2-5 本音のお茶会
次の日、学院は綾小路さんの噂で持ちきりだった。
「あの綾小路さんが戸神さんに振られたらしい」
どこから漏れたかわからない、そんな噂は学年を超え、学院中で噂になる程のものだった。かくいう私は今日も戸神さんと学院に登校していた。
「学院は噂が早いから困るよ」
と、戸神さんは苦笑いしていた。校舎に向かって歩いていると、四人ほどの女の子達の集まりが見えた。真ん中には綾小路さんがいる。昨日の今日だが、綾小路さんは別段傷ついた様子はなく、至って元気そうだった。流石は綾小路さんと言ったところか……、もう今日には次に乗り換えるんだろうか。それともまだ戸神さんを追いかけるのだろうか。どちらにせよ、並々ならぬ精神力である。私は隣の戸神さんにバレないように、そっとため息をついた。
そうして戸神さんと雑談したり、挨拶してくる女の子達をかわしながら靴箱についた。私はいつも通り、靴箱の扉を開けた。
「ん?何これ……」
靴を置こうと思った所に何かが乗っている、私は何かと思いそれを手にした。どうやら一枚の封筒だ。白を基調とした封筒で、見ただけで高級だとわかる。私に手紙?一体誰が。そう思って裏返した。
《綾小路 智花》
「…………!!!!?????」
封筒を持ったまま硬直した私に、戸神さんが声をかけてきた。
「何、彩葉。どうした、の……」
戸神さんも言葉を失っている。例外なく私も混乱していた。綾小路さんが私に話?一体何の話を……?まさかなにか恐ろしいことでも言われるんじゃ!?そう頭の中で考えが駆け巡っていた時だった。
「まあ!桜宮さんにお手紙?!」
「もしかして告白ですか?最近は多いですね」
「あの綾小路さんから…!!」
気づけば私の周りに女の子達がわんさか集まっていた。あ、やばい……。これは面倒な事になる。
私は封筒をカバンにすぐ閉まって、早々に靴箱を出た。あ、戸神さんを置いてきちゃった!と気づき、振り返ると、戸神さんは別の女の子達に囲まれていた。あの様子だとしばらくは出れなさそうだ。綾小路さんの手紙の件で私に話を聞こうと、女の子達が今にも追ってきそうだ。戸神さんを待っていると、大変なことになる。私は痛む心を抑えて、「戸神さん、ごめんなさい!」と心の中で言って教室に走っていった。
私は教室近くのトイレに逃げるようにして隠れた。息が上がって、呼吸が苦しい。『綾小路さんが手紙を出した』という噂が立つのも時間の問題だ。いや、ていうかもう流れているだろう。この状態で誰かにバレると厄介なので、私はトイレの個室に入った。上がった息を整えながら、私は封筒を取り出した。裏には間違いなく《綾小路 智花》の字。昨日の戸神さんの件からもただのイタズラではないと思う。私は綺麗に貼り付けられた封筒をゆっくりと開けた。
桜宮 彩葉 様
ご機嫌はいかがでしょうか?
私達は初対面ですよね。
私は2年A組の綾小路 智花と申します。
この度は桜宮さんと是非お話したいことがあり、こうしてお手紙を差し上げた所存です。
本日 放課後 16時にピースの薔薇の庭園で。
綾小路 智花 より
ここがトイレだと言うことも忘れ、私は便箋を手にしたまま、呆然と立ち尽くしてしまった。一体なんなんだ……いや、本当に。私は便箋を持ったまま、ピースの薔薇の庭園を思い出した。
白草女学院には主に5つの庭園がある。庭園の名前は咲いている花にちなむのだが、この夏になるとよく呼ばれるのは、
向日葵の庭園
百合の庭園
薔薇の庭園
ラベンダーの庭園
ダリアの庭園
の、この5つだ。この前、戸神さん達がお茶会をしていたのは向日葵の庭園。昨日告白したのは、ダリアの庭園裏だったと思う。そして今日呼ばれたのは、
「薔薇の庭園、ピースか……」
ピースとは薔薇の種類の1つだ。夏の花で、色は白を基調としていて、花びらの先がピンクや黄色に色ずいている。薔薇と言えば赤、というイメージが強いが、ピースも立派な薔薇の仲間だ。確か今は黄色のピースが満開だったような気がする。私はふと、自分の家の庭の事を思い出した。確かピースは植えた記憶がある。それもお母さんの選んだ花だった。そう、黄色のピースの花言葉は確か……
「嫉妬……」
綾小路さんが私を薔薇の庭園に呼び出したのは、何かの意味がある。私は便箋をもう一度見返した。高級な白い便箋には、天使の絵が乗っていた。
