3-9 意外な助け舟

 終礼が終わり、放課後を迎えた。


 「あれ、戸神さん。弓道部に決めたんですか?」


「いや、いやそういう訳じゃないんだけど……ちょっと神代先輩と話があってね」


 そう言うと彩葉の顔が心配そうに歪んだ。


「神代先輩に、変な事言われてませんか?……気をつけて、くださいね?」


 そう言って上目遣いで僕を見る彩葉を、僕は正面から優しく抱きしめた。


「えっ、ちょっ、戸神さ、」


「ありがとう、元気出た。頑張るね……」


 抱きしめた彩葉からは、僕と同じ柔軟剤の匂いがした。一緒に暮らしている事を実感する。あの家に帰れば、彩葉が待っている。その為にも、彩葉に近づく虫は駆除をしければいけない。


「じゃあ彩葉、先に家に帰っててね」


「……はい」


 今日は部活がないと言って先に帰る彩葉を、僕は教室から見送った。

 時計は十六時を指している。


「そろそろかな……」


 僕は意を決して、教室を出た。

_______________________

「おお、戸神さん!いらっしゃい!」


 弓道部にの扉を叩くと、また蜜枝さんが出迎えてくれた。今度は弓道着を着ていた。


「蜜枝さん、なんだか担当受付みたいだね」


「あはは、まあ、大体みんな神代先輩目当てだからね。神代先輩専属の担当受付と呼んでほしいな」


 そんな事を話していると、蜜枝さんの頭に拳が落ちた。


「いったあ!!何するんですか、神代先輩!」


 その声の方を見ると、蜜枝さんの後ろに制服を着た神代先輩が立っていた。


「お前なあ、蜜枝。余計な事を吹き込むなよ」


「余計な事とは失礼な!私が神代先輩に用がある人の担当をしているのは本当じゃないですか!」


「そんな事は言わなくていい。ほら、さっさと練習に戻れ」


「……はあい、戸神さん、またね」


 そう言って手を振る蜜枝さんに、僕は手を振り返した。蜜枝さんは頭を押さえながら、射場へと戻っていった。神代先輩が扉を閉める。


「桜宮は上手く巻いてきたのか?」


 神代先輩は靴を履きながら、僕に尋ねた。


「巻いてきたって言うか、今日は部活もないみたいだったし、先に帰ってもらいました」


 そう言うと靴を履き終えた神代先輩は、


「そう」


 とだけ言って、僕の横を通り過ぎた。僕は急いでその後を追った。


 神代先輩はずんずんと、何処かへ向かって歩いていく。渡り廊下を通り越え、庭園を抜け、教室がある棟を抜け、どんどん進んでいく。僕は神代先輩の後ろを黙ってついていった。


「あ、見て!神代先輩と戸神さんよ」


「ええ、あのお二人が一緒なんて珍しいわね」


 そんな声が聞こえてくる。途中で声をかけられそうになったが、それを断って、ずんずんと進んでいく神代先輩の後をただひたすらに追った。次第に学院の奥地へと進んでいることがわかった。そうして僕が来たことのない所だった。と、言う事は……。神代先輩は大きな扉の前で、立ち止まった。


「あの、ここって……」


「ここは白草学院の寮だ」


 そう言って神代先輩は扉を開いた。


 中は、校舎と同じく宮廷を思わせるような作りになっていた。天井は高く、シャンデリアが揺れている。真ん中には巨大な階段が設置されており、さらに左右に分かれて二階へ繋がっていた。神代先輩は受付のようなところの、ガラスの小窓をノックした。すぐに小窓が空き、中から人が出てきた。


「そちらの方はお連れ様ですか?」


「はい、学院生です。私の部屋に用事がありまして」


 神代先輩がそう言うと、受付の人が僕にペンを差し出した。


「外来から来た方には、外来入館証というのを書いていただきます」


 そう言って差し出された紙には、名前、学年、何故寮に入館するのかといった質問事項が書いてあった。僕はペンを受け取り、紙に必要事項を記入していった。


「あの、神代先輩。この、何故入館するのかと言うのは……」


「神代佳月に用事がある、って書いておいてください」


 神代先輩って人前だと敬語なんだ、と感心しながら僕は記入した紙を受付に提出した。


「出館する時はお声かけくださいね」


 そう言って、受付の人は小窓を閉めた。


「では、行きましょうか」


 そう言って神代先輩はスタスタと一階の奥へと歩いていった。


「あ、はい」


 僕は受付から離れて、神代先輩について行った。ステントガラスが貼り付けられている廊下を歩く。普段の騒がしい校舎から離れた寮は、とても静かでどことなく柔らかな雰囲気が流れていた。僕は気になっていた事を神代先輩に尋ねてみることにした。


