前日譚 君だけの王子様 中編 《残酷・性的描写あり》

 女の子は恥ずかしそうに顔を赤らめて言った。


「あ、あの、私、戸神さんの事が好きです!もしよかったら、お付き合いしていただけませんか?」


柔らかい春の風が、僕の間を通り過ぎた。女の子はソワソワして、返事を待っている。僕は綺麗に笑って答えた。


「……君みたいな女の子に好きになってもらえるなんて、僕はとっても幸せだよ。……だけどごめんね、僕、恋愛には興味ないんだ」


そう言うと女の子は、勢いよく僕の手を取った。


「……私、それでも戸神さんが好きですから!」


僕はそれに「ありがとう」としか答えなかった。


 お父様が決めた共学の名門中学校に入学して、僕はすぐに⦅王子様⦆と呼ばれるようになった。当たり前の結果だった。僕は中学に入ってから、勉強も運動も誰にも譲らなかった。常に一番をキープした。それと女の子には特に優しく接した。重い荷物を持っていたら持ってあげるし、何かに手が届かないようだったら代わりに取ってあげた。そうしていつも歯が浮くような台詞を笑って告げた。


「君みたいな可憐な女の子に、こんな事はふさわしくないよ」


なんて言って、喜ばせた。勿論人は選ばない。男子生徒にも、先生にも優しく接した。困っていたら助けたし、何かあったらすぐ褒めた。僕は決してそのやり方を崩さなかった。勉強も運動もできて、かっこよくて、みんなに優しい。それが、⦅戸神 侑李⦆僕だと思われるように、周囲の見え方には一段を気をつけた。そのおかげか、僕の⦅王子様⦆の立ち位置は不動のものとなっていった。


 その反動のように、僕は人を信じれなくなっていった。言葉は全て嘘のように感じたし、人の目が怖くなっていった。この人たちは⦅王子様⦆の僕しか愛さない。⦅戸神 侑李⦆を見ているわけではないのだ。それは学校だけではなかった。僕はお手伝いさん達にも同じように感じた。だから優しくして、歯の浮くような台詞を言った。だって⦅戸神 侑李⦆を見ているわけではないから。僕が完璧でなければ、お父様からお叱りを受けるのはこの人たちだ。そのプレッシャーが僕を⦅王子様⦆たらしめた。一番怖かったのは、お父様の目線だった。僕が完璧でいないと、お父様の顔に泥を塗ってしまう。その恐怖感から、僕は常にお父様に見られているような気がしていた。お父様の名誉に関わるから、それが僕の心の口癖だった。そうして僕は中学でも⦅完璧な王子様⦆になっていった。


「戸神、俺と付き合っててくんね?」


時々男子からも告白される事があった。


「戸神って少し男っぽいけどさ、女らしい事だって憧れるだろ?俺が女らしい事させてやるからさ」


そう言って自慢げに語る男子を、僕は丁寧に振った。本当は優しくなんてしたくないけれど、仕方がない。みんなに優しくないといけないんだから。


「……ごめん、気持ちは嬉しいけど、僕恋愛には興味ないんだ。そういう、遊びも。ごめんね」


そう言うと男子は腹けたように帰っていった。僕はそれを笑顔で見送った。


 変わらない毎日だ。朝起きて、お手伝いさんと身支度をして、出された朝食に「今日も素敵な朝食をありがとう」と言う。車で登校して、教室に入ったらみんなに挨拶をする。授業は真面目に受けて、体育は積極的にやる。困っている子がいたら助けて、女の子達のお話し相手にもなる。放課後は一週間に何回か告白を受けて、それを優しく断る。そうして家に帰ってお手伝いさんにも優しくして、明日も完璧な王子様をこなす事を言い聞かせて、最後は疲れ果てて眠る。はっきり言って中学の思い出なんて、これっぽっちもなかった。

