2−9 寂しいお嬢様

 「ねえ、ご存じ?綾小路さんが立野さんをお誘いしたらしいですわよ」


 そんな話が、耳を掠めた。私は思わず立ち止まってしまって、その話をしていた生徒たちを振り返った。小鳥のような囁き声は、私を通り過ぎて遠ざかっていった。私は彼女たちの背中を眺めた。


「いろりん、どうしたの?」


光が数歩先で私の事を不思議そうに見ていた。


「……いや、なんでもない」


私は前を向いて、光と廊下を歩き出した。


 一時はどうなるかと思われた綾小路さんの件は、数日をかけて呆気なく終わりを告げた。綾小路さんが戸神さんに告白したり、私がお茶会に呼ばれたりと色々掻き乱された数日間。噂も立ったりはしたが、結局は時間が解決した様にも思う。風に流されるように、消えていく。綾小路さんの新たな噂は、戸神さんと綾小路さんとの一件が終わった事を示していた。ふと、窓から見えた薔薇園では綾小路さんがお茶を飲んでいた。ピースの薔薇が、夏風に揺れている。


 「しかし、びっくりしたよ!いろりんが信号に飛び出したなんて言われて!」


光は胸を押さえながら、私に迫った。


「もう!本当にどうしてあんなことしたの?!何か悩みがあるなら言ってよ、親友じゃん」


「……ごめん、ちょっと色々あってね。なんか、乱心しちゃって……」


そう言うと光は眉を下げて、私に尋ねた。


「……やっぱり、綾小路さんの事?」


私はそれに曖昧に笑って見せた。


「まあね、でもどちらかと言えば戸神さん絡みかもなあ」


「うう……、やっぱりいろりんは王子様に心を奪われたか……、どうしたら会って三週間しか経ってない人の為に信号に飛び出すのか……」


光はそう言って考え込んだ。私は苦笑いしながら呟いた。


「言われてみれば、まだ三週間か……」


 私は光の言葉に、戸神さんとの出会いを思い返した。そう言えば戸神さんがあの家に来て、まだたったの三週間である。あまりにも戸神さんと過ごした日々は濃厚すぎて、もう一ヶ月ぐらい立ってるかと思っていた。本当にいろんなことがあった。出会い頭に早々告白されたのもそうだし、コーヒーの事や家族としてのあり方を考えたり、嫉妬されたりお互いに助け合ったり。思い出は既にたくさんだ。私はふと、窓から庭園を見た。今日も今日とてお嬢様たちがお茶会を開いている。よく毎日やるよな、と目線を動かした先には向日葵の庭園があった。風に涼しそうに向日葵が揺れている。

 その中に、見慣れた姿があった。

 戸神さんだ。

 長い髪を揺らして、お嬢様たちと話をしている。その姿は綺麗なお嬢様の様でもあるし、かっこいい王子様の様でもあった。戸神さんは元々中性だから、人によって見え方も変わってくるだろう。今の私には、そのどちらにも見えた、ただ一つ言える事は、やはりその姿は完璧だ。完璧に美しい。

 ふと強い風が吹いた。向日葵たちが花弁を振り荒らして、激しく揺れた。その上に舞い上がった花弁を追いかけて、戸神さんが上を見上げた。

ばっちりと目があった。お互いに見つめ合う、遠くからでも美しい戸神さんの姿に、私は目を離せなかった。戸神さんはしばらく私を見た後、少女の様に幼く笑って見せた、その顔に、私は心が鳴った。


