4−3 君とダンスと嫉妬
「どうか……いたしましたか?」
「へっ、」
音楽が止み、15分間の休憩に入った時だった。未池田さんは少し不思議そうに僕を見ていた。僕は足でも踏んでしまったかと思い、冷や冷やして聞き返した。
「ごめん、何か失礼な事をしてしまったかな?」
そう尋ねると、未池田さんは「あ、いえ。違うんです……」と言いにくそうにした。どうしたん、だろうか?
「踊ってる最中に、なんだか遠くを見ていらしたから何かあったのかと思いまして……」
「あ……」
しまった、そうだった。さっきのワルツ中に彩葉を見つけてしまい、つい視線がそちらに向いてしまっていた。ワルツは相手と息を合わせるのが大事なのに、よそ見だなんて。失礼な事をしてしまった。僕は未池田さんの手を取った。
「ごめんね、君みたいな素敵な人とワルツを踊っていたのによそ見だなんて失礼な事を。少し、人が気になったんだ。それだけだよ」
そう言うと未池田さんはポカンとした顔から一転、微笑んだ。ああ、良かった。気を直してくれたのかな……。と、思ったのは束の間だった。
「桜宮さんですか?」
未池田さんは微笑みながら、はっきりと告げた。
「え……」
「桜宮さんは踊っていらっしゃないですものね、どうしたんでしょうか?」
僕はまさか彩葉を見ていたことがバレていたと思わず、何も言うことが出来なかった。あの時、未池田さんは、彩葉を見ていた事に気づいていたのか。一体、どうして……。言葉を失った僕に、未池田さんは微笑んだままだった。
「去年は踊っていらしたんですけど、体調でも悪いのかしら?……ねえ、戸神さん」
未池田さんは距離を詰めて、僕に近づいた。僕は自然と見下げる形になる。
「次のワルツは、私を見てくださいね?」
翡翠の目が、濁っていた。ドロドロと愛憎が渦巻いているような目。僕はこの目を知っている。女の子に告白される時、嫉妬心を出される時に、みんなこの目をしている。どうして、いや、どうしてなんかない。未池田さんは僕のことを……。
僕は訳もわからず後ろに、後退りしてしまった。
「あれ、とがみん?」
はっとして、思い切り振り返るとそこには光がいた。
「ひ、光……」
汗が額を流れていく。
「さっきのダンス、とがみん達凄かったねって……、とがみん、すごい汗。大丈夫?」
僕は光と話すことでようやく落ち着きを取り戻せた。
「……うん、大丈夫。少し、暑くて……」
そう言うと光は「そっかあ、ちゃんと水分補給するんだよ!」と言って、去っていった。僕は一呼吸置いてから、正面を向いた。そこには未池田さんがニコニコとして立っている。
「次のワルツは、集中するよ。不快にさせて、ごめんね。失礼」
「ええ」
それだけ言い残して僕はその場を立ち去った。僕は人をかき分けて、早足で歩いた。心が黒く染っていく。王子様、が壊れていく。早く、早く会いたい。会わなくちゃ。僕の愛しいお姫様に。でなければ、僕は王子様を保てない。この苦い感情を、はやく消し去りたい。ああ、早く……会いたい。
____________________
「彩葉」
15分の休憩に入って、ぼーっとしていると上から声をかけられた。聞き慣れた声に顔を上げると、そこには息を切らした戸神さんが立っていた。
「と、戸神さん?どうしたんですか?息を切らして……」
戸神さんは緊迫したような顔をしたけれど、私の声を聞いて安心したのか、私の隣に座り込んだ。どさっ、と鈍い音がする。戸神さんは顔を俯けて、壁に背をもたれていた。顔は長い髪がかかって、よく見えなかった。さっきまであんなに優雅に踊っていたのに、急に疲れてしまったのだろうか。私はどうすることも出来ず、ただ戸神さんを眺めることしか出来なかった。
しばらく、そんな沈黙が続いてそろそろ休憩も終わりそうだ、と言う時に戸神さんはやっと顔を上げた。その顔はいつもと変わらない、戸神さんだった。
「戸神さん、もう起き上がって大丈夫なんですか?」
そう尋ねると、戸神さんは優しく微笑んだ。
「ありがとう、彩葉のおかげで元気が出たよ」
「え、そんな、私は何も……」
「そばにいてくれた。それだけでいいんだ」
そう言って戸神さんは背伸びをした。私にはいまいち意味がわからず、とりあえず感謝の気持ちだけ受け取っておくことにした。戸神さんは背伸びを終えると、私の方をじっと見た。
