1-6 秘密と涙

チャイムの音で、目が覚めた。

あれ、これって何時のチャイムだっけ……。ていうか今何時だ……?私、どのぐらい眠ってたんだっけ。私はタオルを頭から下ろし、ゆっくりとベットから足を下ろした。立ち上がると眠りすぎたのか少しフラフラする。いけないいけない、と頭を抱えながら私はカーテンをゆっくり開いた。カーテンの先では立花先生がパソコンで仕事をしていた。私は保健室にかけてある時計を見た。12時…12時!?私の記憶では確か二時間目の途中で保健室に来たはずなのに、どうしてもう二時間も経ってるんだ。私は恐る恐る立花先生に尋ねた。


「あの、立花先生。私どのくらい眠っていたのでしょうか…?」


立花先生は椅子から立ち上がり、私のところまで来て、額に手を当てた。


「今は4時限目が終わったところです。一度目を覚ましてから、今までずっと寝ていましたよ。…熱は少しは下がったようですね。」


それだけ言うと、どこかに電話し始めた。私はそんなに長く眠っていたのか…。まだグラグラする頭に嫌気がさした。体が特別弱いわけでもない。なのにこんな情けない事になってしまって…。私はベットに腰を下ろした。記憶が正しければ確か今から早退するとかだったような…。立花先生はまだ電話していて、声をかけることはできない。本当にこのまま家に帰されるのだろうかと、不安が心を占めていた時だった。


「立花先生〜!荷物持ってきました。」


扉を開けて入ってきたのは、光だった。


「ひ、光!!」


「おお!!いろりん、気が付いたの?よかった〜!」


そう言って光は私に抱きついてきた。


「わっ!!ちょっと光…!」


「いろりん〜、よかったよ…。」


光は私を強く抱きしめた。その力強さから私を心配してくれてるんだと、実感できた。


「ごめんね、光。驚かせちゃったよね。運んでくれてありがとう。」


「いいんだよ〜、いろりん顔色が良くなったね。よかった。」


そう言って光はにこりと笑った。その笑顔に私もつられて笑顔になる。やっぱり光は太陽のような人だ。いつでも周りを照らしてくれる。光とそんな話をしていると、電話を終えた立花先生がこちらにやってきた。


「成瀬さん、戸神さんは連れて来ましたか?」


「はい!今、帰りの準備をしてます。もうすぐ来ると思いますよ。」


私はまさかの名前に驚きを隠せなかった。


「光、戸神さんって一体どういう…?」


「ああ、戸神さんはね!」


そこでまた扉が開いた。


「立花先生、桜宮さんの様子は…。」


そこに立っていたのは、鞄を持って完全に帰る準備をしていた戸神さんだった。戸神さんは私を見ると安心したように、ため息を吐いた。


「よかった、桜宮さん。倒れたって聞いて、とても心配したんだよ。その様子だと少しは体調良くなったのかな。」


戸神さんは私に近づくと、「失礼。」と言って額に手を当てた。


「戸神さん…、あの…。」


「ん、熱はないね。良かった。何?どうかした?」


戸神さんは私から手を離すと、心配そうな顔で私を見ていた。


「なんで、戸神さんがここに…。鞄まで持って。」


「ああ、それは…。」


光が私の鞄を渡してきて、戸神さんの言葉の続きを話した。


「芹沢先生からの伝達だよ!いろりん、今日は早退!だけど一人で返すのは心配だからどうしようってなってたら、戸神さんが看病してくれるって。」


光がそういうと、戸神さんは頷いてみせた。


「そういうわけで、一緒に帰ろう。桜宮さん。」


私はニコニコと笑う二人についていけず、質問ばかりしてしまった。


「で、でもそんな…、戸神さんに迷惑が…。」


「僕は構わないよ。」


戸神さんは即答して笑って答えた。光は私の肩を叩いて、


「そういう訳だから、いろりん。今回は戸神さんに甘えて家でゆっくり休んで?学校は明日もある訳だし、ね!」


と励ますように言った。いつの間にか立花先生がドアを開けていて、


「説明が終わったならさっさと帰りなさい。桜宮さんは明日にそなえてしっかり休むように。」


と言い放って私たちを見ていた。


「じゃあ、いこうか。」


戸神さんが私の背中を優しく押して、ドアに向かわされる。


「え、ほ、ほんとに帰るんですか!!」


そう言う私を無視して光まで立花先生に、


「先生、私、2人を見送ってきますね!」


なんて言っちゃって、私と光と戸神さんは保健室を出た。


「歩いて帰るけど、大丈夫?鞄ぐらい持とうか?」


戸神さんがそう言って手を差し伸べてくる。


「い、いえ。そんな、大丈夫です。」


私は少し無理して笑って戸神さんの誘いを断った。が、隣にいた光が、


「いろりんの大丈夫は信用出来ないからな〜。」


なんて余計なことを言うから、戸神さんの心配する気持ちが増してしまったようだった。戸神さんはしきりに、「大丈夫?」「無理しないで。」と声をかけてくれた。その姿はさながらご主人様に待てをくらってる子犬みたいな……いや、こんなこと言ったら失礼か……。私は戸神さんにゆっくり

