3−3 やってみなけりゃわからない事もある

侑李side


 次の日、僕はひな壇の上に立っていた。


「はい、皆さん。声を出して」


 せーの、という掛け声と共に十人にも満たない生徒達が声を出した。息を含んだ高い声が教室に響く。


「次は低い声を」


 せーの、という掛け声と共に今度は空気に響くような低い声が発せられた。どうやら、発声練習をしているらしかった。いくら見学だからといって、その発声練習をぼーっと聞いてるわけにもいかない。僕は微量な声を出して、発声練習に紛れ込んだ。元々声が大きい訳でもないので、そんなに目立ちはしないだろう。そう思いながらやっていると、指導の先生が手を止めた。


「はい、皆さん。今日は見学者の方が来てますので、一曲歌いましょう!戸神さん、なにか歌えますか?」


「えっ、あー、合唱曲なら……」


 そう言うと先生はしばし考えたあと、


「では、向日葵の残火でもいいですか?」


と僕に尋ねた。僕は「はい」と素直に頷いた。

 《向日葵の残火》とは、有名な合唱曲のひとつで夏をイメージした曲であることから、この時期、特に7月8月にはよく歌われている合唱曲だ。高音のソプラノと低音のアルトしかなく、ハモリも比較的簡単な曲だ。また歌詞も良いものが多くて、よくコンクールの課題曲に選ばれている。僕も中学時代は歌った、僕らの年齢の世代的な歌だ。


「では戸神さん。ソプラノでソロパートをお願いしても?」


「えっ、ソロパート……ですか?」


 そういう僕らの世代には愛されている曲だが、この合唱曲、合唱曲と言いながらソロパートが存在する。一番盛り上がる所で一番の高音がラスサビで、そこがソプラノのソロパートなのだ。先に言っておくと僕は人前で歌を歌うのは好きじゃない。しかも合唱部を差し置いてソロパートなんて……。


「サビしかないから、大丈夫ですよ」


 先生はそう言うとピアノ伴奏の子と少し話をしてから、ひな壇の前に立って手を構えた。みんなが脚を開いて、休めの体制になる。それを確認してから、先生が手を振った瞬間にピアノ伴奏が始まる。爽やかなピアノの前奏が始まり、空気が高まっていく。先生の「はい、せーの」という声と共に、みんなが一斉に歌い出す。僕は歌詞を覚えているか心配だったが、身についているせいか難なく歌い出すことが出来た。


♪ 夏のあこがれー 空蝉の残りをー


ピアノの旋律に合わせながら、僕は音をなぞるように丁寧に歌った。アルトはしたことがないので、僕はソプラノしか歌えない。歌詞も楽譜もない今、その頼りとなっているのは合唱部員達の歌声だった。やはり、綺麗な歌声だ。去年の合唱コンクールで白草女学院を見た時、天使のような歌声、と称されていたのを思い出した。ああ、確かに言えている。このささやかながら優しい声は、聞く人を天へ誘ってしまいそうだった。


♪ 夢を見ていたー 遥か遠くの雲にー

見える影はー 僕らを包み込むように


サビに入り、曲が一気に盛り上がる。アルトとのハモリも入って、綺麗な二重奏が教室に響いた。僕は歌うことを忘れて聞き入りそうになるのを、懸命に抑えながら歌い続けた。サビを歌い終わるとピアノのソロに入る。ピアノの綺麗な音色が、様々な音を鳴らしながら曲を奏でていく。このピアノソロが終わったら、ソロパートが来る。僕は高鳴る心臓を抑えながら、その時を待った。


 先生が手を僕に向けて、三拍子を打つ。僕はそれに合わせて口を開いた。


♪夢を見ていたー はるか昔のことをー


 声が裏返らないように、雑音が入らないように一言一言を丁寧に歌う。


♪帰らない夏の日にー 泣いた君とひぐらしをー


 最後の高音とともにピアノが盛り上がる。そうして今度はみんながサビを歌った。僕はソロパートをやり抜いたことに安堵しながら、繰り返し歌った。ソプラノとアルトの二重旋律が気持ちよく感じる。教室に響くハーモニーは、僕が去年の合唱コンクールで聞いた時と同じで、とても美しかった。余韻を残して、合唱は終わり僕は失敗することも無く、無事に歌い終えた。と、その瞬間ひな壇から拍手が上がった。訳もわかっていないが、一応僕も拍手をする。すると僕の前に立っていた女の子が、振り向いて僕を見た。