「……な、なんですか?」
「彩葉はさ、どうして踊らないの?」
戸神さんは笑いながら尋ねてきた。私は、ああ、と思った。そういえば、光以外はの事を言っていないんだった。
「さっき、踊ってなかったよね。」
そう尋ねる戸神さんに私は素直に答えた。
「あはは、恥ずかしい話なんですけど、ダンスが壊滅的にできなくて、基礎運動をやる代わりにしなくていいってしてもらってるんです」
そう言うと、戸神さんは驚いたように眉を上げた。
「じゃあ一年の時以来、踊ってないの?」
そう聞かれ、私は大人しく頷いた。そうすると戸神さんはしばらく「うーん」と考え込んでしまった。会場の先では先生が、
「はい、みなさん。始めますよ!ペアの人と自由に踊ってくださいね」
と、掛け声をかけている。
「戸神さん、休憩終わりますよ?」
と、言うと戸神さんはこちらをニヤッと見た。
「彩葉。女子役と男子役なら、どっちが苦手?」
「え、あ、そりゃあ、女子役ですけど……」
そう答えると、戸神さんはうんうんと頷いて、私の手を取った。
「と、戸神さん……!?」
「じゃあ僕が男子役でリードするから、一緒に踊ろう」
戸神さんは私の手を引き、楽しそうに私に告げた。
「そんな、私には無理ですよ!」
「出来るよ、ほら、始まっちゃう」
そう言って戸神さんは私の手をグッと引いて、会場の真ん中へ私を連れ去った。
先生が「では、曲をかけますよ」と言って、音楽をかける。訳がわからないままの私を戸神さんは、わかっていた。
「彩葉、僕の肩に手を置いて、そう」
戸神さんの優しい声で、私は指導される。戸神さんは私の腰に手を添えて、ニヤッと笑い
「僕についてきてね」
と言った。
次に流れた音楽は、さっきよりゆっくりとしたクラシックだった。戸神さんは私の手を取り、ゆっくりと動き始めた。
「彩葉、左足を前に」
言われるがまま、私はその声に従った。戸神さんはペースを落として、ゆっくりと私をリードしてくれている。私はそれに一生懸命ついていく。
「次はターン。僕が支えてるから、安心して回って」
私は言われた通りにぐるっと回った。戸神さんはしっかりと私を支えてくれている。戸神さんに手を引かれて、また向き合って踊り始める。
「彩葉、上手」
戸神さんは初心者とは思えないほど、上手だった。私が足を踏みそうになっても、転びそうになっても絶対に支えてくれたし、ゆっくりとしたペースで絶対それを崩さなかった。何かする時は必ず声をかけてくれた。
ようやく踊りながら余裕が出てきて、戸神さんの顔を見ることができた。すると戸神さんは私を見て優しく笑っていた。私はその顔を見て
(あ、また初めてだ……)
と思った。戸神さんは表情が豊かな人だ。学院ではあの王子様スマイルだけれど、本当はよく笑う人で、本当はいろんな風に笑える人で、戸神さんは本当に感情が顔に出やすい。今の顔は、優しいのに綺麗すぎて、本当に王子様みたいだった。私は王子様と踊っているのか、なんて錯覚してしまうほどった。周りを見ることもなく、だた二人で体を揺らす、穏やかな時間が続いた。
音楽が終わり、私たちはゆっくりと足を止めた。私は一曲、踊り切れたことに感動していると戸神さんが、
「なんだ、桜宮さん踊れるんじゃない」
と、言って私の手をとり、軽くキスをした。
「……!?」
「楽しいダンスだったよ、お姫様。一緒に踊れて光栄でした。……彩葉は自信持って踊ってね、また後で」
そう言って戸神さんは、急いで未池田さんの所に戻っていった。必死に謝っている。私は初めてちゃんと踊れた事と、戸神さんの言葉に胸が高鳴っていた。そうしてぼーっとしていると、後ろから声をかけられた。
「桜宮さん」
私が驚いて振り返ると、そこには先生が立っていた。
「せ、先生。どうしてこんな所に……」
私の問いを先生は無視して、私に尋ねた。
「桜宮さん。あなた踊れたのですか?」
私は思いっきり首を振った。
「せ、先生、違うんです。あれはあの、戸神さん、 そう、戸神さんのおかげで踊れて!私、本当に踊れなくて!」
先生に私の力ではない事を、私は懸命に説明した。先生は私の話をひと段落するまで聞いた。
「あの、なので、あれは戸神さんのおかげで……」
「しかし、素晴らしい踊りでしたよ。整ったステップ。綺麗な体勢。リズムに乗った踊り。よく踊れていました。桜宮さん、貴方には特別に合格点をあげましょう」
