2-4 揺れる愛情

私達の告白現場目撃大作戦は、失敗に終わったと思う。戸神さんにはバレていないようだが、綾小路さんはさんにはバレバレだった。これを成功なんて言って良いものか。私達はあの後、教室で反省会をした。


「綾小路さんにバレるとは、思いもしなかったね……いろりん、大丈夫?」


光は心配そうに私を見ていた。私はやや茫然としながら、光の質問に答えた。


「大丈夫だけど……ねえ光、いるだけで愛情を貰えるって思う人に会ったことある?」


光は首を傾げた。


「うーん、いるだけで愛情を貰えるか……。そう言う人には会ったことないけど、そう言うのって親子の関係に似てるよね」


今度は私が首を傾げる番だった。


「親子の関係……?」


光は説明しずらそうにしていた。


「ほら、なんて言うの。子供の幸せが親の幸せってよく言うじゃん。母親からすれば、子供が元気でいてくれるだけで幸せ、つまり、愛情を感じる……みたいな?」


光は自分で言っておきながら、「難しいね」と頭を悩ませていた。じゃあ戸神さんの言った


『何もして貰わなくていい。彼女はいるだけで僕に愛情を与えてくれる人なんだ。』


という言葉はやはり家族愛を指している、と言うことになるのだろう。家族だから側にいるだけで暖かい、家族だから何もしてくれなくても、いてくれるだけで良い。戸神さんが言いたかったことはそう言うことだったのだろうか。ならば、どうして私に告白なんかしたんだ、好きなんて言ったんだ。答えが出たと思ったら、また迷宮に迷い込むような、そんな気持ちだった。


「まあ、考えすぎは良くない、いろりん!ゆっくり家で考えればいいよ!ほらほら今日は帰りな!」


そう言って光は私に鞄を持たせ、背中を押して帰らせた。


「なんのために告白現場を覗いたのか、それはいろりんがとがみんの事をどう思っているか、自分の中で知るためでしょ?」


光の言葉が、悩んでいた頭に終止符を打つように響いた。

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 家に帰ると、リビングから灯りが漏れていた。お母さん、な訳がない。お母さんは料理なんて滅多に作らないから。私はお母さんがいるだろう部屋の前を静かに通って、リビングに入った。

何かが焼ける音がしている、キッチンにだけつけられた灯りの下に、人影が見えた。


「戸神さん……?」


小声でキッチンに呼びかけると髪を高くくくり、エプロンをした戸神さんが出てきた。


「あ、彩葉。お帰りなさい」


長い髪が横に揺れる。戸神さんは晩御飯を作っていた所らしかった。手にはフライ返しが握られている。


「部活、早く終わったんだね。よかった、あったかいうちにご飯にできそうだね」


そう言って戸神さんは嬉しそうに笑った。フライパンの中にはハンバーグがあり、今焼き始めた所らしい。


「戸神さん、すみません。ご飯作ってもらっちゃって……。ハンバーグなんて久しぶりです」


そう言うと、戸神さんは私に近づいた。いきなり距離が近くなる。私が背の高い戸神さんを見上げる体勢になった。


「部活、大変だったの?疲れた顔してる……」


戸神さんは心配そうに私を見た。顔が近いことには、気づいてくれないらしい。私の顔を心配そうに見ている。私は喉から声を絞り出した。


「あ、ああ。そんな、顔してました……?こんなことで顔に疲れが出ちゃったらいけないですね。ほんと、気をつけなきゃ、あ、はは。」


そんな情けない声がリビングに響く。戸神さんは顔をしかめたけれど、すぐに笑って


「お風呂とご飯、どっちにする?」


と、淡々と尋ねてきた。


「え、お風呂と、ご飯……?」


戸神さんは頷いた。


「ご飯はあと30分ぐらいいかかっちゃうけど、お風呂なら用意できてるよ?疲れてるみたいだし、たまにはゆっくり浸かってきたら?」


私は反論する気力もなく、そのまま「じゃあ、お先にいただきます」と告げた。そう言うと戸神さんは私に王子様スマイルで言った。


「遠慮しないで、家族なんだから」

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 浴槽に溜められたお湯は45度とちょうど良く、私の冷え切った体を内側から温めてくれた。私はお湯に浸かりながら、さっきの会話を思い返した。


「家族、なんだから……か」


戸神さんの言葉に、私は違和感を感じていた、いや、確かに家族なのは間違いないのだけれど。どうも、腑に落ちなかった。家族って、戸神さんは言う。だけれど、それならば、私を家族だと思うならば、私を好きなのはおかしくないだろうか。家族の関係に恋愛感情なんて気持ち、起きなくないか……?これっていわゆる近親相姦ってやつ……?私は顔のギリギリまでお湯に沈んだ。お湯が少しだけ、浴槽から溢れ出す。お風呂に水が流れていく音が響いた。

