1-10 やり直し

「彩葉、行くよ!」


「あ、はい!」


 私は靴を履いて、玄関を飛び出した。家の鍵をかけて、かかったのを確認してから、戸神さんの元へ向かう。


「じゃあ、行こうか。」


「はい!」


今日も外は真夏日だ。太陽はギラギラと照り付けてくる。頬を撫でる爽やかな風が、唯一の救いと言ったところか。私は遥々とした青空を見上げた。入道雲が、どこまでも遠いところから登ってきている。大きくてキラキラとした白い雲は、何かの絵の様にどこまでも幻想的だった。


「今日も暑いね。」


そう言った戸神さんは、言葉とは裏腹に涼しげな顔をしていた。サラサラの髪も爽やかな風になびいていて、尚更涼しげに見える。私はどこか戸神さんが羨ましく感じた。


「戸神さんでも暑いとか、感じるんですね」


なんて少し意地悪なことを言うと、戸神さんは


「僕のことなんだと思ってるの」


と言って鈴が鳴るようにカラカラと笑った。


大きな道路に出て十字路の信号を渡ったら、白草女学院はすぐそこだ。私達は並んで信号を待った。

通勤ラッシュで車が多い道路を見ながら、私は少し声を張って戸神さんに声をかけた。


「戸神さん」


「ん?なに?」


こちらを振り向いた戸神さんの髪が、風でよく靡いている。今日は風が乾いているから、髪の毛も風にさらわれやすいんだろう。


「校舎に入ったら、私、先に教室に行ってもいいですか?」


「え……なんで?」


下から舞い上がった風に、制服のスカートが軽く風になびいた。


「だって、戸神さんが歩いたら、皆話しかけてくるから……。」


私は、なんだか自分が悪い事を言っている様な気持ちになってしまった。顔を俯けて、呟く。


「ほら、顔の傷も治っていないし、なんというか、悪目立ちするかなあ……って。」


車が通る音で、私の声なんかはかき消されてしまっているようだ。この言い訳がましい言葉が、戸神さんに届いているかはわからない。そのまま、信号が青になった。が、戸神さんは歩き出す様子を見せない。私もつられて立ち止まっていると、信号の音と人の足音の中から、戸神さんの声がした。


「昨日も言ったけど、彩葉は堂々と歩けばいい。人のことなんて、気にしなくていい。……勿論僕に気を使う必要もない。」


「……っ。でも……」


反論しようと、言葉が口をついて出かけた時だった。戸神さんは私の手首をそっと掴んで、そのまま信号へ飛び出した。


「……うわっ!ちょっと、戸神さ……、」


「それなら、こうして歩けばいいじゃない。」


戸神さんは私の手を引いて、信号をどんどん歩いて行った。私は争う事もできず、ただ戸神さんの背中を眺めることしか出来ない。長いサラサラの髪が、戸神さんの動きに連動してゆらめいている。その華奢な背中は、女の子のはずなのに、か弱いはずなのに、それは目を擦って疑いたくなるほどに、王子様みたいだった。


ギリギリで信号を渡り終わると、戸神さんは立ち止まった。手首は離さないままだった。


「僕が手を繋いでるよ。絶対に離さない。だから、安心して僕の隣を歩いて」


いいでしょ、。


振り返り、戸神さんは私に笑った。その笑顔は何にでも勝ってしまいそうな、なんでも出来てしまいそうな、そんな不敵な笑顔だった。そんな顔されたら、私は……。


「……どうなっても知りませんよ。」


「うん、どうなっても構わないよ。」


そう言って戸神さんは、私の手を引いた。

_______________________


「いやあ、とがみんってほんと王子様みたいだね。」


「…………うん。」


クーラーがかかって、涼しい教室。小鳥の囁きの様な、女の子達の話し声。私はそんな人の目も気にせず、ぐったりと机にうつ伏せた。光は「いろりん大丈夫?」と笑っている。


 結論から言えば、戸神さんが私の手を離すことはなかった。あの噴水を通ったところから、私達は好機の目に晒された。が、私は戸神さんに堂々としていて、と言われた手前どうすることも出来ず、真っ直ぐに歩いた。戸神さんの人気は昨日で不動のものになっていた。何人もの女の子達が駆け寄ってきて、戸神さんに懸命に話しかける。