____________________
「ええ、なんでいろりん……。それじゃあ隠れた意味なくない……?」
「うん、まあね。でも仕方ないよ……」
私は光に昨日家に帰ってからの事を話した。とは言っても戸神さんが言っていた事を全て話した訳じゃない。戸神さんに昨日告白現場を覗いた事、それを謝った事、戸神さんは怒らずに事情を聞いてくれた事しか話していない。戸神さんが私の事を好きうんぬんは、光であろうとも流石に話せない事だ。光は私が覗いたことを暴露したことに、不屈の様だったが、「隠戸神さんに隠し事はできなかった」と話すと「いろりんは嘘つくの下手だからなあ」と渋々納得してくれた。そんなことよりもと、私は早速光に封筒の件を話した。そう言うと光は不味そうな顔をした。
「綾小路さん何か企んでるんじゃないのお?いろりん、ボロボロになって帰ってこないでよ〜。ねえ、ついていっちゃだめ?流石に心配だよお〜!」
光はそう言って泣きついてきたが、私はそれを軽く交わした。
「心配してくれてるのは嬉しいけど……、でも私と綾小路さんの話なんだから、光は連れて行けないよ」
「いろりん〜〜〜〜!!!!」
光は今にも泣き出しそうだったが、私は胸が締め付けられる思いをしながら光に
「ダメったらダメなの!」
と言い放った。
綾小路さんが私に手紙を出した、という噂は時間を待たずに学院内をひそやかに駆け巡った。それでも、綾小路さんが戸神さんに振られた、と言う話の方がインパクトが強いらしく私の方の噂はそこまでだった。今回ばかりは戸神さんに感謝だ。綾小路さんは戸神さんに初めて告白した人だし、みんなそっちの方が気になるに決まっている。今日は噂話も私の耳を通らず、少し快適な学院生活が送れてしまった。
――――――――――――――――――――
終礼が終わり、生徒たちがゾロゾロと寮に帰ったり、部活に行ったりしている。先ほど光も、私の必死な説得で渋々ながら部活に行った。私は時計を見た。15時45分。今日は終礼が長引いたから、もうすぐで16時になる。私はため息を吐きながら、隣を見た。さっきから、ただならぬ視線を感じていたのだ。私はその本人に声をかけた。
「戸神さん……あの、今日部活は……?」
「ないよ、今日は一緒に帰るって昨日言っていたじゃないか」
そう言って戸神さんは王子様スマイルで笑った。私は思わず苦笑いしてしまった。そうだった、昨日戸神さんに部活だと嘘をついた時、「明日は大丈夫だから」と言っていたのだ。私だって綾小路さんから呼ばれなければ一緒に帰ったさ……なんて心の中で言い訳しても、仕方がない。私は戸神さんに説明をした。
「あの、綾小路さんから呼ばれてて……一緒に帰れそうにはなさそうで……」
そう弱々しく言った言葉に、戸神さんは重ねてはっきりと私に言った。
「そんなに時間かからないだろう?いいよ、教室で待ってるから。話しておいで」
戸神さんは本当に顔を崩さずに笑ってる。なんか、その笑い方をされると気持ちが落ち着かなくなるからやめてほしい……。時計は15時50分を指していた。もう行かなくては……。
「本当に、先に帰ってていいですからね!いや、待っててもいいですけど、とりあえず行ってきますね」
そう言って私は席を立った。教室のドア向かい歩き、出て行く瞬間に後ろを振り返ると、戸神さんはやっぱりあの笑顔で「頑張ってね」と笑っていた。
____________________
薔薇の庭園は5つ並ぶ庭園を数えて三番目にある。他の庭園では生徒が既にお茶会を始めていたりして、小鳥のような囁き声や笑い声がしていた。向日葵の庭園、百合の庭園、を通り向けて私は薔薇の庭園にたどり着いた。やはり手紙通り、この時期の薔薇の庭園は白のピースが咲いていた。白い薔薇たちは優しい色合いで、涼しげな庭園を思わせる。私は意を決して、中に入った。
外側は白のピースだったが、内側は黄色のピースが咲いていて、それはそれで綺麗だった。黄色いピースの花言葉は「嫉妬」だったはず。それが何か意味を指しているのだろうか。私が薔薇の道を潜り抜けると、既に中には人がいた。その人物は紅茶カップを持って、優雅に紅茶を飲んでいる。私が姿を表すと、その人物は顔を上げて私を見た。