戸神さんの『好き』は間違いなく恋愛感情だ。初めて戸神さんが家にきたあの夜、戸神さんは確かに私に「僕の恋人になってください」と言った。恋人っ言うって事は、それは恋愛感情で好きって事だろう。間違いはない。じゃあ、家族の意味は……?私は戸神さんに「家族になりたい」と言った。それに対し戸神さんは、


「温かい家庭を作ろうね」


なんて、少し勘違いしそうな返答をしていたような気がする。もしかして戸神さんの求めていることって、私と同級生で、クラスメイトで、家族で、恋人……みたいなことなんだろうか。そんなこと、できるのか、というかあり得るのか…。私は胸に手を当てて、少しだけ目を閉じた。


『そのまさか。恋愛的な意味で彩葉が好きなんだ。恋愛には女の子とか男の子とか関係ないから、安心して僕を好きになってくれればいい。』


『君には君の、僕には僕の愛情がある。お互い分かり合えないようだから、この話はやめようか』


『遠慮しないで、家族なんだから』


家族、という言葉に胸が少しだけ痛む。あんなに憧れていた家族。楽しくて、優しくて、笑い合っていた、かつて昔のお父さんと、お母さんと、私みたいな家族。今、こうして新しく家族になれそうなのに、なぜ家族だと言われたら胸が痛むの……?それは、私が戸神さんに少なからず恋愛感情を……!


「彩葉?のぼせてない、大丈夫?」


お風呂の外から声が聞こえた。あまりにもお風呂が長いからか、様子を見にきた様だった。


「……大丈夫です、少しゆっくりしてました」


胸に何かがすとんと、落ちそうで落ちない。

何かの気持ちに、納得できそうで、できない。

私は戸神さんの事、どう思っているんだろう。

_______________________

お風呂を出ると、リビングのテーブルには豪華なご飯が並んでいた。ハンバーグは無事上手く完成したようで、美味しそうなデミグラスソースがかかっていた。付け合せの野菜も100点である。まさにレストランのレベルだ。戸神さんは自分で言わないけれど、料理が上手いと思う。私が家庭料理が得意だとしたら、戸神さんはレストランの洋食が得意と言ったところか。ジャンルは別だとしても、戸神さんがそれなりに料理をする事が驚きだ。一応お嬢様生まれっぽいから、料理なんてしないと思っていた。それとも、⦅お稽古事⦆と言うとこで習得させられたんだろうか。私はそんな事を考えながら、席についた。


「ごめん、なんかありふれてるよね。ハンバーグって」


私は勢いよく否定した。


「いや、そんなことないですよ!戸神さんがこんなにお料理が上手なんて思いませんでした」


戸神さんは笑いながら、私に言った。


「お嬢様だから、料理なんて自分でしないって思った?」


「うう、ごめんなさい。お手伝いさんがいるから、しないのかなあって思って……」


「あはは、料理は稽古事の一つだったんだ。お父様がどこに行っても苦労しない様にって、ね。和食から洋食まで。まあ、彩葉の料理には敵わないけどね」


そう言って、戸神さんは席についた。手を合わせて、「「いただきます」」と言った。私はお箸を持って、ハンバーグに手をつけた。中はふわふわで、肉汁が溢れ出している。よく火が通っていて、美味しそうだ。デミグラスソースは濃く、ハンバーグに絡めると尚更美味しさが増しそうだった。私はハンバーグを一口大に切って、口に入れた。瞬間に、肉の豊かな風味が口の中に広がった。デミグラスソースは濃厚で、上品が味がする。見た目だけじゃなく味もレストランだ。私は思わず感動して、口から言葉が漏れた。


「凄い、見た目も味もレストランみたいです!まるで高級料理を食べてるみたい……!」


私が感激してそう言うと、戸神さんは苦笑いしながら


「大げさだよ」


と言って、ハンバーグを口にした。料理は本当に美味しいし、私は感激しているのに。戸神さんにとってはそんな大したことじゃないらしい。その表情には、なんだか寂しさが垣間見えた様な気がした。なんで、そんな大した事じゃないなんて、どうしてそんな事……。


「大げさじゃ、ないです。いつかのお粥も、このハンバーグも、とっても美味しくて、クオリティが高くて、優しくて、こんなにも暖かくなれるのに……勿体無いです。もっと自信を持って良いのに……」


 気づけば、私はそんな事を口走っていた。戸神さんは手を止めて、驚いた様に私を見ている。私もそんな事を言っている自分に驚いていた。


「あ、れ……、……ごめんなさい、変なこと、言いました。何も知らないくせにこんな事、言われても困りますよね……」


何言っちゃってるんだろう、私。戸神さんのことはまだ何も知らないのに、こんな知った口を聞いてしまって。戸神さんを恐る恐る見ると、戸神さんはこちらを見て、静かに微笑んでいた。


「良いんだ、ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいな。……それに彩葉は、もう僕の事沢山知ってるよ。少なくとも、他の人よりかは」


