1-2 慌ただしい朝
「もしかしてお花、好きなんですか?」
私は花をじっと見ている戸神さんに尋ねた。
「いや、花はあんまり…。」
戸神さんは目を細めて言った。私はその姿を横目に見ながら、水道の蛇口を捻った。ホースから水が出てきたのを確認して、花が咲いている庭に水をかけた。花達は水を浴びて、太陽の光に照らされ生き生きとしている。私は戸神さんに水がかからないように細心の注意を払いながら、水をかけていった。
「花なんてあんまり触れる機会はなかったな。家には生花が飾ってあったけど、お手伝いさんが手入れしていたし。」
戸神さんはそう言って、花々を見つめていた。が、私はその発言に驚きを隠せなかった。家にお手伝いさんがいたなんて、戸神さんのお父様はとんでもないお金持ちなんだろうか。まぁ、白草女学院に転入出来るなんてそうそうなお金がないと無理だから、きっとお金持ちなんだろう。私はとんでもないエピソードに苦笑いしながら、笑って答えた。
「そうなんですね。でもお家の中に生花が飾っているなんて、羨ましいです。」
そう言うと、戸神さんは花に触れていた。
「綺麗な花だね、これは全部彩葉が育ててるの?」
戸神さんが触れたのは多年草で、色とりどりの小さな花が咲く花だ。名前に草と入っているが、綺麗な花を咲かす。夏の暑さにも強い花で、私が毎年必ず植える花だ。
「はい、まぁ、初心者なんですけどね。元々はお母さんが好きで、一緒によく育ててたんです。お母さんと植物事典を見ながら花の名前を探したりして…。今はあんなですけど、元々は本当に優しい人で私にもよく、」
そこで私は喋るのをやめた。しまった、話しすぎてしまった。なんで花を育ててるかなんて聞かれたことなかったから、ついつい喋り過ぎてしまった。私はすぐに笑顔を作って、戸神さんに謝った。
「ごめんなさい、関係ない話でした。今は私が育てています。最近までは紫陽花が咲いて綺麗だったんですよ。今度は朝顔を植えるつもりです。」
そう言って戸神さんを見ると、戸神さんは花に触れるのをやめて私をじっと見つめていた。
「いいね、朝顔。小学生の時に植えたよ、懐かしい。」
そう言って笑った戸神さんの笑顔は、あまりにも完璧すぎたし美しすぎて少し怖く感じた。私は強い視線に全て見透かされるような気がして、逃げるようにして蛇口の水を止めた。
「……朝顔、懐かしいですよね。私も小学生の時学校で育ててました。…付き合ってもらってごめんなさい。家に戻って朝ご飯にしましょう!」
私はホースを素早く片付けて、戸神さんを通り過ぎて家の玄関へと向かった。家のドアを開けて、戸神さんを見た。
「さあ、家に入ってください。暑いでしょう?」
戸神さんは私をじっと見ていたけれど、すぐにこちらへ来て「開けてもらって悪いね。」と言って玄関に入った。長いサラサラの髪が、戸神さんの動きに連動してなびいている。本当にこの人は何から何まで綺麗な人だな、と思った。
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「先にご飯食べてていいですよ。私お母さん起こさなきゃなので。」
「…僕も一緒に行っていい?」
昨日から思っていたが戸神さんは距離感が近い。こんなにも綺麗な人が近くにいると、恐縮してしまう。私は断ることもできず、苦笑いしながら「…はい。」と答えるので精一杯だった。
私が朝にするべきことは主に三つある。朝ご飯を作る事、庭の手入れをすること、最後にお母さんを起こす事だ。どんなに夜遅く帰ってきてても朝ご飯を食べてもらわなきゃいけない。なんだってお母さんは朝9時からお仕事なんだから。早く起きないと遅刻しちゃうし、朝ごはん食べないとお仕事も頑張れない。お母さんを起こすのは、私の大事な仕事なのだ。私はお母さんの部屋の前に立って、控えめにノックをした。もちろん返事はない。
「お母さん、入るよ…?」
そう声をかけて、私は扉ゆっくり開けた。
部屋は相変わらずカーテンが閉められており、あんなに眩しい夏の日差しも入っていない。床には脱ぎっぱなしの服やペットボトルが散乱していて、まともに歩けたものじゃない。私はそれを足でかき分けながら、お母さんが眠っているベットへ向かった。ベットの上で布団を被って丸くなっているお母さんに、私は声をかけた。
「お母さん、朝だよ。起きて。」
そう言って体を揺する。勿論こんなので起きるわけが無い。私はさらに近づいて、声をかけた。
「お母さん、ほら朝だよ。」
そう言って布団に手をかけて、めくろうとした時だった。中からお母さんの白い手が伸びてきて、私の頬を強く叩いた。私はその衝撃に耐えられず、尻餅をついた。
「彩葉!!」
そう言って戸神さんが私の背中に手を添えてくれた。突然のことで、驚かせてしまっただだうか。ああ、ちゃんと説明すべきだった、と後悔したのも束の間、お母さんは布団の中から起き上がっていた。その顔を見て、私は失敗したと思った。
「彩葉、今日は休みだって言ったでしょ!!!全く、休みの日ぐらい寝かせてよ!!この役立たず!!」
そう叫んだお母さんは、近くにあった枕を私に容赦なく投げてきた。私は戸神さんに、
「部屋を出ましょう。」
と言って起き上がり、お母さんに
「ごめんなさい、朝ごはんは机の上に置いてるから食べてね。」
とだけ言い残して、戸神さんの手を強引に掴んでひっぱり部屋の外へ出た。扉を閉じて、ため息をつく。私は様子を伺うようにして、戸神さんを見上げた。戸神さんはなんともいえない表情をしている。
