4−4 パーティ前でも部活は波乱です

「はい、じゃあみなさん。楽しい夏休みを!」


「「起立」」「「礼」」

「「ありがとうございました」」


 7月26日。白草女学院は夏休みを迎えた。数回のワルツの授業も無事に終わり、夏休みの宿題も配られ、例年通りの夏休みだ。まあ、今年の夏休みからは戸神さんがいるので、私は例年通りとは言えないけれど。今日は終業式しかないので、学校は午前中で終わりだった。だが部活には顔を出さないといけない。私が鞄に荷物を詰めていると、前から声をかけられた


「いろりん、やっと夏休みだね!」


 光は嬉しそうに私に告げた。


「うん、そうだね。光、宿題溜めないでよ?」


 そう言うと、光は残念そうに項垂れた。


「それだけが嫌なんだよお〜!」


「あはは…、もう光ったら」


 そんな事を話しながら、光は鞄を持ち上げた。


「それじゃあね、いろりん。次はパーティで!」


 私はこくりと頷いた。


「うん、パーティーでね」


「それじゃあ!」


 そう言って光は手を大きく振りながら、教室を出ていった。


 運動部は夏休み中、大会や記録会が多いので光は最も忙しくなる頃だ。去年の夏休みも忙しそうにしていたし。今日もそれに向けての練習だろう。


(頑張ってね、光)


 私は心の中でそっと呟いた。


 さてと、私も部活に行かなきゃ。鞄を持って、私は席を立ち上がった。教室は既にあっけらかんとしていた。私は椅子を机に入れて、隣を向いた。


「戸神さん」


 そう言って声をかけると、戸神さんは綺麗な髪を揺らしてこちらを見た。


「ああ、桜宮さん」


 戸神さんはワルツの授業で一役有名になり、学院での王子様の地位も上がっていた。戸神さんはそれでも変わらず女の子に優しかった。


「戸神さん、今日も部活ですか?」


 戸神さんはこくりと頷いた。


「うん、桜宮さんもそうでしょ?部活は早く終わりそう?」


「はい、多分15時ぐらいには。弓道部もそのぐらいですか?」


「うーん、どうだろ?それまでに終わったらいいけど……。その時はまた連絡するね」


「はい、わかりました!」


「じゃあ、またね」


「はい、また!」


 そう言って私は戸神さんと別れ、教室を出た。

____________________

「あ、戸神さん。こんにちは!」


「蜜枝さん、こんにちは」


 弓道部の扉を開けると、いつも通り蜜枝さんが出迎えてくれた。蜜枝さんは既に弓道着に着替えていて、弓こそ持っていなかったが丁度準備が終わったようだった。


「ごめんね、神代先輩まだ来てないんだよ〜」


「あ、そうなんですか?」


 靴箱に靴を入れて、僕は蜜枝さんと射場に上がった。


「夏休み始まったからって、来ないつもりかなあ」


 そう言って蜜枝さんは、背伸びをした。射場にはまだ数人しかおらず、閑散としていた。


「荷物はそこに置いてね、はい、弓道着!」


 そう言って蜜枝さんは僕に弓道着を渡してきた。


「え?弓道着、ですか?」


 そう尋ねると蜜枝さんは、こくりと頷いた。


「うん、神代先輩からの伝達。弓道着に着替えて待っててって!」


「ああ、わかりました」


「うん、着替えは準備室でいいからね。空いてるから、入って」


 僕は弓道着を受け取り、準備室へと入った。


「失礼しまあす……」


 準備室には当然のごとく誰もいなかった。神代先輩もまだ来ていないと言うし、僕は取り敢えず弓道着に着替える事にした。ここにサポートで入れと言われてから、もう一週間ほど経ったが、未だ弓を持たせてもらえたことはなかったのに。今日になって弓道着に着替えろだなんて、一体どういう風の吹き回しなんだろうか。というか、まず、弓道着ってどうやって着るんだ……?僕は白い着物の上のような部分と、袴のようなものを前にして固まってしまった。流石にお稽古事でも弓道はしていなかった。僕は制服を脱ぐ前に、来た道を引き返した。準備室の戸を開けて、周りを見渡す。すると、近くにいた弓道部員の人に話しかけられた。


