第12話

「びっくりしましたよ。車に撥ねられたと聞いたものですから」


 病院の個室で俺は言った。加藤さんはベッドの上。笑顔だが頬に貼られた絆創膏が痛々しい。


「奇跡的にかすり傷で済みました。精密検査をして異常がなかったら、数日で退院できますよ」と加藤さん。「でもね、事故に遭ったときは、ひき逃げでもされたら大変だと思って、スマホで証拠写真を撮ったんですよ。もう必死で」


 さすが仕事ができる人は違う。スマホを見せられると、ひび割れた画面いっぱいに、下から見上げるアングルで車のバンパーが大写しになっていた。俺は思わず言った。


「うわ、車のバンパーって意外ともろいんですねえ。人間が当たるだけでこんなに壊れるなんて」

「あのね、車のバンパーはわざと壊れるように作ってあるんですよ。壊れることで、ぶつけられた人間にも、ぶつけた方のドライバーにも大きな力がかからないようになっているんです。鈴沼さんって、意外と科学のこと知らないんですねえ」

 その話はもういいから。


 雑談をしているうちに、見舞客の退館する時刻になった。それじゃ、と言って席を立ちかけたところ、後ろから腕をつかまれた。びっくりするくらい強い力だった。


「お願い、帰らないで」振り向くと加藤さんが言った。その目は、作家を見る編集者のものではなかった。「淋しい」


 こうして俺と加藤さん――いや、まさみは俺の家で同棲するようになった。


「こんなところに傷痕があるのね……」ベッドの上で、まさみは俺の左肘を指でなぞった。「こういう仲にならなければ、絶対気付かなかった」

「子供のころ、親戚の家で転んだんだ」


 言いながら俺は思った。


 伯父から傷痕の話を聞かされたときには、どうでもいい情報だと思ったが、結果的にはひとつのヒントになった。


 俺がこの世界に転生したとき、どのように現れたのか。何もない空間に、テレポーテーションみたいに体ごとボンッと出現したのか。


 おそらくそうではない――と俺は次のような仮説を立てていた。体はこの世界の俺のまま、意識だけが元いた世界から飛ばされてきたのだ、と。憶えのない傷跡が、その証拠だ。


 俺と対談した科学者は、素粒子のような極微の世界を操作し観測するには膨大なエネルギーがいると言っていた。だとするならば、ロケットの墜落で生じたエネルギーが、意識と関係する粒子に作用してこのような結果をもたらした可能性は、十分に考えられる。


 では、本来こちらの体の主人だった意識はどこへ飛ばされたのだろうか? 「もしかして」「私たち」「「入れ替わってる~~~?」」状態になったとか。


 もしそうだとしたら、もう一人の俺はあの墜落に巻き込まれたことになる。まず助かるまい。他人事(?)ながら気の毒だ。


 そしてこの俺の意識は、今後もずっとこの世界に留まり続けるのか? また何かのはずみで飛ばされる可能性は絶無と言えるのか?


 そんな事態になったら、俺は――。


 まさみが強く抱きついてきたので、俺の思考は中断された。地肌から地肌へ体温が直で伝わってくる。


「晶くん……」彼女の声は心持ち潤んでいた。「私の前から突然いなくなったりしないでね」


 心中を見透かされたみたいで、俺はぎくりとした。

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