1-9 コーヒーと思い出

「彩葉、彩葉」


優しく声をかけられて、ゆっくりと目を開けた。いつの間にか日が沈んで、部屋は真っ暗だった。その中で、人影が揺れている。ああ、戸神さんか。真っ暗でよくわからなかった。私は深く息を吸ってから、またゆっくりと吐いて、返事をした。


「戸神さん、もうそんな時間ですか?」


そう尋ねると、戸神さんはゆっくりと頷いた。


「もう19時だから、夕ご飯にしよう」


「……はい」


私は返事をして、ベットからゆっくりと体を起こした。

_______________________

 一階に降りると、お母さんはもういなかった。夕方には出掛けたのだろう。私はお母さんが出てくるという恐怖に怯える事なく、洗面台にいった。洗面台で顔を洗い、タオルで拭く。お昼、私がどんな顔をしていたかはわからないが、顔色は大分いい。これも戸神さんの看病のおかげだ。私はちゃんと感謝を言おうと、心に決めた。髪の毛が寝たせいで乱れていたので、手櫛でなんとか整えた。いくら家族だからと言っても、戸神さんの前でだらしない姿を見せたくはない。やっぱり白草女学生らしい姿をしなければ、というのがついてきて離れなかった。私は洗面台の鏡で、ワンピースに皺を伸ばして、髪をなんとか整えてからリビングに向かった。


リビングに向かうと、いい匂いが漂っていた。


「戸神さん、お待たせしました」


そう言ってテーブルに近づくと、戸神さんがキッチンから顔を出した。戸神さんは自前のエプロンをしていて、両手にお皿を持っていた。


「ああ、彩葉。もう準備終わるから、座って」


戸神さんはそう言ってテーブルに料理を運んできたので、私は言葉に甘えて先に椅子に座った。戸神さんは最後の料理を運び終えたようで、エプロンを外して椅子にかけて、席についた。


「お待たせ、食べようか、では」


「「いただきます」」


手を合わせてから、私は置かれていたスプーンを持った。目の前にはお昼にも見た、小さい土鍋が置かれている。蓋を開けると、今度は普通のお粥と梅干しが乗っていた。


「またおかゆっていうのもどうかなって思ったんだけど、今日までは一応病人だから」


「いえ、むしろ気遣ってもらってありがたいです。最近梅干なんて食べてなかったから、美味しそう!」


私はそう言って、スプーンでお粥を掬い一口口に入れた。お粥は程よい塩味で、やっぱり暖かくて優しい味がした。私は自分の頬が緩むのを感じた。


「やっぱり、美味しいです。戸神さんの作るお粥は優しい味がします。」


そう言うと、戸神さんは首を傾げた。


「……優しい味?」


私はこくりと頷いた。


「戸神さんのお粥を食べて思い出したんです。昔、お母さんが作ってくれたお粥のこと。それも卵のお粥だったんです。それも優しい味がして、なんだか似てるなあって。」


そう言って戸神さんを見ると、優しく笑っていた。


「そうなんだ。彩葉が喜んでくれたなら良かった、それだけで作って良かったって思えるよ」


その顔は王子様じゃない、あの年頃の女の子みたいな顔だった。


「やっぱり、その顔の方がいいです」


「え?」


「戸神さんらしいです、その笑顔の方が」


そういうと、戸神さんは嬉しそうに笑った。


 私達はその後、楽しくお話をしながらご飯を食べた。こんなに和気藹々としたのは、いつぶりだろうか。私は心が暖かくなるのを感じていた。家族で団欒するってこう言う事だったな、なんて事を思った。戸神さんもそうであってほしいなと思った。戸神さんが今までどんな家庭で育ってきたかはわからないけど、ここが戸神さんにとって温かい家族だと感じられる場所だといいな。私はそう願いながら、暖かいご飯を食べた。