「あの、神代先輩」


「なんだ」


 さっきとの言葉遣いの違いに苦笑いしながら、僕は言葉を続けた。


「どうして僕を寮に連れてきたんですか?」


 単純な疑問だった。僕は何も伝えられず、ただ神代先輩の後をついてきただけなのだから。一体なんの目的があって僕を連れてきたのか。それが疑問に思うのも、不思議なことではないと思う。神代先輩はそれに答えず、ただ歩いた。仕方なく僕もついていく。そうしてしばらく歩いていると、少し大きな広場に出た。そこには電話が三つほど並んでいた。神代先輩はそこで立ち止まり、僕を見た。


「知り合いにスピリチュアルに詳しい奴がいる。そいつに電話をかけるから、⦅オーラ⦆を避ける為にはどうしたらいいか聞いてみろ」


 そう言うとわかったか、と言いたげに僕を見つめた。僕は圧に押されるがままこくり、と頷いた。それを確認して、神代先輩は電話に手をかけた。電話番号を打ち込んで、受話器を耳に当てる。三回目のコールで、ブチっと電話に出る音がした。


「はい、神代神社です」


 電話に出たのは、声から上品そうな女の人だった。


「俺だ」


 神代先輩がそれだけ言うと、


「もしかして、ねえねえ様ですか?」


 と言う声がする。僕は思わず首を傾げた。ねえねえ様?一体どういう事だろうか。というか、神代先輩は⦅知り合い⦆と言っていたが、どんな関係なんだろうか。神代神社と言っていたし、もしかして神代先輩の実家の方だろうか。


「ねえねえ様、お久しぶりです。もう、急に連絡下さるんですからびっくりしましたよ。今、お母様をお呼びしますね」


 そう言うと神代先輩はそれを止めた。


「いや、呼ばなくていい。お前に用があって連絡したんだ」


「あら、私ですか?何でしょう、ねえねえ様が私に用なんて……?」


「実は学院でいざこざがおきてな。お前に話を聞いたほうが早いと思って。ちょっと相談乗ってやってくれ……ほら、代われ」


 そう言って神代先輩は僕に受話器を差し出した。


「え、あ、はいっ」


 僕は差し出されるがままその受話器を受け取って、耳元にあてた。


「あの、もしもし……」


「あら、もしもし?もしかして、ねえねえ様のお友達ですか?」


「あ、いえ。その、神代先輩の後輩の戸神 侑李と申します。その、神代先輩に相談したら、知り合いに詳しい奴がいるからその方に聞けって言われて……」


 そう説明すると、電話口の女の人は「ああ!」と納得したように声を上げた。


「そう言う事だったのですね。もう、ねえねえ様ったら何も説明しないんだから……」


「あの、失礼ですが神代先輩とはどのような御関係で……?」


 そう尋ねると、電話口の女の人はハッとしたように声を上げた。


「ああ、ごめんなさい。私ったら自己紹介もしないで…。私、神代 緋月(かみしろ ひづき)と申します」


 神代先輩のお母さんか?と思った。


「佳月お姉様の双子の妹です」


「えっ、ええええええええ!?!?!!?」


 僕は思わず神代先輩を見た。神代先輩は面倒臭い、みたいな顔をして顔をしかめていた。


「あ、あの、神代先輩ってご姉妹がいたんですか……?」


 恐る恐るそう尋ねると、電話口から


「ええ、私はれっきとした佳月お姉様の妹ですよ」


 と言われた。僕はなるほど、と思った。ねえねえ様と言うのは、神代先輩の呼び名だったのか。神代先輩は顔を背けて、腕を組んでいる。


「……それは失礼しました。妹さんだったとも知らずに」


「いえ、構いませんわ。どうせ佳月お姉様の事だから、お伝えしてなかったんでしょう?もう、いつもこうなんだから……困っちゃいますよね」


「え、ええ……本当に」


 そう言うと緋月さんは


「それで、今日は私に相談があるとお聞きしましたが……」


 と、早速本題について話し出してくれた。ここでいつまでも驚いているわけにもいかないので、僕は正直に話す事にした。


「ああ、その、実は……」


 そう言って僕はこれまでのことを話した。神代先輩から彩葉の⦅オーラ⦆について言及されたこと。お母さんや白幸先輩の様子がおかしい事。僕自身も⦅オーラ⦆に当てられているかもしれない事。白幸先輩の態度の事。彩葉やお母さんが見せるあの妖艶な笑みの事。とりあえず、思い当たる点はつぎはぎになりながら一生懸命伝えた。


