4-9 ラスト・ラブ・ダンス


 「その写真は……」


「あら、今度はシャンパングラスを落とさないで下さいましてよ。同じ家に帰るなんて、随分仲のよろしい事ですわね?さあ、なんて言い訳いたしますか」


 その写真は私と戸神さんが家に帰宅する所を、ばっちりと抑えている。それは私達が同居していると言われても、否定できない決定的な証拠だった。私がその写真を見て固まっていると、先輩は意地悪い顔で笑った。


「あら、何も答えられなくて?哀れですわねえ」


 そう言って先輩はシャンパングラスを煽って、勢いよく喉にシャンパンを流し込んだ。勝ち誇った、と言いたげな姿だった。


「ああ、貴方がここでちゃあんと白状して下されば私(わたくし)、バラす気はありませんのよ?」


 勝利の美酒を口にした先輩は、私にさらに挑発をかけてくる。確かにこの写真をバラされたら、この学園で私の立ち位置は無くなるだろう。私は唇を噛んだ。そうして、考えた。


「虐めている訳ではなくってよ?ただ、鈍感で戸神さんに側にいれることが当たり前だと思っている貴方に、私(わたくし)は思い知らせてあげたかっただけですわ」


 そう言って、先輩は私に近づいた。


「ふふ、良い顔をしておりますわね。さあ、どういたしますの、桜宮さん」


 吐息がかかるほど近い距離に、目まぐるしい思いになりながらも、私は決断をした。ゆっくりと唇を開いた。


「先輩、私と戸神さんは親戚ですので。勿論家族ぐるみでのお付き合いをしています。その日は私の家で夕飯を一緒に食べたんです」


 先輩は目を細めて私の話を聞いている。


「私たちはその日はただ、夕飯を一緒に食べただけです。先輩の言うような事は、ありません」


 私がそう言い切ると、先輩は私を見下ろした。そうして私を見て、頬を吊り上げた。


「ふふ、っふふ……あはは!あはははは!」


 先輩は体を反らして、大爆笑をした。私のシャンパングラスを持つ手は、力がこもった。


「ああ、あはは!ふふ、ああ、桜宮さん!」


 先輩は笑うのをや止め、私を見下げた。


「貴方、とっても愚かですわ。可哀想に、お家では虐待されて学院では哀れの対象。戸神さんもそんな貴方は見放す。居場所なんて、ありませんね?」


 先輩はさぞ愉快そうに笑って見せた。そうそう、先輩が笑うなら、私は笑い返すだけなのだ。最初から。箱の中でぬくぬくと生きてきたお嬢様とかいう小鳥と、私を一緒にしないで欲しい。


「愚かなのは、先輩ではありませんか?」


「……は?」


 先輩の顔は一気に引き攣った。


「先輩があらぬ噂を流すのは、どうぞご勝手に。みんなに蔑まれようが、居場所がなくなろうが構いません。ですが、戸神さんは違います。私たちは『家族』ですから。戸神さんは見放しません。必ず」


 それは強がりだった。先輩に対抗する為の。実際戸神さんが見放すかどうかなんてのは、わからない。もしかしたら一番軽蔑してくるかもしれない。でも今、私にはそれしか『武器』がない。今ここで、先輩に対抗できる唯一の武器。それは、私と戸神さんの信頼関係しかないのだ。


「貴方、自分が何を言ってるか分かっていて?」


「ええ、勿論。でも、そんな噂をもし先輩が流したなんて戸神さんが聞いたら……」


 私はニヤリと笑って見せた。


「軽蔑されるのは、先輩の方かもしれませんね」


「……このっ!!」


 瞬間、先輩は持っていたシャンパングラスを、私に向かって振り上げた。シャンパングラスの中身が私に思い切り降りかかる。私は、ああ、やっちゃったかなと思いながら、そっと目を閉じた。その時だった。