「ご馳走様でした。ご馳走になったので、お茶碗ぐらい洗わせてください」


そう言ってキッチンにお皿を運ぼうとしたら、上からひょい、と取り上げられてしまった。


「それは明日お願いするね、今日は僕がやるから」


そう言って戸神さんはお皿を洗い始めてしまった。仕方がないので、私はテーブルだけ拭いて椅子に座り、戸神さんが終わるのを待った。ふと、お母さんはご飯を食べただろうか、と考えた。きっと今頃、戸神さんのお父様と美味しいフレンチでも食べているのだろう。私からすればご飯をちゃんと食べているなら、もうそれでいい。健康で元気でいてくれれば、それで。私は目を閉じて、少しだけお母さんの事を思った。今日の朝は怒られてしまった、期限を損ねてしまった。お昼には酷いことも言われた。傷ついた。でも夕方には、メッセージをくれた。やっぱりお母さんはまだ私を大切にしてくれてると思う。こうして育ててくれてるし、ご飯もたまには食べてくれるし。まだ、愛されていると思う。自信は、もうほんの少ししかないけれど。まだ、まだ愛されてると感じられる。だから私は――。


「彩葉、コーヒーどうぞ」


 考えを断ち切るように、コップが鈍い音を立てて置かれた。目を開けると、前で戸神さんが微笑んでいた。


「あ……」


ありがとうございます、と言うはずだったのに声が出なかった。私は、その笑顔を知っている。遠い昔、誰かが私にそう笑いかけた。あの優しくて、綺麗な笑顔は一体どこで見たんだっけ。すこし、後ちょっとで思い出せそうなのに、思い出せない。ただ、思ったことは「その笑顔は、誰かに似ている」と言うことだった。私がぼーっとしているのを不審に思ったのか、再度戸神さんは私に声をかけてきた。


「彩葉?どうしたの?」


わたしは大きく息を吸い込んだ。


「いえ、なんでも……」


次は出ないなんてことはなく、しっかりと声に出た。私は安心して、コップの中身を見た。ほろ苦くていい匂いがする。覗いてみると、中はコーヒーだった。


「コーヒー?」


そう尋ねると、戸神さんは椅子に座ってこくり、と頷いた。


「そう、コーヒー。僕のお気に入りのやつ。」


そう言いながら戸神さんはコーヒーに、砂糖とミルクを沢山入れていた。


「彩葉は、コーヒー好き?」


戸神さんはスプーンで、クルクルとコーヒーをかき混ぜていた。


「あんまり、飲まないですね。」


そう言うと、戸神さんはミルクと砂糖を私に差し出した。


「好きにいれてどうぞ?」


「……ありがとうございます。」


そう言って私は、ミルクを少しだけ入れた。


「そっか、僕は結構飲むんだよね。って言っても今見た通り、ミルクと砂糖を沢山入れるんだけどさ。」


黒いコーヒーの中に、白いミルクが混ざりあっていく。私はそれをただたんと見ることしか出来なかった。


「お父様が、よくコーヒーを飲むんだ。ブラックで。それをよく見てたから、ちっちゃい頃からの夢でずっとコーヒーが飲みたかった。でも高校生まではダメって言われてたんだ。」


「…………可愛い夢ですね。」


そう言うと戸神さんはから笑いをして、話を続けた。


「それで、高校生になって初めてコーヒーを飲んだ。何も入れずにね。そしたらすごく苦くて、飲めたものじゃなかったんだ。あの時はすごくガッカリした。コーヒー飲めないなんて、大人になれないって。」


戸神さんはコーヒーに口をつけて、1口飲んだ。


「それからコーヒーをよく飲むようになったんだ。砂糖とミルクを沢山入れてね。カッコつけて飲んでるけど、本当は甘いの。笑えるでしょ?」


戸神さんはコーヒーをさらに飲んだ。


「僕の秘密。少しは嫌な事、忘れられた?」


「え?」


そう言って顔を上げると、戸神さんは


「目を伏せて悲しい顔をしてたから、嫌な事思い出してるのかなーって」


どうしてこの人にはわかってしまうんだろうか。お母さんの事は、別に嫌な事じゃないけど。思い出すと辛い。悲しくなって、苦しくなって、息苦しくなる。今の自分に足りないものばかりが欲しくなる。そんな気持ちを、どうして見透かしてしまうのだろう。

