3−8 助けたいのは偽善か

 次の日、僕は弓道部に向かっていた。もちろんお目当ては神代先輩だ。昨日のお母さんの件を、神代先輩に相談してみようと思ったのだ。僕には分からないことだらけだから、神代先輩の《視点》から話を聞きたい。もしかしたらなにかの糸口に繋がるかもしれないし。僕は早る気持ちを抑えながら、弓道場に繋がる渡り廊下を歩いていた。今日も良い真夏日である。庭園では相変わらずお茶会が開かれ、お嬢様たちはカップを揺らしている。僕はやっと慣れてきた光景に苦笑いしながら、ずんずんと歩いていった時だった。


「あら、戸神さん?」


 後ろから澄んだ声に呼び止められた。声をかけられる自体は、僕にとっては別段珍しいことではない。ただ、その声はあの生物室で聞く、僕が今1番警戒している人の声だった。僕はピタリ、と足を止めた。意気込んで、後ろを振り返る。


「やっぱり、戸神さんじゃない」


 そう言って見せた笑顔は、目を引く美しさを持っている。陶器のような透明感のある白い肌、赤く血色のある唇、女の子らしい程よい身長、見るからに優しそうな顔、澄んだ水のように美しい声。そうして一番は、腰まで伸びた白く絹のような白い髪。その見た目は、《白雪姫》を連想させる。僕が見てきた中で、1番美しい人。…………白幸先輩だ。


「こんな所で会うなんて偶然ね、もしかしてまた部活動体験かしら?」


 僕はぐっと息を飲み込んで、緊張している体の力を抜いた。そうしてゆっくりと笑顔を作った。


「白幸先輩、こんな所で出会えるなんて。先日は彩葉を連れ出してしまって、すみませんでした」


 そう言って深く礼をする。すると白幸先輩は少し焦ったように体を揺らした。


「いえ、そんな!家庭の事情だったのでしょう?仕方の無いことだわ、気にしないでね」


 僕に笑いかけた白幸先輩は特に何もおかしなところはなかった。でも僕は体強張りを解くことは出来なかった。要は警戒している。彩葉が言っていたことも気になるし、もし本当に彩葉にのめり込んでいるんだとしたらどうにかしなくちゃいけない。僕は顔をゆっくりあげて、白雪先輩を見た。


「ありがとうございます。あの、ところで白雪先輩」


「ん?なあに?」


僕は⦅とある賭け⦆をすることにしてみた。これで本性が出るか否か。

 

「実は昨日、彩葉がまたお母さんに手を挙げられそうになっていたんです。僕がたまたま家を訪問して事なきを得たんですけど……。でもやっぱり彩葉が心配で……」


 白雪先輩は深刻そうな顔をして、顔に手を添えた。


「そう、それは……確かに心配ね。そうね。私に出来そうな事はしてみるわ。このままじゃずっと彩葉ちゃんを危険に晒すことになるしね」


 そう言うのを見計らって、僕は少し大きな声で強調するように言った。


「僕の大切な彩葉ですから。僕がいてあげないと、いけないんです。よかった、白雪先輩がそう言ってくださって。ありがとうございます」


 ⦅僕の大切な彩葉⦆に反応したように、白雪先輩の顔が強張った。さあ、これで何か言うか言わないか。少し沈黙の時間があってから、白雪先輩は僕に三歩ほど近づいた。


「白幸先輩……?」


「戸神さん……」


 白雪先輩はゆらゆらと体を揺らして、僕の目の前に立った。その顔は髪の毛がかかって見えない。


「貴方は、彩葉ちゃんの事が好きなの……?」


 白雪先輩は小さな声で僕に尋ねた。それは怒りを秘めたようにも、動揺しているようにもとれた。


「ええ、好きです。彼女を世界で一番好きなのは僕だと、自負していますから」


 ああ、言い過ぎだ。そんなのはわかって言っている。でもこれぐらい言わないと、賭けにならないのだ。白雪先輩は僕の言葉を聞いて、パッと顔を上げた、その顔は苦悶に満ちている。普段の白雪先輩なら、絶対にしない顔だろう。


「戸神さん、私は、貴方の味方だけれど、貴方を認めたわけじゃない……」


 僕はそれを黙って聞いていた。


「いずれは私達、戦うことになりそうね……。二年間一緒だった部活の後輩と、急に転校してきた身元の知れない親戚。彩葉ちゃんはどちらを信用するかしら?」


 その目はもう、普通の目ではなかった。明らかな異常を感じる。まるで白雪先輩に何かが乗り移ったようだった。僕はそこでようやく口を開いた。


「戦おうが何をしようが、彩葉は僕を選びますよ。お姫様にお姫様が守れますか?僕は彼女の為だけの王子様なんです。……貴方に彩葉を救えますか?」


 これも言い過ぎだ。でももう⦅賭け⦆には勝った。彩葉にのめり込んでいる白雪先輩に、僕が彩葉を好きだと言う。その時に白雪先輩の様子がおかしくなり反抗すれば、それは⦅オーラ⦆のせいだろう。もし何も言わなければ、白雪先輩は⦅オーラ⦆とは無関係だったことがわかる。白雪先輩は僕に宣戦布告をした。完璧に⦅オーラ⦆にやられている。それがわかっただけでも、儲け物だ。


