2-1 学院の王子様
二章 開始
戸神さんの初登校日から二週間の時が経った。学院内での人気は上々で、⦅王子様⦆の位置は不動のものとなっていた。
私は教室の窓から、下の庭園を眺めていた。五人ぐらいのお嬢様達が、戸神さんを真ん中に囲んでお話をしている。テーブルにはティーセットが置かれており、洋菓子が飾られている。庭園は季節の花が咲き誇っており、夏の時期だと沢山の向日葵が少女達を囲んでいる。私は楽しそうに会話している戸神さんを見ながら、ため息を吐いた。
「学院の王子様を見てため息なんて……、いろりんも心奪われちゃったの?」
光がからかうように尋ねてくる。私は庭園から目を離して、それに答えた。
「そんなわけないでしょ?第一親戚なのにそんな事、思うわけないじゃない」
「でも⦅王子様⦆はその⦅親戚⦆とやらにご執心らしいよ?」
光がらしくない冗談を言うので、私はついつい睨んでしまった。光はその視線に気付いたのか、「ごめん、ごめん」とすぐに謝ってきた。
「だって凄い噂になってるんだよ?まさか、いろりん知らないふりしてる……?」
私は庭園をもう一度見た。戸神さんは紅茶でも飲んでいるのか、優雅に笑っている。私はそれを見て、恨めしく思った。私の気持ちも知らないで……。
「そりゃあ、知らないふりができたらどれほど楽だったか……」
苦笑いする光を横目に、私はまたため息を吐いた。
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その噂が流れるのは時間の問題で、私はいつこうなるのかとヒヤヒヤしていたのだ。まず、私と戸神さんは同じ家に住んでいる。だから、登校も自然と一緒になる。それまでは別に良かった。どうして一緒に登校しているのか、と聞かれれば親戚だからと説明すれば良かったし、別にやましいこともなかった。戸神さんとは、血がつながった義理の姉妹であること・同じ家に住んでることは皆んなには秘密ということで話をしていたし。だから私は安心しきっていた。しらを切っていたと言ってもいい。学院の王子様と私にはなんの関係もないと、関わることなどないのだと。だけれど私は戸神さんとの関係で一番重要な事を忘れていた。
『……でね、桜宮さん。君が好きなんだ』
『会って早々だけど、桜宮さんが好きなんだ。僕の恋人になってくれない?』
それは出会って早々戸神さんに告白されていたという事だ。戸神さんは私を、恋愛対象として見ている。私はそのことをすっかり忘れていた。だから、何かと距離が近くても距離感の近い人なんだろうなぐらいにしか思っていなかった。でも光に、「いろりんととがみんって距離近いよね〜」なんて言われ、とある仮説が私の頭の中をよぎった。
『好きだよ彩葉、これから毎日覚悟しててね。』
そういえば、こんな事言われたような気が……。毎日覚悟って……もしかして私、戸神さんにアプローチされている……?思えば、思い当たる節があった。例えば階段を降りる時に手を差し出されたり、よく抱き寄せられたり、手を握られたり、一緒にいたがったり。それだけじゃない。可愛いね、綺麗だね、大丈夫、僕に任せて等々をよく言われていた気がする。勿論気のせいだと言われればそれまでなので、私も勘違いかと自分に言い聞かせていた。が、それが確信に変わる出来事があった。それは私がお手洗いに行った時のことだった。個室で用を済ませていると、外から話し声が聞こえてきた。
「ねぇ、知ってる?戸神さんの噂」
「え、戸神さんって最近転入してきた、あの王子様みたいな人の?」
「そう、あの方、同じクラスに親戚の子がいるらしいんだけれど、その子にご執心なんですって」
「えぇ、女の子がお好きって事?」
「そう!残念よね〜、せっかく現れた王子様だったのに……。でも一部の方は戸神さんを水面下で取り合っているらしいわよ!」
「へぇ、好きな人がいるのに振り向いてもらおうなんて健気ねぇ」