「遅かったわね、もうお茶会を始めてしまったわ」
ピースの薔薇の中に揺れる綾小路さんは、昨日と変わらない可愛さを誇っていった。なのに、何故か昨日よりもその姿は大人びて見えた。私がその姿に見惚れて何も言えないでいると、綾小路さんは微笑んでみせた。
「あら、何も返さないなんて失礼な人」
そう言ってまた紅茶を飲んだ。夏の涼しい風が、薔薇を揺らし、私たちの頬を撫でて、通り過ぎていった。
「あっ、いや、えっと、ごめんなさい。遅くなってしまって……」
「良いわ、時間なんてそこまで大事じゃないから」
綾小路さんは本当に気にしていない様な振る舞いで、私に席を勧めた。
「そんな所に突っ立っていないで座ったら?」
「あ、はい。失礼します……」
私は言われるがまま、綾小路さんの正面の席についた。私自身お茶会に参加することが少ないので、この空間自体が落ち着かなかった。綾小路さんは紅茶カップをテーブルに置くと、もう一つのカップに紅茶を注いで、私に差し出した。
「どうぞ、レモングラスティーよ」
そう言って差し出されたカップの中には、爽やかな黄色のレモンティーが注がれていた。レモンの澄んだ柑橘系の匂いが鼻をくすぐった。
「……頂きます」
そう言って一口飲むと、途端に口の中にレモンの爽やかな風味が広がった。後味は清々しく、鼻を通った。
「始めて飲んだ?」
綾小路さんは自分のカップにまた注いでいた。
「はい、あまり紅茶は飲む機会がないので……」
「貴女はお勉強ばかりに励んでいるから、お茶会に誘いにくいとみんな言っているわ。最も、最近は違うみたいだけれど」
「へ……」
私はその言葉に紅茶カップから口を離し、綾小路さんの顔を見た。綾小路さんは笑って私を見ていた。
「王子様とは随分仲がいいのね」
「……別に、そんな……」
「王子様が自然に笑うのは貴女だけよ。そんな事にも気づかないの?」
海に落ちてしまったように、世界がここだけになってしまったように、私は綾小路さんから目が離せなかった。
「どうして……それを綾小路さんが……」
「あら、そんなの王子様を見ていたら一目瞭然よ」
綾小路さんはまたそうして紅茶を飲んだ。レモンの香りがふんわりと鼻をくすぐる。
「……もう、話をそらすのはやめてください。それで……お話とはなんですか?」
私はたまらずそう言い出してしまった。綾小路さんは澄ました顔をしている。
「……聞いてみたかったの。貴女って戸神さんの事、どう思っていらっしゃるの?」
私はその質問に息を飲んだ。戸神さんをどう思うか、それはもうずっと考えている事だ。私は、戸神さんの事を一体どう考えているのか。でも、その答えは出ている。昨日、私の手を取った戸神さんの姿が脳裏に浮かぶ。私は目を閉じて、ゆっくり呼吸をした。心を落ち着かせて、口を開く。
「私は、戸神さんの事、本気で考えています」
「そう」
綾小路さんはカップを置いて、私に向き直った。
「最初は答えられないと、別の関係がいいって思っていました。でも戸神さんから《家族》って言葉を聞く度に、なぜか胸が痛んで辛かった。それって、私は戸神さんこと、少なからず恋愛的に見てるって事だと思うんです」
綾小路さんは黙って話を聞いていた。私はそのまま話を続けた。
「正直、今は戸神さんの気持ちには答えられません。だから付き合えません。でも大切な人であることに変わりは無いから……、戸神さんはもうとっくに私の心の中にいるんです」
綾小路さんは私の話を聞いて、頷いた。
「そう、良かった。王子様の独りよがりかと思っていたけれど、案外そうでも無いのね」
「はい、……でも今はまだ気持ちに答えられません」
すると、途端に綾小路さんは近くの薔薇を手にして、摘み取った。手にトゲが刺さって、少量の血が出ている。
「綾小路さん、一体何を……!」
「いいのよ。それよりも、貴女はこの花の花言葉を知っている?」
私は朝のことを思い出した。
「薔薇のピース。特に黄色のピースの花言葉は、嫉妬……ですよね……?」
「そう、愛情の薄らぎや嫉妬。この薔薇の様になってしまわないようにね。桜宮さん」
私はその言葉に首を傾げた。綾小路さんは私に薔薇を差し出し、笑って続けた。
「戸神さんの愛情が、恋愛感情が、いつまでも貴女に向き続ける訳じゃないのよ。いつか、貴女を好きにならなくなる日が来るかもしれない。その時に嫉妬で狂ってしまったり、愛情の薄らぎを感じたりしない事ね。」