「あ〜!!いろりん、またとがみんのこと見てる〜!」


光がそんな事を言って茶化すので、私は急いで否定した。


「別に、たまたま庭園を見てただけだから!」


「うえ〜ん!いろりんが王子様にご執心だよお」


「そんなんじゃないってば!!」


「あの、桜宮さん」


光に違うんだと一生懸命言い訳していると、クラスメイトの子に声をかけられた。その子は手に手紙とあの薔薇を持っていた。


「これ、綾小路さんが桜宮さんにって」


そう言って手渡された手紙と薔薇は、新しいものだった。


「あ、ありがとう」


私はお礼を言って、それを受け取った。クラスメイトの子はううん大丈夫、と頷いて去っていった。


「なになに、また綾小路さんから?!今度は何?」


光が興味深そうに手紙を見ている。私はいつか貰ったのと同じ白い封筒を丁寧に開けた。


桜宮 彩葉様


昨日は無礼を働いてしまい、不快にさせてしまったでしょうか?戸神さんに失礼しました、と改めてお伝えくださると助かります。


さて、実は桜宮さんにお伝えしたいことがあり、この手紙を書いています。決して悪いことではありません。


今日のお昼休み、4階の一番右の空き教室でお待ちしております。


綾小路 智花


「う〜ん、怪しい……、いろりんに何かするつもりじゃないよね……」


光は手紙を読んで、怪しむようにそう言った。


「そんなのではないよ、きっと大丈夫。綾小路さんは危害を加えるような人ではないから」


そう言うと、光は眉間に皺を寄せて言った。


「そう……?ね、、ついていっちゃダメ?やっぱり心配だよ……、ほら何かあった時の護身用にさ!」


私はう〜ん、と考えた。


「教室の外で、待ってるならいいけど……」


「ほんと!?」


光は急にテンションが上がった。


「盗み聞きしたらダメだからね!」


「わかってるよお!光ちゃんに任せて!」


そう言って喜ぶ光をよそ目に、私は薔薇に目をやった。渡された薔薇はピンクのピースだった。確か花言葉は、上品、淑やか、そして、感銘。今回はどの意味が込められているのか、私は花弁に優しく触れた。

____________________

「じゃあいろりん、達者でね!何かあったらいつでも呼んでよ!」


「うん、わかってる。ありがとね」


「じゃあ、いってらっしゃい」


「うん、行ってきます」


 私達は昼休み、4階に上がり一番右の空き教室まで来ていた。光は楽しそうに手を振っている。さっきの心配ぶりは何処へやら、と思いながら私は空き教室の扉を開けた。

 空き教室は長く使われていないせいか、ホコリの匂いがした。机が全て窓側に寄せられている。その真ん中に、綾小路さんは机に寄りかかって立っていた。


「ごきげんよう、桜宮さん」


相変わらず髪の毛は巻かれており、スカートは短い。誰もが口を揃えて、可愛いと言うだろう。


「ごきげんよう、綾小路さん」


そう言うと、綾小路さんはふわり、と笑った。


「今日はお伝えしたい事があってね、それとももう噂で聞いているかしら?どう?」


綾小路さんはゆっくりと首を傾げた。


「あの、立野さんをお誘いしたって話ですか?」


私がそう尋ねると、綾小路さんはこくりと頷いた。


「聞いているみたいね、そう、立野さんとは前から一度遊んでみたいと思っていてね。だから、もう戸神さんはいいわ」


急に出てきた戸神さんの名前に私は驚いた。


「へ、……?」


「戸神さんは諦めるわ」


綾小路さんははっきりと答えた。


「あの人は一途すぎよ、そういう純愛っていうの?私、嫌いなのよね。だから、貴女に返すわ」


「は、はあ……」


私はよく分からないまま頷いた。綾小路さんはそれを見て、満足気に頷いた。


「私は勝ち戦しかしないから。絶対私を好きになってくれるって勝算がなきゃ、声はかけないの。まあ、今回は少しあなどったわ。」


そう言って綾小路さんはニヤリ、と笑った。


「私の話は終わり。で?貴女は聞きたいことないの?」


「えっ?」


私が反応して顔を上げると、綾小路さんは不思議そうに私を見ていた。


「無礼を働いたからそのお返し。特別サービスよ、なんでも答えてあげる」


そう言う綾小路さんはなんだか楽しそうだった。仕方が無いので私は、浮かんでいた疑問を口にした。


「えっと、じゃあ、なんで昨日戸神さんに振られたのに、早速今日には立野さんに声をかけたんですか?なんというか、その、どうしてそんなに遊ぶのかなあって……」


そう言うと綾小路さんは首を傾げた。


「そうねぇ、でも寂しいだけよ。理由なんて。心の隙間の埋め合わせ……かしらね」


そう言う綾小路さんの目は、少しだけ寂しそうだった。私はその目に既視感を覚えた。その目、どこかで誰かが……。私が黙ったまま綾小路さんを凝視していると、綾小路さんはまた笑った。


「貴女みたいなお子様には、まだわからなくて十分よ」


そう言うと、綾小路さんはゆっくりと手のひらを開いた。そこには、私が貰った薔薇があった。


「それは……」


「貴女なら、意味はもう存じてるでしょ?あの王子様の貴女への愛に、感銘を受けたからこの花にしたわ。さあ、質問はもう終わり?」


私はこくりと頷いた。


「そう、では桜宮さん。またいつか。機会があれば是非、薔薇の庭園でお茶会をしましょう?」


そう言って笑った綾小路さんは、どこまでもお嬢様だった。私は立ち去る前に、と口を開いた。


「あの、私。今回の事があるまでは、綾小路さんの事は噂でしか知らなくて、正直どんな人なのか知りませんでした。でも、ずっと憧れていました。その、綾小路さんは可愛くて、女の子らしくて、とても素敵だから……」