「先輩、ちょっと」


 バシャ、という音と共にシャンパンが床に溢れた音がした。その声と共に、聞き馴染みのある声がした。そしてなぜか、体が濡れた感覚がしない。私は恐る恐る目を開いた。


 サラサラとした黄緑の長い髪が、私の前で揺れていた。そうしてその髪は、濡れていた。


「……へ、」


「彩葉、大丈夫?」


 そうして私を振り返ったのは、びしょびしょの戸神さんだった。


「戸神、さん……?どうしてここに……」


 そう言ったのは、先輩だった。戸神さんは私の髪を優しく撫でた。


「うん、濡れてないね。良かった」


 そう言うと、私を庇うようにして先輩の前に立ちはだかった。


「先輩、失礼しました。僕の彩葉が何かしましたか?」


 先輩は戸神さんが現れたショックでなのか、ただ体を震わせていた。戸神さんは先輩が何も喋らないことを良い事に話を続けた。


「先輩、彩葉は僕の大切な人なんです。こんな晴々しい日に彩葉に恥をかかせる様な事をするなら……僕は先輩を許しません」


その声は今までには聞いたことのないくらい、低く地を這う声だった。


「と、戸神さん。私(わたくし)は……!」


「言い訳は結構です。お家柄が汚れるのが嫌ならば、二度と僕と彩葉の前に姿を現さないで下さい」


そう言うと、戸神さんは私の手を掴んだ。


「行こう、彩葉」


 そうして手を引かれるがまま、その場を立ち去ろうとした時だった。


「どうして、どうして桜宮さんなのですかっ?!私(わたくし)ではいけないのですか!?」


 先輩の声が会場に響く。戸神さんは立ちどまって、先輩を見た。


「貴方ではいけないのではない。僕は彩葉じゃなきゃだめなんです。それだけです。……貴方の気持ちには、答えられない」


 そう言って戸神さんは私を引き連れ、その場を後にした。

___________________

 戸神さんは会場の人をかき分けて、私の手を優しく引いて、外のバルコニーへと出た。すっかり暗くなった夜の空には、いつくかの星が瞬いている。戸神さんは私をそこまで連れてくると、私の手を離した。そうして長い髪を、思いっきり掻き上げた。


「あー、乱雑だよなぁ」


 そう言って戸神さんは、おもむろに靴を脱ぎ始めた。


「????」


 なぜ靴を脱ぐのかわからず、理由を尋ねるのもはばかられて、私はただその姿を見守ることしかできなかった。戸神さんは靴を脱ぎ終わると、階段の段差に腰掛けた。そうして隣をぽんぽんと叩いた。


「来て、彩葉」


 私は言われるがまま、階段に行って腰掛けた。


 戸神さんは正面を向いたまま、ぼーっと正面を向き続けている。私はその姿になんて声を掛ければ良いかわからず、ただその横顔を見つめていた。戸神さんは微笑んでいるのに、なんだか悲しげな顔をしていた。しばらく無言の時間が続いた後、戸神さんが口を開いた。


「ねえ、彩葉。僕は怒ってるよ」


 それは予想もしていない言葉だった。そういえば私は、戸神さんにシャンパンがかかるのを庇ってもらったことを謝ってもいなかった。


「ごめんなさい、戸神さん。私のせいで濡れてしまって……」


「いや、そうじゃない」


 戸神さんは軽くあはは、と笑って私の言葉を遮った。


「あの、先輩に喧嘩を売ったこと、ですか?」


 恐る恐るそう言うと、戸神さんはまたしても首を振った。


「ちがあう、全然違う〜!」


 そう言って戸神さんは私の方を向き、私の頬を摘んだ。


「わっ、戸神さ……」


「なんで助けてって言わなかったの。一人で話に行っちゃったの?」


 戸神さんは私の頬をつまみながら、笑って言った。


「え……」


「白幸先輩から聞いて、彩葉を見つけて、シャンパンかけられそうになってる時は肝が冷えたよ」


 そう言うと戸神さんは私の頬から手を離して、また正面を向いた。私はポツリと言葉をこぼした。


「ごめんなさい、戸神さん。あの時は白幸先輩にあれ以上迷惑をかけたくなくて……」


「それなら僕を呼んでくれれば良かった」


 戸神さんは笑ってそう言った。私は、


「戸神さんを、ですか?」


 と、尋ねた。戸神さんはこくりと頷いた。そうし目を細めて、少しだけ笑った。それは、その表情は切ない。


「僕は、彩葉にとってそんなに頼りない?」


「え……」


 そういえば、そんな事は考えた事もなかった。あの状況で、戸神さんを呼ぶ。助けを求める。そんな事は、考えもつかなかった。私の責任だから、私の落とし前だから、私が頑張らなきゃって思ってた。でも、それなら戸神さんがこんな顔をする意味は……、どうして……。


