3-2 白幸先輩と白雪姫

 その人は目を引く美しさを持っていた。陶器のような透明感のある白い肌、赤く血色のある唇、女の子らしい程よい身長、見るからに優しそうな顔、澄んだ水のように美しい声。そうして一番は、腰まで伸びた白く絹のような白い髪。その見た目は、《白雪姫》を連想させるものだった。そこら辺の芸能人より綺麗だ。流石、お嬢様学校となればこんな逸材もいるのかと、僕は驚きを隠せなかった。実際に僕が見てきた中でも、一番綺麗な人だ。そんな僕の目線に気づいたのか、はたまた見慣れない顔があったのか、その人は僕を見て首を傾げた。


「あら、見学者の方?彩葉ちゃんの同級生?」


 そう尋ねながら、彼女は澄んだ瞳で僕を見つめた。僕が何か言う前に、彩葉が答えた。


「この前転入してきた二年の戸神 侑李さんです。部活がまだ決まってないということで、今日は見学に来られたんです」


名前を聞いた途端、彼女は跳ね上がって僕を見た。手を合わせて、キラキラとした目で僕を見ている。


「まあ!戸神侑李さん?噂には聞いていたわ、まさかこんなところでお会い出来るなんて!彩葉ちゃんの同級生だったのね!」


 そう言って彼女は僕の前に立った。


「私は三年A組の白幸 円夏(しらゆき まどか)です。生物部の部長よ。戸神さんのお話は、噂だけれど聞いていましたわ。とても素敵な方が転校してらっしゃったって!」


 そう言って彼女、ではなく白幸さんは嬉しそうに肩を揺らした。その姿はさながら、小鳥と戯れる某プリンセスに見えてしまう。僕はそんな邪念を振り払い、白幸さんに向き直った。


「改めまして戸神 侑李です。今日は生物部の見学に来ました。桜宮さんから白幸さんのお話は伺っていましたから、お会いできて嬉しいです」


 そう言って手を差し出すと、白幸さんは嬉しそうにその手を取った。そうして僕達は軽い握手を交わした。


「戸神さん、白幸先輩でいいのよ!さん、だなんて他人行儀じゃない。是非戸神さんのお話聞きたいわ!」


「あ、では、白幸先輩……で」


「ええ、その方がいいわ」


なんて会話をしていると、一人の女の子がこちらに寄ってきた。


「あの、桜宮先輩。少しいいですか?」


「あ、うん。すみません、少し抜けますね」


 どうやら彩葉に用があったらしかった。二人はそのまま教室の端っこに行った。彩葉は確か副委員長だと言っていたし、色々取仕切るのには彩葉の意見が必要なんだろう。僕は心の中で彩葉を独占してしまったことを謝った。話しかけてきた女の子は書類を彩葉に見せていて、彩葉はそれを聞きながら指示を出している。その顔はクラスでも、家でも見せない《先輩》の顔だった。彩葉の表情は本当に見ていて飽きない。僕はそうして後輩に指示を出す彩葉を、少し珍しい思いで見ていた。


「彩葉ちゃん、頑張ってるでしょう?」


「えっ……」


 急に話しかけられて、僕は隣を見た。いつの間にか白幸先輩が僕の隣に立って、優しい顔をして彩葉を見ていた。


「あ、はい。そうですね。なんかいろは、じゃなくて桜宮さんがああしているのは、少しだけ新鮮に見えます」


「それは貴方と一緒に住んでる時とは、全然違うって事?」


「えっ!!!???」


 勢いよく白幸先輩の顔を見ると、あの優しい顔のままだった。が、発言は取り消せない。どうして、彩葉と同居してる事を知ってるんだ!?あ、もしかして彩葉が言ったのか?いや、でもあんなに隠したがっていたのに……。


「図星、だったかしら?」


 僕は必死に驚きを取り繕って、笑った。


「いや、彼女とは一緒に住んでなんかいませんよ。どこかの噂ですか?」


「彩葉ちゃんと戸神さんって親戚よね?もしかして、と思ったんだけど、違ったかしら?」


 そう言って笑う白幸先輩は、楽しそうだった。


「……いえ、違いますよ。彼女とは、家が近いだけです。なので登下校が一緒になるだけで、一緒に住んでいる訳では……」


 そう弁解すると、白幸先輩は「案外信じてたのに」とガックリ肩を落とした。なんだか最初の印象があまりにも強すぎたせいか、意外と、なんというか、コミカルな人だなあ、と思った。あの最初のキラキラ〜とした白雪姫パワーはどこに行ったのか……。僕の苦笑いに気づきもしないで、今度は僕の姿をじーっと見始めた。


