2-2 魅惑の彼女
綾小路 智花(あやのこうじ ともか)。2年A組所属。綾小路財閥のお嬢様。学院内の女の子に声をかけては、遊んでいるという噂のある人。なんでも可愛いことを武器に、ターゲットを惚れさせてはすぐに捨ててしまうらしい。簡単に言えば遊び癖があると噂の人だ。小悪魔的で可愛らしい容貌と仕草に、ついつい遊んでしまう人がいるらしい。もっとも、その噂が本物かどうかは審議が必要だろう。
綾小路 智花さんが私に声をかけてきた理由なんてひとつだろう。戸神さんが綾小路さんのターゲットになったんだ。そしてターゲットを惑わす邪魔な存在を先に消しておこうという魂胆だろう。今日のお茶会はその話題で持ち切りだろうな……なんて考えたら意識が飛んでしまいそうだった。
「別に好きに貰えばいいじゃない……ていうかそもそも戸神さんは物じゃないし……」
私はいつまでもだらけでは行けないと、ベンチから立ち上がり校舎に戻るため歩きはじめた。
相変わらず校舎はにぎわっている。正直小中と共学だった私から言わせれば、この女の子しかいない環境は大分イレギュラーに感じる。やはり女の子が集まれば色んなタイプがいる訳で、中には男の子っぽい人もいる。そんな人に集るように、言い寄る女の子たちの姿は女子高ならではだろう。《王子様》なんて事を、よく言ったものだ。中身は同じ体なのに。不思議だ、私にはよく分からない。そんな事を考えながら歩いていると、後ろから小鳥の囁き声がした。
「ねぇ、ご存知?あの綾小路さんが戸神さんにターゲットを変えたそうですよ」
私は歩みを止めないで、「なるほど」と感心しながら教室に入った。教室のみんなも、皆口にするのは「綾小路さん」か「戸神さん」という単語だった。人の口にとは立てられないとはよく言ったものである。昨日まで「戸神さんが親戚に〜」なんて言っていたのが、今日には「綾小路さんが戸神さんに〜」
に変わっている。噂好きな小鳥たちは、新しい話題にすぐ食いつくのだろう。私はこのまま、「戸神さんが親戚に〜」という噂が消え去りますように、と願った。
「いいえ、戸神さんには好いてる方がいらっしゃるじゃないの」
「でもあの綾小路さんよ、きっと気を引いて見せるわ」
「戸神さんはどうお考えなのかしら?」
「これであの親戚とかいう方も調子にのらないでしょう?ちょうどいいタイミングよ」
私は小鳥たちの噂話を断ち切るように、大きな音を立てて参考書を開いた。それは数学の参考書
で、数式がここぞとばかりに羅列している。私は指で今日習ったところをなぞり復習をした。もうすぐテストが近いから、特に勉強はを力を入れていかなければ。そう考えて参考書を睨み付けるが、周りの声が耳について集中できない。私は深くため息をついた。白草女学院の生徒は暇なのだ。やる事がないから、おしゃべりばかりしている。しかも人の噂話ばかりを。本当にやる事がないのだろう。可哀想に、中世ヨーロッパの貴族だってドレス選びとかパーティーとかやる事は沢山あっただろうに。お嬢様っていうのは、本当に窮屈な生き物なんだろう。自分の意思で動かせる所が、口しかないのだから。私は皮肉になっている、と気づいて自分をたしなめた。白草女学生たるものが、人の悪口などを考えてはいけない。いつも優しく、優雅でいなければ。私は参考書から目を離して、窓の外を見た。戸神さんがさっきお茶会をしていた庭園が見える。そこを眺めていると、見知った顔が二つ、見えた。
戸神さんと、綾小路さんだ……。
綾小路さんは戸神さんに、これでもかというほどピッタリとくっついていた。どうやら何か言い寄っているらしい、真剣に何かを話している。戸神さんはそれに適度に相槌を打つばかりだった。他の女の子も、どちらかといえば戸神さん目当てで話をしているように見えた。ここからでは当然会話など聞こえないが、その様子だと戸神さんはまあまあ楽しんでる様には見えた。
「なんだ、あんな事も楽しめちゃうんだ。戸神さんって」
そういうの、なんか苦手そうだと思ってた。人からベタベタされるのとか、お茶会とか。案外平気なんじゃんと思ったら、なんだかちょっぴり裏切られた気持ちになった。なんとなく、私と似ていると思っていたから。仮にも同じ腹から生まれた姉妹だし、少し価値観合うのかなって。それは私の期待しすぎだった訳だ。私は参考書を閉じて、庭園から逃げる様にして席を立った。教室からは、まだ噂話が聞こえていた。