「おはようございます、戸神さん。ご機嫌はいかが?」


「戸神さん。手作りのクッキーを作ったのだけれど、良かったら受け取っていただけない?」


「戸神さん、学院には慣れまして?」


なんて、朝からすごい数の女の子たちが戸神さんに話しかけたが、戸神さんはそれに対して一つずつ、丁寧に返していた。


「おはよう、まだ登校して二日目だから緊張しているよ。」


「ごめんね、クッキーはあまり好きじゃないんだ。気持ちだけいただくよ。」


「みんな美しいから、目移りしてしまうよ。」


みたいな具合に……。戸神さんはその間も、私の手を離すことはなかった。そうして一人の女の子が、意地悪そうに戸神さんに話しかけた。


「戸神さん、お隣の女の子と仲が宜しいんですね。手なんか繋いで。」


そう言って笑う女の子に、戸神さんは一言。


「ああ、彼女は特別だからね。」


周りの子たちから、驚きとも歓喜とも呼べる声が上がる。その隙をついて、戸神さんは私の手首を強く引っ張った。


「失礼、彼女と用事があるので。」


そう言って私と戸神さんは、早足で下駄箱へと向かったというわけだ。


 戸神さんは下駄箱で先生に呼ばれ、私は先に教室に向かった。たかが登校するだけで、こんなに疲れたのは初めてかもしれない。私は知らず知らずのうちに、ため息をこぼしていた。


「言い寄ってくる女の子達の群衆をかき分け、お姫様の手を引いて堂々とみんなの前を歩く…。まさにいろりんが憧れてた王子様そのものじゃない!いやあ、いろりん、昨日の今日でそんなに好かれるなんて、一体何したの?」


私は「いや、戸神さんとは昔会ったらしくて…」と、言いかけて口をつぐんだ。いけない、この事は戸神さんとの秘密だったんだ。流石の光にでも、話してはいけない。約束を、破ってしまう事になるから。私は別の言葉に言い換えて、返事をした。


「何にもしてないよ、昨日はすごくお世話になっただけだし。それと、その、私が王子様好きな話、戸神さんにはしないでね」


光はにやにやとした顔で、私を見ていた。


「なあにそれ。戸神さんには知られたくないなんて、意識してるじゃん。」


「高校生にもなって王子様に憧れてるなんて、戸神さんじゃなくても言えないでしょ!」


光は「まあ、確かに」と納得した素振りを見せた。


「とにかく、言わないでよ。誰にも。」


「わかってるよ、言わない言わない、いろりんと私だけの秘密ね。」


そう言って話していたら、教室のドアが大きく開かれた。光も、私も驚いてそちらを見てしまった。そこには女の子に囲まれた戸神さんがいた。話をしながら、こちらに近づいて来る。まあ、席が隣なんだし、こちらに来るのは当たり前なんだけれど。私の隣の席に着くと、女の子達は一層話を盛り上げ始めた。「好きなお菓子はなんですか?」や「今日は一段と美しいですわ」とか、そんな言葉が飛び交っている。私が苦笑いしていると、光が耳打ちをしてきた。


「でもいろりん、今日はとがみんの学校をやりなおすんでしょ?」


「……うん、まあやり直すって言っても、普通に学校生活を送ってもらいたいだけなんだけど……。」


私は昨日の夜の会話を、思い出していた。


『明日、学校をやり直しましょう!普通に登校して、普通に授業受けて、普通にお昼ご飯食べて、普通に帰りましょう!白草女学院も案内しますし、私に出来ることならなんでも……!』


『うん、楽しみにしてるね』


勢い余ってあんな事を言ってしまったけれど、果たして私ができることなんて何があるだろうか。精々、学院を案内することぐらいで、でもそんなこと、他の子がきっとやってしまうだろう。私は物珍しそうに戸神さんを見ている光に、尋ねてみた。


「光」


「うん、え、あ、はい、何?」


「私が戸神さんにできることってなんだろう。」


「え?!」


「…………何?」


「いろりんが自分から誰かに何かしようとするなんて、珍しい……。やっぱり、昨日とがみんと何か……。」


「だから何もないってば!!」


思えば今まで自分から誰かに何かをしようとしたのは、お母さんぐらいしかない。もしかして、今日の私っておかしいの??

