2−6 薔薇のメッセージ

 校門を出た時には、外はもうすっかり夜に包まれていた。私達は校門の警備員さんに「気をつけて帰りなさい」と心配されてしまったりしながら、学院前の大通りに出た。車通りや人が圧倒的に多くなっている。車のランプが光るのを見つめながら、信号を待った。戸神さんは喋らない。ただ信号を見つめているだけだ。私はその空気に耐えられず、軽く口を開いてしまった。


「あの、戸神さん。お話は途中で終わってしまって本当によかったんですか?」


戸神さんは私の声に、現実に引き戻された様な顔をしてこちらを見た。突然声をかけて、驚かせてしまっただろうか。


「……お話?ごめん、なんの話だっけ」


「あ、いや、ほら教室でどなたかと話していらっしゃったから、最後まで話さなくてよかったのかなって」


「……ああ」


戸神さんは私に笑いかけた。


「彩葉が心配する事はないよ、それにあの話はもうきりが良かったんだ。」


「そう……ですか」


「うん」


そう言って戸神さんは信号に目を戻した。信号はまだ青にならない。今日はなぜだか一段と長く感じた。車が私達の前をスレスレで通っていく。風で制服のスカートが揺れた。


「それよりも、」


風でめくれあがるスカートを押さえていると、隣から声がした。


「綾小路さんとの話はどうだったの?」


戸神さんは信号から目線を離さずに、私に問いかけた。さっきの教室のようだ。暗くて、表情がよく見えない。私は詰まった息をなんとか吐いて、答えた。


「……とても、良いお話を聞けました。私を心配してくれていたみたいで、ほら、薔薇だって頂いてしまったし」


「庭園の薔薇はあんなに簡単に摘み取って良いものなの?」


「……いや、本当は駄目なんですけど、戒めだと言ってわざわざ素手で摘み取ってくれたんです」


信号が青になり、人が一斉に歩き出した。私達もゆっくりと信号を渡った。


「戒め?」


戸神さんは正面を向いたまま、私に尋ねた。


「はい、花言葉に合わせて。この花を見て、思い出しなさいって」


私達は信号を渡り終えて、住宅街へと入っていった。


「黄色い薔薇の花言葉は、愛の告白……だよね。彩葉に薔薇を持たせて告白したのかと思ってたけど、違うの?」


住宅街に入ると、明かりは街灯しかなく真っ暗な道が続いた。


「あ、いや。確かに黄色の薔薇はそうですけど、頂いたのはピースという薔薇の品種ですから、『嫉妬』という意味の方が強いですね」


そう言うと、戸神さんは足を止めた。私もつられて戸神さんの数歩後ろで足を止める。


「嫉妬……?」


「はい。嫉妬や愛情の薄らぎ。あくまでも悪い意味ではあるんですけど……」


そう言うと戸神さんは私に向き合った。右手を私に差し出して、ゆっくりと手を開いた。


「あれ、まだ持っていたんですか?」


その手にはあの薔薇がしおれた様子で、現れた。


「……彩葉、綾小路さんは僕にこの薔薇を見せるために彩葉にあげたんだ。だって何も悪い事をしていない彩葉に『戒め』なんて言うのは少しおかしいでしょ」


戸神さんは私をじっと見つめて言った。確かに、と私は頷いた。私は何も悪いことをした覚えがないのに、⦅戒め⦆とはどう言うことだろうとは思っていた。まあ、恋愛沙汰の話だから嫉妬には気をつけろ、ぐらいの警告かなと。


「僕に嫉妬には気をつけろって言いたかったわけね。相変わらず遠回りだなあ」


「え、ちょっと待ってください。綾小路さんは私に薔薇をくれたんじゃないんですか?」


そう尋ねると、戸神さんは手の上でしおれている薔薇を見ながら答えた。


「綾小路さんは僕が彩葉の事を好きなのを知っていたんだ。彩葉に薔薇をあげてそれを持って帰らせると、自然と僕はその薔薇を見る事になる。黄色い薔薇は「愛の告白」と言う意味があるから、綾小路さんが彩葉に告白をしたと思わせて、僕に嫉妬させた」


それってつまり、綾小路さんは私に⦅戒め⦆として薔薇をあげたのではなく、


「僕に⦅嫉妬に狂ってはいけない⦆と言うメッセージを伝えたかったんだろうね。この薔薇を通して。」


 綾小路さんは戸神さんに⦅嫉妬に狂うな⦆と言うメッセージを伝えたかった。そのためにわざわざ私を⦅薔薇の庭園⦆に呼び出して、黄色い薔薇をあげた。⦅愛の告白⦆と⦅嫉妬⦆と言う意味がある黄色の薔薇をわざわざ選んで。そして私の髪に薔薇を飾り、戸神さんの目に入るようにした。黄色い薔薇の花言葉を知っている戸神さんは⦅綾小路さんに私が告白された⦆と勘違いする。そうして戸神さんが嫉妬したところで、私がピースの薔薇の花言葉は『嫉妬』である事を教える。それで戸神さんは嫉妬に狂う自分を自覚する……といったところだろうか。


