3-5 言い得て妙
「桜宮 彩葉には近づくな」
神代先輩ははっきりと、そう言い放った。僕はその言葉が理解できなかった。
「どういう、事ですか……?」
神代先輩は腕を組んで、話を続けた。
「ありゃ、厄介なやつだ。関わらない方がいい。……おまえ、桜宮が好きだろ?恋愛的に」
僕は少しの沈黙の後に、口を開いた。
「ええ、確かに好きです。でもそれが関わったらいけない理由には、ならないと思います」
神代先輩は首を振った。
「いいか、今から俺が言う話をよく聞け。デタラメだと思ってもいい。嘘だと思ってもいい。それでいいから、話だけ聞いていけ」
そう言うと神代先輩は、真剣な顔をして話し出した。
「お前、桜宮と会ったのは随分小さい頃らしいが、その時から今日の今までずっと好きだなんておかしいと思わないか?会ったのはたった一瞬だろ?一緒に遊んだならまだ分かるが、そう言うわけでもない」
僕は固唾を飲んだ。彩葉と僕が出会った頃まで、この人は視えるのか。
「もしかしたらお前にとって忘れられない体験だったのかもしれないが、普通、小さい時にたった一度きり会っただけで、そこから十年近くずっと好きでしたなんて、おかしな話だ」
神代先輩の目は僕の中を見透かしている様だった。
「戸神、人が桜を見て喜ぶ理由を知ってるか?」
「いえ、知りません……」
「調べれば出てくる。桜にはエフェドリンという興奮剤が花粉に含まれているんだ。それに触発されて、人は桜を見てはしゃぐ。花見をする理由も、それがあるだろうな」
それが彩葉と関係のある話には思えなかった。
「それが、彩葉と何か関係があるんですか?」
神代先輩はこくりと頷いた。
「もう一つ。桜には怖い花言葉がある」
「怖い……花言葉、ですか?」
「ああ、それはあなたを忘れない、だ。この二つが桜宮に関係ある」
そう言うと神代先輩は紅茶を一気に飲んでから、ゆっくりと息を吐いて僕に告げた。
「……桜宮には⦅人を魅惑するオーラ⦆がある」
「人を魅惑する……」
そう言い返すと、神代先輩は頷いた。
「これは俺の考えすぎだから、嘘だと思ってもいい。普通に言うなら⦅人に好かれやすい⦆、俺的に言うと⦅人を魅惑するオーラ⦆を持っているんだ、桜宮は」
神代先輩は話を続けた。
「そのオーラが、桜宮に惹かれるように人を魅惑する。俺から見れば、お前は桜宮のオーラに当てられてるんだよ。だから桜宮が好きなんだ」
僕は思わず口を開いた。
「待ってください。じゃあ、僕が彩葉を好きなのはそのオーラってやつのせいだとでも言うんですか?!」
そう尋ねると、神代先輩は
「あくまでも俺の考察だ」
と答えた。
「桜宮に何度か会ったことがあるが、⦅アレ⦆はよく人を惹きつける。実際生物部の白幸だって、桜宮を異常に気に入ってるだろ?」
そう言われ僕は白幸先輩との会話を思い出した。
『私、身内には甘いの。だから傷つける人は、絶対に許さないわ。自分の持つ全ての力を使って、排除しちゃう』
確かにただ後輩を大切にしているには、少し過保護すぎると感じていた。ただ学校の後輩が傷ついただけで、自分の持つ力を持って排除なんてやりすぎじゃないか……?