「貴方に、救えるとも限らないわ……。ますます、彩葉ちゃんは、あなたには渡せないっ!……失礼するわ」


 そう言って白雪先輩は僕を通り過ぎていった。


 確信した笑みを浮かべて、僕も弓道部に向かって歩き出した。

____________________

 弓道部のドアをノックすると、出迎えてれくれたのは蜜枝さんだった。


「おお、戸神さん!いらっしゃい!」


「こんにちは、蜜枝さん。あの、神代先輩はいらっしゃるかな?」


 そう尋ねると蜜枝さんは、


「ちょっと待ってね、聞いてくるから。あ、どうぞ中で待ってて!靴はそこに入れて、うん」


 そう言ってバタバタと奥の部屋に入っていった。僕は弓道部の射場に上がらせてもらった。部員のいない射場はとても静かで、あの張り詰めたような空気もなかった。木の床は触り心地が良く、心が落ち着いた。誰も見ていないことを確認してから、僕は肩をグッと下ろした。


「っっはあ…………」


 白幸先輩と不必要に張り合いすぎた。あんな綺麗な人に睨まれると、やっぱり怖いとは思うよなあ、とか思いながらグッと背伸びをした。ただでさえ⦅王子様⦆でいなければいけない学院内は気を張るのに、白幸先輩の事でもっと疲れてしまった。……でも、彩葉の為なら仕方がない。彩葉を守る為の犠牲なら、いくらでも出せる。まだまだやる事は沢山だ。まずは神代先輩に相談してみないことには……。そう考えていた時だった。奥の部屋がガチャリ、と開いた。


「戸神さん〜!お待たせしちゃってごめんねえ!神代先輩いるから、案内するね」


「うん、ありがとう」


 蜜枝さんに案内されるがまま、僕は奥の部屋に足を踏み入れた。


「神代先輩、戸神さん連れてきましたよ〜!」


 その声で神代先輩は本を机に置いた。そうして僕の方を振り返って、じっと睨みつけた。いや、不機嫌なのか、睨んでいるのかはよくわからない。


「こら、神代先輩!人を睨みつけちゃダメじゃないですかあ!戸神さん気にしないでね、あ、戸神さんコーヒーでもいい?」


「……うん、お願いします」


 そう言って蜜枝さんはコーヒーメーカーを動かして、準備し始めた。神代先輩はしばらく僕を見つめた。そうして一つ、ため息をついた。


「……話があるんだろ。座れ」


「あ、はい……」


 僕は勧められるまま、正面の椅子に座った。神代先輩は組んでいた足を解いて、こちらを向いた。


「はい、コーヒーですよ。ミルク、砂糖はお好きに入れてくださいね」


 蜜枝さんは僕と神代先輩の前にコーヒーを置いた。次に小さいバスケットをテーブルに置いた。そこにはガブシロップやスティックの砂糖が詰め込まれていた。僕はここでは取り繕う事はいいだろうと思い、コーヒーにたっぷりとミルクを入れた。三つほど入れたところで、蜜枝さんが僕のコーヒーを覗いてきた。


「あ、あの、結構ミルクいれるのですね。少し意外です……」


 僕はあはは、と笑う。彩葉にもそんな事を言われたのを思い出した。やはり僕はコーヒーはブラックで飲むように見えるのだろうか。僕はスティックの砂糖を2本入れて、ぐるぐるとかき混ぜた。ふと、視線が気になって正面を見ると、何故か神代先輩が不味そうな顔をしていた。


「お前、見かけによらず甘党なんだな……」


「ま、まあ……いや、そんな事より……」


 僕が話を促すと、神代先輩は蜜枝さんに目線を向けた。蜜枝さんがこくりと頷いて、お盆を置いた。


「神代先輩、いじめたらダメですよ?」


「五月蝿い、こんな奴誰が虐めるか……」

 

 そうして部屋から出て行こうとする蜜枝さんを、神代先輩は止めた。


「戸神。蜜枝が矢を射って真ん中に中るまで、話を聞いてやる。蜜枝。真ん中に矢が中ったら、部屋に来い」


 蜜枝さんは不満そうに声を上げた。


「ええ、お昼休み終わっちゃいますよお……。戸神さんだってそんな言われたら、集中してお話しできないでしょ……」


「いいんだよ、俺だってあんまり話したくないんだ」


 と、僕の前で堂々と言い放った。僕はこの人はっきり言うなあ、と思いながらコーヒーをすすった。うん、甘くて美味しい。やっぱりこれだな、と思いながら神代先輩の話を聞いていた。