綾小路さんは私に傷ついた手を見せた。
「無理やりに止めては、無理に掴んではこうして傷ついてしまうわ。いつでも、思いやりを忘れないで」
そう言って綾小路さんは薔薇を私の髪に飾った。
「貴女に差し上げるわ、その薔薇。戒めとして持っておきなさい。貴女に転機が訪れた時に……」
黄色いピースの薔薇はふんわりと香りがした。私はその薔薇を強く握った。
夏の風が私たちの頬を撫でた。薔薇たちも同じように揺れる。私は綾小路さんを見つめていた。綾小路さんは私の目線も気にせず、また紅茶を飲んだ。
「ほら、王子様が見ているわ。貴女が本当に心配なのね。まあ、自分に告白した輩が大切な貴女に近づいたら心配なのは確かね」
綾小路さんは私を手で追い払った。
「ほら、話は終わったわ。さっさと行きなさい。王子様が待っているわよ」
と言った。私が上を見上げると、2年B組の教室が見えた。そこから戸神さんがこちらを見ている。私の目線に気付いたのか、こちらに手を振っていた。私は急いで立ち上がった。
「綾小路さん、私……」
「いいわ、話は終わったから行きなさい」
「あの、ありがとうございました」
私は深く頭を下げた。綾小路さんが言ってくれたことは、教えてくれた事は、とても大切な事だ。それを忘れないように、薔薇に誓って。綾小路さんは私を無視して紅茶を飲んでいた。
「では、失礼します!」
黄色い薔薇が咲く庭園を抜けて、白い薔薇が見える場所まで私は出た。もう一度振り返ると、綾小路さんは静かに紅茶を飲んでいた。その姿はとても可愛らしいお嬢様のままだった。
―――――――――――――――――――
夕日の差し込む廊下を急ぎ足で歩いて、2年B組の教室に急いだ。部活生達ももう帰りの準備を始めている。私は息が上がるのも構わず、教室に駆け込んだ。が、すぐにドアの付近に隠れた。一人の女の子が戸神さんと話をしていたのだ。ここで戸神さんに馴れ馴れしく声をかけるわけにはいかない……。ドアから覗いて教室の奥を見ると、戸神さんは私の席に座って、一人の女の子と会話をしていた。
「な、なんで私の席に……」
そう呟いてはみるものの、その答えが返ってくるわけでもない。私はため息をついて、ドアの付近から教室の声に耳を澄ませた。
「戸神さん、是非明日はお茶会に参加してください!全力でおもてなししますわ!」
「……明日か。明日は、ちょっとごめんね。用事が入っているんだ」
戸神さんは残念そうに声を上げた。
「あら、それは残念です。」
「うん、ごめんね。次の機会に是非」
話はそこで終わるかと思われたが、女の子が口を開いた。
「もしかして、戸神さんのご用事ってあの桜宮さんのことですか?」
私は自分の名前が出た事に、思わず体が反応してしまった。
「……うん、よく知ってるね」
戸神さんは少し気まずそうに返した。
「だっていつも一緒に登下校してらっしゃるでしょう?よく目に入ってきますわ」
「そうだね。彼女とは縁があるから、繋がりもあるしね」
すると、女の子が「んー、」と考えているような声を出した。
「あの、私が言うのもなんですが、戸神さん、桜宮さんと関わり合いになるのはやめた方がいいですわ」
教室に重苦しい沈黙が流れた。私は突然の発言に息を呑んだ。
「……それは、もしかして気を使ってくれているのかな?」
「ええ、戸神さんはまだ転入してきてわからないと思いますが、桜宮さん、時々怪我をされてくるでしょう?もしかしたら悪い方と関わっているんじゃないかって、噂なのですよ」
そう言って女の子は笑った。
「私、戸神さんが心配なのです。もし戸神さんに何かあったらと思うと、気が気ではないですわ。いくら親戚だからって、あそこまで情けをかけてあげる必要はなくて?」
戸神さんはしばらく黙って、考えていた。が、ゆっくりと口を開けた。
「さっきも言ったけれど、僕は彼女と縁があってね。彼女の事は少し深く知っているけれど、彼女はそんな人たちとは関わり合いはない。僕が断言するよ」
「まあ、桜宮さんの肩を持つのですか?戸神さん目を覚ましてくださいな。関わっていても、いい事はなくてよ?」
「……そうか、わかった」
戸神さんは肯定した様な声を出した。