「案外、戸神さんも親戚の方とは遊びだったのかもね」
ああ、そうだ。そんなことを真に受けて、王子様が私を好きになってくれるなんて妄想をした、私が悪い。戸神さんを信じた私が馬鹿だった。
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午後の授業が始まるまで、あと20分。私の気持ちは散々だった。例えるならば、王子様が迎えに来なかったお姫様と言ったところか。期待されて、落とされた。最悪だ。きっと私の顔は、お嬢様には相当似つかわしくない顔をしているんだろう。行く当てもなく歩いた体は、いつの間にか一階へ来ていた。人を避けていた結果だ。私は本当に行く当てもないので、近くの設置されていたベンチに腰を下ろした。目の前には大きな石像が置かれている。本当、この学校はこういうものが無駄に多い。流石お嬢様学校だ。上を仰いで、体制を崩そうとした時だった。
「あれれ、お茶会が終わって教室に向かおうとしたら、こんなところで出会うなんて!」
可愛らしい声がフロア中に響いた。私はその声だけで、すぐに誰かわかってしまった。噂のあの人じゃないか。ここは華麗に無視したい所だが、そんな事をして後々困るのは私だ。私は嫌々振り向いた。
「ああ、綾小路、さん……」
そこには機嫌が良さそうな綾小路さんが、ニコニコして立っていた。
「今度は覚えていてくれたのね!嬉しいな」
なんて言って躊躇なくベンチに座った。
「……あの、何か用ですか……?」
そう尋ねると彼女は心外だ、と言った顔をして私を見た。
「同じ学年の子に声をかけただけじゃない!そこに用なんて必要なの?」
私は我慢ならなかった。なんか今の荒れた心情で彼女と接していたら、思わず手が出てしまいそうだ。私は危険を予知して立ち上がった。態度が冷たいのは重々承知だ。
「失礼、もうすぐ授業が始まりますから」
そう言って立ち去ろうとした時だった。
「彼女は僕の特別な人なんだ。これ以上は言えない。ただ、彼女は僕にとって唯一の人なんだ」
「……え、?」
「戸神さんが言ってた言葉。熱烈よね、こんな事堂々と言っちゃって」
「……何が言いたいんですか?」
私が思わず振り向くと、彼女はニヤリと意地悪に笑っていた。
「ねえ、本当に取られてしまうわよ?自分の気持ちに気づかなきゃ、ずっと好きでいてくれる人なんていないから」
彼女はゆっくり立ち上がると、私の目の前に立った。
「王子様は、いつまでも追いかけてきてはくれない。ちゃんとわかってあげなきゃ。王子様がかわいそうよ」
その時だった。
「ほら、そこの子たち。もうすぐで授業が始まるわよ!」
通りすがりの先生が私達に声をかけた。綾小路さんは「はあい」と甘い声で返事をして、私の前から立ち去った。私は言われた言葉を、ただただ頭の中で繰り返していた。
『可哀想な王子様、あんなに思い焦がれているのに気持ちに気づいてすら貰えないなんて』
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可哀想なのはどっちだろうか。気持ちに気づいてもらえない王子様か、迎えの来ないお姫様か。……答えはどちらでもない、だ。その人にはその人の辛さがある。じゃあ気持ちに気づいてもらえたから幸せか?迎えにきたから幸せなのか?もしかしたらそこには当人たちにしかわからない事情があるかもしれない。それを知らずに周りがあれこれ言うのは、簡単に言って当人にとっては失礼な話ではある。最も、噂話が命のお嬢様達にそんな説教がわかるかは謎だが。
