1-8 子守唄に代わって

「ご馳走様でした」


そう言って私は手を合わせた。戸神さんが作ってくれたお粥をなんなく完食し、私のお腹は十分に膨れた。


「食べ切れた?」


戸神さんは、私からお盆を取って机の上に置いた。


「はい、とても美味しかったです。ご馳走様でした」


「よかった、お粗末さまです」


と言って、戸神さんは布団をぽんぽんと叩いた。私が顔を傾げると、戸神さんは


「食べたら寝る。彩葉は一応病人なんだから」


と言って、私を布団に誘導しようとした。


「えぇ、食べてすぐ寝たら牛になっちゃいます」


「ならないから、ほら」


そう言って布団をめくったので、私は渋々眠ることにした。私が大人しく布団に入り、横たわると戸神さんは私に布団をかけてくれた。


「じゃあ、お皿洗ってくるね」


戸神さんは机の上に置いてあった土鍋を持って、部屋を出ていった。


温かいご飯に、暖かい布団。こんなに手厚い看病は久しぶりかもしれない。

いや、あれはいつの頃の話だっただろうか。たしかまだ小学生の頃だったと思う。ちょうどこれぐらいの暑さの時期に、朝から風邪を引いて、小学校を休んだことがあった。ずっと布団で眠っていて、退屈でつまらなくて、こんな事なら学校に行きたいと思っていた。そうしてお昼時に、お腹がすいて部屋をうろちょろしてたら、お母さんがキッチンに立っていた。


『何してるの、おかあさん』


と、背中に声をかけた。するとお母さんは笑って、


『あらあら、お腹がすいたの?』


と私の頭を優しく撫でてくれた。コンロの上では

、何かがふつふつと煮だっていた。


『何か作ってるの?』


そう聞くと、お母さんは笑って


『卵のお粥よ。一緒に食べましょうね』


と言って、お粥をお皿についでテーブルの上にだした。ホカホカと湯気がたったお粥は、いつものご飯より、優しくて美味しそうで暖かかった。私が『おいしい!』と言って食べ、お母さんの顔を見ると、お母さんは優しく微笑んだまま――


『――――――――――――――――』


あれ、なんて言ってたんだっけ。もう、だいぶ昔の事だから思い出せないな。ああ、こんなことを思い出したのは、戸神さんが卵のお粥を作ってくれたからだ。私は懐かしい思い出に、頬が緩んだ。そういえば、お父さんがインフルエンザにかかったこともあったっけ。私はお父さんの寝ている部屋の扉を、ずっと叩いていたっけ。それで、確かお母さんと一緒にお粥を作って――――――――――。


―――――――――――――――――――――――


  頭の隅っこで、パラパラとなにかをめくる音がする。なんだろう、本、かな。誰かが近くて本を読んでる?私は重い瞼を、上にあげた。


電気は消されていて、カーテンが閉じられているせいで部屋はほんのり暗かった。ベットの横に置かれているランプだけが、優しく周りを照らしていた。ゆっくりと横を見ると、誰かの頭があった。この緑でサラサラの髪は、戸神さん――?戸神さんは座って何かをしている。またパラパラ、となにかをめくる音がする。ああ、本でも読んでるのか。なんの本を読んでるのだろうか、こんなあかりの中で。私は戸神さんの背中に、手を伸ばして――――。


「………………彩葉?」


私の手が届く前に、戸神さんが振り返った。手にしていたのは、やはり本だったらしい。なにか分厚い本を読んでいる。戸神さんは本を閉じて、私に向き直った。


「お皿洗って帰ってきたら、彩葉、眠っちゃってたから。横で本読んでた。ごめん、ランプ眩しかった?」


戸神さんは申し訳なさそうに、私を見た。私は戸神さんの言葉をゆっくりと噛み砕いて、理解した。


「いいえ、……眩しく、ないですよ」


そう言うと戸神さんは安心したように笑った。


「良かった。……もう少し、そばにいても、いい?」


私はこくりと頷いた。


「何の、本。読んでいたんですか?」


そう尋ねると、戸神さんはああ、と言って、本を手に持った。


「昔父親がくれた本でね、よく読むんだ」


そう言って戸神さんが見せてくれたのは、何かの単行本のようなものだった。白い表紙に、タイトルが刻まれている。


「思い出の本、なんですね」


戸神さんは本をじっと眺めて、頷いた。


「うん、そうだね。思い出の本……」


本を見ている目はどこか懐かしそうだった。戸神さんにも、そんな思い出があるんだと嬉しくなった。


「戸神さん」


「ん?」


「わがまま、聞いて貰えますか?」


「うん、いいよ」


「私と、戸神さんが出会った時の話、教えてください」


戸神さんは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑って


「いいよ」


と答えてくれた。


「あれは、まだ僕が5歳ぐらいの時だった。お父様に連れられて、公園に行ったんだ。地元の小さい公園。そこには草むらがあってね、僕は四つ葉のクローバーを探してたんだ。」