あはははと言ってお手洗いから出ていく、私は顔面蒼白だった。戸神さんと同じクラスで親戚なのは、間違いなく私しかいない。その戸神さんがご執心?それは、ほぼ99%の確率で私だと言ってもいいだろう。私は頭が真っ青になった。私の仮説は間違っていなかった。私は戸神さんにアプローチされている、確実に。しかもそれが噂されているだなんて、もしかして今から学院生活が波乱になったり、する?私には腹をくくるしか、選択肢が残されていなかった。いざ、廊下を歩いているとどこはかとなく視線を感じる……。私が教室に入ろうとすると、一年生の後輩が私に話しかけてきた。その子はいかにも可愛らしい、小柄な女の子だった。
「あのっ!!」
私は嫌な予感がした。
「……はい、何か?」
その女の子はしばらくモジモジした後に、小さな声で私に尋ねてきた。
「あの、戸神侑李先輩の親戚って、貴女ですか?」
私は空を仰ぎたい気持ちを抑えて、グッと堪えた。いや、なんて答える。ここで嘘をついても仕方ないし……。
「はい、一応そうですが。もしかして戸神さんに用ですか……?」
「あっ、いや、そうじゃないんですけど……」
女の子は何かを決意したように、私に急に叫んだ。
「あ、あの!私、負けませんから!戸神先輩の気を引いて見せますから!」
そう言って女の子は走って去っていった。廊下にいた人が私を見て噂していた。なんだ、その宣戦布告は……。私は戦う気など全くないのに。一体何が起きているんだ……。と、そんなことがあってから、私は噂を確信したのであった。
それから私は戸神さんに学校でアプローチするのはやめて下さい、と言おうと思いつつもいざとなったら言えなくてモヤモヤした日々を送っていた訳だ。本当に知らないふりをできたなら、どれほど良かったか……。
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「桜宮さん、いるかしら?」
教室の外で、芹沢先生が私を呼んでいた。光に「ちょっと行ってくるね」と言って私は芹沢先生の元へ行った。
「はい、なんでしょうか?」
芹沢先生は困ったような顔をして、私に手を合わせた。
「へ…?」
「ごめんなさい、桜宮さん!戸神さんに用事があるのだけれど、庭園から呼んできてもらってもいい?」
「……ええ、私がですか?!」
「ほら、生徒達の中に職員が入っていくなんて少し無粋でしょう?桜宮さんなら、戸神さんも抜けられやすいかと思って。ね、お願い!」
手を合わせる芹沢先生の頼みを、断るなんて権利は私にはない。私は引き攣る顔を抑えながら、
「……わかりました」
と、返事をした。
庭園は咲いたばかりの向日葵が揺れている。その中で話をしている女の子達は、さながら楽園の女神達の様だった。私は覚悟を決めて、庭園に一歩、足を踏み込んだ。
「あの、お話中のところすみません」
そう言って私が彼女達に近づいた時だった。一人の女の子が声を上げた。
「まあ!貴女は噂の親戚さんではなくて?」
そういうと、みんなが立ち上がって私を見た。
「本当!?ちょうど貴女のお話をしていたところだったのよ」
「さあ、こちらへどうぞ!」
彼女達は私の手を引いて、庭園へと招いた。
「へ?いや、ちょっと……!!」
背中をどんどん押され、真ん中のテーブルまで来てしまった。色々話しかけられたり、紅茶を差し出されたりして戸惑っていると、正面から声をかけられた。
「あれ、桜宮さん。こんな所で何してるの?」
紅茶を持った戸神さんは、一層輝きを放つ美しさだった。…………いや、見とれてる場合じゃなくて。周りが「やっぱりお知り合いなのね!」「お話聞かせてちょうだい」などと話している間を探して、私は、
「戸神さん、芹沢先生が呼んでます」
と、要件を伝えた。戸神さんは瞬時に理解したようで、紅茶のカップを置いて立ち上がった。
「ごめんなさい、先生に呼ばれてしまいました。少し、席を外しますね」
そう言って戸神さんは私の手を繋いだ。周りから歓声が上がる。
「いこう、桜宮さん」
「……あ、はい」
私達は向日葵の間をくぐって庭園を出た。戸神さんは私の手を繋いだまま、職員室へと向かった。
「あ、あの、戸神さん!」
「うん?なあに?」
彼女は私の手をグイグイと引っ張っていく。
「その、手を、離してもらっても……?」
「……ああ、ごめんね」
そう言って戸神さんは、案外あっさりと私の手を離した。私はふと、髪の毛が三つ編みにされていることに気がついた。今日の朝まではなかったはず。私は戸神さんの後ろ姿に、問いかけた。