「大丈夫ですから。そんなに心配されたら困っちゃいますよ?」と言うと、戸神さんは「そっか」と言って、しゅんとなった。そんなこんなしていたら、靴箱に着いていた。


私と戸神さんが靴を履き替えていると、光はそれをニコニコとみていた。


「何笑ってんの?光。」


光は嬉しそうに「いやぁ〜」と言って話し始めた。


「いろりんを支えてくれる人が、1人増えたなぁって思ってさ、それが嬉しくて。」


「支えてくれる人……?」


そう尋ねると光は勢いよく頷いた。


「戸神さんには気を悪くしないで欲しいんだけど……、正直いろりんの家に転がり込んで同居って言われてめっちゃ心配した。お母さんもあんな感じだし、まず戸神さんといろりんが一緒に生活できるのか〜、とか色々考えてた。」


「光……。」


私は光がそこまで重く受け止めて、いたことに驚いた。


「でね、戸神さんにいろりんの様子が悪いって伝えた時、戸神さん、いろりんの事すっごく心配してくれたの。それが嬉しかった。戸神さんは本気でいろりんの事、考えてくれてる。そう確信できたから、今日も任せられた。」


光はそう言って、戸神さんに頭を深く下げた。


「だからね!戸神さん、いろりんの事よろしく。」


光がそんなに真剣に何かを言うのは初めてで、私はその場で固まってしまった。すると隣の戸神さんが、


「頭をあげてください、成瀬さん。」


と言った。光は恐る恐る顔を上げた。


「桜宮さんは僕の家族も同然です。心配するのは当たり前ですよ。むしろ桜宮さんをこんなにも心配してくれてる人がいて、僕は安心しました。ありがとう。」


戸神さんはそう言って光に綺麗に笑った。それにつられてひかりも笑う。私はこの2人に感謝以外の言葉がなかった。


「戸神さんも光も、ありがとう。」


「うん!もちろんだよいろりん!」


そう言って光はお大事にと手を振った。


「あ!そうだ!」


光は何かを思いついたように、戸神さんに話しかけた。


「いろりんの友達は、私の友達!って事で、お友達……なってくれませんか?戸神さん。」


戸神さんは驚いたようにしていたけれど、直ぐに光の手を取って頷いた。


「いろりんの友達は、私の友達っていい言葉だね。僕も嬉しいよ、成瀬さん……じゃぎこちないね。なんて呼べばいい?」


「光でいいよ!じゃあ私はなんて呼ぼっかなぁ、侑李だから……ゆうりん!じゃなんか変だし……とがみん、とがみんとかどう?」


「うん、いいと思う。」


「じゃあ決まりだね!とがみん!」


「うん、ありがとう光!」


「おっと、長話しちゃったね!じゃあいろりんを宜しく!とがみん。」


じゃああね〜!と大きく手を振る光に手を振り返しながら、私たちは靴箱を出た。


―――――――――――――――――――――――


「体調が悪くなったらいつでも言って。鞄持たなくていい?」


戸神さんは忙しなく私の体調を気遣ってくれた。私はその過保護加減に苦笑いしながら、


「大丈夫です。ありがとうございます。」


と返答した。また倒れたと聞いたら心配する気もわかるが、私の体調は今は落ち着いている。立ちくらみやめまいもしないし、ましてや頭痛や吐き気なんてこれっぽっちもない。熱も1度は上がったが、今は下がったし。それよりも戸神さんだ。私の看病のせいで、せっかくの初登校日がダメになってしまった。私は戸神さんの後ろをとぼとぼ歩きながら、


「あの、戸神さん。」


と、声をかけた。戸神さんは「どうしたの?」と言って私の数歩先で足を止めてくれた。


「ごめんなさい。私のせいで、せっかくの初登校日だったのに朝から散々ですよね……。追いかけてきた子だって探せなかっただろうし……。」


私は気が重くなり、そのまま俯いてしまった。夏の涼しい風が、私と戸神さんの間を流れていく。風で髪が舞い上がって、戸神さんの長い髪が綺麗になびいた。


「……彩葉。」


その声に反射的に顔を上げると、戸神さんは私をじっと見ていた。


「……はい。なんで、しょうか……。」


「本当に僕は構わないんだ。彩葉のためだったらなんでも出来る。今日だって彩葉と登校できて嬉しかったんだ。僕は今日が散々だなんておもってないよ。」


「……そんな事……。」


綺麗事…と思ったけれど口をつぐんだ。私は綺麗事なんて生意気な事、戸神さんに言える立場じゃない。私は単純に気になっていたことを戸神さんに尋ねていた。


「なんで…。」


「ん?」


「なんで、私の事が好きなんですか?」


「へ?」


戸神さんは呆気に取られたような顔をした。


「迷惑かけても構わないとか、私のためだったらなんだってできるとか…。会ってまだ1日なのにどうしてそんな事が言えるんですか?…戸神さんってもしかしてよく遊んでるとか?」


