3-10 白雪姫にラベンダーを

神代先輩から連絡が来たのは、それから一週間後の事だった。蜜枝さんから伝言を聞いたのだ。


「戸神さん、神代先輩からの伝言だよ!今日の十六時にラベンダーの庭園に来てね、だって!」


「わかった。ありがとう、蜜枝さん」


「うん、これぐらいお安い御用ですよお」


 そう言って蜜枝さんは自分の席に帰って行った。神代先輩が蜜枝さんに伝言を託したってことは、きっと緋月さんからの荷物が届いたのだろう。でも、なんでラベンダーの庭園?あの先輩の事だし、とりあえず行ってみないとわからないか。そんな事を思いながら、僕は授業の準備をした。

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「姿勢、礼」「ありがとうございました」


 今日も無事終礼が終わり、僕は彩葉に話しかけた。


「彩葉は今日は部活なんだっけ?」


 彩葉は鞄を肩に下げて、答えた。


「はい、今日は報告会のリハがあるんです。戸神さんは、また弓道部ですか?」


 僕は顔を少しだけ歪めて答えた。


「うん、まあね。でも、今日で終わりだと思うから。神代先輩とも、多分」


 そう言うと彩葉は少し首を傾げた後に、


「なんだかわかりませんけど、頑張ってくださいね!」


 と言って教室を去っていった。僕はその言葉だけで、一気にやる気が出た、今日何をするかはわからないけれど、全ては彩葉のためだ。頑張ろう。そう意気込んで、僕は十六時より少し早く待ち合わせ場所に向かう事にした。

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 向日葵の庭園、百合の庭園、薔薇の庭園を抜けて僕はラベンダーの庭園にたどり着いた。青や紫のラベンダーが風に揺れている。その中には既に人影が見えた。僕は数段の階段を上がって、庭園の中へお邪魔した。その真ん中には、神代先輩が優雅に紅茶を飲んでいた。こちらに目を向けて、カップをテーブルに置いた。


「遅くなりました。呼んで頂いてありがとうございます、神代先輩」


「……緋月からの荷物を預かっているだけだ。ここに呼び出したのには理由がある。座れ」


「はい、失礼します」


 そう断って僕は神代先輩の隣に座った。テーブルには既にカップが置かれている。ついでに、正面にもカップが置かれている。


「あれ、もしかして、誰か来るんですか?」


 そう尋ねると、神代先輩は澄ませた顔で紅茶を飲んだ。


「十六時半から白幸を呼んでいる。緋月の荷物が届いたから、お前が白幸に説明して渡せ」


 そう言って僕に小さな小包を渡してきた。


「これ、開けて良いんですか?」


「好きにしろよ」


 そう言って投げやりに答えられたので、僕は遠慮なく開ける事にした。茶色い紙の小包を開けたら、中には青々として上にまっすぐ伸びた観葉植物が出てきた。よく見る観葉植物だ。そこに白い封筒が添えられていた。


「手紙……?」


 僕は白い封筒を丁寧に開けてみた。


戸神さんへ

  

こんにちは、改めて初めまして。

神代 緋月です。

あれから様子はいかがでしょうか?

今回お送りした荷物はサンスペリアという

観葉植物です。浄化作用が強いもので、きっと白幸さんにも良い影響を与えて下さると思いますわ。

なるべく生物部の部室か、もしくは白幸さんのお部屋に置いてもらうと効果を十分に発揮すると思います。オーラが影響してるかどうかは、また佳月お姉様に尋ねてみてください。きっと視てくれますから。また何かあったらご連絡ください。


神代神社


「な、なるほど……」


 僕が手紙を読み終わると、神代先輩は僕の方を向いて、話しかけた。


「っていう訳らしいから、お前が白幸に説明してそれを渡してやれ。俺は口を挟まない」


 その時、僕はぼやっと考えた。僕が白幸先輩にプレゼント……?


(以下、侑李の妄想)


「白幸先輩が最近様子が変だと聞いて、僕心配して白幸先輩にプレゼントを買いました!」


「貴方が私にプレゼント……?なんだか良い予感がしないですね……」


「はい!これ、サンスベリアという観葉植物です!浄化作用があって白幸先輩にもきくと思って!」


「私に宣戦布告かしら……。私が汚れているとでも言いたいの……?」


「いえ!そういう訳ではなく……!」


「そうやって私の気をお立てようとしても、私はそんな手に乗りませんよ!」


「いや、白幸先輩。これはそういう事では……」


「私にプレゼントをした所で、彩葉ちゃんを渡すことにはならないわっ!!」


「う、うわあああ」


(妄想終了)


