第10話

「そろそろ2作目に取りかかりましょう」と加藤さんから電話があった。


「どういうのがご希望ですか?」と俺が訊く。何しろこっちにはストックがたっぷりあるのだ。前回ははじめてだったので、とりあえず『夏への突破口』をぶつけてみたが、これからは出版社のマーケティングに合わせて出していけばいい。


「そうですねえ。『夏への突破口』には、あまりコンピュータの話ってなかったと思うんですよ。でもいまの世の中、これだけインターネットが発達していますよね? それにふさわしい作品がほしいんですが」


 それならネタは決まったも同然である。各国のSF賞を総なめにしてサイバーパンクの聖典と呼ばれた、ウォルター・ギルモアの『ムスタング・サリイの日誌』だ!


 場所はカスミ、初稿を渡してから最初の打ち合わせ。

「この電脳空間サイバースペースってのは何……」

 と加藤さんは言い、

「インターネットのサーバとどう違うの……」

「いわば情報の織り成す仮想の世界」

 と俺はキリンの生を手酌で注ぎながら、

「そこへ没入ジャック・インするには電極トロードが必要。電極とはアナログな肉体とディジタルな情報を直接ダイレクトに繋ぐインターフェイスさ。境界なし。時間差タイム・ラグなし」

 カスミはデッドテックな喫茶店コーヒーショップだ。あの時と違い俺たちも大人しいから、マスタもこちらに注意を払わず、グラスを磨いている。店のあちこちには、幾組かのヒソヒソ声。俺は説明を続け、

「電脳空間に没入した者は、情報そのものを、五感として体験する。輝くマトリックス、論理ロジック格子ラティスってェ訳さね」

「それは何となくわかったけど、今度の文体、すっごく凝ってる」

「俺は凝り性アーティーストなのさ」

「でも読みづらい、粗雑クルードって人もいそう」

「容赦ないね、相棒」

「それが編集者の商売ビズだから、ね。ヤバい要素は、あらかじめ潰しとかないと。売れる本も売れなくなる」

粗雑クルードに見せたければ繊細テクニカルに、繊細に見せたければ粗雑に。そいつが俺の流儀。でもいまは、繊細でなけりゃ粗雑も装えない。そこんところ見抜けなけりゃ、ただの阿呆」

「あと、港の空の色が、空きチャンネルに合わせた空の色ってのは……。雲一つない快晴ってこと……」

「それは地上波ディジタルの話。アナログなら、灰色の砂嵐。すなわち虚無」

「そこだけ古い」


「言われてみればその通りですね」と素の文体に戻って俺は言った。だいたい俺が飲んでいるのもキリンじゃなくてコーラだ。自分で書いてみてわかったが、あの文体には妙な伝染性があるらしい。

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