また夏風が吹いて、戸神さんの髪を撫でるようにサラサラと通り過ぎた。戸神さんの顔が一瞬だけ、髪で隠された。私は気が散漫していて、綺麗な髪だな、いいな。なんてぼんやり考えていた。戸神さんは考えるような素振りをみせた後、私に近づいてきた。…緑の髪が綺麗になびいている。


「本当は秘密にしようと思ってたけど、バレちゃったから教えてあげるね。これは絶対に秘密、誰にも言わないで。」


戸神さんは私の唇に人差し指をあてた。


「僕と彩葉はね、ずっと昔に会った事があるんだよ。」


私は思わず喋り出しそうになったが、戸神さんの人差し指がそれを止めた。


「彩葉は僕のお姫様なんだ。運命の人なんだ。だから優しくするし、大事にする。こんな事は他の誰にも言わない、彩葉だけだよ。」


そういうと、戸神さんは人差し指を離した。


「さあ、帰ろう。日差しも強いし、これからもっと暑くなるよ。」


戸神さんはそう言って、私の手を引いて歩き出した。私も手が引かれるがまま歩き出す。戸神さんの後ろ姿は、華奢で細くて女の子って感じなのにどうしても⦅王子様⦆という印象が離れなかった。それから家に着くまで、私たちは一言も話さずに歩いていた。



「すぐに二階に上がって、お母さんにバレたら大変。」


玄関で靴を脱いでいた時、先に上がっていた戸神さんはそう言った。私はこくりと頷いて、家に上がった。ドアを静かに開けた先のリビングは閑散としている。ふとテーブルの上を見ると朝、置いていったお皿が無くなっていた。どうやらお母さんはご飯を食べてくれたらしい。私はほっとして、息をついた。その時だった、玄関の方からガチャり、と音がした。


「彩葉、上に上がって。早く。」


そう言って戸神さんに背中を押され、私は急ぎ足で階段に向かった。数段上がったところでリビングに誰かが入ってきたようだった。私は階段にひっそりと屈んで、リビングの様子を伺った。


「あら、侑李ちゃん?学校はどうしたの?」


リビングに来たのは、お母さんだ。戸神さんは階段の前に立ってくれている。


「ちょっと体調が悪くなっちゃって……、ごめんなさい。早退してしまいました。」


「そう、まぁ、初日だから仕方ないわ。白草女学院は人も多いし、侑李ちゃんも疲れたでしょう?」


「はい……、人混みはなれなくて。」


戸神さんはお母さんに話を合わせている。


「ところで、彩葉は迷惑かけなかった?」


「え?彩葉さん……ですか?」


「あの子、白草女学院に不相応でしょ?どんくさくて地味だし、一緒に歩くの恥ずかしいのよね。」


そう言ってお母さんはため息をついた。私は目の前が急に真っ暗になったような気がした。お母さんは私の事そう思ってたなんて……。昔は、優しいいい子って言ってくれてたのに。私のどこがダメだったんだろう……。私、こんなに頑張ってるのに。


「なに、それ……。」


私は目尻が熱くなるのをかんじて、2階に駆け上がった。下から、


「あれ、まさか彩葉がいるの?」


というお母さんの声が聞こえたが、無視して私は自室に駆け込んだ。





私はカバンを落として、ベットの横に座り込んで頭を布団に押し付けた。


お母さんは私のことをあんな風にしか思ってくれてない。お母さんは私の事が恥ずかしかったのかな。これでも白草女学院にふさわしい生徒になろうと努力はしてきた。せめてお母さんに鈍臭い所は見せないように、家事はたくさん練習した。服や格好だって持ってるもので、なんとか地味に見えないようにしてきた。あと何が足りなかったんだろう。私は、またお母さんに迷惑かけて、お母さんに恥をかかせていたんだ。上手く出来ていたと舞い上がっていた自分が恥ずかしい……。


私は溢れてくる涙を止めることが出来ず、ただただ布団にしがみついた。悔しくて、恥ずかしくてたまらなかった。こんな事を聞いてしまうなら、無理してでも学校にいれば、授業に出ればよかった。私はどうしようも無い思いをぶつけることも出来ず、ただ泣き続けた。

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