4−7 目で追う姿
同級生に呼ばれて私の元を離れていった神代先輩を、私は目で追いかけた。改めて、神代先輩の格好をじっと見る。花柄の白を基調とした着物に、品のある豪華な白い花の髪飾り。普段肩まで下ろしている髪の毛を、今日は綺麗にまとめ上げていた。その髪型が、さらに神代先輩の美しさを上げていた。神代先輩は普段ガサツだけれど、今日は指の一つまで丁寧に動かしているような気がした。シャンパングラスを持つ手、手を抑える手、ダンスを踊る手。その一つ一つが、美しいのだ。多分神代先輩の家系は日本様式なんだろう。体に作法が身に付いているんだろう。だから、人が美しいと思うのだ。そうして、私はそんな神代先輩が好きなのだ。
『別に、似合ってるじゃないか』
さっき、神代先輩に言われた言葉を思い出す。無愛想で人に媚びない神代先輩が、人の服装を見て「似合っている」と言うなんて……。しかも、私なんか、私みたいな後輩に。天変地異が起こったのかと、疑いたくなるほどだ。いや、こう言うと失礼なんだけれども。それでも、私は嬉しかったのだ。神代先輩の一言が。だって未だに、私は高鳴る胸を押さえているのだから。
「来て、良かった……」
そんな言葉を私はボソリと呟いた。このパーティーに来て、そう思えたのはこれで二度目だ。一度目は、去年の事だった。着物姿の神代先輩は、当時の私にはあまりにも美しすぎて衝撃だったのだ。このパーティーはみんなドレスで来るのもと思っていたから、神代先輩の着物はいい意味で目立っていた。今年も去年も、神代先輩は私の心に衝撃や嬉しさを残してゆく。私はその度に神代先輩との出会いに感謝するのだ。
神様、神代先輩と会わせてくれてありがとう。
神代先輩は他の同級生の人達と、楽しそうに話していた。揺れるシャンパングラスは、神代先輩が持っているだけで美しい。神代先輩はなんだかんだみんなに慕われている。同級生からも、後輩からも良く好かれている。いや、好かれている人には、なのかももしれない。神代先輩は良く好かれたし、良く嫌わていた。私と出会った時も、神代先輩は当時の先輩にほとんど嫌われていた。でも、神代先輩を唯一好いてくれている先輩もいた。神代先輩はそう言う意味でも、良く目立っていた人だった。
そんな事を考えていると、会場に音楽が流れた。神代先輩は同級生の人と手を繋いで、ワルツを踊り始める。その姿は、本当に本当に綺麗だった。私はその姿を見ながら、ふと神代先輩との出会いを思い出していた。
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神代先輩と初めて出会ったのは、いや、初めて見たのは、弓道部の体験入学の時だった。体験入学の時、お手本として矢を射ったのが神代先輩だったのだ。その時から私は神代先輩の虜になってしまったのだった。私は中学から弓道を始めた身だったけれど、そんな私でも神代先輩の姿は美しく見えた。
二年の時の神代先輩は、本当に真面目だった。のと、本当に喋らなかった。まず毎日部活に参加していた。誰とも話さずに、ただひたすらに矢を放っていた。その矢が真ん中から逸れることなんて、ほとんどない。神代先輩の矢はそれぐらい正確だった。二年の時点で、神代先輩はもう既に完成していた。姿勢も、矢の射り方も、何もかも口出しができなかった程に。だから当時の三年生の先輩たちは、ほとんどが神代先輩を目の敵にしていた。生意気で、可愛げのない後輩。みんなそう言っては囃し立てた。わざと神代先輩の近くで悪口を言う人もいたけれど、神代先輩は何も言わなかった。本当に何も、言わなかった。
そうして、神代先輩は本当に喋らなかった。何を聞いても頷くだけ。それか視線で訴えるだけだった。二年の時の神代先輩の声を聞いた人は、おそらく数人だろう。それぐらい、喋らなかった。唯一、喋ったことがあったとすれば、後輩に指導してくれていた時だろうか。神代先輩は特定の後輩だけに、よく指導していた。本当に特定の後輩だけ。それ以外の後輩には、絶対に指導しなかった。例えば、名波さんや私のことなんだけれども。弓を引いていると、いつのまにか後ろに立っていて一言アドバイスしてから帰るような感じだった。
そんな中、神代先輩を唯一可愛がっていた人がいた。それが、神代先輩を部長に指名した前部長だった。神代先輩をよく褒めて、よく笑って、よく撫でていた。神代先輩にあんなことできる人は、先にも後にもあの人しかいない、と思う。前部長はみんなに優しかった。よく部活内を見ていて、よく指導をしてくれた。優しすぎて、傷つく事も多かったろうに。その先輩は最後に、神代先輩に『部長』という椅子を残して、弓道部を引退した。実力はそりゃあ神代先輩は1番だったけれど、部長に向いてる人は他にも沢山いた。それでも、前部長は神代先輩にその椅子を開けていったのだ。それは、全部長と神代先輩にしかわからない絆だったのかも知れない。