「だっ、駄目だ……。僕が白幸先輩にプレゼントなんてしたら……」


 警戒された挙句、逆鱗に触れてしまうだろう。そうしてしまえばこのプレゼントも渡せないまま、事態は悪化していく。だから、僕から白幸先輩に渡すのはまずい。非常にまずい。僕は恐る恐る神代先輩を見た。神代先輩はきぜんとして、紅茶を飲んでいる。時間は十六時二十分。あと十分で交渉しなければ……。


「あ、あの、神代先輩……」


「……なんだ?」


 神代先輩はカップを揺らす。


「あの、この観葉植物なんですけど……。僕から白幸先輩に渡すと、その、白幸先輩が逆上しかねないというか、戦いが起きるというか……」


 ラベンダー達が風にゆらゆらと揺れる。咲き誇る花が風に揺れているような、フローラルな匂いが庭園を包む。


「だから、その、神代先輩からのプレゼントって事で、渡してもらう事とかって……」


 神代先輩が僕に目線を向ける。


「出来ます……」


 ぎらっと睨みつけられる。


「か……?」


 蛇に睨まれた蛙状態である。僕は俯く一歩前ぐらいで、神代先輩を恐る恐る見上げた。白幸先輩を怒らせる前に、神代先輩を怒らせているかもしれない。神代先輩はゆっくりとカップを置いた。そうして僕を細い目で睨む。


「……お代を払え。そうしたらやってやる」


 僕は萎縮しながら、答えた。


「えっと、お金ですか?いくら支払えば……」


「金じゃない」


 そう言うと神代先輩は立ち上がった。制服が夏の風に揺れる。そうして神代先輩は僕の頬をわしずかみにして、上を向かせた。白い指が、僕の顔をなぞった。思わず、体の身の毛がよだつ。


「入部しなくていい。弓道部にヘルプで入れ。それが条件だ。期間は来年の夏まで」


 僕は喉が鳴る感覚を味わっていた。ギラギラとした神代先輩の目に魅せられて、固唾を飲みこむ。


「そう、したら、白幸先輩に渡してくれますか……?」


神代先輩はギラりと目を輝かせて言った。


「ああ、いいぜ?喜んで引き受けてやる」


 僕は背に腹はかえられない、と思った。


「わかりました……。払わせて頂きます、そのお代」


「交渉、成立だな」


 そう言って神代先輩は僕の頬を離した。潔癖症なので鳥肌がたちそうになったけれど、何とかこらえる。神代先輩は元の椅子に座ると、僕の前からサンスベリアと手紙を奪った。


「やっぱりあいつの専門だったな、こりゃ」


 と言いながら手紙を読んでいる。僕はそわそわとして、神代先輩の動向を見守っていた。手紙を読み終えた神代先輩は、俺に目線を向けて


「俺からのプレゼントって、事にするから浄化作用がうんぬんはお前が説明しろよ」


 と言って手紙を投げて寄越した。僕は慌ててそれを受け取る。それと同時に神代先輩が


「ほら、白雪姫様のお出ましだ」


 と、正面を指さした。――――――――――――――――――――

「神代さん、私は神代さんに呼ばれてきたんです。なのに戸神さんがいらっしゃるのは何故ですか?」


 ラベンダーの庭園の入口で、すらっとまっすぐ立っている白幸先輩が尋ねた。来る前からもう怒ってるじゃないか……と、項垂れたのもつかの間、神代先輩が答えた。


「戸神さんはただの付き添いですよ。今日は私達からお話したいことがあるんです。取り敢えず、お座りになっては?」


 神代先輩が椅子を勧めると、白幸先輩は渋々テーブルまで来て僕の正面に腰を下ろした。神代先輩が紅茶を注いで、白幸先輩に差し出す。


「ラベンダーの庭園ですので、ラベンダーの紅茶にしてみました。リラックス効果があっていいですよ」


 差し出された紅茶を、白幸先輩は


「ありがとうございます、お気遣いしてもらって」


 とお礼を言った。


「戸神さんがいるのは百歩譲って、私にお話とは何ですか?」


 白幸先輩は紅茶に口も付けず、すぐ本題に入った。僕はヒヤヒヤしながら神代先輩の言葉を待った。


「ええ、実は先日、戸神さんから白幸さんの様子がおかしいというお話をお聞きしまして……」


 神代先輩は当たり障りなく話し始めた。


 「生物部内の生徒達も心配しているらしいじゃないですか。だから私に何か出来ることはないかと思いまして……」


 そう言って神代先輩は、白幸先輩にサンスベリアを差し出した。


「私の実家が神社なんですけど、そこから取り寄せた観葉植物です。サンスベリア、といいます。是非これを、白幸さんに差し上げたいと思いまして……」


 差し出されたサンスベリアを見て、白幸先輩は固まっていた。


「えっと、何故私にこれを……?」


 神代先輩が、


「ほら、戸神さん。説明してなさって?」


 と、僕に話を振る。僕はしどろもどろになりながら、説明を始めた。


「あっ、えっと、なんだか白幸先輩に悪いものが取り憑いているんじゃないかと思いまして……。専門家の方にご相談したら、植物を近くに置くのはどうかってアドバイスを頂いたんです」