「と言うことで、蜜枝。練習だと思って、やってこい」


「はあい、も〜、神代先輩の鬼……」


 と言いながら、部屋を出ていった。僕はその姿を見送った。閉じた扉を見てから、僕は神代先輩を見た。神代先輩はすんとした態度で僕に向き直った。


「で、話ってなんだよ。王子様」


 そう言って神代先輩はコーヒーをすすった。僕はさっきの事も含めて、言い返した。


「やだなあ、神代先輩。王子様だなんて言わないでくださいよ。神代先輩だってそう言う風に慕われているじゃないですか」


 なんて言い返すと、神代先輩ははは、と笑って


「お前ほんと性格悪いな。嫌いじゃないけど。……で?ほんと、話ってなに。さっさと話せ」


 僕はこくりと頷いて、神代先輩に向き直った。そうして僕は昨日の事を思い出しながら、話し始めた。


「実は昨日、母が彩葉に手を上げようとしたんです。そこは僕が止めて、事なきを得たんですけど。で、その後お母さんに話を聞いたら、彩葉に手をあげた理由がわからないって言ったんです」


 神代先輩はコーヒーを飲みながら、僕の話を聞いていた。


「彩葉と話してると、どうしても手を上げたくなるって。それでその時に話してた顔が、その、わかりにくいんですけど、すごく妖艶な笑みだったんです。それを、彩葉もしていたんです。彩葉が白幸先輩の話をしていた時も、その顔をしていて……」


 神代先輩は次第につまらなそうな顔をした。


「さっき、白幸先輩とも話したんですけど。彩葉の⦅オーラ⦆にやられているのは、目に見えて確かだったんです。彩葉は渡せない、なんて言われてしまって」


 神代先輩はこくりと頷いた。


「もういいよ、大体はわかった。桜宮の⦅オーラ⦆は本当に厄介だな。とんでもないことやらかしてて、良く気づかないもんだ。……で?お前は何のために俺にこの話をしたの?」


 僕ははっきりと答えた。


「神代先輩ならこの⦅オーラ⦆について、どう考えるかと思いまして。僕的にはお母さんはともかくとして、白幸先輩だけでもどうにか出来ないかと思いまして。いや、どうにかしたいんです」


 神代先輩は「ふうん」と言って、僕を見た。その顔は明らかに意地悪い顔をしている。


「お前、嘘つかないで答えろよ。白幸をどうにかしたいのは、お前の恋敵を減らすためか?」


 その顔は、それはそれは面白そうだと言いたげな顔だった。僕はグッと感情を抑えて、答えた。


「それも、ありますが……。白幸先輩の様子がおかしいと生物部内では噂されています。僕は白幸先輩をなんとか正気に戻したいんです。だってあのままに、しておくわけにもいかないでしょう?」


 僕がそう真剣に問いかけると、神代先輩は気だるそうに椅子に寄りかかった。


「言っちゃなんだが、関わらないのが一番だぜ。いつまでも取り憑かれているわけじゃない。⦅オーラ⦆を放ってる本人から離れれば、自然と正気に戻る」


 その後、神代先輩はとんでもない発言をした。


「卒業ぐらいになれば、白幸も正気に戻ってるだろ」


僕は思わず立ち上がってしまった。


「神代先輩はあの状態を卒業までほっとくつもりなんですか?!」


 立ち上がった勢いでテーブルが揺れる。僕は神代先輩に抗議した。


「白幸先輩だってあんな風になりたくてなっているんじゃない。困っている人がいたら、助けるのもじゃないんですか?!」


 神代先輩は僕を見上げて、口を開いた。地を這うような低い声で、僕に尋ねる。


「じゃあお前、自分を犠牲にするのか?こうゆうのはさ、関わった奴が損をするし被害を被るんだ。お前、白幸の為に全部を投げ出せるか?その女の子はみんなお姫様扱いするやつ、やめろよ?⦅みんなの王子様⦆は難しいぜ?」


僕はすぐに反論した。

 

「僕は、桜宮彩葉だけの⦅王子様⦆です。自分を犠牲にするわけじゃない。ただ、何かできないかと思っているだけです。それは、僕にできる事はないから、神代先輩にお願いしたいんです」


 その時、扉が開いた。


「あのお、神代先輩。真ん中に中りました……、あ、やっぱりお話中でした?」


 蜜枝さんが申し訳なさそうに、扉から顔を出している。話はここで終わりか、と思い項垂れた時だった。


「戸神。放課後にここに来い。助け舟ぐらいは出してやる」


 神代先輩はすんと澄ました顔をしていた。

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