「え!?」
「なので基礎運動はしなくていいです」
「え、ちょっ、」
先生はそう言い残したまま、去っていった。私はただそこに立ち尽くす事しか出来なかった。
____________________
僕は彩葉を手放した後、すぐに未池田さんの元へ向かった。未池田さんは不安そうな顔をして、会場の隅に立っていた。
「未池田さんっ……!」
そう声をかけると、未池田さんははっとして僕の方を向いた。
「ああ、戸神さん……」
「ごめんね、未池田さん。踊れなくて……」
未池田さんは少し困ったようにして、眉を下げた。
「いえ、それはいいのですけど……。何か、ありましたの?」
「あっ、えっと、いや……」
流石に彩葉のことを話す訳にもいかず、僕は言葉を濁した。
「ちょっと話し込んでしまってね、ごめん。次は是非一緒に踊ってくれますか?」
そう言って手を差し出すと、未池田さんは
「……いいえ、せっかくだけれど。次は自由にペアを組めるでしょ?だから他の子と踊りたいから」
と言って、「ごめんなさい」と深く礼をした。
「いや、そうとは知らず失礼しました。今日はご指導ありがとう。未池田さん」
そう言うと、未池田さんは上品に笑って
「こちらこそ、光栄でしたわ」
と、返答した。
「はい、次は自由にペアを組んで踊ってください」
先生がそう言うとみんな一斉にペアを作り出した。僕はどうしようかと立ち尽くしていると、一人の女の子が話しかけてきた。
「あの、戸神さん。宜しかったら是非踊っていただけないかしら?」
その女の子は可愛らしく、顔を赤く染めていた。僕は流石に彩葉を誘うわけにもいかず、未池田さんも他に行ってしまったのでその子にする事にした。
「ああ、僕でよければ是非……」
そう言うと女の子は「ありがとうございます!」と嬉しそうに言った。
「では、みなさん。音楽をかけますよ」
そう言って僕は女の子の腰に手を添えた。どうやら僕が男役をするのは同意らしい。僕自身も彩葉と踊ってみて、やっぱり自分には合ってると思っていたので、良かった所だ。会場にアップテンポな音楽が流れる。僕はその女の子をリードしながら、フロアで踊りを始めた。
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二回目の、授業最後のダンスが始まった。私はいくら戸神さんと踊れたとはいえ、調子に乗って他の子と踊るわけにもいかないので、また会場の隅でぼーっと立っていた。やはり、真ん中で踊る戸神さんが目に入ってしまう。これまた可愛らしい女の子と、ダンスを共にしていた。私はなんだか落胆してしまった。
(なんだ、戸神さんだって可愛い女の子が好きなんだ……)
私は自分が馬鹿らしく思い、そのまま目線を離した。そりゃあ戸神さんだって、可愛くて綺麗な女の子が沢山いる場所にくれば、嬉しいんだろう。そうして、他の人達に目をやっていた時だった。
「桜宮さん」
後ろから、声をかけられた。そのはっきりとした声に、私はすぐに振り向いた。そこにいたのは、未池田さんだった。
「あれ、未池田さん……?どうしてこんな所に……」
未池田さんは私の質問には答えず、ニコニコと笑っていた。
「さっき、戸神さんと踊っていたわよね」
未池田さんは顔色を変えずに尋ねてきた。
「えっ、あっ、はい……」
そう答えると、未池田さんは私をじっと見ていた。
「やっと……のに……」
会場に響く音楽と靴の鳴る音のせいで、未池田さんの言葉がよく聞こえなかった。
「えっと……、なんて……」
未池田さんは、私に近づいた。一気に距離が縮まる。
「やっと、会えたのにって、言ったの」
未池田さんは、変わらずニコニコと笑っている。
「気をつけてね、桜宮さん。貴方、戸神さんの親戚だか知らないけれど、貴方の行動が戸神さんの評価に繋がるんだから」
「えっ、あ、はい」
そう答えると、未池田さんは「わかってくれて嬉しいわ」と、答えた。私はとある事が気になって、思わず聞いてしまった。
「あの、どうして未池田さんがそんな事を……?」
そう言うと未池田さんは笑って答えた。
「風紀を正すのも、学級委員長の仕事ですから」
その声は、どこまでも冷たく響いた。
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