 白幸先輩は「はあ、」と話を聞いている。


「それで良いのが、このサンスベリアなんです。浄化作用があってきっとよく効きますよ。生物部でも良いですし、できれば白幸先輩のお近くに置いていただければと思って」


 そういうと白幸先輩はサンスベリアに触れた。青々しい葉は、見るだけで癒されてしまう。


「悪徳な、セールスじゃ、ないですよね?」


 僕は盛大に首を振った。


「まっ、まさか!違いますよ、そんな事!」


「白幸さん、これは私達からの個人的なプレゼントなので、お代などはいただきませんわ」


 神代先輩が咄嗟にフォローを入れてくれる。僕はそれにこくり、こくりと頷くだけだった。


「……置いておけば、良いのですか?」


 白幸先輩は諦めたように問いかけた。僕はすかさず、


「はい、そうしてもらえれば……」


 と答えた。神代先輩は落ち着いた様子で僕を見ていた。白幸先輩はサンスベリアをじっと見た後、その葉に触れた。


「いい葉、ですね。サンスベリアは観葉植物としても有名ですし。私のお部屋に置いても構わないのかしら?」


 そう尋ねた白幸先輩に僕はこくりと頷いた。


「はい、むしろ是非お部屋に飾ってもらってほしいです」


 サンスベリアを眺める白幸先輩はどこか落ち着いた様子で、穏やかな雰囲気だった。あの、初めて会った日の姿に、よく似ていた。攻撃的な様子は、あまり感じられない。本当の白幸先輩に戻ったように感じた。


「そろそろ部活も引退時期ですし、白幸さんも後輩に任せて疲れをとったらいかがですか?」


 神代先輩が紅茶を飲みながら、白幸先輩を慰めるように言う。白幸先輩は少し首を傾げた後に、納得したようにこくり、と頷いた。


「そう、ですね。うん、そうしますわ。神代さん、素敵な贈り物をありがとう。戸神さんも心配して下さって、ありがとうね」


 そう言う白幸先輩からは、何故だか嫌な雰囲気を感じなかった。


「いえいえ、白幸さんが喜んでいただけたなら幸いですわ。是非、お部屋に飾ってください」


「はい、そうさせていただきます」


 そう言って白幸先輩は笑った。その笑顔は美しい白雪姫のようだった。


「ほら、白幸さんも戸神さんも折角の紅茶ですから、お飲みになって下さい」


 神代先輩がそう勧めるので、僕も白幸先輩も有難くいただくことにした。口につけた瞬間、フルーティーな味が口にしみ渡る。そのどこかにほんのりと優しい味があって、心が奥から落ち着いていく。白幸先輩も穏やかな目で、紅茶を飲んでいた。


「ラベンダーの紅茶は、初めて飲みました。美味しいのですね……」


 白幸先輩は感嘆の声を上げた。


「ラベンダーにはリラックス効果がありますから。最近白幸さんはお疲れのようだったみたいなので」


 神代先輩が落ち着いてそう告げる。僕はカップを持ちながら、こくりと頷いた。


「そうですね……、最近、少し気が荒れる事が多かったかもしれません」


 そう言って白幸先輩はラベンダーの庭園を見上げた。


「ラベンダーは良い植物ですね。生物部長なのにこんなことにも気づけないでいて……」


 ラベンダーは相変わらず紫や青の花を揺らしている。優しい香りが庭園を包んでいた。僕らは夏の涼しい風を頬に感じながら、ラベンダーに癒されていた。


「白幸さん、今日は部活でしょう?私達の用はこれで終わりですので」


 神代先輩がそう告げると、白幸先輩は椅子から立ち上がった。


「久々に安らぐ時間を過ごせました。これは有難くいただきます。ありがとう。神代さん、戸神さん」


 そう言って白幸先輩は軽く頭を下げた。神代先輩は、背筋をずっと伸ばして綺麗に笑って告げた。


「たまには息抜きも必要です。また何かありましたら、何時でも呼んでくださいね」


 その言葉に、白幸先輩はサンスベリアを持って嬉しそうに頬を染めた。


「なんだかスッキリしました、心が洗われた感じです。本当にありがとう、おふたりとも」


 白幸先輩の言葉と共にラベンダーが一斉に揺れて、花弁を散らした。

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