「戸神さん、素晴らしいソロでしたわ!」


 それを始めに他の人からも


「本当に美しい声でした!」


「戸神さんはお歌も上手なのね」


と言った声が上がる。僕に話しかけてきた女の子は、よく見ると教室で合唱部の勧誘をしてきたクラスメイトの子だった。その子は笑顔で僕に拍手を送っている。僕はその拍手を受けながら、「ありがとうございます」と微笑むだけだった。先生が手を二回叩く。


「はい、皆さん。久しぶりに歌いましたが、よく歌えていましたよ。戸神さんも、とても綺麗な歌声でした。皆さんとの声にもよく馴染んでいたし……」


先生の言葉の後に、クラスメイトの女の子が僕を見つめて、話した。


「本当に合唱部に入りませんか?戸神さんが入っていただけたら、みんな喜びます!」


 目を輝かせて僕に期待の目を向けるその子に、僕は愛想笑いしかできなかった。僕が歌が上手いか下手かは別として、まず僕は人前で歌を歌うのが苦手なのである。

____________________

 僕は、体育館の舞台の上に立っていた。その理由は約十分前ぐらいに遡る。


「演劇部は今、夏の大会に向けて練習をしているんだ。これがその台本」


 そう言って手渡されたのは、分厚い台本だった。表紙には「林檎売りと狼少年」と書かれている。


「……聞いたことがない、お話ですね」


 そう言うと部長は誇らしげに、


「いや、この台本はうちの脚本が書いた話だ。聞いたことがないのは当たり前だ。今度の大会でお披露目なんだから」


と言って台本をめくった。僕も同じ様に台本をめくり、軽く読んでみる。どうやら林檎売りの少女が森に出かけた所、狼少年にでくわし……と言った話らしい。どこかの童話にありそうな話である。


「で、丁度役決めのオーディションを今からやるんだ。もしよかったら林檎売り役か狼少年役かで受けてみるか?」


「え…!?」


「見学なんだから体験した方が早いだろ。演劇は感性だからな。あ、受ける役は君が好きな方でいい。まあ君はに狼少年が似合いそうだが……」


 なんて言われて僕は今、台本片手に舞台に立たされている。舞台の下には何人かの部活の幹部らしい人達が椅子に座って、僕を見ていた。


「狼少年役ですね。では台本を見ながら、演じて見てください。相手役の子に対して演技して見てください」


 そう言われて横を見ると、演劇部の一員らしい女の子が舞台に立っていた。一体いつの間にいたんだろうか……。僕は台本を見て、何を演じるのかを確認した。どうやら序盤の林檎売りの少女と狼少年が出会うシーンらしい。僕は台本を片手に、女の子に向き直った。


「では、どうぞ」


 その言葉とともに、舞台の明かりがつき一気に演劇の空気が出来上がってしまった。僕は緊張する体を抑えながら、女の子に近づいた。


『やあ、お嬢さん。こんな森で何をしているの?』


 僕は台本通りに最初の言葉を口にした。すると女の子は振り返って僕を見てから、台詞を言った。


『私、林檎売り。ここに美味しい林檎があると聞いてきたの。あなたはだあれ?』


女の子は台本通りに演技をした。僕もそれに合わせて、台本の続きを読む。


『俺は狼。ここら一帯では俺が一番強い。そして弱いものが大好物なんだ。例えば……お前とかね』


 台詞の横に『林檎売りに近ついて、あごを掴む』と書いてある。初対面の女の子にそんなことしたくないけれど、これは演技だから…。と自分に言い聞かせる。小声で女の子に「ごめんね」と言って優しくあごを掴んだ。女の子は慣れているのか全く動じずに、


『まあ、私を食べるの?私は人間だから美味しくないわ』


 あごを掴んでいるせいで、僕とその子は自ずと見つめ合う形になっていた。そうして台本をまた見た時、僕はある事に気がついた。この『狼少年』は随分と紳士的な事をする。言葉遣いは乱暴だが、林檎売りにしている事は優しいような気がした。それならば、僕の得意分野である。僕は日常から『王子様』という役を演じているのだ、そこに置いては僕は自信があった。つまり、『王子様』のように演じればいい。そう考えつくと、体は先に動いていた。