私は頬に手を当てて、考えた。ふと、昨日の戸神さんの手の感触を、思い出したような気がした。

_______________________

 成果は上々だと思う、私は体育館のベンチに座りながら、今日の事を振り返っていた。午前中はほとんど座学だったが、戸神さんはそれを全て完璧にこなしていた。当てられれば正解を答え、化学の実験はグループで一番いい結果を出していたし、古典の授業では教科書をすらすらと読んでいた。まさに眉目秀麗・頭脳明快という言葉が似合うお嬢様のようだった。本当に私は何もすることがなかった。戸神さんは自分の力でやり直せたじゃないか、と内心少し申し訳ない気もした。昨日は私のせいで早退までしてくれたのに、私はなんの力にもなれないとは。考えるのは嫌になって、体育館の真ん中を見るともう試合は始まっていた。

 今日の体育はバスケだ。私の天敵、ボール遊び。試合に参加しても足手まといになることはわかっているので、自ら点数係をやっている。点数が2点、また2点と入っていくたびに私は点数板をめくった。現在得点は16−10。圧倒的な点数差だ、それもそのはずだ。同じチームに光と戸神さんがいるのだから。戸神さんがあんなに運動神経がいいとは、だれも予想していなかった。私は歓声を上げている女の子達の目線の先を見た。戸神さんがドリブルしながら、軽やかに走っている。何人かが守りに入るが、それをものともせず、戸神さんはその場からスリーポイントシュートを成功させた。そこで前半の試合が終わった。女の子達は一気に戸神さんに駆け寄った。中にはタオルを渡したりしている子もいる。モテモテかよ、これは共学の時も凄かったんだろうな。なんて、私は戸神さんに少しだけ同情した。まぁ、戸神さんが言い寄ってくる女の子達をどう思っているかは、わからないけれど。私がそれをぼーっと眺めていると、隣に誰かがどさっと座った。


「点数係、大変ご苦労!いろりん」


座ったのは、首にタオルを巻いた光だった。


「光こそ、お疲れ様。相変わらずだね。」


光は流れる汗を拭きながら、暑そうに壁にもたれた。


「ああ、とがみんはかなわないよ。運動もできるなんて、非の打ち所がないよね。」


私は光の目線の先にいる、戸神さんを眺めた。相変わらず、言い寄る女の子達に紳士に対応している。何を言われているのかはわからないが、お嬢様達の褒め合いに参加させられているなんて、


「王子様も、楽じゃない、か……」


そういえば、シンデレラに出てくる王子様も各王国から来るお姫様達を煙たがっている描写があった。王子様はたとえどれだけしんどくても、笑っていなければならない。それが、王子様の務めだから。そう考えてしまうと、案外王子様って…………。


みんなと笑い合っていた戸神さんと、一瞬目があったような気がした。私を見て、笑いかけたような……。


「いろりん?大丈夫?」


「……へ?」


気づけば光が心配そうに私を見ていた。


「何かあったの?」


「いや、一瞬目があったような気がして……」


「目があった?」


私が光にそう説明して戸神さんの方を見ても、戸神さんはさっきと変わらずに女の子達と話をしているだけだった。私の方なんか、見向きもしていない。


「いろりん?」


私は胸に何かがつっかえたような、居心地の悪さを感じた。これ以上は、気付いてはいけない。


「いや、なんでもない。私の思い違いだったみたい。」


そう言って、私は戸神さんから目を離した。体育館に吹き込んでくる夏の風は、どこか少し冷たかった。

_______________________


「では、皆さん。暑さには十分気をつけるように」


「「起立、姿勢、礼。ありがとございました」」


私は鞄を持って、光に声をかけた。


「光、また明日ね。今日は何部なの?」


「うん、今日は水泳!記録取るから頑張らないと!」


「……そっか。頑張ってね。」


「うん、ありがといろりん!じゃあまた明日!」


そう言って光は手を振り、教室を出ていった。私も手を振りかえした。教室にはまばらに人が残っていた。私も部活には入っているが、今日は休みだ。さっさと帰ろうと、ドアに足を向けた時だった。