「……………………なにか、顔についてます?」


 そう言うと白幸先輩は、ぱっと顔を上げて僕の顔を見た。


「いえ、ごめんなさい!本当に噂に聞いていた通りだと思って……見とれてしまったわ」


「噂……どおりとは?」


「あら、存じ上げない?転入生は女子生徒を魅了する《学院の王子様》……って言う噂。本当だったのね、流石お嬢様達の目は侮れないわね」


「は、はあ……」


 僕自身も学院内で自分がそう言われているのは気づいていたけれど、まさか白幸先輩までが知る噂になっていたとは……。僕は少しだけげんなりした気分だった。別に《王子様》と言われるのは、構わないのだけれどこう、学年を超え出すと厄介なことが増えるんだ。例えば、そう、あの子とか……。観葉植物のお世話をしている一年生(らしき)女の子がいるけれど、さっきから僕と白幸先輩をじっと見ている。果たして白幸先輩に用があるのか、はたまた僕に用があるのかは分からないが、僕に用があるなら嫌な予感しかない。お茶会のお誘い、部活の勧誘、手作りお菓子のプレゼント、お手紙のプレゼント、ゆく果ては告白……。僕にとってありがたいことはひとつもない。僕は視線に気付かないふりをしたいところだったが、白幸先輩に《王子様》と言われた手前、そんなことが許されるはずもなかった。


「失礼、少し席を外しても?」


「ええ、どうぞ」


 白幸先輩は快く許してくれた。僕は席を立ち、熱帯魚の世話をしている女の子の元へ向かった。女の子は僕がこちらに来ることがわかったのか、直ぐに熱帯魚の水槽に向き直った。僕は椅子に座って熱帯魚の世話をしている女の子の椅子の背もたれを、触った。体を近づけて、少し低い声で喋る。


「こんにちは、綺麗な熱帯魚だね。君がお世話をしているの?」


女の子は緊張しているのか、ぎこちない動きで


「…………はい」


と、返事をした。僕はそのまま続ける。


「へぇ、すごく綺麗にされてるからプロの人がやってるのかと思ったよ。それに、こんなに可愛らしいお嬢様にお世話してもらえるなんて、熱帯魚達は幸せだね」


少しまくしたててそう話すと、女の子は顔を赤くして俯いてしまった。僕はその耳元で、ぽつりと囁いた。


「……また、見に来るね」


そう言って席を離れて、僕は白幸先輩のところに戻った。後ろからは「ちょっと、楓?大丈夫?」「顔真っ赤じゃない!?風邪??」なんて声が聞こえていた。僕はそれを無視して、白幸先輩の隣に立った。


「……うちの部員をたぶらかすのは困るわ!戸神さんっ!」


白幸先輩は困ったように言う割には、顔が笑っていた。


「……別に、たぶらかしてないですよ。ただ、目線があったからお話してみようと思って……」


そう言うと白幸先輩は自分の体を抱きしめて、


「ああ、罪な人ね戸神さんって!これじゃ、みんなが惚れるのも頷けるわ」


と、ミュージカルチックに語った。僕はそれに苦笑いで返した。僕としては、特にさっきの行動に意味は無い。ただ、熱帯魚の世話をしててすごいね、という話だ。それを、少し誇張して王子様を意識したのは認めるけれど。でもそれでどう感じるかはその子次第だ。僕はたぶらかしてなんかいない、絶対に。白幸先輩は楽しそうにまだ笑っていた。うう、《王子様》という役目がある以上、僕はやらないといけないんだ……。


「では、」


僕は白幸先輩の顎をすくって、上を向かせた。目線と目線が交差する。


「白幸先輩は僕に惚れてはくれないのですか?」


教室からは微かな歓声が上がる。僕はそのまま言葉を続けた。


「白幸先輩になら僕、遊ばれてもいいです」


そう言うと白幸先輩は笑顔で答えた。


「ごめんなさい、わたくし、想い人がいるから、貴方に惚れられてしまったら、困りますわ〜!」


……これは完全に僕が遊ばれている。僕は直ぐに手を離した。


「すみません、冗談です……」


「やっぱり彩葉ちゃんには勝てないのね!」


空気が、僕の中の空気が止まった気がした。

どうして、なんでこの人、僕が彩葉が好きだって知ってるんだ……!?僕が困惑して口をパクパクしていると、白幸先輩は澄ました笑顔で


「良かったら、生物準備室でお話する?」


と、奥の部屋を指さした。

――――――――――――――――――――

 そこは陽の光も入らない、暗い部屋だった。生物に関する資料や使っていない水槽などが置いてあるだけで、実際は物置なのかもしれない。真ん中には大きなテーブルと、椅子が乱雑に置かれているだけだった。