『いいや、お前はとっても美味そうだ。そして甘い匂いがする』


 僕は声をなるべく低くして、不敵に笑って見せた。急な演技がかった台詞の言い方に、女の子は驚いていたが、僕は構わず続けた。


『ほうら、ここなんてとても美味そうな肉だ……』


 そう言って女の子の顔のラインをなぞった。女の子は動揺しながらも、演技を続けた。


『私を、食べるなら、条件があるわ……』


『条件とは、生意気だな』


 僕と女の子の距離は近く、吐息さえ聞こえてきそうだった。演劇でこれが正しいのかはわからないが、僕は続けた。女の子も演技を続ける。


『私の林檎を食べてからよ。食べたなら、私を食べてもいいわ』


 僕は大袈裟に見えるようにわざと女の子から離れて、手を広げて見せた。一気に声を張り上げる。


『あはは!林檎だと?そんな物を食うだけで、お前を食っていいのか?!』


 笑い声は絶やさずに、狂気に満ちているように立ち振る舞ってみせた。


『ええ、貴方が食べたなら、私を食べてもいいわ』


 僕は台本を隅に置いて、女の子に近づいた。女の子の背中に手を添えてから、女の子の手が僕の手に被さるように手を取る。もちろん台本には、こんな指示は書いていない。女の子は動揺している。だけど僕は構わずに続けた。


『そうか、じゃあお前を案内しよう』


 そうして耳元でそっと囁いた。


『ようこそ、俺の秘密の楽園へ』


 それが果たしてその女の子だけに聞こえていたのか、それとも舞台中に聞こえていたのかはわからない。ただ、その台詞の後にすぐ、「ありがとうございました」と声がした、どうやらオーディションは終わったらしい。僕は手を離して女の子を解放した。女の子は顔を赤くして、顔に手を当てていた。僕は流石に演技でも近づきすぎたかなあ、と反省して女の子に声をかけた。


「あの、ごめんなさい。大丈夫でした?」


そう尋ねると女の子は体が跳ねて、驚いたように僕を見た、そうしてしばし僕を見つめた後、小さな声で「はい……」と答えた。


「よかった。演技なんてした事なかったけど、楽しかったでし。ありがとうございました」


というと、女の子は恥ずかしそうにこくりと頷いた。


「戸神さん、お疲れ様でした」


 舞台の下にいた何人かの幹部らしき人たちが、僕に声をかけた。僕は「はい、こちらこそ」と答えた。


「実はこの役はとても難しくて、誰に演じてもらうか悩んでいたところでした。オーディションをしてもなかなか難しくて……。でも戸神さんの演技はとてもしっくりきました。改めてまた、スカウトさせてください」


「え、スカウト、ですか?」


 僕は驚きを隠せずに、聞きなおした。幹部らしき人は平然と答えてみせた。


「はい、戸神さんはきっと、演技の経験を磨けばいい役者になりますよ」


 僕は項垂れてしまった。心なしか僕はとんでもないことをやらかしてしまったように思った。スカウトなんて、たまったものじゃない。僕はそもそも演技派みたいな人間ではない。いや、⦅理想の王子様⦆を日々演じていて何を言うか、と言う感じたけれども……。


「それはまた、その時検討します……。今日はどうも、ありがとうございました」


 そう言い残して僕はそそくさと舞台を降りた。日常でさえ⦅演じる⦆という事をやっているのに、部活でまで何かを⦅演じて⦆いたらおかしくなりそうだ。もし入るんだとしても、せめて裏方がいい。そこで僕は初めて身に染みて実感した。


「目立たない、部活がいい……」


 部活動は特に興味がなくて、なんでもよかったし適当に入れたらいいなぐらいに感じていたけれど、今日僕には初めて部活動を選ぶ基準が出来た。

____________________

 演劇部員に見送られながら体育館を出て、渡り廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。


「あ、あのっ!!」


 振り返るとそこに立っていたのは、さっき僕の相手をしてくれた林檎売り役の女の子だった。


「あれ、さっきの……。どうかしましたか?」


 そう話しかけると女の子は恥ずかしそうに、僕に何かを差し出してきた。それは、あの『林檎売りと狼少年』の台本だった。


「あの、これは一体……」


 そう尋ねると女の子は顔を上げて、真っ直ぐに僕を見た。


「これ、さっきの劇の台本です。それで、あの、私、林檎売り役なんです……。この前のオーディションで決まって……」


 女の子は真剣な顔をして、僕に告げた。


「それは、おめでとうございます。主役なんて、すごいですね」


 そう言うと女の子は僕に台本を無理やり渡してきた。僕の手に、台本が持たされる。


「あの、今日、戸神さんの演技を見て、狼少年役は貴方しかいないって思ったんです!だから、その……」


 僕はまずいと思った。この女の子がしている顔には、思い当たるところがある。女の子を助けたりした後に話しかけられる事がある。その顔は林檎のように頬が赤く、高揚していて、目がキラキラと輝いいていて、それはまるで⦅恋をした⦆とでも言いたげな顔。


「演劇部で、待ってます!」


 そう言うと女の子はそのまま走り去っていった。手には台本が残されている。僕に出来ることといえば、僕以外のいい狼少年役が見つかるのを願うだけだった。部活動体験はどこに行っても、変な思いをした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る