「戒め、と言うのはむしろ僕に言っていたんだね。ああ、ほんと、白草女学院の人ってみんなこんなことするの?」


戸神さんは本当にしんどそうな顔をしていた。花言葉にメッセージを乗っけるなんて、まあ確かに白草女学生のしそうな事ではある。


「いや、まあ、本当にするのは綾小路さんくらいかと……。というか、それに気づいた戸神さんも凄すぎませんか。一体どこでそんな事、わかったんですか?」


私がそう言うと、戸神さんは顔を歪ませたまま私の問いに答えた。


「彩葉が花言葉は⦅嫉妬⦆だって教えてくれた時に、僕が知ってる花言葉と違う事に気づいたんだ。それで彩葉に嫉妬している僕の気持ちを見透かされてる、と思ってね。まあ、綾小路さんに正解を聞いてみなきゃ、わからないけど」


そう言うと、戸神さんは正面を向いてまた歩き始めた。私はその後ろを小走りで追いかけた。


「綾小路さん……、まだ戸神さんのこと好きなんでしょうか?」


私がそう呟くと、戸神さんは空を見ながら「うーん」と考えるような素振りを見せた。


「わからない……けど、なんにせよ彩葉は気をつけてね。何されるかわかったもんじゃないから。で、これは風に流そう」


そう言って戸神さんは右手の掌を、開いた。夏の涼しい風が吹き抜けて、戸神さんの手の上を包んだ。しおれた薔薇は、風に乗せられて勢いよく戸神さんの手から落ちていった。私たちの後ろをどこまでも舞っていき、静かに道路に落ちた。暗闇に溶けるように、黄色い薔薇は輝きを無くした。私達はそれをずっと見ていた。摘まれた薔薇を悼む様に。


「綾小路さんの伝言は、伝わったよ。綺麗なだけの薔薇に意味を持たせて伝書鳩がわりとは、本当に博識で素敵なお嬢様だ」


そう言って戸神さんはまた歩き始めた。家はそうすぐそこだ。私は後ろを振り返って、闇に溶けた薔薇を見ていた。もしも、摘み取られなければ美しく咲き終えられたはずだったのに。意味をなくした瞬間に、薔薇は輝きを失い、枯れた。


「彩葉、帰るよ!」


戸神さんの声で私は振り返った。戸神さんの元へ、走る。夜の空気の中に、あの薔薇の匂いがした様な気がして、私は息を吸った。

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 家につき、私は急いで晩御飯の支度をした。最近は戸神さんに作ってもらってばかりのような気がするから、少しは恩返しをしなくては。今日は暑かったから、そうめんにしようかな、と私は冷蔵庫を覗いた。麺もある、麺つゆもある、野菜もある。これなら大丈夫だ、と私はキッチンに具材を並べて作り始めた。戸神さんには先にお風呂に入ってきて貰っている。後々詰まっても大変だし、こういうのはスムーズさが大事なのだ。

 私がそうして料理を作っている間に、戸神さんが洗面所から出てきた。


「彩葉、お先でした。何か手伝う事ある?」


「いえ、もう準備出来ましたから、さあ、食べましょう!」


そう言って私はエプロンを外し、席についた。戸神さんも席に座ったのを確認して、「「いただきます」」と声を合わせた。


「そうめんなんて久しぶりかも……」


と言いながら、戸神さんはそうめんを口にして食べていた。私も野菜と一緒にそうめんを口にする。スルスルとした喉越しで、夏には丁度良い。涼しさを感じる一品だ。そうめんは冷たくて、夏のせいで熱った体を冷やした。


「彩葉って花言葉に詳しいんだね」


戸神さんはそうめんを口にしながら、そんな事を口にした。


「え、そうですか?一般常識だと思ってたんですが、逆にそうでもないんですか?」


「いや、僕は花言葉なんて覚える機会なかったからなあ……あ、ほら、彩葉は庭で花も育てているからかなあ」


そう言って戸神さんは野菜を頬張った。戸神さんって美味しそうに食べるなあ、と思いながら私もつられて野菜を食べた。素材の味が生かされた旨い味だ。また軽いそうめんとよく合う。私達はそんな他愛もない会話をしながら、ご飯を食べた。



「僕が片付けしとくから、彩葉はお風呂入ってきていいよ」


 戸神さんは食べ終わってすぐに片付けを初めてくれた。私も言葉に甘えて、


「ありがとうございます、では遠慮なく」


 と、言葉を交わし私はお風呂へ行き、戸神さんは茶碗洗いをしてくれた。


 今日は湯船には浸からない。この前浸かってのぼせかけたばかりだし。私は頭からシャワーを浴びながら、戸神さんに今日の事を話そうと思っていた。

 薔薇の事があって、綾小路さんの伝言を聞いて、迷っていたけれどやっぱり戸神さんに今の私の気持ちを話そうと思った。綾小路さんに話した事を同じように伝えよう。綾小路さんも言っていたけれど、やっぱり戸神さんの独りよがりではないから。私も戸神さんのことは大切に思っている。それが今は恋愛感情ではないだけで、家族という意味では私達は繋がっているはずだから。それを、ちゃんと伝えよう。

