第13話
「何だい、藪から棒に」
「トマス・チャタトンっていう18世紀イギリスの詩人を知ってる?」
俺はかぶりを振った。話が見えないので、無言で続きをうながす。
「彼は貧しい階級の生まれだったけど、詩に関しては神童だったの。11歳で自作が新聞に掲載されるくらいのね。けれども10代半ばになった彼がやったのは、トマス・ローリーという15世紀の架空の詩人をでっち上げて、自作の詩をそのローリーの作として他人に売り込むことだった。だからいま彼の名が知られているのは、偽書の作者として」
俺はまた別の意味でぎくりとなった。彼女、何か勘づいているのか?
「そんなマイナーな人をよく知ってるなあ」
内心の動揺を悟られまいと笑って言うと、
「こう見えても大学は英文科だったんだから」
とまさみも笑った。
「話を戻すけど、なぜチャタトンの名前が残っているかというと、偽作の完成度が高かったから。とても14、5歳の少年が書いたとは思えないほど、15世紀当時のボキャブラリーや言い回しが完璧に再現されていて、詩そのものも素晴らしいの。偽作と判明したあとでも、彼を天才として称える人が大勢いるほど。でもね私、最近こんなことを思うようになった。彼は偽作をしたんじゃなくて、本当に15世紀の人の声を聞いて、それをそのまま書いたんじゃないか……って」
「…………」
「晶くんの作品を読んでいても、似たようなことを感じるの。一作一作テーマも作風もばらばらで、どんな作家から影響を受けたのか見当つかないし、こうやって家に来てみるとほとんど蔵書もないし、ものすごく斬新なことを書くかと思うと部分的にめちゃくちゃ時代錯誤だったりするし。私の妄想したチャタトンみたいに、ここではないどこかからの声を聞いて書いているみたい」
「で、それのどこが俺がいなくなる話とつながるの」
「チャタトンは自殺したの。17歳の若さで」
「俺は自殺なんかしないよ」
「わかってる。でもね、こんなことを考えてしまったの。チャタトンの自殺は貧困が原因というのが定説。でもひょっとして、ここではないどこかの声に呼ばれて、そちらへ向かって旅立ったのだとしたら、晶くんも……」
また声が潤んだ。どう答えたものかと思案していると、
「なーてね。私も晶くんの書いたものに洗脳されてきたみたい」さすがに照れくさくなったのか、目頭をこすって笑った。「どう? こういうのはSFにならない?」
「そうだなあ。たとえば昔の人の残留思念が保存される謎の空間があって、特殊な脳の器官を持って生まれた者だけがそこにアクセスできる、という設定はどうかな」
「面白そうじゃない。それで1本書いてよ」
「まあ、いまは1年先まで予定がびっしりだからそのうちに」
似たような話を何とかして思い出さなくちゃいけないな、と内心で苦笑した。
それにしても俺たちは、なぜピロートークでまで本の話をしているのか。まあ「ほら貴方のロケット、こんなにコチコチ……」みたいなしょーもない下ネタをかましている夫婦よりはずっとマシだが。
しかし彼女の勘はあなどれない。図らずも俺の秘密を言い当てている。
もっとも彼女といえど、これがパラレルワールドをまたいだ盗作だとは夢にも思わないだろう。それに――俺はいいことをしているのだ。この世界にSFをもたらしたのだから。その功績に比べれば、立証のしようのない盗作など問題ではない。科学技術は元いた世界と同じレベルで、インターネットが世界中をつなぎ、ドローンが飛び交い、一方で環境汚染や地球温暖化が問題化しているのに、SFが存在しない方がおかしいのだ。どう思います、皆さん?
俺はある新聞に求められたエッセイで、
「全人類は目下科学の恩恵に浴しつつも同時にまた科学恐怖の夢に脅かされているのだ。このように、恩恵と迫害との二つの面を持つのが当今の科学だ。神と悪魔との反対面を兼ね備えて持つ科学に、われ等は取り憑かれているのだ。斯くのごとき科学時代に、SFがなくていいであろうか」
と書いた。――ま、これもパクリなんだけど。
「うっ」不意に股間を握られて俺はうめいた。
「ほら晶くんの残留思念はまだこんなに残っている。予定が詰まっているっていうけど、こっちは1年先まで我慢できる?」
「あはは、これは一本取られたな。よーし、それじゃ謎の空間にアクセスするか」
「あ、だめ、そんなに激しくしちゃ」
こうして俺とまさみは本来の活動に戻った。ああ、これじゃ結局あの夫婦と一緒だ。
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