「なるほど。それは大変でしたね。ご苦労様です。それで、戸神さんはその白幸さんと言う方を正常に戻したいわけですね?」


「はい。それを尋ねたら、緋月さんにお聞きした方がいいって神代先輩がおっしゃったものですから……」


 そう言って神代先輩に目線を向けると、神代先輩は壁にもたれて僕の話を聞いていた。どうやら何か言うつもりはないらしい。


「……そうですね。確かに、私の専門かもしれませんね。要は⦅オーラ⦆の影響を受けないようにしたいわけですよね」


 そう尋ねられ、僕は渋々頷いた。


「……はい、あの、でも、そんなことって可能、なんでしょうか?」


 緋月さんは「そうですねえ」と考えるような声を出した。


「不可能、ではありません。方法はありますよ。一番効果があるのは、白幸さんと彩葉さんの接触をなくすことです」


「接触をなくす、ですか?」


「ええ、⦅オーラ⦆を出している人間にそもそも近づかなければ、その影響を受ける事もありませんからね」


 確かに、と思った。複雑なようで一番の解決策かもしれない。でも、白幸先輩と彩葉は……


「部活の先輩と後輩ですもんね、会わない方が難しいです」


「そうですよね……」


 やっぱり、その方法はとても難しいと思う。僕や神代先輩に二人の行動を制限する権利はないし。僕が考え込んでいると、緋月さんが「あ、」と言った。


「そういえば、お二人は生物部、なんですよね?」


「はい、そうですが……」


「部室に観葉植物などはありましたか?」


「あ、はい。サボテンとかが……」


 そう言うと緋月さんは急にテンションが高くなって、僕に告げた。


「そうなんですか!な、植物の力を頼ってみるのはいかがですか?」


「植物の、力、ですか?」


 緋月さんは「はいっ!」と答えた。


「植物は空気を浄化してくれますが、スピリチュアル的にも浄化の効果はあるんですよ。もし観葉植物を置いてらっしゃるなら、より浄化の力が強い観葉植物を置いてみるのはいかがでしょうか?」


「なるほどです……」


「効果がでるのに一ヶ月ほどはかかりますが、どうでしょうか?もしよろしければこちらで手配しますよ。佳月お姉様に郵送しますから、そこから受け取ってください」


 神代先輩は嫌そうな顔をしていた。僕は苦笑いをしながら答える。


「でも、そこまでしていただいていいんですか?お代をお支払いしないと……」


 そう言うと緋月さんは「あはは」と楽しそうに笑った。


「良いのですよ、お代なんて!」


「でも、相談に乗ってもらって植物まで送ってもらうのに……」


「お代は結構です。その代わりに、初詣は神代神社にいらっしゃってもらえますか?」


「神代神社に、ですか?」


 緋月さんは「ええ」と答えた。


「是非うちの神社に参拝に参ってください。それをお代として頂戴いたしますわ」


「……わかりました。そうさせていただきます」


「ええ、後はお姉様に頂きますから」


 そう言った瞬間、神代先輩は僕の持っていた受話器を奪った。


「お前、どういうことだそれ!」


 緋月さんは「ふふ」と笑っている。


「ねえねえ様、またご依頼が来ましたから今度の夏休みには一度帰ってきてください。私には視れませんから、ねえねえ様に視ていただかないと」


「馬鹿言え、お前一人で出来るだろ!」


「私には視れませんわ。ねえねえ様、とにかくお待ちしておりますからね」


「緋月、お前なあ。今年は受験があるから受けれないとあれほど……」


「一件だけですから、ね!あ、じゃあ戸神さん。ねえねえ様に送りますからね。また何かあったらご連絡ください。では〜!」


「あ、おい!緋月!」


 ブチっ、と音を立てて電話が切れた。ツー、ツー、と電話の音が鳴っている。神代先輩はガチャンと勢いよく受話器を置いた。


「あ、あの、神代先輩……」


「とりあえず、出来ることはした。また荷物が届いたらお前を呼ぶから、とりあえずそれまで待て。じゃあな」


「あっ、神代先輩。ありがとうございました!」


 神代先輩は手を振り、そのまま元来た廊下を帰っていった。僕はそれをただ見送った。

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