「……え、」


そう言うと戸神さんは嬉しそうに笑った。


「こんなに笑えるのも、ご飯の味を知っているのも、王子様じゃない僕を嫌わないでくれるのも……、彩葉しかいないよ」


そういう戸神さんは、少女らしく笑った。ああ、確かに。こんな戸神さんを知ってるのは、私しかいないのかも知れない。いや、きっとそうだ。学校で嫌なほど王子様をしている彼女が、心から笑える場所なんてここにしかないはずだから。家族になると、約束したから。なら、家族に言い訳や嘘は言えない。もちろん隠し事も。それは私が嫌だと思うから。私はお箸を置いて、姿勢を正した。


「戸神さん、私、家族だから隠し事はしたくありません。言い訳も。だから戸神さんに謝らないといけない事があります」


戸神さんも箸を置いて、私に向き直ってくれた。


「うん、何かな」


私はゆっくりと息を吐いてから、告げた。


「今日、綾小路さんが告白しているところをを覗いてしまいました。いけない事だってわかっていたんですけど、ごめんなさい……」


そう言って頭を下げる。戸神さんはそれを黙って聞いていた。


「謝罪は要らないよ、それよりもどうして彩葉がそんなことしたのかが知りたいな。面白半分じゃないんでしょ?」


私はその言葉に、せきを切ったように話をした。


「……ごめんなさい、こんな事言われてもきっとわからないと思うんですけど……その、知りたかったんです。自分の気持ちを……」


「彩葉の気持ち?」


私はこくり頷いた。


「綾小路さんと少し話をしたんです。それで戸神さんの言う言葉って、どう言う意味があるんだろうって考えてみて……。その時に、戸神さんって私と家族になりたいのか、その、恋人とかになりたいのか、わからなくなって……」


戸神さんは私の話をゆっくりと聞いてくれた。


「私の気持ちもわからなくなって、私、戸神さんとどうなりたいんだろうって。その時に、綾小路さんが告白をするって噂を聞いて……その、どうなのかなって思っちゃって……」


私はスカートの端をぎゅっと掴んだ。


「戸神さんが私に向ける気持ちって本物なのか、知りたかったんです。戸神さんが他の女の子に言い寄られても、断って、好きな人がいるからって言ってくれたら、私、戸神さんの気持ちに答えられるかなって思って……ごめんなさい、最低ですね、私。」


戸神さんは何かを考えているような仕草をしていた。きっと、失望されるに違いないだろう。そんな事する人だとは思わなかったって。好きにならなきゃよかったって。そう言うに決まっている。それが流石の戸神さんだったとしてもだ。もう同居はキツイだろう。戸神さんには白草の寮をおすすめしよう。ここには、私のいるこの家にはいない方がいい。私は戸神さんの言葉を待った。戸神さんはしばらくして、沈黙を破った。


「つまり、彩葉は僕が彩葉の事好きかどうか心配だったって事?」


戸神さんの一言は、私の予想の斜め上だった。


「えっと、それは、どういう……」


「彩葉は自分の気持ちがわからなくて、僕が告白される所を見た。そして僕が彩葉を選んだら、僕の気持ちに答えようとしてくれたんでしょ?違う?」


戸神さんの言葉に私は思わず頷いてしまった。確かに、そう言うことかもしれない。戸神さんは私の言いたいことを、簡単にまとめてくれた。


「彩葉は僕の気持ちに応えてくれようとしたんでしょう。それって僕からしたら、とっても嬉しいことなんだけど……」


「嬉しい事、ですか……?」


私が聞き返すと、戸神さんは答えるように頷いた。


「だってさ、好きな人が自分の気持ちに応えようとしてくれてるな。そんなに嬉しいことはないでしょう?」


戸神さんはまるでそれが、とても幸せなことの様に語った。戸神さんの気持ちに、答える。それは確かに、本心だ。


「告白の所を覗いたのは、確かに褒められることではないけれど、僕は彩葉の気持ちが知れて良かったと思ってるよ。僕の気持ちを真剣に考えてくれてる。それだけで、嬉しいんだ」


そう言って戸神さんは、にこりと笑った。そのあどけない笑顔に、私はなんだか涙が出そうになった。ああ、どうしてこの人は私を責めるどころか、喜んでくれるんだろうか。私にはわからない。


「わかりません……!なんでそんな喜ぶのか……」


「……彩葉が好きだから。それ以外なんてない」


戸神さんはそう言うと、席を立って私の椅子の横に膝をついた。私は椅子をずらし、横を向いて戸神さんと向き合った。


「彩葉、焦らなくていいよ。僕はずっと変わらず彩葉を好きでいるから。彩葉はゆっくり考えて、答えを出せばいい。僕はいつまでも待つから……。だから、」


戸神さんは私の手をとって、そっと手を唇につけた。


「僕のことだけを、考えて……彩葉」


ああ、涙が溢れて止まらないのは、きっと、


こんな優しさに触れたことがないからだ。

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