そういい終わると、綾小路さんは驚いた顔をした後笑い出した。


「ふふっ、そう、そんなこと思っていたの」


私は静かに反抗した。


「笑わなくたって、いいじゃないですか……」


綾小路さんは笑い疲れた様にして、私に言った。


「可愛いものに憧れるなんて本当にお子様ね」


そう言う綾小路さんはどこか、楽しそうだった。

____________________

 「お!おかえり、いろりん」


 廊下に出ると、待っていた光が出迎えてくれた。


「ただいま、ほら、何もなかったでしょ?」


光は私の体をまじまじと見て、呟いた。


「う〜ん、確かに……。じゃあ本当に話だけだったんだ」


「そう、話だけだったよ」


そう言うと光は緊張の意糸が切れた様に、肩の力を抜いた。


「はあ〜〜、何はともかく、いろりんに何もなくてよかった……、もう帰ろう、ここ静かすぎて落ち着かないよお」


そう言って光は歩き始めた。私は光の後を追いながら、そっと尋ねた。


「ねえ、光。私って子供っぽい?」


「ええ、いろりんがあ?あんまりそうは見えないけどなあ……」


そう言って光は何かを思い出したように、立ち止まった。


「あ、でも、今だに王子様に憧れてるのはちょっとねえ〜〜!!」


光はにやついた顔で私を見ている。


「別に、好きなだけだから!憧れてないっ!」


「強情はっちゃって!一年の時から、いつか王子様が迎えにきてくれるって言って……」


「光〜〜〜〜!!!!」


私は光を追いかけて、空き教室から離れた。

追いかけている途中に、ふんわりと何かが香った。あの薔薇の匂いだ、私は後ろを振り返った。


「いろりん〜〜?」


もちろんだがそこには何もない。

気のせいか、私は光を追いかけて階段を降りた。


「全く、最初から最後まで薔薇を髪につけていたわね」


そんな綾小路さんの声が聞こえたような気がして、私は思わず髪に手を触れた。

____________________「ひかりい〜〜〜!!!!」


今度は私が光に迫る番だった。


「なんで髪に薔薇を差したのよ!!」


光は誤魔化して笑っている。


「だって持っていかないからさあ、いいのかなあと思ってえ!それに普通気付くでしょお?」


「気づかないからこうなってんのよお!」


 光は教室を出る時に、こっそりと綾小路さんから貰った薔薇を私の頭に差していたのだった。それを、綾小路さんに言われるまで気が付かなかった。


「ごめんってえ、いろりん!」


私はため息を吐いて、髪から薔薇をむしり取った。全く、高校生にもなってこんな悪戯して……。

私の少し先を歩く光を追いかけて、早足になった時だった。


「折角綺麗だったのに、残念。そのままでいいじゃない」


後ろから聞き慣れた声がした。私は思わず足を止めて、ぎこちなく振り返った。ああ、この声は……


「ね、桜宮さん!」


「戸神さん……」


そこには戸神さんがニコニコしながら立っていた。私は内心が荒れまくるのを感じた。学校では、なるべく会いたくないのだ。目立つし、あらぬ誤解を生むし……。でも戸神さんはそんなことお構いなしに、私を見ていた。


「庭園の薔薇だね、綺麗だ」


今はあの戸神さんにしつこく話しかけている女の子たちはいないらしい。私はその言葉に苦笑いをすることしかできなかった。


「まあ、そんなのはどうでもいいか。それよりも……」


戸神さんは私に数歩迫り、私の手から薔薇を奪い取った。


「誰から、貰ったのかな……?」


そう私に聞く戸神さんの目は鋭い。私は思わず息を呑んだ。ああ、これはいけないやつか……?戸神さんは私の耳に顔を寄せると、ゆっくり囁いた。


「また薔薇を貰うなんて。彩葉にはもっと警戒してもらわないと……、僕は嫉妬しちゃうよ」


低い声が私の耳を舐めるように響いた。私は思わず耳を塞いでしまった。顔が赤くなるのを感じる。私の反応に満足げに戸神さんは笑うと、


「この薔薇、貰うね」


と言って薔薇を片手に去っていった。


「っっっっっっっ!!!!」


またやられた!!!あの戸神さんの、耳元で囁くやつ、本当にやめてほしい……!!


いつの間にか光が隣に立っていた。


「いろりん。完全にやられたね」


私はたまらず光に向かって勢いよく叫んだ。


「どう考えてもあれはずるいでしょう!!!!」

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