3-11 それでも君が好き!

白幸先輩の様子が変わった、と言う話が耳に入ったのは、それから更に1週間後の事だった。


 その事を彩葉に尋ねると、彩葉は肩を落としながら話してくれた。


「はい、確かにそうなんです。少し前まではなんだか不機嫌そうでピリピリされていたように感じたんですけど、最近はまたいつもの優しい白幸先輩に戻ったんです」


 僕は内心ほっとした。が、彩葉の様子が気にかかった。


「それは良かったじゃない。どうして、彩葉は肩を落としてるの?」


 そう尋ねると彩葉は途端にバツが悪くなったように、もじもじとし始めた。僕が首を傾げると、彩葉は言いにくそうに話してくれた。


「それが、実は白幸先輩、あれからあんまり私と話してくれなくなっちゃったんです。皆と沢山話すようになっちゃって……」


 僕はニヤリ、と笑った。


「つまりは、嫉妬、してるんだ?」


 そう言うと彩葉は顔を赤くして、否定した。


「いえっ、私、そんな、嫉妬だなんて……。ああ、恥ずかしいです……」


 そう言って彩葉は両手を顔に添えた。僕としては内心、面白くはない。彩葉が僕以外の人に嫉妬するなんて。僕はそう思い立つと、教室の椅子に座っている彩葉の耳元に顔を寄せた。彩葉の髪のシャンプーの匂いが、鼻をくすぐる。


「きゃっ!ちょっと、戸神さんっ……」


 僕は少しだけ声のトーンを落として、囁いた。


「彩葉が嫉妬するのは、僕だけで構わないよ。白幸先輩に嫉妬なんて、僕が妬いちゃうなあ……」


 彩葉の顔がさらに赤くなり、肩が震えた。

 その時だった。教室の扉から、僕を呼ぶ声がした。


「戸神さん、A組の子が話があるって!」


 僕はすぐに彩葉から離れて、「はあい」と返事をした。彩葉はまだ硬直し、顔を赤くしている。僕は可愛いなあ、と思いながら


「少し、行ってくるね」


 といって彩葉の席を離れた。その後ろから


「……っっ戸神さんの馬鹿!!」


 なんて声がしたのは、聞こえなかったふりをした。

―――――――――――――――――――――――

 放課後、部活だという彩葉と別れて、僕はまた弓道部へと向かった。もちろん神代先輩目当てだ。あれから、白幸先輩は様子が元に戻ったと報告しようと思ったのだ。迷惑をかけたから、お礼ぐらい言いたい。それから弓道部のヘルプの事も、詳しく聞きたい。あの場の流れでOKしたは良いものの、弓道経験のない僕なんかが役に立てるのだろうか。そんなことを考えていたら、いつの間にか弓道部前の扉に立っていた。いつもの様に扉をノックしようと、手を差し伸べたその時だった。


 扉がガラリ、と音を立てて開いた。正面には目をまん丸にした蜜枝さんが立っていた、いや、出迎えてくれた。


「おお、ほんとに戸神さんだあ!」


 蜜枝さんは驚きの声を上げて、僕を見上げた。


「こんにちは、戸神さん。どうぞ、神代先輩がお待ちだよ!」


 そう言って蜜枝さんは僕を射場へ上げてくれた。僕は靴を脱ぎながら、蜜枝さんに尋ねた。


「神代先輩がお待ちって、僕が来ること知ってたんですか?」


 蜜枝さんは首を傾げて答えた。


「さっき、神代先輩から戸神さんが来るからで迎えろって指示を頂いたから……、知っていたんじゃないかなあ。ほら、そんな事よりどうぞ奥の部屋へ」


 そう言って蜜枝さんは、僕を奥の部屋へと誘導してくれた。今日も部員たちが、それぞれ矢を放っている。この緊迫した空気感には、いつまでも慣れない。蜜枝さんは準備室の木製の扉を二回、ノックした。