「あら、戸神さん。どうしたの?」


「あ、すみません。蜜枝さんはどちらに?」


 そう言うとその弓道部員の人は、


「ああ、蜜枝さん?呼んできましょうか?」


 と、快く呼びに行ってくれた。僕はその弓道部員の人が呼びに行くのを待ちながら、射場を眺めていた。射場にはまだまばらだが数人の人が立っていた。じっと的を見ている人もいれば、弓のお手入れをしている人もいた。弓道は精神統一のスポーツだと聞く。僕たちのような初心者は、矢を射る事だけが全てだと思ってしまうが、実はそこまでのプロセスが大事なのかもしれない。ただ、僕にはいまだに自分が射場に立ち、矢を射る姿が想像できなかった。ましてや、神代先輩のようなあんな綺麗な姿では。そんな風に考え込んでいると、とたとた、とこちらに向かって足音がした。


「ああ、ごめんね。戸神さん!」


 そこにはさっきの弓道部員さんと蜜枝さんがいた。僕は弓道部員さんに、


「すみません、呼んでくださってありがとうございます」


 と、お礼をした。弓道部員さんは綺麗に笑って、


「いいえ、構わないですよ」


 と言って、射場に行った。僕はもう一度深くお礼をした。


「それで、何かあった?戸神さん」


 蜜枝さんが不思議そうに尋ねてくる。僕は、


「すみません、弓道着の着方がよくわからなくて……」


 というと、蜜枝さんは


「ああ、そうだよねえ。ごめんね!教えるよ」


 と言ってくれた。僕は準備室に入る前に、ふと、射場に目を向けた。そこでは姿勢の良い女の人が、弓を引いていた。さっきの弓道部員の人だった。弓道部員の人は弓を引いたまま、的を見据えているようにも思えた。僕はその姿に、目が離せなかった。いつ、その矢を放つのかをこの目で見たい。そんな思いが胸を支配する。弓道部員の人はしばらく的を見据えた後、勢いよく矢を放った。その矢は、的の真ん中より少し外れたところに刺さった。周囲から拍手が上がる。僕はそれを遠くから、ただ呆然として見ていた。頭の中に、先日の事のように思い出されたのは、神代先輩の事だった。あの人の弓の射る方、神代先輩に凄く……。


「凄いよねえ、名波さん」


 気づかぬ内に蜜枝さんが横に立って、そう言った。


「名波さん、って方なんですか?あの方…」


 そう尋ねると蜜枝さんはこくりと頷いた。


「そう、名波 詩乃(ななみ しきの)さん。二年の子だよ?弓道の大会ではいつもいい成績を残しててね、次の部長候補なんだ」


「それは、凄い方、なんですね……」


 そう言うと、蜜枝さんは自慢げにこくりと頷いた。僕は少し気になったことを、蜜枝さんに尋ねた。


「それにしても……」


「ん?」


「その名波さんと神代先輩の矢の射り方って、似てますね……」


 そう言った途端、蜜枝さんは「ああ〜」と言って、笑った。


「確かに、やっぱりそう見えるよね?」


 僕は何がなんだかわからず、


「もしかして似てる、なんて言ったら失礼でしたか?」


 と、尋ねると蜜枝さんは「いやいや!」と首を横に振った。だけれども蜜枝さんは少し言いにくそうにして、僕を見た。

 

 「……神代先輩に指導された人はみんなああなっちゃうんだ。なんというか神代先輩に似ちゃうの、自分の射り方がなくなっちゃうって言うのかな……」


 そう言って蜜枝さんは笑った。その笑顔が明らかに無理をしているのは、見ていてすぐにわかった。


「……神代先輩はみんなに、平等に指導してるんじゃないんですか?」

 

そう尋ねると、蜜枝さんは「いや、違うよ」と、即答した。


「神代先輩は自分で決めた人にしか、指導しない。絶対に。他の先輩はそんな事ないんだけど、神代先輩は別。だから神代先輩に指導してもらえたらその人は安泰だ、なんて言われてた時もあった」


「でも、神代先輩は部長ですよね……、そんな、その、贔屓みたいな事しても大丈夫なんですか?」


 そう言うと、蜜枝さんは準備室を指差した。


「中で、話そっか」


 僕は素直にこくりと頷いた。

____________________

 「なんだっけ、贔屓じゃないかって話だっけ」


 蜜枝さんはコーヒーを淹れながら、僕に尋ねてきた。


「いや、贔屓っていうか、まあ、いや、はい。そうです……」


 蜜枝さんは「そうだねえ」と言って僕を見た。


「確かにそれは贔屓だった。間違いなかったよ。顧問の先生も神代先輩に注意したことがあったし。でも神代先輩は部長だったし、何より部活内では誰よりも強かったから、誰も何も言えなかったんだ」