「あの、素敵ですね。髪の毛……」
戸神さんはこちらを少し振り向いてから、小さく「うん」と頷いた。
「さっきのお茶会で、少しいじられてしまってね」
そう言って戸神さんは、困ったように笑った。女の子はみんな長い髪が好きだ。髪は女の命ともいうし、いろんなアレンジもできるし楽しいはずだ。お嬢様達がそんな美しい髪で、遊ばないわけがない。かわいそうに、お嬢様達のおもちゃになってしまったのか。私は同情の気持ちを込めて、慰めの言葉をかけた。
「それは大変でしたね。お嬢様はみんな、綺麗なものが好きですから……」
あはは、と苦笑いすると戸神さんはポツリと「……そうだね」と言った。気づけば職員室の前まで来ていた。私は「じゃあ、ここで」と言って教室に帰ろうとすると、戸神さんが振り返って声をかけた。
「桜宮さん、は、綺麗なものは好き?」
「え、綺麗なもの……ですか?」
私は返答に困った。まあ嫌いじゃないと言われればそうだけど、別に言うほど好きってわけでもないからなあ。言葉に詰まっていると、戸神さんは笑って
「ごめん、変なこと聞いた。案内ありがとう」
と言って職員室に入って行った。
「あ、髪の毛そのまま……」
と言った声は、閉じられた扉に遮られた。
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言わないといけないのは、自分が一番わかっている。言わなければ、このままにしていたら、被害というか困るのは私なのだ。ここは戸神さんに一言、ガツンと言わなければ……。そんな事は十もわかっているんだ。そう思い立って、すぐに言えたならこんなことにはならない。では仮に、戸神さんに言うとして、なんという?
「貴女が私を好きなのは勝手ですが、学校であまりアプローチしないでください。迷惑です」
いや、流石にはっきり言い過ぎだ。戸神さんはなるべく穏便な関係でありたい。そんな言い方したら、関係が破綻する……。では、こんな言い方は?
「戸神さん、好きな気持ちはわかるんですけど、目立つから、控えて欲しいなぁって」
ううん、なんか弱い。これで戸神さんがやめるとは思わない。一番確実だけど言い難い。しかもこの言い方だと、私が戸神さんの気持ちに答えたようにも聞こえる。そんな思い違いされたら、大変だ。学校がうんぬんどころの騒ぎじゃなくなる……。
どう言えば、アプローチを控えてくれる?
私にはそれをなるべく穏便に、そして確実に戸神さんに伝えられる言葉が思いつかなかった。諦めるしか、無いのか……。いや、そんな、こんな噂を続ける訳にはいかないんだ!ああ、私に勇気がもっとあれば!そんな事を考えて、私は学院のベンチに座り込んだ。戸神さんを案内した後、考えながらぼーっと歩いていたら外庭に来ていた。1人でベンチに座るやつなんか居ないだろう。私は人目がないことをいい事に、がくりと項垂れた。
「あら、貴女。こんな所で何してるのかしら?」
頭上から声をかけられて、すぐに頭を上げた。そこには一人の生徒が立っていた。肩より少し短い緩く巻かれた髪に、髪にくくられた赤いリボン、可愛らしい顔立ちに、可愛い声、明らかに校則違反な短さのスカート。間違いない、この人は……。
「あれ、もしかして私の事分からない?酷いなぁ、同じ学年なのにぃ!」
「いや、そんな事は……」
「……よかった!私、ずっと貴女に会ってみたかったのよ。噂の親戚さんでしょ?貴女って。」
私は逃げ出したい気持ちをグッと抑えて、何とか笑った。無理やりだ。
「親戚……なだけですよ。噂なんて……」
そう言うと「ええ〜!」なんて講義の声を上げた。
「可哀想な王子様、あんなに思い焦がれているのに気持ちに気づいてすら貰えないなんて」
そう言うと彼女は私の近くに近寄ってきた。私は座っているので、自ずと見下される形になる。
「そんなに鈍感なら簡単ね。あの王子様、貰っちゃうね?」
そう言ってくすくす笑うと、彼女は去っていった。私は思考が停止した。
「綾小路……さん」
綾小路 智花。白草女学院生から最も嫌われている、遊び癖で有名な人。
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