 「かっこいい」と言われても、大して嬉しくはなかった。別に男の子に憧れていたわけでもなかったし。でも「可愛い」と言われれば嫌気がさした。お嬢様らしい自分を認める事になるから。学校で「かっこいい」を演じる自分と、家で可愛いゴスロリみたいなワンピースを着せられている自分。⦅王子様⦆と呼ばれる自分と、お嬢様と呼ばれる自分。見た目は元々中性的だった。だから尚更、自分の性別とか在り方がわからなくなっていった。僕は誰のためのなんなのか、体が空っぽのように感じた。中身の入っていない、言われたことだけをこなすお金持ちの家に置かれたお人形。そこに僕の意思や考え方などはない。僕は鏡で自分のことを見つめた。腰に届きそうなくらい長い髪が、ゆらゆらと揺れている。これを切ればもっと男っぽくなりそうだし、伸ばしていれば女の子らしくなっていきそうだ。僕は鋭利な銀色のハサミを髪に入れた。切る寸前で止める。髪を切ったら何か変わるかも。そう期待した。


「まあ!お嬢様!何をしているんですか!?」


後ろを振り返るとお手伝いさんが、慌てていた。僕に近づいて、ハサミを取り上げる。


「お嬢様、髪の毛は女の命なのですよ。あんなに大事にされていたではありませんか……ああ、お嬢様なんてことを……」


そう言ってお手伝いさんは安堵のため息を吐いた。僕はその姿に何にも声をかけられなかった。お手伝いさんが僕を見つめて言った。


「一体どうしてこんな事をしたのですか?」


僕は頬を吊り上げて、無理に笑った。


「少し、イメージを変えてみたかったんだよ」


髪の毛を切れば、僕がなんなのかわかる。何かが変わる。そう思った、なんて言えるわけもなかった。そんなこと言ったら笑われる。僕は鏡の前でさえ、僕を偽ってしまう。

――――――――――――――――――――

 今考えたら僕は相当追い込まれていた。《王子様》と《お嬢様》を繰り返す日々は、自分が何者なのかも分からないまま、ただ心をすり減らしていく行為だった。お父様が認めてくれる《僕》、お手伝いさんが誇れる《お嬢様》、みんなが理想とする《王子様》そこに、《戸神 侑李》はいない。誰も見つけだしてくれない。かわりのいる消耗品にならないように、僕を選んで貰えるように必死だった。

だけど、不幸は人を選ばなかった。




《ここから残酷・性描写 あり》

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僕は、犯されてしまった。

凶暴な男の、餌食になってしまったのだ。





 

 次に目が覚めたのは、家の自室だった。体は綺麗にされていて、綺麗な寝巻きを着せられていた。髪の毛も肌も全て洗ってくれたのだろう。綺麗に整えられている。僕はため息をついて、また目を伏せた。感触、匂い、温度、声、雨の音。嫌な感触が蘇る。どんどん下半身に違和感が湧いてくる。僕はお腹を抑えた。不快だ。