そんなこんなで神代先輩は、なんとなく摩訶不思議な人だった。
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「蜜枝先輩!」
ぼーっと神代先輩を眺めていると、後輩から声をかけられた。思わずハッとして、姿勢と顔を正して後輩に向き直った。
「あ、ああ。可愛いドレスだね、よく似合ってるじゃない」
そう言うと後輩は、
「ありがとうございます!蜜枝先輩もとてもよく似合っています!」
といって、笑った。その笑顔は本当に可愛らしかった。
「改めまして、蜜枝先輩!いつもりありがとうございます!」
「こちらこそありがとう、これからも頑張ってね、期待してるから!」
「はいっ!絶対に期待に応えて見せます!」
「おっ、いい宣言っぷりだねえ」
そう言って私と後輩は笑い合った。後輩は会場の遠くを見ると、笑って言った。
「それはそれとして神代部長、すごいですね!」
「……あ、ああ、神代先輩ね」
神代先輩は相変わらず優雅にワルツを踊っていた。その姿は相変わらず麗しい。
「神代先輩なんで着物なんでしょう。やっぱりドレスが嫌なんでしょうか?」
後輩は不思議そうに私に尋ねた。その質問に答えてあげるのは、もう何回目だろうか。
「ああ、神代先輩はご実家が神社だから。正装は日本様式なんだと思う」
そう言うと後輩は驚いて見せた。
「ええ、そうなんですか!あ、もしかしてあの神代神社ですか?!」
「そうそう、あの神代神社」
「へえ、それで着物なんですね!」
後輩は納得したように、こくりと頷いた。神代先輩のご実家の話を知らない人は、意外に多い。特に一年生なんかは、誰の家がどんな所だなんてよくわからないだろう。それは私もそうだったから。私は自分が一年の時を思い出して、少し笑った。
「それもしても、蜜枝先輩は本当に神代先輩の事、よく知ってますね!」
「えっ!」
急にそんな事を言われて、私は動揺してしまった。そんな、よく知ってるだなんて事ないのに……。
「部活の時も仲良いですよね!」
「え、あ、うん……まあ」
煮えたぎらない返事をする。なるほど周囲からはは私はそんなふうに見えていたのか。少し、驚きだ。まあ、神代先輩は一年生とはほとんど話さないし(部長なのに)、あんな姿を見ていれば私と神代先輩が親密なようにも見えるか……。私はそうして変に納得してしまっていた。神代先輩と自分の関係なんて、考えたこともなかったけれど人からはそう見えているらしい。
「あ、蜜枝先輩!よければ一曲踊りませんか?」
「ありがとう、でもごめんね。私、ダンス下手だし、遠慮しとく」
「そうですか……、では残りのパーティーも楽しんでください!失礼します」
「うん、ありがとう」
私はそう言って後輩を見送った。
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神代先輩と私はどんな関係なのか、よく考える。それは、神代先輩を好きになってからの事だ。さて、私が神代先輩を好きになったのは一体なぜだったか。あまりにも昔のことのように感じて、記憶をバラバラにして漁ることしかできない。
『それもしても、蜜枝先輩は本当に神代先輩の事、よく知ってますね!』
さっきの後輩の言葉がじわじわと胸に刺さ始める。私は一体神代先輩の何を知っているのだろうか。私が知っていること。神代先輩はコーヒーはブラックが好きな事。本当は面倒くさがりな事。口が悪い事。でも弓道の実力は誰にも負けない事。意外に痩せている事。意外に人に優しい事。幽霊関係で困っている人は助けてしまう事。ご実家は神社な事。実は仏様を信じている事。……それぐらいだろうか。本当にA4の紙に書き切れてしまうぐらいしかない。
「意外に、あっけないな」
いや、本当にあっけない。私が知る神代先輩の事などこれっぽっちしかないのだ。それでも、部活内では、きっと誰よりも神代先輩を知っていると胸を張れる。私が、私だけが知る神代先輩の事。
でも現実はとても残酷なのだ。神代先輩を沢山知ってるから、偉い訳じゃないのだ。神代先輩の一番近くにいるから、偉い訳じゃない。それはもう、ずっと昔からわかっていた事だった。だってそうじゃないか。神代先輩だって、モテる。戸神さんが来る前は、『王子様』とも呼ばれていたくらいだ。それなりに、みんなの人気者なのだ。最近になっては、「あのミステリアスな感じがいい」と言う声も聞く。私からすれば、「ええ……」なんて声を漏らしてしまう。ミステリアス?あの神代先輩が?そう聞くと、なんだか笑えてしまう。みんな、準備室での神代先輩の姿を知らないのだ。まあ、そりゃあそうだろう。あんな、だらしない神代先輩の姿なんて、私しか、私しか知らないんだ。ああ、少しだけ背徳感。私は遠くの神代先輩を見た。
(うん、やっぱり)
どこまでも、輝いていた。
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