第9話

 結局、『夏への突破口』は全面的な改稿を施して出版された。


 時代設定を1970年のアメリカから90年代半ばの日本へ移し、問題のヒロインの年齢は物語冒頭の時点で高校生へと引き上げた。ロボットやアンドロイドといった概念を説明しなくてはならない上に、そういうものが存在する架空の歴史にしてしまったので、つじつま合わせが大変なことになった。


 どこかでそんな映画を見た気もするが、まあいい。


 出版されると、例のある趣味嗜好をお持ちの方々からは大バッシングを受けたものの、新聞・雑誌などアナログのメディアでも好意的に採り上げられ、ベストセラーのリストに入った。投稿したままのバージョンだったら、ここまでの反響は得られなかったに違いない。加藤さんの指摘は正しかった。


 テレビの情報番組からも取材を受けた。このことは、思わぬ副産物を俺にもたらした。唯一の親戚である遠縁の伯父が連絡してきたのだ。


 この伯父とは――少なくとも元いた世界では――小さいころに何度か会っただけで、その後は音信不通だった。そういえば両親の葬式にも来なかった。俺としては、母を病気で失ったと思ったら間を置かずに父も事故死して悲しかったのと、もろもろの後始末に追われていたのとで、連絡が来るまで思い出しもなかったのだが。


 なぜいまさら連絡してきたのだろうといぶかったが、この世界における俺自身の情報には、まだ知らないことがあるかもしれない。何かわかれば、という思惑もあって自宅に呼んだ。


 現れた伯父は、60がらみの脂ぎった人物だった。すでに季節は盛夏に入っていたが、汗かきらしく冷房の効いた部屋にいてもずっと汗を流していた。


「おお、晶一かあ。ずいぶん大きくなったもんだなあ。たまたまテレビを見ていたらいきなり出ていたからもうびっくりしたのなんの。だけど一発でお前とわかったんだから、血というものは争えんなあ。俺の直感を誉めてくれ」


 なぜ連絡してきたのかという俺の疑問は、少し話すだけでたちまち氷解した。要するに金目当てなのだ。挨拶もそこそこに、親の残した銀行預金はいくらだとか、この家の資産価値はいくらだとか、『夏への突破口』の印税はいくらだとか、そんな話ばっかり。


 隠すつもりがないのか、それとも隠しているつもりでバレバレな自覚がないだけなのか。いずれにせよ、ここまであからさまだといっそ清々しい。


 伯父の現状については訊かなくても向こうが勝手に話してくれた。近所の高層マンションで管理人をやっているという。そのマンションは25階建てで、例の丘とはちょうど反対側にあり、この界隈ではもっとも高い建物なのでランドマークになっている。


 で、なんで高層マンションの管理人が金を欲しがるかというと、デベロッパーが管理会社に仕事を丸投げし、その会社がまた下請けに丸投げし、伯父はその下請けの人間だという。つまりマンションの住民と管理人の収入は比例関係にあるわけではないらしい。


「しっかしお前の親父の何とかいう弁護士、ありゃろくでもない奴だなあ。遺産の相続についてあなたさまは口を出せる立場にありません、と、こう剣もほろろにきやがる。俺はひとり残されたお前のことが心配だから、はばかりながら意見を言っただけなのによお、あれじゃまるで俺が泥棒みたいじゃねえか。見損なうな」


 いや伯父さん、あんたほとんど泥棒ですよ。平行世界のこととはいえ、他人の小説を自作として発表した俺が言える義理ではないかもしれないけど。


 元いた世界とこっちの世界との一致具合を見るに、伯父が両親と音信不通になったのも、おそらく金がらみでトラブルがあったのだろう。でなければおよそ法律問題とは無縁だった父が弁護士を代理人にするわけがない。その「何とかいう弁護士」の連絡先を探して伯父対策を相談しようと俺は心のメモ帳に書きつけた。


 結局伯父は、俺が印税で買ったシーバス・リーガルを1本まるごと飲みやがった。朱肉と正面衝突したヒキガエルのごとき顔色で、鼻毛ののぞく鼻孔から紫煙をひっきりなしに噴き出し、灰皿がないから吸い殻はシーバス・リーガルの瓶に捨て、呂律の怪しくなった口調で、どうでもいい話ばっかり並べ立てた。


「そういやあお前、むかし幼稚園のころだっけか俺の家に来たとき、転んで庭先の石で肘を切って、えらい血を流したことがあったなあ。わんわん泣いてそりゃあうるさかったぞお。お前の母ちゃんが医者まで連れていってなあ。ほら、袖から見えとる肘にまだ跡が残っているじゃねえか」


 何とか伯父を追い出したあと、洗面台の鏡で見たら、確かに左肘の外側に長さ3センチばかりの肉の盛り上がりがあった。しかし俺には転んだ記憶などない。肘の外側など鏡を使わないかぎり見られないから気がつかなかった。


 実にどうでもいい話だ。シーバス・リーガル1本費やしてこれかい。


 かくして自分に関する情報を伯父から聞き出そうという試みは、完全な失敗に終わった。くそっ、今度会うときは法廷だ。損害賠償としてバランタインを1ダース請求してやる。

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