「お茶も出せなくてごめんなさいね」


「いえ、お気遣いだけ有難く受け取ります」


 そう言いながら、白幸先輩は端の椅子に腰かけた。僕も白幸先輩が正面になるようにして、椅子のひとつに腰をかける。お嬢様学校には似つかわしい家具だ。というか、このお嬢様学校にはこんな所もあるのか。全部宮殿仕様なのかと思っていた。そうして僕がキョロキョロと部屋を見渡していると、白幸先輩が口を開いた。


「改めて聞くけれど、彩葉ちゃんとはどういう関係なの?」


穏やかに、でもその水面下で僕の真意を探るように、白幸先輩は尋ねた。


「彼女とは、クラスメイトで親戚です」


 白幸先輩の伺うような顔は、僕を瞳にしっかりと移していた。


「でも、あなたは違うんでしょう?」


「……どういう意味でしょうか」


 白幸先輩は髪を揺らして、緩やかに笑った。


「貴女は、好きでしょ?彼女の事」


 そんな事を言われて、動揺してヘマをするほど僕は柔くない。僕は顔色一つ変えなかった。


「……だったら、なにかあるんですか」


「あるわ。私の大切な後輩に変な虫が寄ったら困るもの。貴女が誠実で優しい王子様だったらいいけれど、もしお嬢様という立場が目当ての顔だけがいい野蛮人だったら?」


 酷い事を口にしている自覚があるのかどうかは分からないが、その顔は笑っている。この状況に置いて笑ってるなんて、楽しんでるとしか思えない。


「私、身内には甘いの。だから傷つける人は、絶対に許さないわ。自分の持つ全ての力を使って、排除しちゃう」


 白い指が、僕を指した。


「貴女は、どっち?」


 その質問は僕にとって愚問だった。でもちゃんと答えなければならない、この質問には。僕の彩葉への思いを。


「僕は桜宮 彩葉だけの王子様です。彼女が求めることは全てする。彼女を守り、彼女への愛を貫き、彼女だけを愛する、彼女だけの王子様です」


「…………貴女が親戚にご執心という話は、本当なのね」


「執心ではありません。純粋に好きなだけです」


 そう言うと白幸先輩は打って変わって、ニパッと笑った。


「良かった、そこまで聞いたら安心しちゃうな」


 そう言って白幸先輩は背伸びをした。白幸先輩なりに緊迫していたらしい。僕も安堵からかため息が出てしまった。肩の力も抜ける。


「彩葉ちゃんの味方なら、私は戸神さんの味方よ。友人の友人は、友人って言うでしょ?それと一緒よ。彩葉ちゃんの仲間なら、私の仲間だわ」


 そう言って笑った白幸先輩は最初に見た《白雪姫》の顔をしていた。綺麗な、笑顔。


「彩葉を少しでも、大切に思ってくれている人がいるなら僕も嬉しいです」


 そう言うと白幸先輩はこくりと頷いた。


「そうね、私も嬉しいわ」


 そう言って笑う白幸先輩に僕はひとつ尋ねた。


「あの、白幸先輩」


「何かしら?」


「その……しんどくはないですか?そうやって笑うのは」


 そう言っても白幸先輩は綺麗に笑うだけだった。

僕の質問など気にも止めていない振る舞いだった。

しばらくの無言が続いてから、白幸先輩は口を開いた。


「私の家、化粧品会社なの。白幸化粧品って知らない?そこの一人娘なの、私」


「大手メーカーじゃないですか。そこのお嬢様だったんですか」


 白幸先輩は笑って答えた。


「そう、でね、昔から化粧品の宣材写真のモデルをやらされることが多くて、笑う事には慣れっこなの。営業スマイルって言うのかしら、あなたもそうじゃない?」


「僕は……」


 僕は、どうなんだろうか。別に白幸先輩の様に宣材写真が必要だった訳でもないし、そう言う営業スマイルって訳では無いけれど。


「僕も、《皆の王子様》をやるために、笑ってますから、お互い様かもしれませんね」


 そう言うと白幸先輩は綺麗な笑顔で、


「そうね」


とだけ言って笑った。その笑顔はやっぱり小鳥や動物達と戯れて喜ぶ《白雪姫》のようだった。

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