「確かに、そうかも、しれません……」
僕がそう言うと、神代先輩は頷いた。
「お前がまだ記憶もあやふやなうちに桜宮を覚えていたのは、そのオーラが影響しているだろうな」
それは僕にとって衝撃的な事実だった。僕が彩葉を好きだったのは、僕の意思じゃなくて彩葉の持つオーラのせいだなんて。到底今すぐに信じられる様な話じゃなかった。僕はポツリと呟いた。
「でもどうして、彩葉にそんなものが……」
それに対して神代先輩は平然と言い放った。
「それは桜宮、という苗字が影響してる。さっきも話したが桜には興奮剤や私を忘れないで、という未練がましい思いが込められているんだ。その桜の要因が⦅オーラ⦆として、桜宮が持って生まれた⦅モノ⦆になったんだろう」
持って生まれた⦅モノ⦆。それは本人の意思でどうにかできる⦅モノ⦆ではないだろう。それこそ神代先輩みたいな人でもない限り、皆それに影響される。もちろん僕も、例外ではないだろう。事実、僕は彩葉が好きなのだから。
「俺が見た感じだと、⦅アレ⦆は遺伝的なものだった。多分母親も、そういう気質があるんじゃないか」
確かに彩葉と僕の母親は、不倫をしていた。それで生まれたのが僕だし。もしかするとお父様は母さんの⦅オーラ⦆に惹かれて、不倫をしてしまったんだろうか。そうなると、僕はその⦅オーラ⦆と言うものにだいぶ振り回されているな、と思った。
「⦅オーラ⦆は同じ⦅モノ⦆を持つ者には通用しない。むしろ嫌われやすい。ほら、時々桜宮は怪我してくるじゃないか。母親に嫌われるのはそれが原因なんじゃないか?」
僕は考え込んでしまった。確かに彩葉と母さんは仲が悪い。いや、母さんが彩葉を一方的に嫌っている様に見える。それがもし、⦅オーラ⦆のせいだったら……?僕はますますわけが分からなくなった。
「そうかも、しれません。というか、そうとしかいえません……」
僕の返答は不甲斐ないものだった。神代先輩はそんなの気にしていない様だった。
「お前を厄介だと言ったのは、お前がその⦅オーラ⦆に当てられてるからだ。俺はそういうのに敏感なんだ。あんまり関わりたくない」
そう言って神代先輩は顔をしかめた。本当に関わりたくないんだ、と言った感じだった。
「でも、お前の⦅ソレ⦆は努力だよ」
「え……?」
唐突な言葉に僕は顔を上げた。
「お前がそうやって⦅王子様⦆として女に好かれるのは、お前の努力だよ。オーラは関係ない」
「……ありがとうございます?」
僕はなんだか不思議な気持ちになった。今まで頑張って⦅王子様⦆として振る舞ってきた事が、報われたうような、そんな気分だった。神代先輩は立ち上がってそこに置いてあった弓を持った。
「俺の話は終わりだ。この話を信じるかどうかは、お前が勝手にすればいい。俺は部活がある。見学は好きにしろ。蜜枝も矢の一本ぐらい射ってる頃だろ」
そう言って神代先輩は僕の後ろを通り過ぎて、ドアに手をかけた。ドアを開ける前に、一言呟いた。
「戸神、お前はいい目してるよ。弓道に向いてる。たまには射りに来てもいい。その時は指導してやるよ」
そう言って、部屋を出て行った。僕は返事もできずに、ただそこに座りっぱなしだった。テーブルには冷めた紅茶が、揺らめいていた。
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「彩葉ちゃん、今度の報告会のことで相談したいことがあるのだけれどいいかしら……」
今日の熱帯魚のお世話係は私だった。相変わらず揺らめきながら泳いでいる熱帯魚達を見ながら、餌をあげたりしていた。そんな所に白幸先輩がいらっしゃった。
「はい!今行きますね!」
私は餌を片付けてすぐに白幸先輩の元に行った。
奥にある生物準備室で、早速今度の報告会について話し合いをした。実際は白幸先輩が作った資料を私が確認するだけだったので、話し合いは十五分程度で終わってしまった。
「ありがとう、彩葉ちゃん。これで報告会は完璧ね!」
「いえ、私は何も。先輩の作る資料がいつも完璧だからです!」
そう言うと白幸先輩は穏やかに笑った。
「本当に彩葉ちゃんがいてくれるから、助かってるわよ。それはみんな思ってるわ。」
そんな純粋な褒め言葉に私は照れてしまった。
「先輩、そんな、褒めすぎです……」
「あらあら、ふふっ」
そう言って白幸先輩はまた穏やかに笑った。
「ところで戸神さんは部活は決まったのかしら?」
私は首を傾げた。
「さあ、どうでしょうか。今日は運動部に行くって言ってましたけど……」
そう言うと白幸先輩は、「そうなのね」と頷いた。白幸先輩は窓の外を見ていた。
「ねえ、彩葉ちゃん?」
「あ、はい!なんでしょうか?」
白幸先輩は窓の外を見たまま、尋ねた。
「戸神さんとは、どういう関係なのかしら?お友達、なのよね……?」
私は少し固まってしまった。お友達と答えてもいいけれど、白幸先輩には嘘をつきたくなかった。お世話になっているし、本当の事を話したかった。