「神代先輩、戸神さんお連れしましたよ!」


 そう言って扉を開ける。その扉の先には、一つの机を囲むように二つの椅子が置かれており、その窓側に神代先輩が座っていた。神代先輩は足を組んで、僕を見上げていた。


「厄介なオーラを付きまとわせて来るのは、お前しかいないよ。戸神」


 そう言われ、僕は苦笑いをした。


「僕が来ること、わかっていたんですね」


 そう言うと、神代先輩はにやり、と笑った。


「射場は清らかな場所なんだ。お前みたいな厄介児が入ってきたら、すぐ分かる」


 神代先輩は楽しそうに、足を組みかえた。


「もー、神代先輩!戸神さんを厄介児だなんて言わないでください!ほら、戸神さんも座って、座って!」


「あ、ありがとう。失礼します……」


 僕は神代先輩もそこそこに、蜜枝さんに勧められるまま椅子に座った。


「ごめんなさい、戸神さん。またコーヒーでいい?」


「ああ、うん。構わないです。お気づかいなく」


「はあい」


 そんな蜜枝さんの返事と共に、コーヒーメイカーの音がした。部屋にはコーヒーのほろ苦い匂いが充満する。


「話があるんだろ、なに?」


 神代先輩は体勢を崩さないまま僕に尋ねてきた。僕は蜜枝さんがいる事を少し気にしながら、口を開いた。


「白幸先輩の件です。あの後、すぐに効果が出たみたいで、彩葉も白幸先輩が元に戻ったと喜んでいました」


「そう、それは良かったな」


 神代先輩はあっさりそう答えると、コーヒーを運んできた蜜枝さんのお盆から、コーヒーをひょい、と取り上げた。


「もー!危ないじゃないですかあ!……ごめんね、騒がしくて。はい、どうぞ」


 そう言っと差し出されたコーヒーには、既にミルクが入っていた。


「あれ、ミルク三個、砂糖2本だったよね?間違ってた……?」


 不安そうに蜜枝さんが尋ねる。


「あ、いや、そうじゃないんだ!覚えてくれてたんだなって……」


 そう言うと蜜枝さんは


「当たり前ですよぉ、珍しいお客様なんだから」


 と言い残して、お盆をテーブルに置いた。


「では、二人でごゆっくり」


 そう言って静かに扉を閉めた。僕と神代先輩の間に沈黙が流れる。


「……出来た後輩さんですね」


「もう少しお嬢様らしかったらいいんだけどな」


 と言って神代先輩はコーヒーを飲む。僕も誘われるがまま、コーヒーに口をつけた。程よく甘く、ほんのりとした苦味が残っている。うん、美味しい。蜜枝さんが作るコーヒーは美味い。そう思いながら、僕は神代先輩を見上げた。


「効果が1週間で出るなんて、あいつがなにかまじないでもかけたんだろうな」


 神代先輩はコーヒーを机に置いて、そう話しかけた。僕は思わず首を傾げた。


「まじない、ですか?」


「ああ、あんな小さな観葉植物で吸いきれるほどの《オーラ》じゃなかったさ。あいつ、緋月がなんかのまじないでもかけたんだろ」


「そうなんですか……」


 緋月さん、そんなことまでしてくれてたなんて……。


「余計な手、かけてしまいましたかね?」


 そう尋ねると、神代先輩は首を横に振った。


「いいや、そんなことは無い。あれはあいつの専門職だ。むしろ喜んでやっただろうさ」


 そう言って神代先輩は後ろの窓に、目を向けた。青い空には入道雲が立ち上っていた。


「あの、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」


「なんだ?」


 僕は握りこぶしを作って、質問する。


「その、緋月さんの専門とは一体、なんなのですか?」


 神代先輩は「そうだな……」と言った後に、こちらを向いて答えた。


「俺が《視る力》があるなら、緋月には《祓う力》があるんだよ。昔からだった。幽霊がいるという場所に二人で行って、俺が《視て》緋月が《祓って》いたんだよ」


 僕は分かりやすい説明に、すぐ理解することが出来た。


「じゃあ、緋月さんの専門というのは……」


「ああ、《祓う》事だ。今回の《浄化》も、言葉を変えただけで《祓う》ことと変わりないだろ」


 そう言って神代先輩はまたコーヒーを飲んだ。じゃあ、白幸先輩にああもすぐ効果が出たのは、緋月さんのおまじない?のおかげだったんだ……。


「なんだかんだ、恐ろしい双子ですね……」


 そうぼやっと呟くと、神代先輩は「傑作だよ」とから笑いをした。


「……で、お前にはお代を払って貰うんだったな」


 神代先輩は急に元気になってこちらを向いた。


「はい、確か弓道部のヘルプ、でしたよね?でも、僕未経験者ですよ?ヘルプなんて……」


 と言った途端、上から体操服が降ってきた。


「うわっ!」


「まずは基礎作りからだ。その体操服に着替えろ」


 神代先輩はにやにやしながら、僕を見下げていた。


「い、今からやるんですか?!」


 神代先輩は意地の悪い顔で僕に告げた。


「そりゃあ、お前。お代は後払いにしてやったんだからな。誠心誠意払えよ?」


 この人は、前々から思っていたが、人を虐めるのが好きなんじゃないだろうか。

―――――――――――――――――――――――

「おかえりなさい、戸神さん!……って、戸神さん!?何があったんですか!?」


 玄関の扉を開けて早々、彩葉は驚きの声を上げた。そりゃ、こんな僕の姿を見たら流石の彩葉でも、びっくりするか……するよねこんなの。今の僕の姿は髪はボサボサで荒れ果て、顔や体には泥がついており、挙句の果てに僕は疲れまくっている。こんな姿で帰ってきたらみんな驚くわ!なんて思いながら僕はボロボロの体を引きずった。