その時、部屋の扉がノックされた。


「お嬢様、入りますよ」


そう言って扉が開けられた。部屋に入ってきたのは、あの女将さんのようなお手伝いさんとお父様だった。お手伝いさんは僕を見るなり、駆け足で駆け寄ってきた。


「まあ、お嬢様。目が覚めたのですね、よかった」


そう言って涙目になっていた。


「お嬢様……今回は痛ましい事件に……」


その震えた肩をお父様が抑えた。


「少し、落ち着いてきなさい」


そう言うとお手伝いさんは、顔を覆いながら部屋の外へ出ていった。


 お父様は僕を見下ろした。いや、厳密には僕を憐れみの目で見ていた。僕はその目線に恐怖を感じた。お父様は僕を見て、ゆっくりと言葉を口にした。


「侑李、しばらくは一切の外出は禁止する。しばらくは学校も休みなさい。塾も稽古事も先生を家に呼ぶ」


おとうさまはそのまま僕に聞いた。


「……知りたいか?どうなったのか」


僕はゆっくりと頷いた。


「あの後、警察に捕まってそのまま刑務所行きだ。圧力をかけたから、最低でも十年はは出でこないだろう。もう会うことはない。安心しなさい」


僕はもう一度ゆっくりと頷いた。お父様は寝ている僕の肩に触れた。瞬間だった。


汚いーーーーー。


そんな感情が突如僕を襲った。一瞬であの男の感触が思い出される。それはとてつもない不快感だった。憎悪が背中を走る。


「… …侑李?」


僕はお父様に背中を向けて、吐いた。

何も入っていない胃から出てくるのは、胃液しかなかった。それでも僕は吐き続けた。


 次に目を覚ましたのは、昼間だった。僕の体はまた綺麗に整えられていて、服は別のものに変わっていた。汚したはずの布団も、綺麗に整えられていた。僕は今度は起き上がって、窓を見た。外は晴れている。確か今日は平日だったはず。学校には、一体なんと言っているのだろうか。流石に事件に巻き込まれたと言うわけにもいかないだろう。学校にはしばらく行けないみたいだし、気にすることはないか。僕は外出できないこととか、学校に行けないことは大して辛くはなかった。あの⦅王子様⦆をやらなくてもいいわけだし、正直疲れていたんだ。少し、休みたかった。きっかけは最悪だけど、いい機会だろう。そう考えて、僕は自分の掌を見た。汚い。そう感じた。あの背筋が凍った感覚はなんだったのか。お父様を、汚いと感じた。なんで、そんな事……。


「お嬢様、入ります」


ノックと共にお手伝いさんの声がした。僕がドアの方を見ると、ゆっくりと扉が開かれお手伝いさんと病院の先生らしき人が入ってきた。お手伝いさんは起き上がっている僕を見て、驚いていた。


「よかった、お嬢様。意識が戻られたのですね、先生をお連れしてきてよかった。ああ、お嬢様、こちらは大学病院の先生ですわ。お嬢様の様子を見にいらっしゃいましたの」


その大学病院の先生らしき人は、僕を見て一礼した。六十代ぐらいの女性の先生だった。穏やかな雰囲気がある。その先生は僕のベットの近くに椅子を持ってきて、座った。


「侑李さん、かごめ太学病院から来ました。医師の幸野(ゆきの)です。今日は侑李さんの容体を見に来ました。気分はいかがですか?」


丁寧な態度に僕は安堵して、ゆっくり答えた。


「たい、ちょうは、いいです」


途絶え途絶えに応えると、幸野先生は穏やかに答えた。


「ああ、よかったです。では心臓の音を聴かせてもらってもいいですか?」


そう言って僕に触れようとした手を、僕は声で止めた。


「ごめんなさいっ、先生。あの、僕、触られるのは……」


体が震え出す。その姿を見て、先生は手を止めた。


「ごめんなさい、体調を悪くしてしまいましたね。……侑李さん、一つ伺いたいのですが、何か心境に変化がありますか?なんでもいいです。何か、おかしいとか、感じたことはありませんか?」


優しく訪ねる先生に、僕は正直に答えた。


「人に、触れられるのが、怖いです、その、汚い、と感じます。不快感がして、耐えられません……」


そう言うと、先生はゆっくり頷いた。


「侑李さん、今日はひとまずこれぐらいにしておきましょう。明日、専門の先生を呼びます。侑李さんの心をケアしていきましょう」


そう言って幸野先生は部屋を去っていった。僕は動機を抑えるのに必死だった。お手伝いさんが僕を心配そうに見ていた。


「お嬢様、急な診察で驚かれましたね。今日はもうゆっくり休みくださいね、何か飲みたいものはありますか?なんでもお持ちしますよ?」


僕は震える体を抑えながら、言った。


「タオルを、濡れたタオルを持ってきてもらえますか……?手を拭きたいんです」


「わかりました、すぐお持ちしますね」


そう言ってお手伝いさんは、部屋を出ていった。




「…………………………きた、ない」


その言葉は、僕の胸に染み入っていった。

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