「えっと、戸神さんとはお友達でもありますが、実は親戚なんです。家も、その、近くて仲良くさせてもらっているんです」
そう言うと白幸先輩は、私をじっと見た。あれ、もしかして私、何かおかしな事を言ってしまっただろうか。白幸先輩は私をじっと見たままで、口を開いた。
「やっぱり、心配だわ……」
その目は私を捕らえて、じっと離さない。
「白幸、先輩?」
「彩葉ちゃん、私ねっ」
「わっ!白幸先輩?!」
白幸先輩は急に私に近づいて、ぎゅっと私の手を掴んだ。その目はなぜか潤んでいる。
「彩葉ちゃん、私……心配なの」
「白幸、先輩……?」
白幸先輩は私の手をさらに強く握った。
「戸神さんはああして人気者だから、彩葉ちゃんも目立つ事が増えたでしょう?だから彩葉ちゃんが嫌な思いをしていないかって……私、心配で……」
白幸先輩は痛切な目で私を見ていた。私は白幸先輩を安心させるように、優しく笑った。
「……白幸先輩が私なんかのことを心配してくれくれるなんて、嬉しいです。でも私、大丈夫ですよ!確かに噂は立ったりしたけれど、なんとかやっているし……」
それでも白幸先輩は心配そうな顔のままだった。
「……そう。でもなんでも話してね、もしご自宅で何かあるならいつでも寮に泊まりに来ていいのよ!私は大歓迎だから!」
「白幸先輩……」
私は白幸先輩の顔を見て、笑った。
「私、嬉しいです。白幸先輩になら、なんでも話してしまいたくなります……」
そう言うと白幸先輩は私を胸に抱き寄せた。突然の行為に、私は驚いてしまった。
「し、白幸せんぱ……」
「彩葉ちゃん……」
そう囁く先輩の声はどこか、悲しげだった。
「王子様なんて、良いものじゃないわ……」
「…………白幸、先輩。私……」
むせかえるような白幸先輩の匂いが、私を包んだ。静かになった部屋の外からは、部員の子たちの話し声が聞こえる。白幸先輩は動く様子はなかった。白幸先輩の背中越しに見る快晴の青空に、私は灰色の雲がかかるのを見た。予想外の、通り雨かな。
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ばちん、と激しい音と共に神代先輩の持っていた弓の弦が切れた。突然の事に、周りの部員の子たちも騒然としている。神代先輩はしばらく切れた弦を見つめた後、
「今日はこれで部活を終わる。急いで片付けをしてくれ」
と指示を出した。部員達は動揺しながらも、片付けを始めた。神代先輩は切れた弦に近い足に足を閉じて、一足で立った。そうして跪き、右手で矢を丁寧に拾った。その次に弦を拾う。そして弓を射っていた場所に再び立ち、背筋を伸ばしたまま上体を十センチほど前に倒し、礼をした。僕にはそれがなんなのかは分からなかった。
「神代先輩の弓も限界だったのかなあ」
そんな声がして隣を見ると、蜜枝さんがいつの間にか立っていた。
「蜜枝さん……」
「やあ、戸神さん!ちなみにさっきの行動は、弦が切れた時の処理の仕方だよ。弓道には弦が切れた時にも正しい作法があるんだ」
「……なるほど」
蜜枝さんは僕にニコニコとしていた。
「神代先輩とあんなに長く話してる人、初めて見たよ。げんこつされなかった?」
元気よく尋ねる蜜枝さんに、僕も微笑んで答えた。
「うん、大丈夫だったよ。その、神代先輩には弓道の事いろいろ教えて貰ってて……」
そう言うと蜜枝さんは驚いた表情を見せた。
「へえー、神代先輩が弓道の事を人に話すななんて珍しい。まあでも、部活が早く終わったしラッキーだな」
そんな話をしていると、神代先輩がこちらに来た。
「蜜枝、これ、片付けておいてくれ」
神代先輩はそういって蜜枝さんに弓を渡した。蜜枝さんは「はあい」と言いながら、弓を片付けに行った。その姿を見送っていると、神代先輩から「おい」と声をかけられた。
「あ、はい。なんでしょうか……」
神代先輩は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「さっきの見てただろ。弦が切れた」
「あ、はい。なんだか、不吉ですね……」
そう笑いかけると、神代先輩はさらに顔を歪ませた。
「お前、笑ってる場合か。普通弦が切れるのは違う意味があるんだが、今回のは違う。本物に不吉な事が起こってる。……お前、桜宮を迎えに行ったほうがいいぞ」
「え……」
急に出てきた彩葉の名前に、僕は驚いた。
「どうして彩葉が……」
「どうしても何もあるか。お前、白幸には用心しろよ」
そう言い残して神代先輩は去っていった。ふと空を見上げると、あんなに青かった空にいつも間にか灰色の雲がかかっていた。予想外の通り雨だろうか。
「あっ、戸神さん!」
「ごめん」
僕は蜜枝さんを通り過ぎて、生物室へと走った。
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