私は戸神さんの話から、その風景をイメージした。お父さんに連れられて公園に来た小さい戸神さん。きっと、元気に四つ葉のクローバーを探しているんだろう。


「それでね、しばらく探してたら遠くから親子連れが来たんだ。若いお母さんと、僕と同じくらいの女の子。そしたら。近くにいたお父さんが僕に言ったんだ。『侑李、君のお母さんと妹だよ』って」


戸神さんは何処か懐かしいものを思い出しているような、顔をしていた。


「僕はその時、意味がわからなくてただその女の子を見ていたんだ。そしたらその女の子がね、僕に花で作った冠を被せてくれたんだ。僕はどうしてくれたのか不思議で、その女の子に聞いたんだ。『どうしてくれたの?』て」


私は頭で想像しながら、その話の続きを待った。


「そしたらその女の子が笑って言ったんだ。『あなたはとくべつなひとだから』って。僕はその時、思ったんだ。ああ、この子は僕の運命の人だって。」


戸神さんは私の顔を伺うように見てから、


「だからね、追いかけて来たんだよ。わかった?彩葉。」


と言った。私はその言葉で、朝のあの言葉を思い出した。


「戸神さんが言ってた、会いたい子って、まさか」


戸神さんは困ったように眉を下げて、言った。


「やっと気づいた。気づくのが遅いよ。」


私はドキドキする胸が、止まらなかった。昨日の告白、朝の言葉、そして思い出の話。それらは全て私の事を話していたんだ。そう気づいた瞬間、ドキドキが止まらなかった。戸神さんは続けて話した。


「僕は彩葉を追いかけて、白草に転入した。彩葉に会いたかったから。」


私は自分の胸の戸惑いが隠せなかった。戸神さんが小さい頃私と出会い、運命の人だと感じた。そして再会するために白草に転入してきた。その話はわかった。でも、私は残念ながらその話を覚えていなかった。記憶を漁ってみるが、全く思い出せない。


「あの、戸神さん。せっかく素敵なお話を聞かせてくれたのに、申し訳ないんですが……、私、全然覚えてえないんです。その、小さい時のこと」


そう正直に告白すると、戸神さんは笑って答えた。


「でも忘れてはないだろう?だから、いつか思い出してくれると期待してる。でも、そんな事しなくてもね、」


そう言って戸神さんは私の顔に近づき、そっと囁いた。


「絶対僕のことを好きにさせるよ」


そう言って、戸神さんは不敵に微笑んだ。私は何も言葉が出なかった。その顔にただ、見惚れるしかなかった。戸神さんと何秒間視線を交わし、戸神さんは私から離れていった。


「ほら、お話は終わり。まだ夕ご飯まで時間あるから、寝てて?」


そう言って戸神さんは、布団をかけ直してくれた。私は布団から、戸神さんに声をかけた。


「戸神さん、お家なんだから制服は脱いで下さい。ちゃんと着替えたら、近くで本、読んでもいいですよ。」


そういうと戸神さんは笑って、「わかった」と答え、部屋を出ていった。


 私は布団に入り直して、改めて戸神さんの話について考えた。5歳の頃、草むらのある公園、父親と一緒に来ていた女の子、クローバーを探していた……。だめだ、見当もつかない。疑っているわけではないが、そもそもそんなことあったのだろうか。もしあったならお母さんか、戸神さんのお父さんが覚えているはず……。かと言って聞ける勇気もないし。


『あなたはとくべつなひとだから』


「私、戸神さんに何言っちゃってるの……。」


急に恥ずかしくなって、私は布団を頭まで上げた。そんなこと言われたら、確かに運命の人だと思う気持ちもわからなくはない。でも、そんなのって小さい子の戯言かもしれないし、大体本気にして戸神さんにも問題が……!と、そこまで考えて、私はため息をついた。


『絶対僕のことを好きにさせるよ』


絶対なんて、この世にはない。確かに気持ちは揺らぐけれど、恋愛的に好きかと言われたらそれはない。だって、まだ会って2日目だし、まだお互いのことなんかほとんど知らない。いや、もしかしたら戸神さんは私のこと、知ってるのかもしれないけれど。絶対に好きになるなんて、ありえない……はず……。私はベットボードに置いてあったスマホに目をやった。そうだった、連絡先を聞くんだった。私はスマホを取り出して、画面を見た。時計は15時を表している。お母さんから、メッセージが入っていた。