「あはは、神代先輩にちょっとね……」


 そう言って玄関に入る僕に彩葉は、


「また神代先輩が戸神さんになにかしたんですか!?」


 と言って、早々に扉を閉めた。




「もう、なにか喧嘩沙汰でも起きたのかと思って心配しましたよ……」


「ごめんごめん、ほんとに何も無いから」


「もう……」


 そう言って彩葉は晩御飯作りに戻った。僕はシャワーを浴びてきて、スッキリとした体で髪を拭いていた。髪が長いと乾かすのに時間がかかるから、あんまり好きじゃないけど。なんて思いながら、髪をくしで解いた。彩葉は野菜を切って、それを鍋に入れている。


「それで、一体何をしたらそんなにボロボロになったんですか?」


 彩葉は呆れたように僕に尋ねてきた。僕はドライヤーを取り出しながら答えた。


「ああ、実は神代先輩にちょっと助けてもらったんだ。そのお代として弓道部のヘルプに入ることになっちゃって。その基礎訓練ってことで走らされたり、腕立てやらされたり……ね?」


 彩葉は呆れた顔をしている。


「ヘルプって、弓道部に入部するんですか?」


 僕はすぐさま否定した。


「いや、ほんとにヘルプだけ。別に入部はしなくていいって」


 そう言うと彩葉は怪訝そうに「はあ……」と、声を漏らした。彩葉はこつこつと手際よく料理を進めていく。


「やるのは戸神さんの自由ですけど、あんまり無茶しないでくださいね?」


「わかってるよお、大丈夫。彩葉が嫌がることはしないから!」


 そう言って返すと、彩葉は盛大にため息をついた。もしかして神代先輩とあんまり関わって欲しくないのかな、嫉妬、してくれてる?なんてあらぬ妄想をしながら、僕はドライヤーのスイッチを入れた。



「はい、いただきましょう」


「いただきます!」


 食卓にはThe・和食が並んでいる。ツヤツヤの白米に、ほかほかのお味噌汁。漬け和えのたくあんに、今日のメインは具沢山の肉じゃがだった。家庭料理が得意な彩葉の和食は、特別に美味い。お父様のいいつけで九年間料理を習っていた僕が言うから、間違いない。いや、そんなのなくても彩葉の料理が美味しいことには変わりないけれど。僕は炊きたてのご飯に箸をつけた。


「ん〜、今日は体に染みるなあ……」


 疲れた体に美味しいご飯は染みる。ただの白米も絶品料理へと変貌を遂げるのだ。僕は味噌汁を飲んでは感嘆の声を上げ、肉じゃがのじゃがいもを食べては泣きそうな程に旨味を感じた。


「彩葉は天才……、もう、ほんと僕、幸せ者だよ」


 そんな言葉が口からこぼれる。かくいう彩葉は


「もう、戸神さんたら。たかが肉じゃがで大袈裟です!」


 なんて言っている。僕は肉じゃがの出汁を味わいながら、彩葉の方を真っ直ぐ向いた。


「ねぇ、彩葉。僕ほんとに彩葉が好きだよ。彩葉の全てがたまらなく好きだ」


「……ごほっ!ごほっ、ごほっ!」


 彩葉が大きく咳き込んだ。なにか喉に引っかかったんだろうか?


「大丈夫?お茶飲む?」


 そう言って彩葉にお茶を渡すと、彩葉は真っ赤な顔をして僕を睨んでいた。


「ご飯中にそういうこと言うの、やめてください!よくそんな恥ずかしいことをすらすらと!」


「ごめん、なんか今伝えたいなあって思って」


 彩葉は咳払いをしながら、お茶を飲んで落ち着けていた。僕はそんな彩葉をみても、やっぱり可愛いなあと思うだけだった。学校では三つ編みなのに、家では解いてる緩いウェーブのかかった茶髪とか、うるうるしたり睨みつけたり忙しいけど綺麗な目とか、小柄で健康的な肌の色をした体とか。見た目からもちろん中身まで僕は全部、彩葉が好きだ。これは《オーラ》なんかじゃない、なんて断言出来る。僕は心の底から彩葉が好きで好きでたまらないんだ。例え《オーラ》に惹かれていようが、惹かれてなかろうが僕は彩葉を好きになっていただろう。

 僕は最大限の甘い声で彩葉に告げた。


「ねぇ、彩葉。好きだよ」

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