「……それでみんな、納得してたんですか?」


「最初はみんな神代先輩に反発したよ、最初はね。でも、そのうち神代先輩に指導された子が大会に出たら、「神代佳月に似てる」って言われたの。その子は自分流の射り方がしたかったから、心をね、病んじゃって。それからかな、神代先輩の贔屓に誰も何も言わなくなったのは」


 お湯が沸いた音がして、蜜枝さんはまたキッチンに向き直った。僕はその話をただ唖然として、聞いていた。


「神代先輩は、それを知ってるんでしょうか……」


 蜜枝さんはこちらをみて、にこりと笑った。


「うん、知ってるよ。ていうか、最初から知ってたんだと思う。だから贔屓していたんだと思うし」


 蜜枝さんが手に持っているカップは、一つだった。


「相談ぐらい、してくれても良かったのにね」


 そう言いながら、机にコーヒーのカップを置いた蜜枝さんの顔は、泣きそうな顔だった。


「蜜枝さん……」


 その時、準備室の扉が開かれた。肩までの黒い髪がなびいた。


「なんだ、何してるんだお前ら」


「神代、先輩……」


 神代先輩は不審そうに僕を見た。


「まだ着替えてなかったのか?」


 僕はあんな話を聞いた手前、神代先輩を真っ直ぐに見れなかった。


「こんにちは、神代先輩!コーヒー出来てますよ!戸神さんに、私の用事に少し付き合ってもらってたんです。今から着替えますから、ゆっくりしててください!はい、戸神さん。着替えよう!」


「え、あ、はい!」


 そう言って蜜枝さんは、白い着物のようなものを僕に着せてくれた。


「うん、ここはこうで……、そっちはそうなの!」


 僕は蜜枝さんの指示に従いながら、丁寧に弓道着を来ていった。


「戸神」


 黒いはかまを着て、細部を整えていた時に神代先輩に声をかけられた。


「はい、なんでしょうか?」


 神代先輩は意地悪な顔で笑っていた。


「今度のパーティー、お前もドレス着るの?」

____________________

 生物部はやはり、夏休み前ということでどこか浮ついていた。私は今日は熱帯魚のお世話係だったので、熱帯魚を見ながら同級生の子と話をしていた。


「ねえ、桜宮さんは部長誰になると思う?」


 私は「うーん」と考え込んだ。生物部には頼れる人もたくさんいて、みんな部長になってもおかしくないからだ。


「ねえ、やっぱり桜宮さんなんじゃないの?」


 突然の言葉に私は思わず、「ええ〜」と声を上げてしまった。


「そんな、でも部長を決めるのは推薦とか多数決じゃ……」


「でも桜宮さんは副部長じゃない!」


「それは……」


 そうなんだけれど……。そう考えつつ、悩んでいると、生物室のドアがガラリ、と開いた。


「はあい、皆さん。どこでもいいので椅子に座ってください!」


 そう言って入ってきたのは、白幸先輩率いる三年生の先輩達だった。一体何事かと、みんなざわざわしている。かくいう私もソワソワしていた。


「はい、皆さん。今日は三年生からお話があります」


 白幸先輩は黒板の前に立って、私達にそう告げた。


「実は数日前から三年生のみんなで、次の部長について話し合っていました。それで私達の中で意見がまとまったので、今日はみんなに報告したいと思います」


 みんなこくり、と動揺を見せつつも頷いた。それは勿論私もだった。


「で、私たちの意見を言う前にまず推薦・立候補を聞こうと思っています。誰か推薦や立候補はありますか?」


 生物室は静まり返り、誰も何も言わなかった。白幸先輩はそれを確認してから、後ろの三年生と頷き合った。


「では、いないようなので、私たちから次期部長を推薦させてもらいます。私たちは、」


 みんなの中に緊張が流れる。私もドキドキしながら、言葉の続きを待った。


「桜宮 彩葉さんを推薦します」


 (??????????)


 頭の中にはてなが浮かぶ。わ、私……!?


「賛成ですわ、先輩方」


「私も賛成です」


「私達も桜宮先輩がいいと思ってました」


 そう言って生物室中が拍手に包まれる。


「みんなもこう言っている事だし、桜宮さん。いいかしら?」


 私はこくり、と頷くことしか出来なかった。


「では、生物部の次期部長は桜宮さんで!」


 そう言って拍手が上がる。私は信じられないようなものを目にしたような気持ちで、その場に座っていた。白幸先輩は笑って言った。


「パーティーでも、挨拶しなくてはね!」

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