらに顔を見せないままだったけれど、ちゃんと返事をしてくれた。私はその返事にまた、心が温まった。


「私、今日楽しかったです」


 神代先輩は少しだけ顔をこちらに向けて、私に笑って見せた。


「そうか、良かったな」


「……はい」


 私はそのまま話し続けた。


「こういうの、ずっと苦手だったんです。でも今日はとても楽しかったんです」


 神代先輩は黙って聞いてくれた。


「ふふ、なんでか、わかります?」


 私は楽しくなって、いつものように神代先輩に冗談混じりに言った。神代先輩は、こちらを向いて


「んー、なんだろうな。でもどうせ、美味しいスイーツでもあったとかだろ」


「あはは、いやだ。そんな単純じゃないですよ!」


「なんだそれ」


 そう言って私たちは笑った。なんだか神代先輩と笑い合うのは、とても久しぶりな気がした。そうしてしばらく笑った後、神代先輩は私に言った。


「それでも、本当に惜しいな」


「ふふ、何がですか?」


神代先輩は私の方を見た。


「お前のドレス姿、もう見れないんだな」


「へ……」


 神代先輩は今までしたことのないような顔をしていた。本当にそれこそ、後輩が可愛くて仕方がないみたいなそんな顔。照れたような、笑ったようなそんな表情。


「名波もそうだけど、お前は本当に可愛い俺の後輩だよ」


 ああ、それって。私は顔を引き攣らせてしまわないようにしながら、ゆっくりと笑った。笑うしかなかった。あの、楽しかった気持ちが一気に引いていく。……私はそれを、今まで何度願っただろうか。


 神代先輩と同い年だったら、良かったのに。


 そんな馬鹿げた幻想を、私はずっと思い続けていた。例えば、私は神代先輩の同級生でクラスメイトだとしよう。神代先輩とは部活が一緒で、そこから仲良くなって、一緒に授業を受けて、一緒にお昼を食べて、一緒に部活をする。当たり前に隣にいて、当たり前に話ができて、そんな毎日。そんな、あったかもしれない可能性を考えてしまう。そうしたら、神代先輩は私のことを『後輩』として、見ないでくれただろうか。部活の後輩じゃなくて、もっと近くの、もっとそばに、私を感じてくれただろうか。そうしたら、もし、そうしたら、私を好きに、いや、せめて先輩を好きと言える資格ぐらいあったのだろうか。そうして、せめて、神代先輩じゃなくて、神代さんって、佳月って呼べたのかな。


 気づけば私の頬には、涙が伝っていた。


「蜜枝?」


 神代先輩が、私を心配して立ち上がってくれる。そうして優しく頭を撫でられた。


「どうした?」


 そんな優しい声で、言わないで。そうしたら私はもっと泣いてしまうのに。


「あはは、いやだな……」


 そう言って私は涙を拭った。


「先輩、先輩、神代先輩」


「ちゃんといるじゃないか、なんだ」


 私は弱虫だ。ここで好きの一言言えたら良かったのに。私はそんなことは、口が裂けても言えないのだ。そんな私にできる唯一の言い訳。


「先輩、卒業しないで下さい……」


 神代先輩は笑って見せた。


「なんだ、そんな事か。本当にお前はいい後輩だな」


 そう、私は神代先輩の後輩のままで。

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