「まあ、本当?ではあの方と関わるのはやめて……「関わってもいい事はないんだね、その忠告はよく聞いておく。でも僕は自分の目で見て、そう思うまでは彼女との関わりはやめない。今は君の心遣いに感謝するよ」
戸神さんはそう言い切った。その瞬間だった。
「ほら、貴女達。もう下校時間ですよ!早く寮に帰りなさい」
見回りの先生が教室内に声をかけた。気づけば外はもう暗い。私は先生と目があった。
「貴女も、そんなところで何しているのかは知らないけれど、早く帰りなさい」
「……はい」
私が上の空な返事をすると、先生は困った様に「もう、困ったんだから」と言って帰っていった。教室にはまだあの女の子と戸神さんは残っていた。
「……帰る時間ですね。今度、戸神さんが私たちのお茶会に参加してくれることを願っていますわ。いつでも待っていますからね!ではごきげんよう、戸神さん」
そう言って女の子は教室から、去っていった。私はバレないように、女の子が出て行ったのと同時に教室に入った。戸神さんは去っていった女の子の背中を見ていた。
教室は電気がついていないせいで暗く、戸神さんの表情は良く見えなかった。私はゆっくりと自分の席に近づいた。
「戸神さん、遅くなりました」
そう声をかけると、戸神さんはこちらに気づいた様に私を見た。
「ああ、桜宮さん……。おかえり……」
「ごめんなさい、お話中だったのに邪魔してしまいましたか?」
「いや、そんな事ないよ。もう下校時間だったからね。お話は終わった?」
教室がどんどん真っ暗になっていって、私は体ごと闇に溶けていく様な感覚がした。戸神さんの顔は相変わらずよくわからない。
「……はい、なんとかでしたが……。でもお茶まで頂いてしまって、なんだかただのお茶会みたいになってしまいました」
そう言って笑うと、戸神さんは席を立って私の前に来た。暗い中でなんとなく表情が見えてきた様な気もする。戸神さんは私の頭に手を伸ばした。
「薔薇?貰ってきたの?」
戸神さんが頭の薔薇に触れる。花が綻んだ様な気がして、私は戸神さんの手に自分の手を重ねて、花が落ちないように掴んでしまいそうになった。私は胸まで手をあげて、それでは戸神さんの手に触れてしまうと思い、止とどまった。
「薔薇を貰うなんて、随分と熱烈なお話し合いだったのかな……?」
「え、そんな、本当にただのお茶会みたいで……、薔薇だって別に大した事……」
戸神さんは顔を歪ませて、ゆっくりと笑ってみせた。そんな顔、見たことがない……。いや、どうして……。
「黄色い薔薇の花言葉は、愛の告白。彩葉に花を介して告白だなんて……本当に熱烈だ」
戸神さんは嫉妬をしたような、そんな顔をしていた。でも綾小路さんは私に『嫉妬』の意味を込めて、薔薇をくれたからそんな戸神さんが嫉妬する事なんて……。
戸神さんはそのまま私の顔を撫でた。
「困ったな、君は本当に魅力的だから、気をつけないと……」
奪われて、しまうね。
そう言った戸神さんは、妖艶な雰囲気を醸し出していた。戸神さんの声が、私の耳を舐めるように這いずり回る感覚。私は戸神さんから目が離せなかった。戸神さんはふんわりと笑って見せた。
「嫉妬、しちゃうなんて大人気ないね、僕。……帰ろっか、もうこんな遅い時間だし」
そう言って戸神さんは私から手を離した。戸神さんの手の熱が離れない。
『その時に嫉妬で狂ってしまったり、愛情の薄らぎを感じたりしない事ね』
綾小路さんの言葉が脳裏をよぎる。嫉妬で狂う、なんて……。私が立ち尽くしていると、戸神さんは私の頭から薔薇を取った。
「この薔薇は、彩葉には似合わない。僕がもっと似合う花をプレゼントするから、これは僕が貰うね?」
薔薇を手にした戸神さんはゆっくりと薔薇を潰す様に握った。
『この薔薇の様になってしまわないようにね。桜宮さん』
それは戒めの薔薇。嫉妬に狂わぬように、愛情が薄れぬ様に願われた薔薇。けれどそれは私には似合わない。
私は潰れて美しさを失った薔薇を見た。
「さあ、帰ろう。桜宮さん。」
戸神さんは颯爽と教室を出ていった。私は急いで鞄を持って、後を追いかけた。白い花びらがバラバラに散っていくのが見えた。
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