「あの、ごめんなさい。お見苦しい所をお見せしてしまって…。」
申し訳ないと言う気持ちを込めてそういうと、戸神さんは私の顔色を伺うようにして
「お母さん、いつもあんな感じなの?」
と、尋ねてきた。
「今日はお仕事お休みなのに、起こしちゃったから怒らせちゃっただけで、あの、いつもはもっと違うんです。今日だけ、今日だけなんです…。」
そう取り繕うが、戸神さんは神妙そうな顔をしたままだった。昨日は機嫌が良かったからこんなことになるとは、全く予想していなかった。昨日聞いておくべきだったのに…。戸神さんの事ですっかり忘れていた。私は自分に反省、反省と言い聞かせた。こんなことは日常茶飯事なのだから、気にすることはない。こんな事で落ち込んでいたら、毎日をやってはいけない。そう心に言い聞かせて、戸神さんに向き直った。戸神さんは心配そうにわたしを見ていた。
「…大丈夫ですよ。お母さん、ちょって手がでちゃう時もあるけど普段は優しいですし、戸神さんに手をあげることなんてないと思います。さあ、朝ご飯にしましょう。すっかり遅くなっちゃってすみません。」
なんて誤魔化して、私は掴んだままの戸神さんの手を離した。そうしてリビングに行こうとして、腕を後ろから引っ張られた。
「うわっ、」
後ろに倒れそうになった私の体を受け止めたのは、戸神さんだった。後ろから腕を回され、抱きしめられている体勢になる。
「と、戸神さん???!!!」
慌てる私を無視して、戸神さんは私の耳元で囁く。
「守れなくて、ごめん…今日の夜、お母さんのことちゃんと聞かせて。僕も自分の事、話すから。」
「は、はい…。」
しどろもどろになりながら返事をすると、戸神さんは腕を解いて、
「朝ごはんも食べなきゃだし、頬も冷やさなきゃ。」
と言って、私の腕を引っ張りリビングへと連れて行った。
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「これ、あざになっちゃうな、痛くない?」
そう言って戸神さんは私の頬に優しく触れた。戸神さんがしている手袋の皮の冷たい感触に私は少しびっくりしてしまった。
「大丈夫です、このぐらい。ガーゼでも当ててれば、すぐ治りますから。」
と言って私は救急箱を取り出した。こういう時のための備えはしてある。別に今日が初めてな訳じゃないのだから。これぐらいの準備、しとかなくちゃ。私は箱を開けて、ガーゼとテープを取り出した。すると、戸神さんが私の手からガーゼとテープを取った。
「僕がするよ、桜宮さんは大人しくしてて。」
そう言って戸神さんは慣れた手つきでテープを切り、ガーゼに貼り付けていく。
「触るよ、痛かったらごめんね。」
戸神さんは丁寧な手つきで頬にガーゼを貼った。優しい手つきのおかげで、あまり痛まなかった。私は頬に手を当てて、ちゃんと貼られているか確認した。いつも自分でする時よりも、ずっと綺麗に貼られているような気がした。少し腫れてきているけど、まぁ、大丈夫。私は戸神さんに微笑んだ。少し、頬が痛んだ。
「ありがとうございます、こんなことしてもらっちゃって。戸神さんテーピングお上手なんですね。自分でするよりも、ずっと綺麗です。」
「こんなので喜んで貰えるなら、いくらでも僕がするよ。今日は体育とかない?あんまり動かない方がいいと思うんだけど…。」
そう言って私を見上げた戸神さんは、今にも泣き出しそうな子犬の目をしていた。なんて顔しているんだ、とそんな戸神さんの顔を見て、思わず笑ってしまった。
「なんて顔しているんですか?これぐらい大丈夫ですよ。私、そんなに病弱じゃないですし!こんなの、すぐに治りますからね、?だからそんな泣きそうな顔をするのはやめてください。」
戸神さんはしばらく私をじっと見ていたけれど、「そうだね、ごめん。」と言って、私から離れた。
「さあ、朝ごはんにしましょう!」
そう言って私は椅子から立ち上がり、テーブルの上のおかずたちを電子レンジで温め直した。
「何か手伝う事ある?」
と立ちっぱなしで聞いてきた戸神さんに、
「大丈夫ですよ、座っててください。」
と声をかけ、コップにお茶を注いで運んだ。温め直したおかずも並べて、私も座る。
「では、いただきます。」
「いただきます。」
朝7時30分。私たちはなんやかんやあって、やっと朝ご飯を食べることができた。
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「戸神さん、学校の行き方わかります?」
テーブルを拭いている戸神さんに、私はお皿を洗いながら尋ねた。戸神さんは首を傾げて答えた。
「いや、一応調べはしたんだけど…。もし桜宮さんがよかったら、一緒に登校してもいいかな?」
「もちろん、私なんかでよかったら案内しますよ。というか、これからは一緒に登校する事になりますよね。家が一緒なんだから…。」
そう言うと、戸神さんは
「嬉しいよ、桜宮さんと同じ学校で一緒に登校まで出来るなんて。」
と言ってあのお決まりの眩しい笑顔を見せた。や、やっぱり眩しい…!私は、はは、と息を漏らした。お皿洗いが終わり、私は手を拭いて戸神さんに声をかけた。
「じゃあ行きましょうか、戸神さん。白草女学院に。」
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