黒板には文字がつらつらと書かれていく。今は現代文の時間。難しい時事問題を取り上げた一作だ。私は先生の解説を聞きながら、ノートを取っていた。が、それはそう見せているだけだ。頭の中には、綾小路さんの言葉がぐるぐると回転していた。戸神さんが好きなら、別に好きにすればいいじゃないか。私から⦅奪う⦆なんて言葉は、間違っている。そもそも私のものでもないし、戸神さんは物ではない。まあ、戸神さんを好きになる気持ちはわからなくもない。いかにも女の子が好きそうな性格じゃないか。なるべくして王子様になったような、素質がある人だ。共学の時だって、モテただろう。女子校ならば、なおさらだ。私だって最初戸神さんを見た時は綺麗な人だと惚れ惚れした。高い身長、すらっとした体、長いサラサラの髪、整った顔立ち。全てがパーフェクトだ。こんな綺麗な人が世の中にはいるもんだと、感心したのを覚えている。私がそう思うように、みんなもそう思うのだ。だから転入早々モテるのも頷ける。だが、私は戸神さんに恋愛感情は抱いていない。確かに憧れの気持ちはあるが、それは敬愛に近い。尊敬というか、素敵な人だと思っている。が、初対面からまだ二週間も立っていない。一緒に住んでいるからといって何もかもを知っているわけじゃないし。あのお茶会の方が、戸神さんの方をよく知れるのではないだろうか。私はペンを止めて、こっそりと隣を見た。
戸神さんが黒板の文字を一生懸命書いている。長い髪は、ゆらゆらと戸神さんの動きに沿って揺れていた。なんだか、邪魔じゃないんだろうか。その、髪。私がそんなことを思って見ていると、戸神さんがこちらを見た。その顔はなんだかにやついている。私はまずい、と思い顔を背けようとしたが戸神さんの言葉に動きが止まった。
「……どうしたの?授業に集中出来なくなっちゃった?」
戸神さんは小声で私に問いかけた。私は声を出すのはまずいかと思い、不屈ながらこくりと頷いた。そう言うと、戸神さんは嬉しそうに笑った。
「一緒にサボっちゃう?」
なんて、いたずらしようとしている子供みたいな顔をしている。私はなんてことを言うんだ思い、ぶんぶんと首を横に振った。そうすると、戸神さんは残念そうに笑った。
「残念、彩葉と遊びたかったな」
そう言ったっきり、戸神さんは前を向いて黒板を見てしまった。かくいう私は混乱していた。
なんなんだ、一体なんなんだそれは……。一緒に遊ぶ?何を言っているんだこの人は……。私は無理やり顔を前に戻して、うつむきノートを睨み付けてしまった。なんでそんな私を惑わすような事を言うんだ、この人は。私は戸神さんのことがよくわからなくなった。私の事が好きなのは、知っている。言い寄られているのも、まあわかっている。だけど、学校で、しかも授業中にこんな事を言っていいとでも思っているのか……。私は混乱する頭を抑えて、黒板を見た。さっきよりも文字が踊っている様に見えた。こんなのでは、いけないとわかっているのに。
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放課後、私は戸神さんと軽く話をした。
「彩葉、ごめん今日部活の勧誘があって、一緒に帰れないかも」
「いえ、私も部活がありますから!」
そんな会話を交わして私は部室に向かった。部室のある校舎に行くためには、庭園を通る必要がある。私は心を無にして、庭園の前を通り過ぎた。向日葵は咲き誇る庭の中には、生徒達が優雅にお茶会をしている。その中には、綾小路さんもいた。
「あの彼女は、戸神さんに無関心なのよ」
「え〜!!」「酷いですわね」
なんて声が聞こえてくる。私はそれを無視して、通り過ぎた。無関心、な訳じゃない。戸神さんを意識していない訳じゃない。今は、恋愛感情を向けられても困るだけだ。だから、無関心な様になってしまうだけで。もしかして、戸神さんを傷つけてしまっているんだろうか。……って全く、今日は綾小路さんに散々振り回されている。言われたことをいちいち思い出して、考え直すなんて私らしくない。人の事なんか、気にしないのに。どうして、こう、戸神さん絡みになると考えすぎてしまうのだろう。ただの家族になりたくて近づきたいけれど、そこに恋愛感情なんてなくて、純粋な家族愛のはずで。なのに、戸神さんの事を耳にするとなんだか胸が騒ぐ。
「無関心な訳じゃない……」
そう、本気で彼女を思っている。考えている。知ろうと、努力している。たかが、学院生活を共にしている人に、私が戸神さんをどう思うかなんてわかるはずない。いや、わかってたまるものか。私は自分の胸を叩いた。
「大丈夫、大丈夫なはず」
そう呟いた声は、どこまでも胸に深く落ちていった。
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