私は目の前のコーヒーに口をつけた。ほろ苦いコーヒーがミルクの甘さで緩和されて、ちょうどいい甘さを生み出している。コーヒーなんか飲んだ事あまりないけれど、素直に美味しいと思えた。目の前の戸神さんは、悠然とコーヒーを飲んでいる。まさかそのコーヒーは、砂糖とミルクがたっぷり入った甘いものだなんて予想もしないけど。そう思うと、自然と頬が緩いだ。


「不思議です。さっきまで色々考えてたのに、コーヒーでどうでもよくなっちゃった。戸神さんはかっこいいふりして、甘いコーヒーを飲んでますし」


そう言うと戸神さんは笑って「ええ、」と言った。


「かっこよく見える?」


私はこくりと頷いた。


「かっこいいです。まさかそれが甘いコーヒーだなんて思いません」


「じゃあ、みんなを騙せちゃうね」


戸神さんはそう言ってコーヒーをまた飲んだ。


コーヒーで戸神さんに励まされて、私の心はスッキリ軽くなっていた。私は改めて今日の学校の事を思い出した。やっぱり、やり直すべきだと思った。戸神さんのためにも、せっかくの新しいスタートだから。私はコーヒーを置いて、戸神さんに声をかけた。


「戸神さん、ありがとうございます。気持ちが晴れました」


戸神さんは笑って、


「それは良かった」


と言った。私は続けて話した。


「だから、戸神さんにお返しがしたいです。」


私は前のめりになって、戸神さんの手を握った。


「明日、学校をやり直しましょう!普通に登校して、普通に授業受けて、普通にお昼ご飯食べて、普通に帰りましょう!白草女学院も案内しますし、私に出来ることならなんでも……!」


勢いよく喋ってしまったせいで、戸神さんは驚いてしまっていた。が、


「ふっ、あははは、わかった。いいね、じゃあ明日は再出発日だ。」


と言って笑ってくれた。


「はい、白草女学院はいい所ですから、是非ご案内します」


「うん、楽しみにしてるね」


私たちはそう言って、笑いあった。


コーヒーのカップを片付けてから、私達はお風呂を済ませた。時間は9時を指していたので、お互い部屋の前で別れた。


「おやすみなさい、戸神さん」


「おやすみ、彩葉」


そう交して、私は自室の扉を閉めた。ベットサイドの携帯を見ると、メッセージが入っていた。メッセージアプリを開けると、光からだった。


«いろりん、体調は大丈夫ですか?授業のノートは取ってあるから、安心して明日移してね!立花先生も芹沢先生も心配してたから、しっかり体調ととのえてね!»


«戸神さんとは、大丈夫でしたか?»


私は心配のメッセージに、思わず笑ってしまった。相変わらず光は心配症だけど、その心遣いは嬉しい。私は、


«ありがとう、心配かけてごめんね。戸神さんの看病のおかげで、体調は回復しました。ノートありがとう。明日写させてもらいます。光もゆっくり休んでね。»


とメッセージを送り返した。トーク画面から、ホーム画面に戻ると新しい友達が増えていた。簡潔な字で、«戸神 侑李»と表示されている。アイコンは白い百合の花だ。今日の朝、お庭の掃除を見ていたしお花好きなのかな〜と思った。トーク画面開くと、まだ何も送っていないため、まっさらだった。


 家族だから……、そう、家族だから交換しただけで、別に好きとかそういう感情はないし……、ないはず……。私はスマホをぎゅっと胸に抱きしめて、心の中で呟いた。


«戸神さんと、少しずつ距離が近くなっていってる»


«いつか本物の、家族になれますように»


その時だった。メッセージが来たことを知らせる通知音がなった。驚いて画面を見ると、まっさらだったトーク画面にメッセージが来ていた。


«ゆっくり休んでね。明日楽しみにしてる。»


たったそれだけのメッセージなのに、心がじんわりと熱くなった。


「明日、楽しみにしてる、か……」


私は興奮する気持ちを抑えて、返信をした。


«ありがとうございます。明日は良い日にしましょう»


すると直ぐに既読が着いた。


«ありがとう»


私は明日が楽しみだな、と心を躍らせながらスマホをベットボートに置いた。


部屋の電気を消すと、窓から月明かりが差し込んでいた。私はその明かりを見つめながら、布団に潜り眠った。


«明日は良い日になりますように»1-9

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