 私はふとあのピースの薔薇を思い出した。あれは結局私宛のものではなかったけれど、綾小路さんが言っていたことは確かに私への言葉だったと思う。いつまでも、好きでいてくれるわけじゃないから。好きでいてくれる人に、今出来る最大の感謝を。私がその気持ちに応えるか、答えないか決まる日まで。今、私が戸神さんに出来ることはそれしかないから。

 私は明日、庭の薔薇を家に飾ろうと思った。綾小路さんの言葉を、忘れないように。私の戒めとなるように。

____________________

 お風呂から上がると、リビングの灯りは消えてキッチンの小さな灯りだけがついていた。キッチンでは丁度片付けを終えた所だったらしい。


「あ、彩葉。お風呂上がったんだね、こっちも今終わったよ」


そう言って戸神さんは最後のお皿を拭き終わると、食器立てに立てた。静かなリビングに、お皿の重なる音が響いた。


「ありがとうございました、片付け」


「いいんだよ、このぐらい」


戸神さんは手をタオルで拭くと、キッチンのかすかな電気を消した。一気に部屋が闇に包まれる。


「お風呂も片付けもすんだ事だし、部屋に戻ろうか」


と言って戸神さんはキッチンから出てきた。そのまま階段に向かう戸神さんの服を、私は勢いよくぎゅっと掴んだ。戸神さんの体が後ろに引っ張られる。私は心臓が張り裂けそうな思いだった。


「どうしたの、彩葉?」


私は振り向いた戸神さんと顔が合わないように顔を俯けた。戸神さんの視線を暗闇でも感じる。私は怯みそうになったが、我慢して服を更に強く掴んだ。


「……彩葉、どうしたの?」


戸神さんが優しい声で私に尋ねてくる。私は高鳴る心臓を押さえながら、ゆっくりと口を開いた。話すのは今しかないと思った。


「あの、戸神さん。この体勢で聞いてもらっても、いいですか……?」


そう尋ねると、戸神さんは


「……うん、わかった」


と、答えてくれた。私はうるさい心臓に文句をつけたい気持ちを我慢しながら、勢いよく顔を上げて戸神さんを正面から見た。


「戸神さん……今日、綾小路さんと私が戸神さんをどう思っているか、話しました……」


暗闇のせいか、戸神さんの表情はよく見えない。私は今日の、暗かった放課後の教室を思い出していた。言葉が喉に突っかかるが、それを一生懸命吐き出した。


「それで、その、私、戸神さんのことは本当に大切な人だなって気づいて、だから、戸神さんは私にとって、もうかけがえのない人で……」


戸神さんは私の話を静かに聞いてくれている。私はそれを良いことに、さらに続きを話した。


「だけど、その、戸神さんの好きって気持ちには、今は、答えられません……ごめんなさい」


私はそれ以上言葉が出なかった。私の伝えたいことは言えたけれど、それは戸神さんにとっては⦅拒否⦆を意味することだ。私は読みれない戸神さんの表情に、泣きそうな気持ちになった。きっと泣きたいのは。戸神さんのはずなのに。


 戸神さんは服を掴んでいる私の手を取った。手から服が離され、手が優しく繋がれる。私はそれをなぜだか夢心地で見ていた。

戸神さんはそのまま私の手を、戸神さんの額まで持ち上げた。戸神さんは私の手に額を近づけた。


「……彩葉の気持ちは、わかった」


戸神さんの声が、暗闇に溶けるように消えていく。私は微かな声を聞き取った。戸神さんの顔は、前髪と長い髪に隠れて見えない。戸神さんは絞り出すように、声を出した。


「彩葉が迷惑なら、もうアプローチするのはやめる。でも、迷惑じゃないなら、続けさせて欲しい……」


それは私が考えてもいなかった返事だった。戸神さんは縋る様に、わたしの手を掴んだ。私はその言葉になんにも返す言葉が浮かばなかった。


「お願い、彩葉……」


痛切な声に、私は思わず言葉が溢れてしまった。


「なんで、どうして、私なんですか……?どうしてそこまで、私のことが好きなんですか……?」


その言葉も、闇の中に落ちていく。それを拾う様に、戸神さんは答えた。


「彩葉は、僕の運命の人なんだ……。それだけ、ただ、それだけなんだ……」


縋るようにしている戸神さんを、私は何処か客観的に見ていた。


また、闇に溶けていく。

今度は大切な、何かが。

縋りついて、落ちていく言葉に、私は何も返さなかった。ただ、それを見ていた。

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