 言葉に詰まる私も気にせず、戸神さんは背伸びをした。黄緑の髪が、風に揺れる。


「彩葉が何かあった時、いつでも助けに行ける存在。僕はそうでありたいよ」


「私を、助けに……」


「そう」


 戸神さんは背伸びを止めると、私に向き直った。


「呼んだらすぐに駆けつける、彩葉だけのスーパーヒーロー。王子様でもいいけど」


 その目は、どこまでも真剣だった。キラキラと輝いていて、強い意志を感じられる視線。私はその目から、視線を離せなかった。


「だから、」


 そう言って戸神さんは私を引き寄せた。私は前に倒れ、戸神さんに向かって倒れ込む形になった。いつもなら何か言ってしまうのに、何も言えなかったのは戸神さんが何かを話そうとしていたからだ。「だから」の続きを待っている。


「彩葉の選択肢の中に、僕を入れて。僕だけが思うんじゃだめなんだ」


 そう言って戸神さんは抱擁を強くした。


「彩葉が僕を信じていて。彩葉が何かあった時、助けてと言える存在に僕を覚えておいて。必ず、助けに行く。約束する」


 そう耳元で話す戸神さんの声は、とても切なげだった。そうしてとても強い意志を感じた。私が助けて欲しい、と思った時に呼べる、いや、呼ぶ存在に戸神さんを。私は戸神さんの背中にゆっくり手を回した。


「戸神さん、ありがとう、ございます……」


 少しだけ、涙が溢れた。

 今まで助けを呼べる人なんていなかったから、助けてくれる人なんていると思ってなかったから。戸神さんの言葉は何よりも嬉しい。


「彩葉……?」


 そう言って優しく私の涙を拭う戸神さんに、私は笑ってしまう。優しすぎる王子様は、そう言って私の名を呼び、涙を拭う。何時でも助けてと言える存在に、あなたの名を。


「私、ちゃんと選択肢の中にいれます。戸神さんを呼びます。心配かけて、ごめんなさい」


 そう言って戸神さんの肩に顔を押し付ける。泣き顔を見せるのはまだ恥ずかしいから。まだ、全ての弱さを見せられない。けどいつかは必ず、助けて欲しい時に貴方の名を呼ぶから。私は心の中で、そう約束した。


「そっか、ありがとう」


 そう言って戸神さんは私をさらに強く抱きしめた。冷たい戸神さんの体は、どこか温もりがあった。私はその温かさに守られている。そう思うだけで、涙がほろほろと溢れた。



「ラストダンスの時間になりました。参加する生徒は会場の真ん中に集まってください」


 そんなアナウンスが聞こえて、戸神さんが頭を上げた。少しだけ、抱擁が緩む。


「ラストダンスだって、彩葉」


 そう呟くと戸神さんは私から体を離し、立ち上がった。私は温かさの名残惜しさに、手を伸ばしたままだった。


「そんな顔しないで、彩葉」


 どんな顔をしているんだろうか。そんな事、想像もつきやしない。けれど戸神さんはさぞ愛おしそうに笑って見せた。そうして私の手を引いて、立たせてくれた。私の体は羽のように軽く、立ち上がれた。


「戸神さん……」


 私は涙を脱ぐって戸神さんの手を握った。そうすると、戸神さんは私の腰に手を添えて、ワルツの姿勢をとった。


「と、戸神さ……「彩葉」」


 戸神さんは静かに笑ってみせた。


「僕とラストダンスを踊ってください」


 こてん、と首を傾げる姿は、待てをくらった犬のようにわくわくしている。私は考える事もなく即答した。


「はい、もちろんっ!」


 その瞬間音楽が流れ始めた。戸神さんは私の体をゆっくりと導いてくれた。大きな回転はなく、大きな振りもなく、ただゆっくりと体を揺らして踊るだけ。戸神さんは目をはっきりと開いて、私を見据えていた。私はその微笑みに応えるように、笑った。優雅な音楽の様な、穏やかな時間が続く。ターンをする度に舞うサラサラの髪の毛が、星空に映えて美しかった。そうして目を伏せて体で風を感じている戸神さんは、もっと美しかった。私はその姿があまりにも美しすぎて、私はこの世で生きた心地がしなかった。こんな綺麗な人が存在しているなんて、私にはにわかに信じられなかった。そうしてワルツを踊っている事も。


 星空の星が、瞬いていた。夜風にドレスが揺れていた。私はただそのワルツに身を任せた。この時間が、いつまでも続きますように。そう願って。

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