第11話

『ムスタング・サリイの日誌』も好評をもって迎えられた。続く『豹よ、豹よ!』を刊行するとすぐアニメ化のオファーがあったので、二つ返事で許可を出した。元いた世界では、本来の作者の遺族から許可が下りず、アニメ製作会社は泣く泣く別の小説を映像化していたから、江戸の敵を長崎で討った気分だった。『果しなき時空の果に』を書いたときは、「果」には「果て」と送り仮名をつけるべきと主張する校閲部と喧嘩になった。


 こうした小事件はいくつかあったものの、俺と加藤さんは作家と編集者としてヒット作を連発する黄金コンビと業界で目されるようになった。


 こうした状況を受けて、杜の道社では世界初のSF雑誌の創刊を決めた。編集長は加藤さん、編集顧問は俺だ。誌名は『星雲』である。俺と加藤さんは毎日のように連絡を取り合い、最低でも週に一度はカスミで会って、打ち合わせを重ねていった。


 俺の元には室街書房や現々社といったほかの出版社からも注文が来はじめた。


 こうして俺は押しも押されもしない売れっ子作家となった。『科学時代の新文芸』『新らしい冒険と新らしい恐怖、新らしい諷刺と新らしい文明批評』と、世間はSFというジャンル自体を持ち上げた。


 俺はいい気分だった。俺自身が持ち上げられることより、(印税でウハウハな件はさておいて)SFが評判になることが嬉しかった。SFというジャンルはやはり凄いのだ。でなければこれだけ多くの読者を掴むことはないのだから。


 売れっ子作家になると、小説以外の注文も増えてくる。インタビューだとか、誰かとの対談だとか。


 俺はそういう仕事も積極的に受けた。そうして、SFの面白さ、存在意義を訴えた。


 しかしその中には困惑してしまうようなものもあった。たとえば科学者との対談である。


 自慢じゃないが俺は理数系にはからきし弱い。高校時代は慣性の法則と微積分で赤点を取ったニュートン以前の脳みそだ。


 そんな奴を脳科学プラス量子力学の研究者との対談に引っ張り出すなんて無謀もいいところじゃないか。どう思います、皆さん? まあ内容を理解せずに、ジョージ・イーグルトンの『万物順列消失』を記憶のまま丸写しして発表した俺も悪いのだが。


 恐る恐る行った対談の現場は、予想通り悲惨なことになった。


 この科学者はいきなり、

「鈴沼さんのことですから、脳量子理論はご存じですよね」

 ときやがった。「のことですから」と言われても。


「は、はあ、まあ何となくは」

「あれはまだ仮説ということになっていますが、いかがお考えですか」

「あ、あの、脳量子理論というのは、意識が量子物理学の観測問題と関わっている、という話ですよね」

「簡単に言えば、そういうことですね」

「つ、つまり、意識とはシュレーディンガーの猫みたいなもので、蓋を開けてみるまで生きているか死んでいるかわからないと。ね、猫じゃ猫じゃとおっしゃいますが、猫が箱入って毒ガス吸って来るものか」


 同席している編集者へ、目でヘルプを送るが知らんぷりをされた。そういえばこいつ、ここへ来る道々「僕は法学部出身ですから」と言っていたのはこのための予防線だったか。でも、この対談を文字起こししてまとめるのはお前なんだぞ! 助け舟を出してくれたっていいじゃないか! これが加藤さんだったらと思わずにいられない。


 約1時間、それでも何とかごまかせた(と思う)のだが、もう終わりだとつい油断して言ってしまった。


「し、しかし、素粒子みたいな極微の世界を探るのって、さぞや細かい作業なんでしょうねえ。ち、ちまちまちまと」


「とんでもない、むしろ逆ですよ」相手の表情と口調には、明らかにこいつそんなことも知らんのかという色があった。「理論上の粒子を実際に検出するためには、ものすごく巨大な施設と膨大なエネルギーが必要なんです。国際リニアコライダーILCの消費電力をご存じですか。約170万キロワットですよ。黒四ダムの発電能力が約330万キロワットですから、施設ひとつでその半分以上を使ってしまうんです」


 へろへろになりながら対談会場を後にすると、スマホが鳴った。杜の道社からの電話だった。

 かけてきたのは加藤さんではなく彼女の同僚だった。話を聞いて、俺は目を剝いた。

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