⦅侑李ちゃんが具合悪いみたいだから、しっかり看病してあげて。お母さんは今からお父さんの所に行くから、戸締りはよろしく。侑李ちゃんに家事をやらせる事がないように。⦆


今返信したら、家にいるってバレてしまう。返信するのは、17時ぐらいにしよう。私はそう思い、スマホの電源を切った。部屋はクーラーのおかげで涼しい。私は窓を見た。カーテン越しでも暑いとわかる。やっぱり早く帰ってきてよかった、と安堵した時だった。


こんこん、控えめなノックが響いた。


「どうぞ」


というと、おずおずと戸神さんが入ってきた。戸神さんは私服に着替えていて、なんだか新鮮な感じだった。


「私服、なんだけど、変じゃないよね……?」


戸神さんはなんだか気恥ずかしそうにしていた。戸神さんの格好は、白の薄いシャツに黒のズボン、ベージュのカーディガンといった至ってシンプルな格好だ。むしろ着飾っていない方が似合っている気がする。


「似合ってますよ」


と返すと、戸神さんは安心したように胸を撫で下ろして、ベット脇に座った。


「椅子に座らないんですか?」


「いや、このほうが集中出来るから。」


と言って、膝を立てて座っている。それならいいか、と私はそれ以上何も言わなかった。


「16時になったら、夕ご飯の準備しにいくね。」


そう言って、戸神さんは本を開いた。お昼ご飯を作ってもらったのだし、夕ご飯ぐらいと思ったが、戸神さんのことだから断固として作らせてくれなさそうだと思い、言うのはやめた。その代わり、お母さんからの伝言を伝えた。


「戸神さん、お母さん今日はお出かけするそうです。夜はいないみたいです。」


「ああ、さっき部屋に来て出かけてくるって言ってきたよ。じゃあお母さんの分のご飯はいらないかな?」


「多分、食べてくると思います。」


「そっか、わかった。」


戸神さんは頷いて、答えた。


「眠れない?」


「え?」


戸神さんは微笑みながら、私に尋ねてきた。


「顔色もいいし、たくさん寝たから大分元気になったみたいだけど、もう少し休んでほしいのが本音」


心配……してくれているのだと思う。確かにたくさん寝たから、あまり眠くはない。本当なら洗濯物でも干したいところだけど、戸神さんは許してくれないだろう。私はんー、と考えて思い出した。


「じゃあお言葉に甘えて、休みます。暇つぶしじゃないですけど、戸神さん」


「ん?」


「連絡先、交換しませんか?一応家族ですし、何か合った時のために……」


戸神さんは、「ああ、確かにね」と言ってスマホを取り出した。


「メッセージアプリのやつでいいよね?」


と言って、戸神さんが開いたメッセージアプリの画面に私は思わず驚いた。


「お友達、多いですね……」


「ああ、これは」


といって、戸神さんは説明してくれた。


「よく女の子に、連絡先交換してくださいって言われるんだ。断るんだけど、断り切れない時もあって…」


「それでそんな数に……」


「消すのもなんだかね、今だにメッセージとかくるし」


そう言って戸神さんは困ったように笑った。もしかして、というか今日の学校での姿を見ていて思っていたけれど、戸神さんは女の子にモテる。異常なぐらいに。まあ、元々美人だから人の目を引くけれど、中性的な感じが女の子にハマるんだろう。この様子だと、転校前の学校でも随分とモテた様子だ。


「あの、戸神さんの転校前の学校って、女子校ですか?」


「いや……共学だったけど」


私はありゃりゃ、と思った。これは男子はさぞ悔しい思いをしたことだろう。ライバルが男ならまだわかるが、超美少女、しかも女の子なんて。それとも、男女関わらずモテたのだろうか。やっぱり戸神さんは謎多き人だ……。


「どうかした?彩葉」


「あ、いや、戸神さんは以前の学校でもモテたんだろうなあって……」


「いや、そんなだよ。大したことじゃないから。ほら、早く交換しよう」


そう言ってスマホを差し出してきたので、私も差し出しお互いの連絡先を交換した。


「これで何かあっても安心だね」


「はい、良かったです」


そうして交換が終わったところで私は、戸神さんの本に気がついた。


「本、読むんでしたね。ごめんなさい、邪魔しちゃいました。私ももう一度寝直しますので、ゆっくり読んで下さい」


戸神さんは「うん、ありがとう」と言って、本を開いた。私も布団に入って、瞼を閉じた。

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