「桜宮さん、帰ろう」


正面から声をかけられて、私は固まってしまった。帰る準備をした戸神さんが、私を待っていたかのように立っていた。


「あ…、戸神さん……」


取り巻きのようなあの女の子達はいない。上手く言いくるめて帰ってもらったのだろうか。


「あ、もしかして何か用事あった?」


戸神さんが心配そうに、私の顔を覗き込んだ。まただ、また距離が近い。私は数歩だけ後退りした。


「いや、何にもありませんよ。……帰りましょうか」


そう返すと、戸神さんは「よかった、何か用事があったのかと思った」と言って教室のドアに向かった。私は置いていかれないように、その背中を追いかけた。

_______________________


 学園の校門を出て、大きな道路に出る。十字路の大信号は赤だ。私達は並んで信号を待った。教室を出てから、なぜだか私達は一言も話していない。戸神さんは真っ直ぐ歩くだけだし、私は後をついていっているだけ。もしかしてこういう時って、私から声をかけるべきなんだろうか。私は勇気を振り絞って、声をかけた。


「あの、戸神さん。今日は、大丈夫……でしたか?」


戸神さんは道路を走っていく車を、ずっと見ていた。その目は何を写しているのかも、わからない。私の声が届いているようには感じなかった。もしかして、聞こえなかった?どうしよう、もう一度話しかけた方がいいかな、なんて悩んでいたら、戸神さんはゆっくりと口を開いた。


「うん、彩葉が心配することは何もないよ。共学とは違う雰囲気があって、それはそれで楽しかった」


どこか冷たいような、言い方だった、なんか昨日と雰囲気が違う……?なんて考えていたら、ふと背後から声がした。


「おい、あれって白草女学院に生徒じゃね?」


「嘘!?白草って全寮制じゃねーの?」


そう言っているのは、20代ぐらいの男の人達だ。まぁ白草の生徒が外を出歩くなんてほとんど無いから、こう言われるのも珍しくはない。私も何度か遭遇した事があるし、特に戸神さんは美人だから尚更目を引いたのだろう。


「それにしても、あの長い髪の子。綺麗だな。」


「ナンパしてみる?案外遊んでくれるかもよ?」


信号が青になった。途端、戸神さんは「ごめん」と言って、私の手を掴み早足で歩き始めた。私は抵抗しなかった。この場から早く離れたい気持ちはわかるからだ。あんなこと言われて、誰も良い気持ちになんかならない。戸神さんは信号を渡り終わると、大通りを抜けて住宅街に入った。人目が少なくなったところで、戸神さんは私の手を離した。そのまま歩く戸神さんについていきながら、私はフォローを入れた。


「戸神さん、大丈夫でしたか?時々ああいう事、あるんですよね。ほら、白草って外出禁止だしみんな寮に入ってるから…」


「……ああ、うん。ああいう事もあるよね。白草女学院に通ってたら。帰宅組も大変だね」


そう言って笑った戸神さんの顔は、なんというか元気がなかった。どことなく疲れているような……。


「戸神さん……、疲れてます……?」


そう声をかけると、戸神さんは歩くのをやめて振り返った。私をじっと見ている。赤い夕陽が後ろから照っていて眩しい。その影が差し掛かり、戸神さんの表情がよく見えない。


「……少し、疲れちゃった。僕って根性ないからさ」


どんな表情をしているかわからず、私が何かを答える前に戸神さんはまた歩き始めた。戸神さんは弾んだ声で私に話しかけた。


「彩葉は知ってる?あの有名なシンデレラって、実は怖い話なんだよ」


「シンデレラ……ですか?」


「そう、シンデレラ。最後のシーンの、靴が入らなかったシンデレラの義姉達は、継母に言われてそのまま足の指を切り落としちゃうんだって」


「へえ……、それは痛いというか、怖いですね」


「まあ、そうだよね……」


そんな事を話していたら、気づけば家の前まで来ていた。戸神さんは庭を通り過ぎ、家のドアの前で立ち止まった。


「彩葉はさ、もし王子様と結婚できるなら、そこまでできる?もしお母さんに言われたら、そこまでする?」


戸神さんは弾んだ声のまま私に尋ねた。私は急な質問に少し考え込んだけれど、すぐに返事をした。


「いや、いくら結婚できるからってそこまではできません。もっと他の方法を探すし、お母さんに言われても、自分の足の指を切り落とすなんてそんな……」


そう言うと戸神さんは思いっきりこちらを振り返って、安心したように笑った。


「良かった、なら安心だ。」


そう言って戸神さんは鍵を開けて、家に入っていった。私は戸神さんの言葉に首を傾げることしかできなかった。一体何が聞きたかったのだろうか?

ふと空を見上げると空は赤く染まり、夕焼け雲が高く遠く登っていた。


1.出逢い、新しい家族

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る